組織形態に関する一考察
〜陸上自衛隊の近未来図探訪を通じて〜

 この世の凡ゆる貴腐が絶えようとも唯二つ永遠を刻むであろうとされる「王」のひとつ、英国王室正宮バッキンガム宮殿においては、現在もほぼ毎昼、衛兵の交替が行われている。 衛兵という最も様式化された歩兵の姿に体現される、落日の大英帝国に映える伝統の格式と統制美のフォルム、 もちろん、軍事組織は歩兵のみにて構成されるものではないが、人々が「軍隊」に有する代表的なイメージのひとつであろう。
 今般、Dチームとして「仮説の検証」を主たるコンセプトに据えるに至り、私の脳裏には 情報化の進展をはじめとする諸条件の変革は、最も上意下達な軍事組織のマネジメントにおいても 何等かの影響−仮にフラット化、ボトムアップ型要素の増加−を与え得るか、というテーマが 浮かんできた。そして組織の研究を行うためには必然的に取材や書物等による情報収集とその分析が中心となるが、 その前提として、まず研究対象たるわが国自衛隊の実態を肌で感じることが出来ればと 考え、体験入隊を行うこととした。
 実体験の詳細は別項に譲るが、僅か3日間とはいえ身近に接した自衛隊の姿をベースに 取材等を重ねることにより、より現実的な推論とその検証、一個人の描く今後の組織の姿を考察することが本稿のねらいである。 何分素人考えであり、十二分な思考を尽くしたとも言い難い内容ではあるが、宜しければお付き合い戴ければ幸いに思う。

  @戦争の変遷
 左は1575年、日本史の教科書にも必ず登場する長篠の合戦のワンシーンである(長篠合戦図屏風)。 戦上、織田軍は三列に並んだ三千丁の火縄銃を駆使し、往時最強と言われた武田の騎馬軍を 完膚なき迄に打ちのめした。これは馬上に槍を抱いた騎兵と騎兵が個人の技量において雌雄を決する中世の戦術から、 組織化された歩兵群による近世集団戦に変化する近代の幕開けであるとともに、 歩兵から砲兵が分化し、騎兵が槍から弓に、馬から二輪車を経て戦車に昇華することによって 完成される、現代迄続く地上戦の基本コンセプトの端緒を築いた戦闘であったと言えよう。
 かつて満州事変の指導者、石原莞爾は自著「戦争史大観」において、 ハプスブルグ家率いるオーストリア帝国と欧州の覇を争ったプロイセン・フリードリヒ大王の時代から 仏革命/ナポレオンを経て第二次世界大戦に至る戦争の進化を持久戦争と決戦戦争の振り子理論と説き、 進化に連れその間隔が狭まることにより最終決戦が行われ、世界統一が為されると説いた。 これは多分に往時の大東亜戦争肯定の理論的根拠とするものではあるが、幸か不幸か現時点における 最終決戦である先の世界大戦以降、確かに戦争の体系は一変し、「戦争」と言えば組織化された歩兵が 陣地の争奪を競うような古典的なイメージは崩れつつある。

 果たして一口に「戦争」と言われた時、貴方はどのような光景を思い浮かべるだろうか。
 映画「プライベート・ライアン」('98)の冒頭20分以上を飾る迫力の光景は、 第二次大戦・欧州戦線においてその雌雄を決した、連合軍によるフランス奪回を企図したノルマンディー上陸である。 戦艦から発せられたボートに乗り込み、先兵として死屍累々を築きながら上陸を果たす海軍の歩兵、 海兵隊の姿を覚えておられる方も多かろう。
 或いは「地獄の黙示録」('79)、「プラトーン」('86)はじめ枚挙に暇ないベトナム戦争の描写。 ここには従来の組織化された国家対国家の総力戦に代わり、歩兵部隊対ゲリラという非対称の戦闘の 姿が描かれている。
 記憶に新しいものでは湾岸戦争におけるコンピューター・ゲームの如きパトリオット・ミサイル爆撃の構図がある。 この映像のインパクトは著しいものがあったが、湾岸戦争も、また今般の対イラク戦においても、 最終的には地上部隊による局地戦を経なければ戦争の終結には至らない。 現代においては 無尽蔵に兵力を投入し物量の差で消耗戦を勝利するという戦術は、民主主義国家における 国民世論の支持を得難いため執りにくい。従って、最終局面である地上戦の犠牲者を可能な限り 少なくするために航空機やミサイルといった飛び道具による戦闘が戦争初期の大部分を占め、 かつそれらは映像化しやすいがために、あたかも机上の操作のみで戦闘が行われているかの 錯覚を半ば意図的に起こさせているということだろう。
 これらから分かることは、19世紀において船艦の大艦隊が、また第二次大戦においては潜水艦、さらには航空機という 全く新しい兵器が生まれ、同時にこれら新兵器が物理的な世界の距離を縮めたことが 世界大戦を可能にしたのだが、冷戦期の核開発競争や昨今のミサイル防衛論を経てもなお、 戦争の本質は陣地の覇を争う地上戦、消耗戦の域を超えていないということではないか。

