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私が「松田聖子の部屋」を廃止する理由

それって日テレ?

パソコンと部屋

私が辞める理由

世界最強の聖子ウェブは無理だった…

私が辞める理由
私が「松田聖子の部屋を立ちあげて、そして廃止する理由。それは根源は「多忙さ」といってしまえば簡単なんですが、

  • 「松田聖子の部屋」の更新、追加が出来なくなった
  • 個人の別のテーマのホームページ制作を進めたい
  • 松田聖子への情熱が薄れてきている
  • 聖子以外にも視野を広く持っていたい
    ということがあり、「松田聖子の部屋」を続けるには、私の能力の限度を超えていると感じました。将来への私のビジョンのなかに、すでに「松田聖子の部屋」も「松田聖子」もありません。私の「松田聖子の部屋」はあまりに多数の皆さんに広がってしまって、私自身が驚いているという状況のなかで、「すでに多くの人にご覧いただき、賛美を貰った」ことを私の誇りにして、そろそろ展示期間を終えて、終了したいと思いました。いままで私が作ってきた同人誌と同じように、「いつかは消える。永遠のものは無い」ということを、今は改めて実感しているところです。

    具体的に言えば
    皆さんも御気付きかと思いますが、「松田聖子の部屋」の最新情報コーナーや、各工事中のコーナーが今年に入り、ますます更新が遅れ、全く進化しなくなってしまいました。これは勿論多忙のために、以前ほど時間を割けなくなりました。実は、この「松田聖子の部屋」を作った時期(昨年5月〜6月)は、実際、仕事をしていなかったため、数百時間という時間がありました。その時に集中して作ったというのが真相です。トップページのコピーにあるように「世界最強の松田聖子ウェブサイト」を作れるだけの時間がありました。また、YAHOO! JAPAN誌のインタビューに私が答えていたように、この「松田聖子の部屋」は最終的に現在の3倍以上、600ページ以上の量のデータを提供しようというビジョンは持っていました。ページ廃止を決めた今でも、この「完成された姿」を想像することはあります。しかし、仕事から帰ってからメールチェックと、ファンの部屋を見るだけの生活になり、ますます「新着コーナー」への更新が出来なくなり、雑誌コーナーの要約も情報収集と更新が出来ないという状態になってしまいました。このような状態では夢の「600ページ・画像1000点・総容量30MB」への道がかなり遠くなってしまいました。「最新情報もバッチリ!過去情報もバッチリ!」の、完璧な「松田聖子ウェブ」を目指すつもりでしたが、月2万人の訪問客の要望と期待に対応できる素地と余裕がなくなり、私のイメージの中の「松田聖子の部屋」とはかけ離れて行く様が見えました。時々、舞い込む「新譜が載っていないのですが?」というメールはとても辛いものがあります。半ば私の個人聖子ウェブではなくて、公共的な「聖子事務所ウェブ」のように、「最新情報を載せて、情報提供するのは当たり前」というような感覚と期待が寄せられるようになって、ますます苦しくなってしまいました。川口のコンサートを後ろの席で見ていた私は、一ファンとして飲み込まれていました。この時に、ますます、私個人の小ささを実感し、「これだけのファンがいるのだから、誰かが第2の松田聖子の部屋を作ってくれるに違いない。とりあえず、いったん閉じてみよう。今の重責からは解放されてみたい。」と決めたのです。

