ちゅーりっぷ

No.14  95/5/23


「今日の日中は気温は24℃まで上がり・・・・・」と、天気予報のお姉さんが言うようになりました。智ちゃん!い〜い季節だね〜。何たって、セーターを着なくてもお外に行けるんだもの。無事、3度目の春を迎え、パパ、ママは嬉しいゾ!! 今年の春は本当に嬉しい!!

智ちゃん危うし(4/1〜4/28)

 よく泣くなぁ〜 飲みはいいよねぇ〜でも何か変・・・・。4月1日から何〜か変。「何が?」って言われると困るけど何か変。
 そして、4月3日(月)リハビリの日、やっぱり変だからN先生(リハビリ)にお休みのTEL・・・。そして、その日の午後「あっ、熱出してる!やっぱりナ〜風邪ひいたんだぁ〜」てな具合で始まったのです・・・。何がって? 智ちゃん危うし!ですョ。

 次の日、小児科外来にかかりお薬をもらって帰りました。でも、呼吸数が60〜70もあり、全然目を開けなくなりました。でも飲みがいいのでちょっと安心。離乳食はむせたりするので中止。やたらヨダレが流れていて、ハッハッと肩で呼吸。
 「まあ、7日(金)フクちゃんのところ(外来)に行こうねー」と言ってたのですが、6日(木)の夕方から、智ちゃんのオシッコが濃くなってきて、「血尿かぁ」て心配になり、病棟にTEL。幸いフクちゃん先生がいてくれて、オシッコの状態とその他の状態も報告。「心配なら救急外来にかかっていいんだョ」と言ってもらい、よし、行くぞっ。ところが救急外来にTELすると「急患(重症)の子供が今入ったので、来るならPM11時頃来てくれ」と言われてしまいました。TELしたのは、8時30分頃、「え゛〜〜〜」と心の中でさけびながらも、仕方ないので「じゃあその頃行くのでお願いします」と言ってTELを切りました。
 もしかしたら入院かもしれないと思い、智子の荷物だけ持ち(ママの荷物は、パパが「そんな持って行かなくていいよぉ〜」と言うので、荷造りして部屋の片すみにおいといた)、いざ病院へ!!

 診察してくれたのはW先生。智子の胸、背中にステイとを当てて、ジーーっと聞いていました。そして「胸部レントゲンを撮ってきて下さい。肺炎なら入院ですから・・・・」と言われました。そしてその結果・・・やっぱり「肺炎」 「採血して点滴入れますから」そして先生は病棟にTEL、「智子ちゃん肺炎で入院だから。え!?智子ちゃん・・・酸素ボックス・・・etc.・・・・
 ママは「どひゃ〜、やっぱり肺炎かぁ〜、家庭の医学に呼吸数50をこえたら肺炎を疑った方がいいって書いてあったナ〜、まあ、入院した方が安心だよネ。」と思いました。内心すごく心配だったけど、思いつめると付き添いがもたないと思い、その反動でヘラヘラ笑っていたらパパが「おまえ何ヘラヘラしてんダ」と怒られてしまいました。救急外来にいた看護婦さんのひとりが、以前、婦人科外来でお世話になった看護婦さん。知ってる看護婦さんがいると、ホッとします。

 そんなわけで、今度は遊びにではなく「助けてくれ〜」と小児科病棟へ。あ〜、Oさん(主任看護婦さん)がいてくれたぁ〜、ホッ。少しして、あ〜Tさんだぁ〜。
 処置が終わり智ちゃんは感染病室の323号へ。ここは2人部屋、そこにはえりかちゃん(生後すぐの入院で同室だったのョ)がやはり肺炎で入院していました。夜中、もう7日(金)になっていました。「こんばんわ〜、夜中にごめんネ〜よろしくね〜」てなわけで、智ちゃんは酸素ボックスの中に首から上だけ入り、ひたすら眠っていました。ママはとりあえず横になったけど、あんまり眠れませんでした。あ〜パパは落ち着いたので牛○のアパートに戻りました。

智ちゃん1年半ぶりの入院 危うしPart.2

 朝がきた。何があっても朝がくる。これっていいですよね! 朝一でパパが荷物を持ってきてくれました。そして、フクちゃん先生の回診。「ん〜今回はちょっと重症だよ」 ママは心の中で「え!?重症って!?」 「まあ、入院したばかりなので、詳しい検査してから・・・・。」 だからママはまだ少し心の余裕がありました。えりかちゃんのママとおしゃべりに花を咲かせていました。
 婦長さんが様子を見に来てくれました。その時、「今日4月7日、たけちゃんのママが予定帝王切開の出産の日なんですよネ〜」 「うちは肺炎で入院。しょうがないナ〜」なんて笑っていました。  そして、数時間後・・・「産まれた!!女の子!! 今、S先生から病棟に連絡入ったの!」と息を切らせて婦長さんが入ってきました。やったぁ〜!! よかったねー だって、無事なんだもの。苦しんでいる智にも、「たけちゃんに妹がうまれたよ」と報告。
 命名、千恵ちゃん。千に(せん)に恵(めぐみ)ていう字・・・。すごく意味の深〜い名前。わかる人にはわかる、たけちゃんのパパとママの願いのこもった名前。おめでとう!!

