夕方から明け方までの照明に使われる、この安価な、(通常29.95ドル以下)旧式の照明具は、どこにでもあり、特に防犯灯としてもっともよく使われている。この照明具は、質の悪い屋外照明の欠点をほとんど代表している:まぶしさ、迷光、光害そしてエネルギーの無駄。実際にひどく質の悪い照明具だ。
この照明器具から出る大半の光は、地上の照明つまり照明を必要とする場所では、役にたたない角度で照射される。[角度0度は、下方にまっすぐ向いた角度とする。 従って90度は、地表に平行で横向きであり、180度は、真上の方向となる。90度よりも大きい角度で照射される光は、上方を向いており光害の原因の一つだ(都市郊外の空の明るさ)。角度の70度から90度の間に照射される光は、地上を照らす為にはあまり役にたたない。なぜなら、その角度では、地上に到達するまでに光源から長い距離があり、地上に到達するときは役にたたないまでに弱い光となっているからだ。しかも、この光は、まぶしさのもとになる−つまり、目に直接入って見ている人の目をくらませるか、視野を邪魔するからだ。 まぶしさは、どんなときでも良いところはない。視界を妨害するのみだ。] 少なくとも出力の30%は、この角度で上方に向いて、地表に届かないか、まぶしさを作っているだけだ。この光は、全部が無駄になっているし、その光を作り出しているエネルギーも同じである。
エネルギーの無駄を検討してみよう:175ワットのランプは、効率を考えると約200ワットを使う。200ワットに4,100時間をかけると、一年間に200x4,100=820kwhのエネルギーを消費する。だいたい1kwh当たり8セントが全国(注:米国での電力コスト)での平均的なコストであることから、この照明を使用するのに年間65ドルかかることになる。これは、最初の費用30ドルのだいたい二倍となる。1kwh当たり11セントの地域では、このランプを運用して行くのに、ランプの値段の3倍のコストがかかる事になる。この状況は、コスト面だけを見ている人にとっても、手痛い現実の恰好の実例だ。この国では、あまりにも沢山のエネルギーが浪費されている。これを変えなければいけない。
ツーソン市(人口60万人)と同じくらいの大きさの市では、軽く見積もっても、この様な照明が最低10,000個は使用されている。(多分これは、ひかえめな数字だ。)そうするとツーソン市だけでも、この照明の年間の運用費用は、65万ドルかかる。もし、ここでこの種類の照明器具の出力の30%が無駄になる上方に向かう光と、横方向への光とすると、無駄になっている光のコストは年間20万ドル近くになっている。そして、これは一つの市での話だ。
アメリカ合衆国では、約3億人つまりツーソン市の500倍の人口がある。そうすると、無駄な照明のコストは、(夜間の生活にも安全にもぜんぜん役にたたない)一億ドルである。この無駄の多い、たった一種類の照明器具のみでだ。他の質の悪い照明は、ゆうにこの10倍は、貢献しているだずだ。つまりこの国では、夜空を明るくしたり、まぶしさを作り出すために10億ドルを無駄にしている可能性が十分ある。この10億ドルは、安全や防犯、そして便利な夜間の環境を作るために、地上を照明することには、まったく使われていないのだ。
光害が直接病気の原因になる訳ではないのだが、これは、国の資源の浪費の主たるものである。他の例で、この様な無駄を許しているだろうか?我々がそれに気付いていたらそんなことは無いはずだ。この浪費に気が付いて、防止しなければならない!
もう一つある。この無駄は、役に立たないことの為に相当量の石炭や石油を燃やし、大気や水の公害に貢献し、更なる無駄を作り出していることを意味している。この様な影響は、無視できるものでは無い。品質の悪い照明が原因のまぶしさ、混乱そしてギラギラが、歴然とした要因と損失に偶然でなった訳では無い。これはまた、この国に大きな出費と苦しみを負わせている。
この様な質の悪い照明の近くで暮らしている大勢の人にとっては、迷光(訳注:光が不用意に望みもしないところに入り込むこと)は、深刻な悩みだ。照明を撤廃すれば眩しさをなくし、光害も防止できるが、それは、本当の問題の解決ではない。
水銀灯のもう一つの欠点は、ランプの照度の低下がある。5年経てば、光の出力は、半分に低下する。さらに5年経てば、さらに半減する。
水銀灯は、決してランプが切れるという事は無くて、同じ消費電力量を使いながら光の出力が弱くなり、ただ暗く暗くなって行くだけだ。
防犯灯としても、この夕方から夜明けまで使われる照明具は、満足行くとはいかない。見る者の目をくらます眩しさも相当だ。光の出力もきつく、暗い影を作る。眩しさと影があると、見るのがたいへん難しくなり、どんな犯罪者でも容易に姿を隠せる。たった一つの利点は、照明が無意識のうちに作り出している安心感である。本当の安全は、欠如している。眩しさと明るさは、安全を保障してはくれない。
それでは真の防犯灯に何を使えば良いのだろう?提案が三つある。