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聖子コンサート詳細解説

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80年 | 81年 | 82年 | 83年 | 84年 | 85年 | 87年 | 88年 | 89年 | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年
初のステージ | ファンクラブ発会式 | さわやかコンサート | First Kiss '80 | Spring Concert '81 | Nice Summer Seiko '81 | Fantastic Concert '82 | 聖子フェスティバル '82 | Christmas Queen '82 | 沖縄傷害事件 '83 | アン・ドゥ・トロワ '83 | SEIKO LAND '83 | Fantastic FLY '84 | Magical Trump '84 | Golden Juke '84 | Seiko Prism Agency '85 | Super Diamond Revolution '87 | | | | | |


1980年

     ページトップへ ☆初めてのステージ 聖子が歌手として初めてステージに立ったのは デビュー前の80年3月の「ロッテ歌えヤンヤン (ニッポン放送)」での公開録音でした。聖子 はシックで大人っぽいドレスに高いヒールとい    TIPS:ハイヌーンは熱く うイメージがずれた格好で、約百人の聴衆の前    「ハイヌーンは熱く」はデビュー曲「裸足の季節」の で「ハイヌーンは熱く(=裸足の季節)」を歌    原題で同一曲。レコードが出来る段階になって、現在 ったものの、歌詞を間違えたり歌いだしで遅れ    の「裸足の季節」に変更されましたが、発売前に一度 るなど、「もう泣くよりもただ呆然としてしま    だけ、聖子はこのタイトルで歌っています。 った」ほどの散々な内容でした。 80年7月6日、日本橋三越     ページトップへ の屋上で「ファンクラブ発会式&新曲『青い珊 瑚礁』発表会」が開かれ、集まった観客3500 人を前に紙テープの嵐の中で「裸足の季節」 「青い珊瑚礁」や山口百恵の「しなやかに歌っ て」などを歌いました。客参加の椅子取りゲー ムなどのアトラクションを含めて1時間で終了 する予定がサイン会好評のため2時間40分もの の長丁場になり、この会場だけで「青い珊瑚礁」 は1880枚も売れ、大ヒットをスタッフに 確信させました。 初のワンマンコンサートといえるのは、80年     ページトップへ 7月27日に東京よみうりランドで行なわれた 「松田聖子さわやかコンサートSeiko Fresh in Summer」です。この日、聖子は京王線新 宿駅の一日駅長に就任し、改札で切符切りな どを務めたのち、ファン一千人と一緒に12時 50分発の7両編成の臨時電車「さわやか聖子 号」でよみうりランド駅まで乗り込んで車中 の全員と握手、よみうりランドでは八千人の 観客の前で「SQUALL」から4曲と「気 まぐれヴィーナス」などを歌いました。まだ ファンも聖子色には染まっておらず、その中 に女性はたった2人しか居ませんでした。ア ンコールで2曲をサービス。最後にテニスウ ェアで歌った聖子は、サイン入りボールを客 席にサーブしてプレゼントしました。 ☆初の本格的コンサート     ページトップへ 初めてチケットが売り出された本格的コンサ ートステージは80年9月30日に日本青年館 で行なわれた「ファーストコンサートFirst Kiss」です。S席二五〇〇円(FC会員二三 〇〇円)A席一五〇〇円でした。コンサート 衣装は純白、真紅、ピンク、ピンクの4着が 用意され、聖子の希望で南沙織の「グッバイ ガール」などを取り入れた1時間30分のステ ージ。開演2時間前から親衛隊を中心に聖子 コールの練習が繰り返されました。チケット が完売したため、会場の窓から満員御禮の垂 幕が掲げられました。聖子の母や親戚、相澤 社長らが来場し祝福。なかでも「裸足の季節」 や「青い珊瑚礁」を作曲し、聖子のヴォイス トレーナーも務めた小田裕一郎氏も駆けつけ て、ステージ上で花束を贈呈。初めてのおし ゃべりで、「今年の夏は…」と言ったとたん、 感激で何も出てこなくなり、「聖子頑張れ!」 の大声援が。その後も「嬉しかったわ。みん なに出会えて」のあとは、ただ涙涙。エンデ ィングでは涙で顔をくしゃくしゃになり、雨 のような紙テープをあびて、大成功のうちに 終了。その後10月5日に大阪年金会館、そし て追加公演として10月19日に中野サンプラザ で追加公演と、この年のコンサートは3回だ け行なわれました。