 で、智ちゃん。呼吸数もまだ多く、ヨダレもいっぱい、ずっと眠ってて、ゆすったりすると1ミリくらい目をあけるだけ。
 10日(月)の午後、フクちゃん先生の口から「DIC」という言葉が。ママの心の中?とにかく軽く考えてはいけない状態なのは少し理解しました。そして夕方、「コンコン ガラーー」ふっと見ると、ひぇ〜、先生方がいっぱい来たぁ〜。思わず緊張、一斉回診というのをやるようになってたのです。何せ1年半ぶりの入院。フクちゃん先生が専門用語で他の先生方に説明。ママの心の中??回診の時パパもいたのですが、パパもキョトンとした顔、何がどーで何なの?!
 少しして、フクちゃん先生がカルテを持って病室へ。分かりやすく智ちゃんの今の状態を教えてくれました。
 右の肺の炎症けっこうひどい(左の肺の炎症も見られるようになった)。血小板が減っているのでビタミンKを点滴から入れる。炎症反応は下がってきている。今使っている抗生剤が効いていくといいけど・・・。などなど、ん〜〜とにかく良くなってるところとあまり良くなってないところと色々、まあ、とにかくガンバレ智ちゃん!!
 でも結局、この日(だよねーたぶん)抗生剤をかえて、一番強いのを使うことになりました。
 夜11時、吸引・・・ >智 ぎぇ〜苦しいよォ〜。はい、終わり・・・。あれ!?あれ!?あれ!? 何と智ちゃんの口のまわりが、パーッと青〜くなってきれいなピンク色の唇も赤紫になり、青〜くなり。すぐナースコール。ママは「智!智!智ちゃん!息して!」 胸をバンバンたたいて、ちょっと半べそ。看護婦さんに来てもらい、先生も来てもらい、智ちゃんは落ちつきました。
 それから少〜し吸引がこわ〜くなっちゃったね。でも、やらなきゃ。

 11日(火)、お部屋移動。330号個室へ。
 ママは、もしかして智ちゃんダメなのかなぁ・・・死んじゃうのかなぁ・・・だから個室で、家族で最後を迎えられるようにて事なのかなぁ・・・ パパの会社にTELしてそう言うと、「そうなんじゃない」だって。ども、結局、その意味があったのです。ただ違っていたのは回復することを目指しているということです。もうダメじゃなく、もしかしたらという最悪のことも考えられないわけじゃないので、個室に移ったのです。とにかく、先生におまかせして智子の限界が先生から告げられたら、その時は見守ってやろう、と・・・・。何とも言えないすごく複雑な心境。パパは会社を休んでずっと病室にいてくれました。
智ちゃん酸素ボックスの中 でも智ちゃん、何〜か元気が出てきているようなんだよネ。ず〜っと目をあけ、けいれんを起こしているけど。朝から晩まで夜中まで。座薬(けいれん止め)を入れても、2〜3時間眠って、またけいれん。ちょっとママは寝不足。でも、少〜しずつ元気になってきている証拠とか!!??
 パパのパパとママがお見舞いに来てくれました。智ちゃんはおじいちゃんと会うのは初めて。「初めましておじいちゃん」
 ママのママ、お兄ちゃんが来ました。ママのパパ(ともじーちゃん)が来ました。パパのお姉ちゃんが来ました。パパの弟が来ました。みなさ〜ん、智ちゃんがんばりま〜す!!

 少しずつ回復に向かい、パパもママもちょっと安心。色〜んな人が智ちゃんの様子を見に来てくれました。センターのE主任さん、Iさん、栄養士のFさん、リハビリのN先生、まーちゃんのパパ・ママ、たけちゃん・千恵ちゃんのパパ・ママ、りょうちゃん・たくちゃんのママ(後日入院してきたなぁ〜)、あっきーママ。ほんとに智は幸せ者です。
 数日して3人部屋に移動。ミルクも消化できないほど弱っていた消化器系も活発になり、注入だけど150ccまで入るようになりました。ほんとに、ひとつひとつ器具が取れてきて、嬉しかった。酸素がストップ、加湿がストップ、酸素ボックスをはずして、ミルクも消化して、点滴がはずれて、抗生剤がストップ、針がぬけて・・・・。
 抱っこすると智はキューッと足をちぢめます。その動きも出てきて、前のようにでーっかい声で泣いてます。

