飛鳥山公園は、明治5年に定められた我が国最初の公園の一つです。この公園のある台地は、上野の山から日暮里、田端、上中里と続いている丘陵の一部です。このあたりは、古くから人が住んでいたらしく、先土器時代、縄文時代、弥生時代の人々の生活の跡が発見されています。飛鳥山という地名は、鎌倉時代末の元享年間(1321年〜24年)に豊島佐衛門が紀州熊野の飛鳥明神と若一王子社(後の王子神社)を遷したところから生まれたそうです。昔、この丘の地主山には、飛鳥明神の祠が祀られていたそうです。場所は、回転展望台(正式名称「スカイラウンジ」:通称「飛鳥山タワー」)があった所ですが、今では撤去され、飛鳥山山頂モニュメント(公共基準点)が設置されています。地図横の写真は、飛鳥山公園に向かう歩道橋からの景色です。上が王子方面に向かう道(前方に見える林は王子神社)です。この道ですが、昔は都電と並列してトローリーバスも走っていました。当時の写真が手元にないのが残念。
飛鳥山 ⇔ 王子間の坂。一般道路に都電の軌道があるのはこの坂だけになりました。景観はいいのですが、運転士さんにとっては、都電荒川線最大の難所らしいです。途中の音無橋交差点で赤信号に引っかからずに坂を駆け上がるには、王子から坂に入る信号を青信号で発車せず、補助信号の黄色矢印で発車するのがコツだそうです。この“難所”では、雪が降ると路面が滑ってしまう為、運休になってしまったり、この坂の前後で折り返し運転を行ったりで対処していました。
しかし、1998.1.15の大雪時には、坂を登る雄姿が見れました。そのがんばっている姿がカッコイイじゃありませんか。
清長画 飛鳥山の花見(東京国立博物館所蔵)
八代将軍徳川吉宗は鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れていましたが、自分の出身地の紀州にゆかりがある事を知り、享保5年(1720年)から翌年にかけて1270本の山桜の苗木を植裁したそうです。元文2年(1737年)には、この地を王子権現社(現在の王子神社)に寄進し、別当金輪寺にその管理を任せました。この頃から飛鳥山は江戸庶民にも開放されるようになったそうです。飛鳥山のお花見は、向島とともに仮装が許されていたので、落語『花見の仇討ち』に出てくるような仇討の趣向や変装などで、たいへんな賑わいだったそうです。東側の崖からは“カワラケ投げ(土皿を風に乗せて遠くまで飛ばす遊び)”も盛んに行われていたそうですが、明治の末になって、危険防止の為に禁止されました。時代と共に変貌の経緯がある飛鳥山ですが、近年でも変化続けています。昔は、夜になるとライトアップされる噴水があって、ちょっとしたデートスポットにもなっていたのですが、子供が水で遊べるような公園に変身。でも、今では水を流すこともなくなってしまったみたいです。昭和45年(1970年)に完成した回転展望台(40分で1周しました)は、周りに高いビルが建ち、展望台としての働きが出来ないという事で平成5年(1993年)9月に取り壊されました。お城のある公園(昔はよくテレビドラマの撮影に使われていました。私は旧作「忍者ハットリくん」が印象に残ってます)は、私の子供の頃のまま、今でも健在です。
展示されている都電がぼろぼろで、扉にはベニヤ板が貼られている…(写真下左)という悲しい状態の時もありましたが、定期的に、塗り直しも行われているみたいです。(写真下右)
公園内にある、“お茶とだんごでちょっと休憩”ってな感じの店。
「冷やし汁うどん」は、ごま味噌ダレがおいしい一品。
暑い日には持ってこいのお勧めメニューです。
さくら亭の裏の見晴らし台からは新幹線などが見えます。
飛鳥山碑(あすかやまのひ)
飛鳥山公園内にある石碑。この碑文は吉宗が飛鳥山を公共園地として整備し、王子権現に寄進したことを記念して幕府の儒臣成島道筑(なるしまどうちく)によって作成されたもので、篆額は尾張の医者山田宗純の書。碑文には熊野の神々のことや、元享年中(1321年〜1323年)に豊島氏が王子権現を勧請したことから、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来を説いて、土地の人々がこれを祀ったこと、寛永年間に三代将軍家光がこの地を改めて王子権現社に寄進した経緯などが記されています。碑文の文体は中国の五経の一つである尚書(しょうしょ)の文体を意識して格調高く書かれていて、吉宗の治世の行き届いている太平の世であることを喧伝したものと考えられています。しかし、異体字や古字を用いたり、石材の傷を避けて文字を斜めにするなど、難解な碑文であり、
「飛鳥山何と読んだか拝むなり」
「この花を折るなどろうと石碑みる」
など川柳に読まれたほど、江戸時代から難解な碑文として知られていたそうです。
平成10年3月27日(金)にオープン。「北区飛鳥山博物館」「渋沢史料館」「紙の博物館」の3館を総称しての名称。
行く方は参考にしてください。⇒「東京建築賞・第25回建築作品コンクール」の一般部門で優秀賞と東京都知事賞を受賞。
●開館時間
北区飛鳥山博物館 午前10時〜午後5時
渋沢史料館 午前10時〜午後5時
紙の博物館 午前10時〜午後5時
※ただし、有料展示室への入室は午後4時30分まで●観覧料
北区飛鳥山博物館 渋沢史料館 紙の博物館 3館共通券 一般(大人) 300円 300円 300円 720円 小・中・高生 100円 100円 100円 320円
・各館別入場券には団体割引があります。(20名以上)
・3館共通券には団体割引はありません。●休館日
年末年始(12/28〜1/4)
月曜日(祝日、振替休日と重なる場合は開館)
祝日開館の代休(祝日、振替休日後の最も近い火〜金曜)●問い合わせ
北区飛鳥山博物館 tel 03-3916-1133
渋沢史料館 tel 03-3910-0005
紙の博物館 tel 03-3916-2320
日本経済界に貢献した渋沢栄一の史料館。2024年発行の1万円札から表の図柄の肖像画になるそうです。
史料館前の一角は、渋沢栄一氏が明治12年(1879年)から亡くなる昭和6年(1931年)まで、初めは別荘として、後には本邸として住んだ「曖依村荘(あいいそんそう)」の跡地です。8470坪余の敷地に、日本館と西洋館をつないだ母屋の他にも様々な家屋が建っていたそうですが、住宅等の主要部分は昭和20年(1945年)4月の空襲で消失しました。現在は、「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、庭園の一部とともに保存されています。
北区の自然・歴史・文化を紹介する郷土博物館。
八代将軍吉宗と花見に興じる人々の姿を、ロボットを使って見せる“飛鳥山劇場”(上映時間約25分)は、ちょっとヘナチョコでおかしい。常設展(1F)は有料ですが、特別展示室で行われる企画展はほとんど無料です。催し物は、飛鳥山博物館までお問い合わせください。
写真が小さくて、すみません。
名前の通り“紙”に関する博物館。
昔はもっと遊べる博物館って記憶があったのですが、すっかり変わってしまいました。好きな博物館だっただけに残念です。でも、紙に関する資料は豊富。
左の写真は昔の『紙の博物館』。
…今は取り壊されて駅前のロータリーになっています。