1981年

     ページトップへ ☆初のコンサートツアーがスタート 1981年 ファーストキッスの81年度版として2月11日 から単発で11ヶ所で公演を行ないました。大 人気の為に、この年から土日などの休日公演は 原則として昼夜2回(3時と6時の開演)のハ ードな公演が当たり前になります。前頁で紹介 している公演日数は公演開催箇所数であって、 実際の公演回数はもっと多くなります。 3月1日の高知県民会館でのコンサートではコ ンサート終了間際に観客から投げられた紙テー プが左目に当たり、病院に駆けつける騒動が発 生。FC会報「PePe6号」で『紙テープは 自粛をお願いしたいところですが、必ず芯を取 り、顔に当たらないように投げてください。テ ープをむやみに投げるのもやめてください。』 という要請が。やがて紙テープは全面禁止にな ります。 続く初の全国ツアー「'81 Spring Concert」が     ページトップへ 81年4月1日よりスタートし、このツアーの要 だった日比谷野音での野外コンサートでは、早 くも紙テープ自粛お願いが出ていました。この ツアーでは聖子自身がまずお遊びでチューリッ プと猫ふんじゃったを演奏したのちに、オフコ ースの「あなたのすべて」を弾き語りで熱唱し たり、「カモナマイハウス」の曲間ではCMの 「ピピピって鳴るから好きなのぉ〜(セイコー ピコレ)」の台詞を喋ったりと新しい試みもあ りました。この日比谷野音では、春風のいたず らでヒザまであるスカートがめくれて、パンツ 丸見えになったりするハプニングも。 続く「Nice Summer Seiko」ツアーでも弾き     ページトップへ 語り有りで、セットには帆柱が4メートルもあ る白いヨットが登場。Seikoと描かれた帆 の前で、赤いスカートに上は赤の横縞が入った セーラー服にSEIKOと描かれた水兵帽子を かぶったスタイルで歌いました。ステージ上で の衣装早替えにも挑戦しました。