 或いは冷戦後の国際構造の変化を経て、地上兵力の重要性はより高まっているとも言える。 大国と大国による大規模戦争の可能性が減少した代わりに、ゲリラやテロリズムといった 近代兵器による組織化の為されていない集団と大国という非対象型戦闘の増加。 これは2001年9月の米同時多発テロにおいて航空機を用いたテロリズムという新たな方策が 具現化されたことによって必ずしも地上戦力の重要性のみを示唆するものではなくなったが、 冷戦の終了により漸く国際連合が機能し始めたことにより、地域戦争後の戦闘地域の復興に 陸上戦力が投入される機会は著しく増加している。

  A陸上自衛隊改革の背景
 以上の前提を踏まえ、まず昨今の陸上自衛隊の改革につきその概要を示し、引き続き今後考え得る 自衛隊の近未来絵図の考察を通じ、先に掲げた仮説「情報化の進展等諸条件の変化は、自衛隊をも フラット化、ボトムアップ型組織に変幻せじむるか」の検証を行いたい。

 1980年代末を迎えるまでのわが国の防衛政策は、東西冷戦を背景に、地理的にソ連邦、共産主義中国と南北に分断された 朝鮮半島に相対峙することから、西側(資本主義)陣営のアジアにおける防衛ラインとして、 大戦争を喚起せしめぬための抑止力の一翼を担うとの位置付けが為されていた。
 この中でわが国の防衛力については、1957年の「国防の基本方針」において、 国連中心主義と、国連が有効に機能し得ない間においては米国との安全保障体制を基調に 対処すること。同時に、自衛のため必要な限度における効率的な防衛力の漸進的な整備を 謳っている。更に1976年には「防衛大綱」(「昭和52年度以降に係る防衛計画の大網」,以下「旧大綱」) を策定したが、ベトナム戦争(75年終結)とソ連のアフガン侵攻(79年)の狭間にある 東西デタント(緊張緩和)を背景として、必要最小限の防衛力を保有する「基盤的防衛力構想」に基づき 防衛力整備の水準・規模を明確化する軍縮の方向性を示すものとされた。

   しかしながら前頁に述べた通り、東西冷戦の終焉を経て1990年代以降、 国際構造が大きく変化したことにより、わが国防衛政策もまた変化を余儀なくされた。即ち、
@旧ソ連等による北海道上陸の如き大規模な直接侵略の可能性が著しく減少した。
A東西陣営のどちらかが常に反対することにより形骸化していた国連安保理が機能。
  これにより小規模国際紛争への国連乃至はそれに順ずる形(多国籍軍)での介入、
  国連組織による戦争地域の停戦監視、復興支援等が行われることとなった。
B防衛ラインの意義が減少したことを背景に、日米安全保障体制の再構築。
 これらへの対応のため策定したのが96年の「新防衛大綱」 (「平成8年度以降に係る防衛計画の大綱」)である。

  A陸上自衛隊改革の内容 (人員面)
  新 大 綱 旧 大 綱
編成定数    16万人
(常備   14.5万
 即応予備 1.5万)
   18万人  
基幹
部隊
平時地域配備 8個師団
6個旅団
12個師団
2個混成団
機動運用部隊 1個機甲師団
1個空挺団
1個ヘリコプター団
1個機甲師団
1個特科団
1個空挺団
1個教導団
1個ヘリコプター団
地対空
誘導弾部隊
8個高射特科群 8個高射特科群
主要
装備
戦 車 約900両 約1200両
主要特科装備 約800門/両 約1000門/両
 新大綱においては、基盤的防衛力構想を基本的に踏襲しながらも、 自衛隊の主任務である「国防」に加え、「大規模災害等対応の充実」と「国際安全保障への貢献」 =PKO(Peace Keeping Operation,国際平和協力業務)等の実施を謳い、 その帰結として自衛隊は「近代化とコンパクト化の同時進行」という大きな課題を背負うことになった。
 とくに陸上自衛隊はその性質上、大量人員を抱え、大規模侵略に対応するための戦車部隊等、重厚な編成 だったため、大きくその転換を迫られることとなっている。

