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「海王の空」

neptune sky

4号リグまで600キロというところで、僕は初めてそいつを見た。

「ほう、スゥノいいもの見せてやる。右舷見てろ」

リセ兄貴はアルバトロスの船長を気取っていて、僕は初めて船に乗せてもらった手伝いに過ぎないけれど、それにしてもかっこつけすぎだ。で、丸窓の向こうを見ると、空をピンクに染めていたレーザーレーダーの光が消える。どこか向こうで雷光が走って、遠い雲の輪郭を見せる。窓に頬を寄せると、遠い空から雷鳴のかけらが甲高いうなりとなって伝わってくる。

闇の中に白い楕円形が突然あらわれた。僕は一瞬、これのことかと思ったけど、これは船のサーチライトだ。目を次第にならしていくと、白くうねる雲と、それと、なめらかで、ゆるやかに波打つものがあるのがわかった。

待てよ、この空に、雲以外のものがありえるのか・・・・

「おい、見えたか」

ようやくわかった僕は、

「でも、結構小さいんだね。もっと大きいものだと思ってた」

「馬鹿言え、奴まで3Kあるんだぞ距離。そんなに透明度良いか」そこを聞いて僕の眼の中のスケールが変わる。あれは一体どのくらいの大きさがあるんだろう。

それはさしわたし500メートル、1K、その間くらいか。それが生き物だなんて信じられなかった。バーチャルで見た鯨たちより夢のようで、資材置場のビニールシートを思わせるが、どこかゆるやかで、あれは『マンタ』だ。

「直に見るのははじめてだろ。この辺りに群れが来てるのかもな」

「近づいてくるよ」

「心配するな。たとえぶつかっても向こうはパンとやぶけて、こっちは何とも無いさ」

そんなことはわかってる。マンタのその膜の厚さが何ミクロンだったか、とにかく薄いビニールも同然で、それはほとんど知覚力もなく漂う平たい袋なのだ。

殖えるビニール袋。恐らく単為生殖、クローニングで増えるんだろうってソリヴゥ先生は言っていた。これまで生きたままで調べられたことはない。とても大きいし、とても破れやすいのだ。でもソリヴゥ先生はそれが育ち、増えるシミュレーションを書いた。膜が二重になってふくらみ、袋は上下に破れてそれぞれ膨らみ、ただよう。でも、現実にその様子を見た人はいない。あくまで予想だ。

マンタは船の下まで来て、帆に隠れて見えなくなった。向こう舷に移り、サーチライトを追うと、マンタは雲の中にずぼっと突っ込んでしまった。

「もう見えんな」

リセ兄はサーチライトを切った。再び弱い赤光がちらちらと雲の世界を照らしだした。


積み下ろしを手伝う。船の積み荷はシリアル2トン。4号リグには希元素ろ過洞が無いため、生存に必要な微量元素を、それを初めから含んだ食品の形で供給される必要があるのだ。もちろんこればかり食べるわけではない。これはおかずだ。

シリアルは透明な、少しべとべとする感じのするビニール袋に入っていた。手袋をしていてもそれが感じられた。

しかし、やがて寒さのため、袋の感触はぱりぱりという感じに変わる。

全部降ろし終わって、いい加減腕が痛くなった。エアマスクも目の前が曇ってしまった。断熱してあるにもかかわらず、作業場はものすごく寒く、作業服のヒーターが来ていない手袋や、足の先がちぎれそうに痛かった。

それからエアロックをくぐって、リグの、人もまばらな中央食堂で昼食をとった。

食券はリセ兄ぃのおごりだった。食べたら今度は積み込みになる。荷物は鉄合金と聞いて食欲を無くした。


僕が生まれたのは1号リグだった。リグは5号まであるが、2号リグは僕の生まれた次の年に失われている。

もともと、リグは惑星大気に含まれるヘリウム3を採掘するために造られたのだそうだ。リグが細長い構造になっているのは、当時のシャトル機が発着した甲板があった名残りだ。

木星も土星も、大気から採掘するには重力井戸が深すぎたのだ。ここ海王星だけが経済的にそれが可能だったのだ。天王星は海王星よりも地球に近いけど、自転軸がほとんど直角に倒れてしまっているせいで、地球に貨物を発射するのに必要なエネルギーが余計に必要になる。

この海王星の重力井戸の底から、核融合ジェットエンジンで飛ぶシャトル機がひっきりなしに飛び、大気の向こうの、はるか軌道上のプラントで詰め替えられ、コンテナは人類の母惑星、地球に向かって加速されたのだ。