1982年

     ページトップへ ☆1982年コンサートツアー 82年の「Fantastic Concert」は3月27、 28日のNHKホールからスタート予定でした が、過労が原因の急性胃腸炎で倒れ、東京女子 医大病院に緊急入院で延期。十日後には無事退 院し、ツアー自体は4月17日から秋田県民会館 から始まり、3月の中止分は5月29、30日にN HKホールで振替えて無事行なうことが出来まし た。この5月30日のコンサートは「レモンの季 節〜ファンタスティックコンサート」(8曲35 分収録)と「渚のバルコニー」(5曲15分収録) としてビデオ、LDが発売されました。このツ アーで、はじめて本格的なダンスシーンに挑戦。 幕が上がるとゴンドラに乗って5メートルも宙 に浮かんでいる聖子で始まるステージは、椅子 に座っての語りがあったり、替え歌を歌ったり、 一緒に歌おうコーナーがあったり、変った演出 があったり、ダンサーとの激しい踊りもあった りの、静と動が繰り返される玉手箱的なコンサ ートでした。SEIKOと書かれた大きな電飾 の門が作られました。「本名の蒲地法子に戻っ て歌います」とイモ欽トリオの「ハイスクール ララバイ」のメロディで聖子の替え歌を披露。 この歌詞は出身の久留米弁を使っているのが特 徴で、観客からはその楽しい歌詞で笑いが絶え ませんでした。   ♪♪♪ 「聖子のハイスクールララバイ」 とにかくとびきりの美少年 うかつに近寄れば感電死 授業も上の空 よそ見して お祈り20回 ハイスクールララバイ ねぇあんた ゲタ箱のラブレター 読まんと破くなんてあんまりたい かわいか顔ばして冷たかね 廊下でふり向いた ハイスクールララバイ こげん好いとんのに つれなかぁ〜 ねぇあんたもっと深く知りあわんと?   ♪♪♪ 一度幕が下ろされ、静かに「ガラスの入江」 から第2部が始まります。「踊り明かそう」 の後に、シャンペングラスを載せたワゴンが 運びこまれ、「二十歳になってはじめての ツアーです。そこで二十歳のお祝いのパー ティーにふさわしく、ちょっと背伸びして 乾杯なんかしちゃおうと思うんです。」と シャンペンの栓を景気よく抜かれて、聖子 のグラスにもなみなみと注がれ、「いまま で応援ありがとう!これからもよろしくお 願いします。みなさんの健康と幸せをお祈 りして、カンパーイ!」と一気に飲み干し ます。ヒックヒックとしゃくりが止まらず にしゃがみこむと、いきなり「ディ・ドン」 の演奏が始まり、ダンサーズが登場して、 アルコールが回ったのかコミカルに、そして 激しく踊ります。歌い終えた途端にバッタリ と床にひっくり返ってしまいます。ダンサー によって舞台ソデに運び込まれると、テープ によるバンドメンバーの紹介。その間に衣装 替えして、正気を取り戻した聖子が再登場す るという演出でした。 82年夏には「聖子フェスティバル」が新宿と     ページトップへ 梅田のコマ劇場で行なわれました。これはミ ュージカルやコントをミックスした「聖子ド リーミング」とコンサートの「聖子ビッグヒ ット」の2部構成で行なわれたスペシャルラ イブです。ミュージカルでステージが始まっ たかと思うと、いきなり「カットカット!」 と映画監督が登場して、「君、イメージ通り にやってくんなきゃ、困るよ!」と言われて 聖子が「ごめんなさい」と謝ったりします。 やがて暗くなって誰も居なくなり、「みんな 帰っちゃった。私も家に帰ろうっと」と自分 のプライベートルームに戻って、みんなには 顔だけみせて普段着に着替えます。「ここは 私のお部屋。着飾っていない私がここにあり ます。私、こう見えても料理がうまいんです よ。私をお嫁さんにできる男性って幸せだと 思いませんか?」などと観客に話しかけます。 電話が鳴ると友達からの電話で、しばらく無 駄話を続けます。このあと、ロミオとジュリ エットのミュージカルコント、再び自分の部 屋、野菊の墓の撮影風景を再現したズッコケ コント、そしてウェディングドレスでの歌な どの後は、ヒットシングルの第2部。通して 8回の衣装替えも含め、変化の富んだユニー クなステージでした。 82年12月には初の武道館公演「聖子in武道     ページトップへ 館Christmas Queen」が開かれました。武 道館の会場使用料は他より十倍近く高く、大 半は赤字公演となってしまうため、アイドル としては異例のことでした。聖子はこの時も 昼夜2回公演を敢行し、会場は立ち見席まで 完売、収支はトントン(相澤社長談)に収め ることが出来たのでした。届いた花籠は30以 上。当時CMで募集していたグリコポッキー ポーズ写真の優秀作品の発表展示も同時に行 なわれました。「白い恋人」で雪の結晶をイ メージしたゴンドラに、エスキモースタイル の衣装で乗り込んだものの、どうみても雪の 結晶が蜘の巣にしか見えないなどと言われる こともありました。このコンサートはテレビ で放映されました。