 上図は旧大綱と新大綱における陸上自衛隊の編成比較である。一見して人員、装備ともに縮減を進めていることが判る。 これを96年から15年かけて具現化する訳だが、 コンパクト化と並行して装備の近代化(=更新)を行い、戦力の低下を来たさぬ様に努めるためには 長期間を要するのはやむを得ない。同時に予算面からもコンパクト化を要求されるが、武器輸出の禁じられた わが国においては大量生産によるコストダウンは望めず、安全保障の観点から民族資本の兵器産業能力を 維持しながら、開発の足の長い装備の更新を進めていかなければならない。

 中でも人員については説明を要する。陸上自衛隊の編成定数は発足以来、一貫して18万人体制が続いていた。 しかしながら実際には総定数を満たすことはなく、15万人程度で推移している。 従って、新大綱の定数は実態に即したものにするということになるが、単に現状を追認しただけではなく 以下の2点の改革が指摘出来る。
 第一に、即応予備自衛官制度の導入である。今後も少子化により若年層の確保が一層難しくなることが 見込まれるために、自衛官退職者を対象に通常は自衛隊以外の勤務に従事しながら、 年間30日程度の訓練義務を課すことによって、ひとたび事ある際にはこれを召集し自衛官として 活用する制度を新設した。
 第二には上記を含め、人員の構成の見直しである。左図に示す通り、陸上自衛隊全体に占める一般兵層(陸士)を 減少させ、幹部、現場指揮官(准・曹)の比率を増やす。これは従来からの歩兵の物量によって その雌雄の全てを決する戦闘方式の可能性が薄くなったことの証左とも言えるが、 同時に「隊員そのものの近代化」が必要とされてきた結果に他ならない。

  B情報の重要性
 さて唐突だが軍人将棋をご存じだろうか。これは元帥から工兵まで、 更にはミサイル、タンク、スパイといった駒を用いて行う戦争ゲームで、 1960年代頃に少年期を過ごした世代には懐かしい遊びだろう。本来の将棋と大きく異なるのは、 自陣の駒を好きな様に配置し、全て裏を向けて競技を開始するル−ルだろう。駒同士がぶつかった際には 審判が優劣を判定し、最終的に元帥を攻略すれば勝利となる。
 詰まり実力が大きくモノを言う将棋と異なり、配置の妙が勝敗を左右することになる。 しかしながら如何に自軍を効率良く配置・運用しようとも、所詮運の要素が多分に左右せざるを得ないのは、 敵陣がどの様に編成されているかは皆目分からないということだ。
 古より戦争とは敵の情報を如何に的確に把握し、それを撃滅するために味方の軍を如何に配置し、 運用し勝利に導くかを争う競技である。にも関わらず実際には、あたかも軍人将棋の如く、 敵の情報を知ることは簡単ではない。それはバルチック艦隊を横から突くことで 短期決戦を勝利した日露大海戦を例に挙げるまでもなく、劣勢と見られた側が圧倒的な優位を 誇る大軍を打ち破る奇襲戦法の勝利に枚挙に暇ないことからも明らかだろう。
 取り分け作戦主体となる個体の著しく多い地上兵力においては、敵ばかりか味方戦力の現状を 把握することすらも簡単ではなかった。真に孫子の言うが如く、「彼を知り己を知らば、 百戦危うからず」なのである。

 が物量戦を主としてきた地上兵力においても、今や10対5の戦闘において 5を消耗して10−5の勝利を治める様な作戦は許されない。如何に効率的な戦闘を行うか、 そのための鍵が「情報化」であり、一般にC4ISR(Command[指揮],Control[統制],Communication[情報], Computers,Intelligence[諜報], Surveeillance[監視],Reconnaiissance[偵察])と称される。