それは想像を絶する時代だったに違いない。父さん母さんの思い出話のいくつかは今でも想像の埒外だ。例えば”L5コロニーのフリーフォール・バザール”だとか”アルキメデス学園都市一周マラソン”だとか。

重力井戸の底は地獄だ。しばらく前に、”静止軌道”からロープをたらすというアイディアを思い付いて、ちょっと計算をしたことがあったが、どんな材料を使っても、大気をかすめるはるか手前で切れてしまうという結果が出た。静止軌道が遠すぎるのだ。

どんな電磁カタパルトも、大気抵抗に打ち勝ってペイロードを脱出速度まで加速できなかったから、大気中の重水素を燃やして飛ぶ無人のシャトルが使われることになった。

今ではシャトル機は1機も存在しない。


僕の生まれた年に何かがあったのだ。一体何が起こったのか、だれもわかる人はいないらしかった。わかるのは、その時から軌道上や、その他人類社会との連絡がぷっつり跡絶えた事。それが起こる直前に、異星人が太陽系にやって来ていたという話もあるが、あまり確かな情報では無い。混乱期にありがちなデマかもしれない。

とにかくその時、とんでもない何かが起こったのだ。

シャトルは有人も無人も1機も降りてこなかった。リグには2機のシャトルがあって、人が乗れるように改造したそれに乗れるだけ乗って、結局両方とも帰ってこなかった。

現在この惑星上に二千人の人間がいる。4つのリグ全部を集めてそれだけだ。

脱出の手段を失った人々は、その日から生存のための闘いを始める事となった。

滑走路を気密農場に変え、大気に含まれるわずかな有機分子を漉しとり、食料や炭素繊維に加工して構造材に利用した。ナトリウムあたりまでの軽元素は、出力を増した融合炉でちびちびと元素合成もできた。2年前にはイオン交換の原理で動く元素ろ過洞もできた。それで、完全とは言えなかった閉鎖環境系から失われつつあった必須元素を回復できた。

しかし、と大人はよく言う。我々はこれからどうなるのだ、と。

僕はこれから一体どうなるんだろう。


雲は遠いらしく、レーザーレーダーの赤光も薄く散らされ、時折の雷光が黄色く雲を内側から照らしだす。そんな闇を飛ぶアルバトロスは飛行船。暖めた水素を詰めた袋四つにぶら下がった骨組みに、へばりついたゴンドラの中で思うのだが、水の上に浮かぶ船というものがどうしてもピンとこない。核融合で推進する宇宙船という名の缶詰もだ。僕にとって船とは雲に乗って飛ぶアルバトロス。

アルバトロスという名前の鳥がいたらしい。巨大な水辺、青い”海”の真ん中の寂しいリグのような”小島”に棲むのろまな鳥。一部の人はあほう鳥とも呼んだそうだ。

この船に似合った名前さ、と誰かが言っていた。確かにつぎはぎだらけで、乱雑に造られてはいるけれど、僕はとても好きだ。

帆のはためく音が聞こえる。バーチャルで見る地球の船の、帆のはためく音とはぜんぜん違う。ここは1気圧あるとはいえ、外の空気は水素とヘリウムの混合気体で、地球の大気よりずっと音は早く進む。

地球の空には鳥がいた。大空を力強く飛ぶ種族が。ここにいるのはでっかいビニール袋とくる。この星にいる鳥といえば、1号と3号リグにいるカナリアのつがいだけだ。

僕は時々、海王星の空を翔ぶ鳥の夢を見る。とても大きくて、真っ黒だから誰にも気付かれず、稲光を背にした時にだけ、その輪郭が空に浮かび上がるのだ。その鳴き声は誰にも聞こえない。あまりに甲高い声で鳴き、この空の永遠の夜の中で、リグをかすかに震わせる。

そしてこの惑星の反対側、鳥は力強くはばたき続け、上昇しつづけ、重なる雲の峰々を越え、そして見るのだ。

いっぱいの星空を。


1号リグに帰った僕達は休む隙もなく、屋外作業に駆り出された。大黒斑が近づいているのだ。

大黒斑はおよそ5日おきにやってくる。それは母なる地球ほどもある巨大な高気圧で、その前線は激烈な嵐であり、南緯22度のそれは、赤道の僕達のリグにも影響を及ぼす。

僕達はリグの機動帆を畳み、発電ローターをしまいこんで、半日の嵐をやりすごす。それが過ぎればまた屋外作業だ。帆を張り、破損箇所を修繕し、こびりついたメタンを掻き落とす。