    押し寄せるメールの山
    97年6月15日に「松田聖子の部屋」が誕生して以来、この一年間で通算1400通を超えるメールを貰い、昨年暮れあたりから、全くといっていいほど、返事が出来なくなりました。今年に入ってから私から返事メールを受け取った人はまだラッキー?な方です。この多くは、私のこのホームページを見て沢山の人が問い合わせのメールを送ってきたものです。「リンクしてもいいですか?」というものから、まるで聖子事務所へ問い合わせや苦情のようなもの、聖子情報へのご質問メール、「松田聖子の部屋」への御意見・ご感想のメール、出版社からの取材申込と掲載許可メール、ページに載せている内容を尋ねてくるもの、私への嫌がらせや中傷メールもかなりありました。「この映像は何のですか?」「CMの放映時間を教えて下さい」「ファンクラブへの入会方法を教えてください」「聖子についてのアンケートにお答えください」「聖子の自宅の電話番号を教えてください」「聖子の写真を送って下さい」「あなたはどうして松田聖子HPを作っているのですか?訳を教えてください」などなど、同じ類のメールがかなりありました。ひとつひとつのメールに返事するだけの手間がどうしても面倒になってしまい、そのうちに返事が出せないメールがどんどん溜ってしまい、どのメールから先に返事をすればいいのかも分からなくなってしまい、結局は返事書きに時間を割くことができなくなってしまいました。
    「松田聖子の部屋」の感想受付ページに「聖子が好きですか?」という項目があるのですが、そこで「大嫌い」をチェックして送ってくる人達がかなりいたということもひとつの驚きでした。一度だけ、「私は聖子が大嫌いです。どうも好きになれません。あなたが理解出来ません。」という長文を書いて送ってきた人に、「ちょっと失礼ではないですか?」という返事を書いたことがありましたが、その時は「価値観の相違はありますが、失礼な事をしてしまいすみません」という返事をもらうことが出来ました。まだまだ色々なメールが来るもので、「私は聖子がデビューする前にSEXした男6人の実名を知ってます。これは私が事務所サイドで仕入れたもので絶対確実な情報です。デビュー後に関係した男の名前も8人知ってます。返事くれればその氏名を教えます。」という、ちょっと病的なメールも多種数々来ています。

    私は聖子ちゃん?でオフィシャルサイト?
    また私がアドレスにseikoという文字を使っているために誤解されやすいのか、トップページに「関係ありません」と明示しているにも関わらず、「私のメールアドレス=松田聖子のアドレス」と思われたり、聖子事務所公設ページだと勘違いした人からのメールが、今も延々と舞い込んでいます。もともとこの私のページアドレスである「http://www2a.meshnet.or.jp/~seikofan/」と「seikofan@muc.biglobe.ne.jp」というメールアドレスは、私が「聖子ページ専用」として、申請・取得したものです。ホームページを始めたばかりの頃、「あなたのデビュー当時からの熱心なファンです。返事下さい。」と書いてきた香港の方に「申し訳ないけど、これは私設のサイトで、聖子事務所のではありません。香港の聖子人気はどうですか?」などと丁寧に書いて返事したら、「紛らわしいものを作るな!ファックユー!」という心無い返事が来て以来、私が受け取った、聖子宛てに書いてきたものには一切返事していません。これは「松田聖子事務所、松田聖子本人とは関係ありません」とトップページに書いているのにも関わらず、「ファンレター」を書いて送ってくるわけだから、私もどうしようもありません。前の香港人の場合も確かにファンレターを書いたつもりだったのに、第三者に読まれてしまったという恥ずかしさと怒りがあるのでしょう。それは理解しました。逆にそういう風に「訂正のメール」を送るよりかは、「松田聖子ちゃんに電子メールを送っちゃった」という夢を大切にしてあげたほうがいいかなっとも思いまして、そのままにしています。だから、もしかしたら「聖子ちゃんに電子メールでファンレター書いちゃった」なんて自慢している方も多いのかもしれません。他にも、「聖子ちゃん、離婚なんかに負けずに頑張って下さい。私はあなたを応援しています。」という励ましのメールや、メキシコの14歳の少女から「Dear,SEIKO。あなたのファンです。」という長文のメールをもらったり、「私はシンガポール一番のあなたのファンです。あなたがシンガポールでラジオ出演したのを聴きました。」「私の国、マレーシアに是非来てください」「米軍の海兵です。今駐留している韓国では聖子のCDが売られていません。韓国人にも聞いてもらいたいのに。」というもの等々、本当に多くの「勘違いメール」を国内外からもらって困ってしまいました。海外からのメールは微笑ましい反面、私は欺いているのではないだろうかという罪深いものを感じました。勿論、英語でもファンサイトであるということは、明示しています。初めは、見て分かるだろうということで、特に明示してませんでしたが、あまりに多いので、日本語でもオフィシャルではないと書くようにしたにも関わらず、「松田聖子さん、あなたの熱狂的なファンです」「聖子ちゃん、絶対返事頂戴ね」というメールも今も絶えることはありません。逆にアンチ聖子派の皆さんからも特に離婚以降、「お前は離婚して正解だ。散々、神田正輝を苦しめたから当然だ。」「あなたの生き方は間違っています。娘も居るのですから、もっと母親らしく生きて下さい。」という離婚関連の嫌がらせメールの類もかなり来ました。さらに驚くのは世界中のあちこち(発信元が海外か日本かを発信元サーバー標準時間で判断すると)から英語で中傷メールが届くことでした。恐らくそのほとんどは外人に成り済まして英語で書いてくる日本人だと思われますが、「SEIKOの写真が私のパソコン画面に出てくるだけでイライラする(原文は英語)」という支離滅裂型メールや、「この前の離婚会見で、あなたの顔にシリコンが見えてましたよ、整形も大変ですね、お察しします。あなたの夫にも宜しく。そういえば夫の名前はジェフって言ってましたっけ?違ったかな?間違っていたら御免なさい(原文は英語)」という卑劣なメールや「私は沙也加の本当の父です。離婚を機会に、私に沙也加を返して下さい。お願いします。」等も多く来ました。こうした中傷メールは最初は結構ショックでしたが、あまりに多いので?慣れてしまい、ただ単に無視できるようになりました。