 そして、退院。4月28日(金) チューブをくっつけて無事退院。看護婦さん達にも本当によくしてもらいました。ありがとうございました。入院途中から学生の看護婦さんにもついてもらいました。同じともこさんて言うんだよネ、ありがとうございました。
 今回の入院は、智子のいない生活を想像しました。でも、どっかで、智はなおるョ、大丈夫とも思っていたような・・・・。子供、家族をひとり失うということは、本当に大変なこと。我が家は、パパはいつも智ちゃん大好き、ママは時々も〜〜。智ちゃんが何でもできる子なら!でもかわいい、でも、しっかり食べろー、でも憎めない奴! 実際病気とたたかっている智ちゃんを見てて智子がいなくなったらどうしようでした。「智ちゃん早く元気になって、おうち帰ろうよォ〜」ばかり言ってました。
 智ちゃんの存在はものすごく大きいのです。確かに智子がいると行動範囲も狭くなったり、自由ではありません。体が大きくなればそれなりに大変。でも、智ちゃんはかわいい。智ちゃんがいた方がいいです。
 大きな病気をひとつ乗り越え、智ちゃんはたくましく元気に、まだまだがんばるゾ〜!!

 というわけで、八千代のおばーちゃんに迎えに来てもらって牛○に帰りました。帰りの車の中から外を見ると、すっかり春色の世界。智ちゃ〜ん、智ちゃんのおうちのチューリップまだ咲いてるかなぁ・・・。

ちゅーりっぷ

おかえりなさ〜い 智ちゃんとママ

 あーなんだこりゃー、パパの机の上にでっかいモノが。何と高倉健さんがCMしてるパソコンがドーン。ベランダを見るとあースイートピーが枯れ、スイセンが枯れ、でもチューリップが半分のこってて、矢車草が咲いてました。トリトニア(フリージアみたいなの)も咲いてました。パンジー、スノーポールも残ってましたョ。
 天気のいい日にベランダでチューリップと写真撮って、今年も智ちゃん春を迎えました。智ちゃんとママが入院すると何かしら、パパは買い物をする。前は電気スタンド、オイルヒーター、次の時があったら、次は何でしょうか・・・・。

智ちゃん少しずつお外に出る

 近所のお友達のママ達が、「どうしてたの?実家帰ってたの?」 「実は・・・・」 「え〜〜」 そんな会話が始まり智ちゃんも「御心配おかけしました!!」 お友達も「ともちゃん!ともちゃんだぁ〜!!」 一緒に遊べないけど、何か気になる存在らしい智ちゃん。
 今年は昨年のようにまっくろこげにならないように帽子をかぶって、近所の稲荷川におりて(牛久沼につながってるのョ)、川の風をあびました。町内を散歩して、お花見たり、牛○のアヤメ園(車で2分くらい)にも行きました。ひとつひとつ初めての体験のように、ドキドキしながら外に出ています。

もうすぐお引っ越し

 ここ牛○のアパートのまわりの環境はものすごくいい。車で1分のところに野菜とか売ってる小さなスーパーが2軒、おそばやさん、天ぷらやさん、文房具店、酒屋さん。牛○駅まで車で3分くらい、イズミヤとかカスミストアが3ヶ所、ホームセンター他、お店いっぱい。アパートのまわりもゆったりしてて、稲荷川があって。でも、福祉行政が不充分なのダ。
 思いきって、つく○市に引っ越すことに決定!!
 6月中旬にはお引っ越しです。お友達ともバイバイです。予定では○身障者センターに通うつもりです。病院までも20分くらいで行けます。あと少しだけど牛○で楽しく過ごそうネ、智ちゃん!

祝 御出産

 5月11日、まーちゃんのママが、女の子を出産しました。もちろん無事!! 5月15日(月)、赤ちゃんを見に行きました。智ちゃんはおばあちゃんとお留守番です。
 病院で、たけちゃん千恵ちゃんのママと合流。あれー!パパそっくりの女の子。あゆみちゃんとつけるようでした。これまたパパ、ママの願いのこもった名前。元気一杯、スクスクと人生を歩んでいって・・・・
 2人のママに「今度は智ちゃんのママの番だネ」 ん〜〜〜。確かに智ちゃんもお姉ちゃんにしてあげたい。いつになるか・・・。その時が来たらビックニュースでチューリップに書くけどネ。

さ〜て、今日もいい天気! ちょっと風があるけど、ご飯食べてお外行こうネ、智〜ちゃん

 4月13日(木)午後、牛○市内「S産婦人科」に裁判官と書記官、弁護士、カメラマンと私の計7名で証拠保全に入る。しかし、一番重要な分娩監視装置の記録が提出されない(カルテからはぎ取った形跡あり)。
 数日後、弁護士の方にコピーが送られてきたが、その記録によると、智子が帝王切開で産まれてくる2時間半近くも前から徐脈が出現し、胎児仮死の状態であったことが判明した。 by 智ちゃんパパ


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