休憩室で作業服のプラグを壁に差し込み、呼吸可能な、冷たく臭い空気を吸い、吐き出し、息が白く凍るのを見る。

「リグをもっと北に動かすべきじゃないかな」

誰かが言う。僕はきつくて寒くて、誰が言ったのか知る気がしなかった。でも、リグを北に動かすというのはとても魅力的な考えだ。大黒斑がやってくるたびの室外作業にはうんざりだ。嵐の影響のないおだやかな緯度に行けたなら、どんなにいいだろうか。少なくとも、北緯29度までは大気は平穏で、そこではこのリグも、無気味なきしみを立てることもなく、夢見るような静かな風に乗るだろう。

「冗談はよしてくれ、あんた。軌道の上からシャトルが来るとすれば、赤道にいなくちゃ話しにならんだろ」

「そうだよ、希望を捨てちゃいけない」

そう言うのはリセ兄ぃだ。余計なことを言わないで欲しい。

「その見込薄の希望のために、俺達は磨り減っていくのか。リグは嵐のたびに少しづつ傷んで、しまいにはバラバラになるぞ」

「リグの耐久性は、ちゃんと建造したときに考慮済みだ。充分すぎるほどの安全マージンが取ってあるんだ」

「もう耐用年数はとっくに過ぎているぞ」

「しかし、希望をなくせば俺達は終わりだ」

「時間だ。休憩は終わりだ、行くぞ」

誰かが告げた。議論はそこで終わりとなり、むっつり黙りこくって皆黙々とプラグを抜き、マスクとゴーグルを付けた。呼吸をボンベ側に切り替える。貴重な酸素を吸い出すポンプの作動音がして、やがてその音が高くなり、扉は開かれ、少し風の吹きはじめた空の下に出る。


嵐の北端がリグをかすめていくあいだ、高く低く聞こえてくる風の音に、僕は闇の中を風のままに流されるマンタをずっと想像していた。

リグの子供を集めた学習会の中休みに、ソリヴゥ先生はこんな事を話してくれた。マンタは、もしかすると異星人がこの惑星に持ってきたのかもしれない。リグの人々がマンタの存在に気がついたのは、リグが操業を始めて6年後、2号リグが失われた年なのだ。

惑星の巨大さを考えれば、土着の生物がずっと見つからずにいた可能性も無視できない。だが、これまでに知られた海王星生態系はあまりにも貧弱で、この星が生命を自力で産み出せたとはとても思えない。先生はそう語った。

先生の話で、とりわけ僕の関心を引いたのは、マンタは最大で、自重の0.4パーセントものパラジウムを含んでいることがあるという部分だった。

パラジウムは、低温融合エンジンの中核だ。あたりにふんだんに存在する重水素を吸蔵させ、高圧をかけてやることによってゆるやかな核融合が起こり、僕達が最も必要としている、熱を放出するのだ。

僕等がこの惑星上に持っている融合炉はわずかなものだ。だから飛行船も、「アルバトロス」と「マーガンサー」の2隻しか造れなかった。

マンタの体重を10キログラムと見積もって、一匹から40グラム、融合炉1基分には、300匹もあれば充分だろう。

嵐が去り、後始末の屋外作業をやっている最中も、そのことをずっと考えていた。汚水処理のバクテリアタンクと、その上の気嚢にマンタが引っ掛かっていた。最近よくリグにマンタが引っ掛かる。前々回の嵐の時も、蛋白質培養タンクに引っ掛っていたっけ。僕は、それが取り除かれ、びりびりに引きちぎられた後の切れ端を一人で集めた。

「スゥノ、お前一体なにやってんだ」

リセ兄の言葉を無視して僕は作業を続けた。赤道にリグを留めたがっているリセ兄は、きっと屋外作業が好きなんでしょ。僕の夢は、リセ兄みたいに後ろ向きなものじゃあないんだ。

「おいスゥノ、こっち手伝え」

リセ兄の作業服は、スピーカーの音が割れていた。スピーカーは、声の周波数をあらかじめ低くすることで、この水素とヘリウムの混合大気中で、室内の声に似せて聞こえるようにしてくれる。それにしても年代物だ。この作業服は。しわくちゃの作業服姿が近づいてくる。それが目の前で、突然こけた。マンタの膜に足を滑らせたのだ。

「ちょっとそこ、どいて欲しいんだけど。そのマンタの膜から足をどけて」

リセ兄はぽかんとしていた。

「僕は自分の船が欲しいんだ」

そうだ。すべてこの星のもので作られた飛行船だ。

僕はこの星の空を飛ぶ翼が欲しいんだ。

もう一度、僕は繰り返して言った。


「僕は自分の船が欲しいんだ」

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