    セイコーファンのページ?
    この聖子本人アドレス勘違いとは別に、私も初めは冗談かと思っていたのですが、服部セイコー(この7月より社名がセイコーに変更)、つまり、セイコー時計の問い合わせのメールがいままでに100通あまりも来ています。さすがに日本人で間違える人はおらず、全て英語圏からのメールです。私は、メールアドレス検索ページで調べて、単にやみくもに送っているだけだと思っていたのですが、「松田聖子の部屋」の英語版の感想受付ページで、「SEIKOホームページの感想=まあまあ、SEIKOの好きな所=ボディ」などとチェックしてあって、メッセージ欄に「昨年買ったブレスウオッチのデザインなんですが、製造番号が****です。これは誰かデザインしたものか、ご存じだったら教えてください。また同じく香港に旅行したときにアルバ・アカ・ウォッチを買って気に入っているのですが、調子がおかしいのです。出来たら同じ物が欲しいのです。何処に行ったら買えますか?また、修理するのに最適なショップの電話番号を教えて下さい。」と長々と書いてあったのには、ズッコけました。ほとんどがアメリカとカナダ人で、ドイツからも来ました。「セイコーエプソンのプリンタを中古で買ったのですがドライバがありません。入手方法を教えて下さい」「ここはセイコーオフィシャルのページですか?」といったものから、製品への苦情なども舞い込み、とてもうんざりしてしまいます。これも最初は「セイコーではありません、セイコ!です」と返事していたのですが、しだいに真面目に返事するのも面倒になてきたので、最近は返事してません(ファンへの返事も完全じゃない有り様なのに!)。このような事実は逆に、アメリカでSEIKOといえば、やはりSEIKO WATCHの事である事実は、これは日本のファンとしては残念な限りです。番外編としては「Dear, Mr.SEIKO」の書きだしで始まるメールも来ました。ちょっと笑えません。。。