 概念的に述べれば、以下のことが言えよう。 凡ゆる組織においても、幾多の場面に張り巡らした最前線が得た情報はピラミッド型の組織経路を通って集約され、 最高位において下された決定は再び組織経路を経て伝達され、最前線において実行される、その繰り返しである。 一般的にわが国はボトムアップ型の組織が多く、 米国においてはトップダウンが多いと言われるが、 当然にボトムアップは全ての決定権限を下部に委譲したものではないし、 トップダウンだからと言って情報に基づかない野生の勘で意思決定を下している訳でもない。 これはあくまでも意思決定の態様を象徴的に二極分化式に表示したものに過ぎないだろう。

 前線と司令部において状況把握が異なるというのはよく知られた現象であり、 「前線の名もなき兵卒の悲劇」は戦争映画においても好んで描かれる描写である。 TV映画「踊る!大捜査線」において、警視庁湾岸署・青島巡査部長はしばしば 指揮権を持つ警察庁上級官の命に逆らい単独行を取るが、青島の正義感に徐々に共鳴していく 室井警視正にも支えられ、その行動は成功を導く。
 ドラマツルギーとしてはカタルシスを得る展開ではあるが、ここから得られる教訓は 現場の情勢判断を重視しなければならないということではなく、 無能な大本営を抱いた組織の悲劇であり、これを現場の超人的な能力と意図的な独走によって 補填しようというのでは、関東軍の満州事変勃発とこれを追認していった 往事のわが国政府を想起せざるを得ない。あくまでも大本営の意思決定を尊重しなければ ならないのは本来、情報の絶対量が圧倒的に異なるからである。
 前線においては目前の敵と極周囲の味方の存在しか把握出来ない。それに対し 司令部においては、少なくとも複数の前線が把握した状況を融合することが出来る。 従って、平時の組織においては、日常の実行は前線に近い部局に委ねてられている部分が多いのに対し、 非常時を前提とした組織である軍隊は、緊急避難の様な特殊な状況を除き、 極めて愚直に上位下達な組織形態でなければならない。 問題はその情報流通経路を如何に高速化するかということになる。

 先に述べた様に、実行個体が多く、かつ見通しの利きにくい陸地を行動範囲とする地上部隊は 情報のネットワーク化の分野においては海空軍に比して一般に遅れを取っていた。 この状況に警鐘を鳴らすこととなったのが1993年、国連軍がソマリア内線に介入した際の ブラックホーク事件である。米軍のヘリ2機が墜落、これを救助に向かった部隊も ただでさえ入り組んだ市街地と大量の民兵群の中、 前線→中継指揮ヘリ→統合作戦本部と情報が伝達され、指令として再び降りてくる段では 既に状況が変化しているという状態で指示が二転三転、遂に米兵死者19名を数えた惨事である。
 この影響は大きく二つある。ひとつは、多くの死者を出したことにより 米国民の厭戦気運が高まり地域紛争、とくに欧州戦線への介入に慎重にならざるを得なかったこと。 如何に衝撃が甚大だったかは、昨年これを題材にハリウッド映画「ブラックホーク・ダウン」が公開され、 反戦と愛国心高揚を混ぜ合わせた、米国民以外には良く出来た戦争映画以上の感慨を感じられない内容ながら、 大ヒットを記録したことからも伺えよう。
 もうひとつは一層「効率的な戦争」を行う必要性が高まり、その鍵として 情報の高度ネットワーク化とその伝達速度の重要性が再認識されたことである。

  C組織構造の変革へ
 これまでのピラミッド型組織においては、前線から数次の経路を経て 最終的に司令部に情報が集積され、それを基に下された判断が再度その経路を経て降りてくる。 これを高速化するには経路数を減少させなければならない。 そのためには前線から送られる情報を、必要ならば中継地を飛ばして司令部に集積し、 再び直接司令を返却するネットワークの複合化が必要になる。
 翻って前線の独断が許されないのは情報量が自らの知覚の範囲に留まる、即ち 著しく少ないがために大局的な判断を下せない恐れが高いからである。 しかしながら個々の目前の状況を最も把握出来るのもまた最前線に他ならない。 まさに「事件は会議室で起きてるんじゃない」のだ。ならば情報を中継なしに集積出来る ネットワークに留まらず、司令部に集積した情報をそのまま情報のパッケージとして 前線を含む全ての戦闘部隊に送り、情報の共有化を図った上で全体状況を把握した前線部隊自身が 作戦を判断するようなシステムは構築出来ないか。

