古い家並みの連なる、寂れた街角。どこかその路地を曲がれば、小さな寂れた神社に行き着く。眩しい夕日も、繁る木々の葉に遮られ、ひとけの無い境内にまばらな光と影を落とすのみ。
小さな鳴き声。社殿の軒下にゆうパックの段ボール。中には一匹の捨て猫。箱の中には古いバスタオルと、ひっくり返ったコンビニのサラダ容器。容器の中身はミルクだったのか。バスタオルと、小猫の毛並みに汚い染みをつくっている。差し込む西日がその景色をもの悲しく彩っていた。
段ボール箱の前に、深い影が落ちる。人影か。いや、人ではない。小猫は感じ取っていた。
「みゃー」
「人間に捨てられたその恨み、晴らしたくはないか?」
「みゃー」
「さぁ、これを受け取るのだ」
「みゃー」
カカカ、カカカ、カカカグラ、
カカカ、カカカカ、カカカグラ、
オープニングテーマ「勇社員誕生!」
作詞:菊島雄佳 作曲:田中公平(嘘)
怒れ!生身の会社員!
幼児体型、赤い髪
綾金守るサラリーマン
社会の安寧守るため、今こそ封印だ
都市の秩序破る化け猫、許さない
カカカ、カカカ、カカカグラ、
カカカ、カカカカ、カカカグラ、
出張決済、承認だ
今だ、火力だ攻撃だ
空間湾曲、エレベータ封印!!
奇跡、神秘、隠蔽工作
民間、営利の、警備会社
ぼくらの勇社員
カ、カ、カ、カ、カカカグラ!!
これは、社会の安寧に貢献する、熱きサラリーマンたちの物語である!
「出版許諾番号JASRAC……適当っ!」
「誰に何を断っているの?」
二十世紀末。
闇に跋扈する謎の敵”化け猫”の脅威に対し、政府は秘密防衛組織ハウンドを結成していたが、そんな事とは無関係に、民間警備会社(株)神楽ガッツィ・ジェネラル・ガードが結成されていた。
綾金湾に造られた人工島、綾金アイランド、そのどっか端っこの貸しビルの13階に、本社は大っぴらに設営され、そして暴利をむさぼっていた。
「ねぇ社長、田波知らない?」
「田波くん、今日は休暇じゃ無かったっけ?」
「取り消し」
悪びれず応える蘭東。
「田波はまだ、社会のオキテってのが判ってないのよね。企業の一員としての自覚がね。休み取ろうなんて三年早いわ」
蘭東の三年、という台詞には、事実だけが持つ不吉な響きがあった。本当に三年間休暇取無しかもしれない。しかし……普通の社会の掟は、もっとずーっと優しいと思うのだが。
「高見ちゃん今日休みなんだから、さっさと来てくれないとねぇ」
菊島はそれでピンと来た。彼女は仕事に関しては、外見に似合わぬ冴えを見せる。
「何か予兆がある訳ね。そう……まやが居ない、とか」
「当たり。田波が電話してきて、こっちに居るかって言ってきたから」
「えーこちゃん、偉い」
「邪魔だから頭なでないで」
神楽ガッツィ・ジェネラル・ガードの社員は総勢六人。居候を含めると七人になる。ただ、最後の一人を”人”として数えるか、それともペットとして計上するかは微妙なところだ。
先ほどの、子供じみた口調が社長の菊島雄佳。ちなみに外見も子供だ。
菊島の相手をしていたのが蘭東栄子。神楽が暴利をむさぼれるのは、ひとえに彼女のおかげだ。
会話に出ていた、桜木高見は今日は休みである。
梅崎真紀と姫萩夕、この二人は現在社用で外出中である。
この物語の主人公は田波洋一。平社員だ。
姫萩の運転する”強襲出張くん4号”は事実上、姫萩の自家用車だった。大体、彼女以外誰がこんな変な車に乗りたがるだろうか。
フロントパネルの上に載せていた脚を下ろして、梅崎は独りぐちた。
「この車作った奴は、家にもドア付けてないんじゃないか?」
腕を組み、微妙な重心のかけかたで器用に姿勢を保ってきたが、いい加減背中が痛くなってきた。降ろした脚で床を踏みしめると、計ったようにカーブに入る。腕組みは崩さず、脚を突っ張って姿勢を保つ。