    聖子とお友達になりたい?
    アメリカ人やアメリカ在住の日本人から多かったのは、「聖子さん。是非私と友達になりましょう。返事下さい。」「聖子さん、電話で話したいから、電話下さい。コレクトコールでOKです!」というもの。アメリカナイズされたSo Cusual、気軽さでしょうか。丁寧に自分の電話番号や自宅住所が添えてあります。この方々は、聖子さんに電子メールを送っただけで本当に、聖子さんが電話をかかけてくれるとでも思っているのでしょうか??そう言えば、今年耳にしたニュースに、世界中のカソリック信者が自分達の結婚式の神父をローマ法王にしてもらおうと、神父依頼の手紙を送っていてそれが年間何万通に達し、かなりの人が本気でお願いしているという驚くべき報道がありましたが、それに似ています。ちなみに私は松田聖子さんとは特段、お友達にはなりたくありません。というか、友達つき合いなんて無理に決まっているので。私は、ファンとスターとでは「お友達」にはなれないと思います。仮に私が音楽プロデューサーだったら、その音楽関係友達になれるでしょうけどね。友達になった時点でいわゆる普通のファンではなくなっています。よく芸能人同士で「私はこの方のファンだから」と話す事がありますが、意味合いとしては「いつも友達として応援しているよ」という意味ですね。私が松田聖子さんとお友達になったところで、何の会話をしていいか分かりません。何を話すにしても「ファンとして、こうされることを望みます」としか言えません。
    また自称音楽家?からメールも多数ありました。「私の作った曲を歌って下さい。作曲に自信があります。テープ送ります。宛先を教えてください。」という類のメールも5人ほど。また、「私がアメリカやカナダでのプロモートを協力に手伝います」「聖子のアメリカのオフィスのアドレスを教えて下さい」というメールもかなりありました。また、アメリカのホテルマンからは、「私の妻は日本人です。二人共聖子さんが大好きです。私が勤めているのは、サンフランシスコの高級ホテルの●●ホテルです。聖子さん、是非、私のホテルに泊りに来てください。私の名前を使えば、同じ料金でも2ランクアップした部屋を御用意して、私が心底ご奉仕します。電話は…。」という具体的なメールもありました。マレーシア、香港、フィリピン、インドネシアからのファンで多い内容が、「ファンです。写真送ってください」というものでした。あちらのスターは、ファンレターに写真を送り返しているのでしょうか?そんなことを思ったりしました。

    有名になりすぎてしまった?
    色々ありますが、こうしたメールの数々は、私が聖子データをインターネット上に置いていれば、必ず反応として寄せられるものです。面倒だったら、メールアドレスを一切記述しないという方法も考えられます。しかし、わたしはこのような「松田聖子の部屋」のデータを提供しながら、それについての一切のメールでの質問や感想を受け付けないというのは、ポリシーに反します。メールには楽しいものもありましたし、ある意味で輪が広がったというのを感じることが出来ましたが、それでもやはりこのメールの洪水と皆さんの期待と言う圧力からいったん解放されて、ゆっくりとした時間が欲しいと考えました。「松田聖子の部屋」があまり人に伝わらず、有名にならなかったら、あるいはもっと続けていたかもしれません。「松田聖子の部屋」は有名になりすぎました。これでは他の方々も委縮して、第2の松田聖子の部屋も出現出来ません。これまで23誌に紹介記事が載り、スポーツ新聞の掲載、毎日新聞による記事配信、5誌の取材申込、ワイドショーでの紹介、ついには日本テレビの出演依頼という、どんどんエスカレートしてしまいました。「松田聖子の部屋」が“お仕事”だったら、これからもOKなのかもしれません。しかし、半ば好きではじめたとはいえ、新規ページがいつまでも完成しない・更新も出来ない状態で、みなさんから「これからも期待しています」「最新情報が更新されてないのですが?」「新譜情報が載ってませんね?」というメールが殺到するに至り、私が押し潰された状態になってしまいました。