 極めて雑駁に言えば、これが米国にて検討の行われている「ランド・ウォーリアー」計画の 概念と言える。前線に情報を集めるという、つい先日まで夢物語に過ぎなかったことを 情報機器の革新が可能にした。前線の兵士は敵と自らの位置、また規模・戦闘力をGPS等によって掌握、 データリンクにより一瞬にして司令部に送られた各人の情報は集積され、パッケージ化して直接、 兵士個々の持つサングラス状のウェラブル(装着可能な)・コンピューターに映し出される。 言わば司令部に鎮座していたモニターの大戦マップがそのまま兵士の眼前に 引っ越してきた様なものだ。
 この情報に基づき兵士自ら行動を判断し、必要とあれば後衛の戦車、砲兵、ミサイルまでも 遠隔操作することによって、戦闘を行う。兵士は最早従属的な情報の受け手ではなく、 情報の発信者でありかつ、情報の中継者たり得ることになる。 勿論、前線の兵士間において 一定の小規模な指揮、従属の関係は存在するが、 最早大本営の名に値する司令部も、巨大な上位下達のピラミッドも存在しない。

 しかしながらこの20世紀末に華々しく発表されたランド・ウォーリアー計画は、必ずしも進展を 遂げているとは言い難い。 莫大な費用を要することもさりながら、最前線の兵士に大きな権限を与える逆ピラミッド化、 或いはフラット化は、前線のリーダー格、即ち陸上自衛隊においては 准・曹クラスに莫大な労力を課すことになる。既に述べた通り、准・曹層の比率を 厚くしていく陸上自衛隊の改編もこの思想に合致していると言えるだろう。 しかし彼等は最早従前の中間管理職でなく、ともすれば処理不能なまでの甚大な情報を 与えられ戦闘地域全体から果ては外交内政を含めた国策全般までも視野に入れた上に、 かつ目前の敵を兵卒を率いて倒さなければならない。 果たして兵器の近代化は可能でも、兵士そのものも近代化は一足飛びに進むものではない。
 平時の組織であればそれはある程度可能であろう。がそれは権限を下部に委譲すること= まさに情報伝達経路を減少させることにより日常活動を効率化し、 万一失敗を生じた際にも事後的に情報を再収集し、司令部の意思決定によって組織内のより大きな 単位を活用することによって再挑戦が可能という前提の基に成り立っており、 有事の組織、即ち一度の過ちが取り返しの効かなくなる恐れの高い軍事機構とは自ずと異なってくる。 体験入隊時における 准・曹クラスとの意見交換においても、否定的というよりは「あり得ない」と言わんばかりの見解が 返ってきた。恐らく彼等は自ら或いは現に自らが率いている陸士の現状に鑑みるに、 現場に過度な権限を与えることによって起き得る混乱、独走に強い危機感を覚えるのだろう。

 情報化の進展は大量動員可能かつ下命によってのみ動く兵卒という「量」を凌駕し、 自ら行動を生み出す准・曹による”より効率的な”地上戦を生み出し得るのか。 情報流通の高速化が戦闘の優位を拡大することは疑いないが、それが軍事機構という最も典型的な ピラミッド型組織のあり方までも一変させるものなのかはまだ分からないというのが 現時点での答えのようだ。

  C結辞(仮説の検証
 以上、連々と述べてきたが、日常生活では仲々触れることの出来ない自衛隊の理解促進に 少しは寄与することが出来ただろうか。
 今自衛隊は変わりつつある。専守防衛をその与件として与えられ、 決してわが国国境を越えることのないとの想定の下に形成されてきた自衛隊が 国連乃至は米国主導の世界秩序維持の一助として、或いは地域紛争の 停戦監視、戦後復興の一貫として、海を亘ることも少なくなくなった。
 勿論、軍事機構が存在するから戦争が起こるのではなく、一定の実力組織が存在するからこそ わが国は危ういながらも独立と繁栄を謳歌することを可能にせしめたのであり、 徴兵制のないわが国において我々国民を最後に守ってくれるのは、自らその身を危険に さらす職業を選択した自衛隊の隊員諸兄であるというのは、何も変わらない。 しかしながら、時代の要請に応じてその組織のあり方は今後も変革を迫られるだろう。