1983年

     ページトップへ ☆ステージで暴漢に襲われる 1983年 83年3月からの「Spring Concert」で傷害 事件が起きたのは、沖縄市営体育館で行なわ れた3月28日の夜の部でのコンサート。「渚 のバルコニー」を歌っている最中、少年が凶 器を持ってステージに駆け上がり聖子の右腕 をつかんで側頭部を狂ったように5、6回強 打し、悲鳴と絶叫とで会場は大パニック。恐 怖で聖子はその場で失神し、ただちに救急車 で牧港中央病院に運ばれました。犯人の少年 は19歳で埼玉の精神病院に入院中でしたが、 病院の外泊許可を得て「沖縄コンサート鑑賞 ツアー」に参加していたもの。動機は「聖子 を殴れば名前が出て有名になる」という理解 不能のもので、未成年のため少年の名前は結 局明らかにされませんでした。この鑑賞ツア ーはファンクラブが「春休みに聖子の歌と踊 り、ついでに沖縄の太陽を満喫しよう」と企 画・募集し、阪急交通社が主催、27日東京発 で28日コンサート鑑賞、29日帰京というもの でした。聖子は殴られる時に頭部をかばった 右の手首と中指、右頭部に全治1週間のケガ。 精神的ショックが大変大きく、しばらくは恐 怖による身体の震えが止まらず放心状態、ち ょっとした物陰にガクガク怯えてしまうほど でした。凶器は戸棚止め用のL型ステンレス 製金具。たまたまこの日は、コンサート収録 の為に日本テレビのカメラが入っていたので、 殴られる瞬間の衝撃的映像がニュースとして 流されました。この信じ難い事件に全国のフ ァンは驚愕しました。 この事件で4月1日からの3日連続公演が延 期になったものの、事件から1週間後の4月 5日の熊本県立劇場でのコンサートは予定通 り行なわれ、「みんなハラハラさせてごめん なさい。聖子はこんなに元気になりました。 これも熱い励ましのおかげです。本当にあり がとう。復帰のステージが私の故郷の九州だ ったのはラッキーでした。全国のみなさんか らお見舞いの手紙やプレゼント、親衛隊の九 州支部からは千羽鶴ももらったの。あの事件 を起こした人もきっと心に傷を受けたでしょ う。歌手はみんなに美しい夢を贈る職業なの に、その反面、恐ろしい事件を生む危険性も あるんですね。もうこんなことは二度と起き ないように気をつけないといけません。」と 訴えました。右の中指と手首に包帯を巻いて いたものの、映画の話をしたり、ハワイで覚 えたフラダンスを披露したりで、完全復帰を アピール。アンコールの幕が降りる時、ステ ージにひざまずいた聖子の頬には大粒の涙が 光りました。なお、この事件当日の沖縄コン サートは編集され、後日東京で収録した映像 と共に「沖縄スプリングコンサート」として 日本テレビから無事放映されました。 83年7月のNHKホールから始まった「アン     ページトップへ ・ドゥ・トロワSeiko Summer Concert」ツ アーは、7月に山中湖畔のペンションで初め てのスタッフ合宿を行いスタッフの息を合わ せました。ヒット曲ばかりでなくバニー・マ ニロウの曲や自分で作詞した「小さなラブソ ング」を熱唱しました。 83年12月には特大ステージによる大会場の     ページトップへ みの「SEIKO LAND」ツアーが、昨年に引続 き武道館からスタート。著名な舞台芸術家の 伊集院静氏が初めて演出を行ないました。ス テージには背丈が8メートル以上もある巨大 な客船「SEIKOLAND号」が出現。美 しい港での船上、もしくは防波堤による華や かなクリスマスパーティーをイメージしたも のでした。武道館の中央まで迫り出たステー ジ、そして船員作業員服スタイルの数十人に よる初っぱなのダンスシーンはアイドルとし ては歴史にない斬新でかつ豪勢なものでした。 このツアーはテレビ放映と共にビデオ化され ました。