    展示期間の終了
    「松田聖子の部屋」の閉鎖は開始当初から念頭にありました。しかし、訪問者の増加にともない、その閉鎖する機会を見失っていました。今回、ちょうど1周年を迎えたのを契機に、もう一度ゆっくり松田聖子について考えたいと思っています。ファンの部屋の坂上さんの発言に、「このウェブは高ちゃんの作品だ」という声がありましたが、そのとおりだと思います。これは私の作品のひとつです。私の作品として、13カ月という展示期間があったのです。その間にたくさんの方の来場者を迎えることができましたし、きっと皆さんの役に立てたし、心に残ってくれと思います。とりあえず、展示期間が終えたいというのが私の希望です。もしかしたら、違う場所でまた「展示」されるかもしれません。この「展示期間」に見に来れなかったファンの方もまだまだ大勢おられるかとは思いますが、「またいつか、何処かで展示されるかもしれない」という希望を持ち続けてくれたら、それも実現出来るかもしれないと考えています。個人のホームページサイトとしては、雑誌、本、新聞、テレビに登場し、作品としてひとつの頂点を迎えられたと思います。だから、私は閉鎖するにあたってもすごく満足しています。皆さんが一番気になる、今後、再び展示する事があるかどうかですが、全く可能性がないわけではありませんが、当分の間はないと思います。それはこの下で上げる理由があるからです。

    個人ページを完成させたい
    私は、人と話すときに「インターネットをやってます」と言うのですが、その時に人に言われるのが「URLアドレスを教えてください」というものです。その時に結構、困ります。実は、「松田聖子の部屋」とは別に、私個人のホームページは別プロバイダで契約していて、ネット上には存在しているのですが、そちらのほうはほとんど何も作ってません。「松田聖子の部屋」を「私のホームページです」と言うのには、やはりかなり無理があります。というのは、親しい友達に話すのだったら、「実はファンでさ〜」っで、いいのですが、初対面などで名刺交換なんかする相手には、とても無理です。ある方に言われたのですが、「松田聖子のホームページを作っていると他人に言うのは、問題が大きい。何人かはユニークで凄い奴と思うだろうが、世間的には変わった趣味を持っている変人として見られる可能性が高い。特に社会の上層部にいる人達は後者として受けとらえる可能性が高いから、注意したほうがいい。いくら松田聖子の部屋が凄くても、人物評として人格的に誤った印象を与えかねないだろう。」ということでした。これを聞いて、改めて予想以上に世間の目が厳しいと感じました。特に、そのように話してくれた方は、社会的に成功している人だったので、真実味があります。仮に私が、芸能・芸術分野で活躍する類の仕事に従事していれば、それがウリにはなってプラスにはなるのでしょうが、平凡にサラリーをもらっている私としては、「松田聖子の部屋」ではなく、ありきたりの個人のページが作りたいと思いました。なにも「私は松田聖子の部屋を作っていて恥ずかしい」と言っているわけではありません。一応の成功を収めた聖子ホームページは中断して、次は私個人のホームページの方を完成を進めたいと考えているのです。「松田聖子の部屋」に捕らわれるばかりだと、私自身の見識や将来可能性も、見えなくなってしまうと感じました。このページはひとつの頂点を迎えられたので、次はこの殻を破って、新しい自分を発見・開拓して、新しいホームページと技術で頂点を目指したいと思っています。ちなみに次の私の個人ページは、今一番興味を持っているUNIX・インターネット技術などパソコンまわりのことをはじめ、海外旅行記、英語、現代アメリカ全般や、日本の政治・社会システムについてなど、多岐に渡る内容となります。前から完成させたいと考えていたのですが、「松田聖子の部屋」のこともあり、2つのホームページを作ることは時間的に無理な作業でした。もし、この方面に興味がある方だったら、もしかしたら、広いインターネット上の何処かでまたお会い出来るかもしれない…と思っているのです。「松田聖子の部屋」というひとつのジャンルに固執していくのではなく、もっと広い視野をもって、幅広く世界を見ていきたいという私の希望なのです。今のように松田聖子だけにこだわり続けることは、今の私の今後の人生にとってもマイナスになってしまうと感じました。今まで、松田聖子にこだわったおかげで、多くの出会いがあって、それなりの成果をあげることが出来たと思います。これからは別の分野でナンバー1を目指していきたいと思います。