  技術・機器の進歩 組織形態の改編
速度向上
 
経路減少  
情報集積方法
 さて最後にこれらの分析を踏まえ、「情報化の進展」が組織に如何なる影響を与えるのかを 整理したい。詰まる所、情報化とは@情報流通の速度の向上、A情報流通経路の減少、 B両者相俟っての情報集積方法の変更に他ならない。 この中で組織の変革を要求するのはAとBになろう。
 左図は情報流通経路の減少を主題に、ピラミッド型組織の変革を企図した形態類型である。 第一は日本企業に多く見られる権限委譲型。案件の軽重に応じて意志決定権限者を下部に移すことで 経路を減ぜしめるものだが、一方で上位者への情報、とくに負の情報流通の減少により 重要事項についての判断を誤る恐れがあること、 また決定権限者の著しい増加は、機械は進化しようとも 人間個々人の指揮能力の向上には限界があり、実働部隊に全てを委ねることは危険性が高いという ランド・ウォーリアー計画と同様の弊害を生じさせる恐れがある。
 第二は必要に応じて中間管理職への情報伝達を省略して より上位者に直接判断を仰ぐことにより同じく経路数を減らす、と同時に ピラミッドの上下に拘わらず各部局が「情報のハブ」と化すことで 情報共有化を促進するフラット化の一類型を表したものだが、下手をすると司令部の賦課を著しく増加させ、 大将一人と歩兵ばかりの原始社会になるか、中間管理職ばかりで意志決定が行われないかの 両極端になりかねない。また最右は三角形を上下反転させることで従来のピラミッド型組織からの脱却と、 最前線の接する顧客重視を象徴的に示したものだが、実際には情報流通・指揮命令系統には 大きな変革はない。

 結果、導き出せるのは技術・機器の進歩が情報流通速度を向上させ、 ピラミッド型組織の改編を図ることで流通経路の減少を模索してきたが、 未だ根源的にピラミッド型を超える組織形態は確立されない過渡的状態にある、 或いはこれは永遠に確立されないのかも知れないということではないか。
 一方で、少なくとも 情報化のみならず凡ゆる技術・機器の進化は下命を極めて従順に実行する 大量動員可能な「歩兵」層の意義を減少せしめ、 ある程度集積された情報をパッケージとして所管し、極少数の「歩兵」を手足として用いる 准・曹クラス=軍事用語を用いれば「下士官」層の重要性を高める。 即ち、下士官個々人の潜在的、教育・環境による後天的双方含めた能力に 拠るところが一層大きくなっていくということは指摘出来るだろう。
 「情報化の進展等諸条件の変化は、自衛隊をもフラット化、ボトムアップ型組織に変幻せじむるか」、 この仮説への回答は肯でありまた否であると言わざるを得なかったが、 機会があれば今回取り上げることの出来なかった海空組織についても 筆を取ってみたいと申し上げ、論を閉じたい。



 本編にも述べた通り、私は2002年10月に陸上自衛隊富士学校に体験入隊する機会を得た。 これは机上の研究を行う前提として、その対象である自衛隊をより実践的に理解するために 行ったものだが、大変貴重な機会を与えて戴いたと痛感しており、本編に引き続き、 「体験入隊編」を記し私の見た自衛隊を広くお伝えすることによって、 その感謝の意に代えたいと思う。
体験入隊編へ続く


 今回の取材・執筆に当たり、様々な方々にお世話になりましたこと、改めて深く御礼申し上げます。
  −陸上自衛隊富士学校 広報班・中江二佐殿、特科教導隊・篠田二尉殿、浜本一曹殿、高橋三曹殿、
    はじめ自衛隊の皆様方、
  −陸上幕僚監部・住田防衛課長殿、東京電力総合研修センター技術研修部・菊池様、廣瀬様

 参考資料
  [文献]
  ・石原完爾「戦争史大観」(中公文庫)
  ・江畑謙介「これからの戦争・兵器・軍隊 RMAと非対象型の戦い」上・下(並木書房)
  ・荒木肇 「学校で教えない自衛隊」(並木書房)
  ・小堀司 「防衛法概観 文民統制と立憲主義」(信山社)
  ・戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎
   「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(ダイヤモンド社)
  ・「自衛隊図鑑2002」(学研)
  ・「自衛隊 隊内生活体験のしおり」

  [映像]
  ・NHKスペシャル「変革の世紀/情報革命が組織を変える」(02/5/12放映)
  ・映画「ブラックホーク・ダウン」(PONY CANYON)
  ・自衛隊体験入隊時の撮影映像(粥川撮影分/浜本三曹撮影/東京電力撮影分)

文責:粥川善洋