1984年

     ページトップへ ☆コンサートイヤー84年 84年はコンサートライブに力を入れることを 宣言した年でした。新年ツアー「JEWELS」 終了後、真駒内アイスアリーナより「Touch Me.Seiko…Fantastic FLY in Campus Concert」ツアーがスタート。大会場の真 ん中に設営された初の円形オープンステージ でした。構成・演出が伊集院静によるもので、 ステージセットだけで2億円という豪華なも の。「この舞台のイメージは例えば映画の未 知との遭遇で舞い降りてきたUFOの美しさ であり、ウォルトディズニーのピーターパン のタイトルの星の輝きであり、メリーゴーラ ンドが星空に飛んで行くイメージである」 (伊集院静)というように、変化に富んだも の。ステージ全体が花のイメージであり、床 全面が光るクリスタルステージで美しく色が 変化し、単純な円形ではなく3重のリングで 構成されました。中央部分は「赤いスイート ピー」で聖子を載せたまま3メートル上昇し、 それを囲むように三角形の花びら4枚が立体 的に持ち上がり、スイートピーを演出。と同 時に花粉を模した数十個の風船が上空へと飛 び出て、空高く聖子が舞い上がります。また メリーゴーランドそのもののように、16方 位に16頭の木馬が「渚のバルコニー」で出 てきて、聖子はステージをぐるぐる周りなが ら、それぞれの木馬に腰をかけて熱唱。また、 会場には香水「インプレス」を漂わせるとい う日本初の香りのステージ。大がかりのセット のために、埼玉のスポーツセンターを借りて、 本番そのままの円形ステージをセットし、聖 子は衣装を着たり、トレーナーにパンツとい う姿でリハーサルを行ないました。リハーサ ル時には足の怪我のために両足に包帯を巻い てローヒールで望んだ聖子ですが、本番では 包帯なし、ハイヒールで行いました。衣装は 熱帯のアフリカ探検をする旧植民地時代のお 嬢さんのイメージ、白い探検帽に白いショー トパンツのものや、妖精ティンカーベルのよ うな白と黒の姿。最後に美しく変身して 旅だって行くというコンセプトだった、壮絶 な芸術美に飾られたツアーでした。この模様 はフジテレビから放映され、またこの時の様 子は「エキサイティングライブ武道館」とい うピンナップ写真集として発売されました。 「Fantastic FLY-2」はオープンステージで はない一般会場で普通構成のものです。 84年7月から始まった「Magical Trump」ツ     ページトップへ アーは、はっとする夢のワンダーランド世界と いうコンセプト。ステージは完全なアリスの世 界が表現され、それぞれ背丈が6メートル近く もある巨大な、懐中時計、ティーポット、指輪、 眼鏡、口紅、ハープ琴が並べられ、奥には夢の お城への階段が伸びているという鮮やかなパス テルカラーで統一されたおとぎの世界を形成。 オープニングでは模型の雲がステージにあって、 メルヘンチックなお月さまとお星さまがあちこ ちに散りばめられ、雲の上のお城から黄金に輝 くドレスを召したお姫さまが降りてきます。一 千一秒物語を思わせる。舞台いっぱいに貼られ たシルクスクリーンには、オープニングとイン ターミッションに、このコンサートの為に作ら れたイメージフィルムを上映。奏者も妖精のコ スチュームを身に纏い空中を自由に飛び回りま す。前掛けをしたアリスの衣装や、大きく胸を 開けたシックなドレスなど、髪が一段と短くな って大人っぽくなった聖子を演出させました。 また7月18日に行なわれたリハーサルでは使用 されたた男装スタイルは結局使われませんでした。 84年12月の武道館からスタートした「Seiko     ページトップへ Golden Juke」ツアーはコンサート全体をジュ ークボックスにしてしまうというコンセプトで 行なわれました。レコードを模した円形オープ ンステージで中央部分は歯車、そしてステージ 面がレコードプレイヤーのようにぐるぐると回 転しつづけるという仕掛けのセット。四方には ステージが飛び出た形の変型でした。ステージ 上空は二重の立体電飾リングが輝きます。 「Sweet Memories」はゲストの羽田健太郎の ピアノ独奏による歌唱。続く「Canary」では聖 子自身によるやはりピアノ独奏の弾き語りで、 回転ステージ面に置かれたピアノと共に聖子も 会場をぐるぐる回りました。「Sweet Memories」から「真冬の恋人」までピアノリ ードによる優雅な演奏でした。テレビ朝日から 放映されました。