    結局は情熱の問題?
    本当の意味で、「松田聖子の部屋」を辞めるのは、ここにあるのかもしれません。私は松田聖子さんについては、ひとときほどは愛情を感じられないのです。証拠に、現在、聖子の曲を聴くことは全くありません。YAHOO! JAPAN誌に「松田聖子の部屋はファンの目を通り越して冷徹な記録者に変貌しつつあるかのようだ。これがもしかしたら究極のファンサイトなのかもしれない」とありましたが、そうなのかもしれません。昔の聖子楽曲は全曲、空で歌えるのに、最近のここ3、4年の曲は、曲タイトルすら知りません。「MY STORY」をはじめとして、新譜もここ2年位買ってません。時折、カラオケでチャレンジしてみますが、本当にメロディと歌詞が分からずに歌えない状況になってしまってます。コンサートも昔は年に5〜8回も行っていたのですが、どうして、今年は3回のみで、恐らく来年は1回でしょう。あんまりにもマンネリ化した構成と魅力を感じない楽曲には、あきらめの境地に陥っています。PUFFYとかの軽快でリズムの良い曲を聞くにつれて、「どうして今の聖子の曲って、こんなにも重たいんだろう?」と思います。どうして、他のアーティスト同様に、もっと気楽に楽しく聴けないのだろうかと思います。私は昔の聖子楽曲は「酔えるほど聴いていた」時代がありましたが、聖子作詞作曲というアーティスト路線を歩むようになって、どうしても曲とそして何より詩が好きになれませんでした。はっきり言えば、楽曲レベルが低いんです。だから、一所懸命聴かないという義務感で聴いているだけでした。もう、聖子の言う「アーティスト路線」は辞めて欲しいと、私はそう思います。いくら好きな聖子さんの曲であっても、今のアルバムは聞くのには勇気が要るし、聞いていると疲れます。わざわざ、そうまでして本来は曲を聴く必要がないわけで、苛立ちにも似た感情を持つこともありました。いままでは結構「いつかは変わってくれるだろう」と待ち続けていたのですが、もう限界になりました。「聖子の現在の路線はもう、これからも変わることがないだろう」っと思います。通算202曲目から始まった自作によるシンガー&ソングライターのアーティスト路線は、現在370曲に到達しており、ほどなく、聖子自作にる楽曲数が、過去の栄光を支えた曲数を超えます。今、MIDI機器や各音楽ソフトの普及に伴い、自分で作曲することがさほど難しくなくなってきています。誰でも作詞、作曲ができる時代です。でも、基本的に聖子に作詞作曲才能があるとは考えていません。聖子の卓越した才能は、「与えられた楽曲をいかにうまく歌いこなすことが出来るか!」にあったと思います。その魅力が無くなり、いつまでも聖子自身が知るだけの比喩も乏しい「聖子の自身の言葉」で「聖子自身の体験」で語られる「聖子のメッセージ」に帰依するつもりはありません。私は思い返すに、「聖子自身が歌うフィクションの世界」がとても好きだったんだなあと思います。コンサートで感動することも無くなったし、聖子さんを1メートルの前に見ても、何故か冷静な自分が居るのが見えました。ある意味で本当に感動したのは、高校時代に「Canary」という未知のアルバムを聞いた時、その10年後に聖子さんと会話してもらい握手してもらった時ぐらいだったのかもしれません。

    これから…
    「松田聖子の部屋」のデータページについでですが、8月以降はページ数を減らして、現在の「ファンの部屋」と数ページのみを残します。また私が時折、現在のデータページにあるような情報ページを臨時に作って、皆さんに見てもらうようになるかもしれません。データページの廃止については、皆さんからも考え直して欲しいというメールもたくさん頂きましたが、私自身の作品として、私が幕を閉じさせてもらうことにしました。ご期待に沿うことが出来ませんで、大変申し訳りません。私の中にも、聖子熱の上下があって、調子が良いときと悪い時があって、今は聖子熱が冷めている時期なのかもしれません。今回、皆さんの希望と賛同を得て、ファンの部屋だけは残すことにしました。

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