1985年

 ページトップへ ☆独身最後のラストコンサート 85年4月9日の婚約発表直後の4月25日から日 本武道館でスタートした「Seiko Prism Agency」 は独身最後のツアーとなりました。4基のプロ ペラがまわる飛行機をそのままステージにして しまという、これまでにない斬新かつ豪華なス テージでセット代だけで5億円と伝えられまし た。「密林少女」ではレーザー光線によって動 物の絵が次々と描かれます。妖精のスカイブル ーの羽のついたコスチュームで蝶のように舞い ます。サーモンピンクのロングドレス。黄緑色 のかつらにシルクハットをかぶりシルバーのタ キシードの衣装からパッと上衣を脱ぐと黒とゴ ールドのドレスに一瞬にして変身、髪も同時に ロングヘアーへと変化します。それから黒から 赤のドレスにまた早変わりしました。最後のコ ンサートになった5月12日の大阪城ホールでは、 「Sleeping Beauty」や「瞳はダイアモンド」 で涙が止まらず10秒ほど歌えなくなったりと、 ひたすら涙の嵐。MCでは「いよいよ今日が最 後のコンサートになりました。この5年間夢中 で歩いてきて、松田聖子という人間、歌手はつ くづく幸せだと思います。」と挨拶。中央のゴ ンドラと両翼のリフトもグングン上がり、ラス トソング。アンコールは純白のパンツルックス タイルで、恒例の「Only My Love」で会場の観 客と一緒に合唱。観客はもアークライトを持っ て、聖子の人生の旅立ちを見送りました。この ツアーは「SEIKO CALL」というタイ トルでビデオ化されました。S席三八〇〇円へ。

1987年

    ページトップへ ☆2年後の復活ステージ 結婚休養を経て2年ぶりに87年5月から始ま った「Seiko Super Diamond Revolution」 ツアーは伊集院静の演出によるもの。舞台は 至ってシンプルで小さめの3度目の円形ステ ージで、木版の床にビニールを貼り付けただ けのもの。バックには色とりどりの照明のカ ーテンが様々な情景を生み出していきました。 ステージ中央から天に伸びた階段は時計の針 を意味します。白いジャンプスーツで飛び出 て着た聖子は、「Strawberry Time」駅を 出発して、「Kimono Beat」で時計の針が半 回転。ピンクの妖精が登場、ダンサーが多数 登場してパーティが始まります。インターミ ッションでは白いパラソルのメロディに乗せ て小鳥の大合唱が流れます。ゴールドのリボン にゴールドのビーズが流れるドレスを着た少 女から、電気仕掛けの光る黒の怪しげなドレ スへ。「赤いスイートピー」では赤のドレスを 翻しながら。アンコールではポニーテールに白 のジャンパー、黒のミニタイトスカート。この 針は時間の流れを象徴して、時間を戻したり、 進めたり、止めたり。最後となった6月17日の 大阪城ホール(追加公演)だけは、2度のアン コールに応え、もう一度「赤いスイートピー」 をアカペラでサービスしました。このツアーか ら小倉良率いる「Dang Gang Brothers Band」 が参加し、現在に至っています。ツアー終了後、 ツアーで実際に使用した衣装などの展示を含め た聖子フェアが全国各地で開催されました。S 席が四千円へ。

88年以降は現在工事中

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