だが、座席の百円ライターは遠心力のままに飛び出していった。
「ライター落ちたぞ」
梅崎が澄ました声で告げる。ライターは姫萩のものだった。
「あんた持ってんならいいや」
二人は忘れ物の回収から帰るところだった。昨日の仕事で田波がお札をばらまいてしまい、大体のところは回収していたのだが、今日になって客先から、玄関先の植え込みからお札が一枚出てきたと連絡があったのだ。昨日の仕事のハチャメチャぶりの一部始終を見ていたなら、この紙切れがどれほど危険なものか、ようく知った事だろう。
本来なら田波の悪口の一つや二つ、出ていてもおかしくないのだろうが、二人はこの外出を歓迎していた。最近どうも社内で煙草が吸いにくい。社長と蘭東がはっきりした嫌煙家で、高見も田波も煙草を吸わない。皆はっきりとは言わないが、多少肩身が狭い。
もちろん、二人が喫煙を遠慮するほど神経が細やかであるという意味ではない。むしろ逆だ。だが、表で吸った方が旨かった。
だから最近、二人での外出が多かった。でもって、適当にサボってゆっくり帰ろうと考えていた。
二人そういう部分は似ていたが、他の性格は正反対といっても良かった。無国籍活劇映画を愛し、すぐに熱くなる梅崎と、クールに割り切った仕事をする姫萩。
シンメトリカルドッキングしないのは全くもって残念だ。
高見が休んだ原因。菊島には”体調がよろしくない”と言っていたが、真実のところは以下のようなものだ。
そう、それは昨晩掛かってきた電話だった。
「Cレヴォ用に4ページ、あさってまでに、お願いね」
「そんな、無茶です!できません!!」
「貴方は断れないわ。それは貴方もよく知っている筈よ。
・・・済まないとは思っているのよ。でも、非常事態なの」高見は、生者への道が音を立てて閉ざされるのを聞いた。
「で、どんな……」
高見が陥落した事を察知し、高乃の口調はがらりと変わった。
「えーとね、最近、平野耕太がマイブームでね。大同人メインで、カップリングは織田×明智。坪井がテクノ番長で、ヤブ×ハカセ」
くらくらと目眩がするのを押さえる。
「篠部は?」
「……逃げたわ」
聞いてはいけなかったのだと、高見は悟った。
「『HELLSING』もので4P、という分担だったんだけど、昨日から消息不明なの。
高見、あなたには、「進め!!聖学電脳研究部」をやってもらうわ。やってくれるわよね。簡単なもので良いから。出来たら、明後日午後四時必着で、例の宛先に速達で」
「はい……わかりました」
どうやら現実逃避している間に、小人さんがネームを切ってくれていたらしい。鉛筆のよじれた線が、寺門に無理矢理押し倒された西新井をなぞっている。蒼い果実を貪られる間、心の中で綾瀬を思う西新井。見れたもんじゃない。高見は消しゴムをかける。
しかし……綾瀬が何故かショートカットだとか、寺門の顔がなんとなく菊島社長を思わせていた、というのは、気のせいだろうか?
西新井がどことなく誰かさんに似ていたのも……
最後に主人公である田波洋一。繰り返すが、彼こそ主人公である。
もっとも、その誰かさんは、こけていた。
彼の自転車をドブの中に突っ込ませたのは、猫、いや、化け猫だ。
友人の家から出社する途中の狭い路地で、猫を轢きそうになったのが始まり。だが、自転車の車輪の下敷きになる寸前、自転車の方が吹き飛んでいた。
そして、集まり寄ってくる猫、猫、猫。
田波は無様に転がったまま、頭の中に走馬灯を回転させていた。
思い出すのは昨日。ぼろぼろになって、封印を終えたのが午後10時。ほとんど独りで仕事したようなものだった。で、絶対休まなくてはと決意。
「明日は休む。絶対休む」
そういうと、友人宅に転がりこんで、すぐ寝てしまった。朝になり、まやのことが気になって、会社に電話したことから、事態は妙な具合になったのだ。
「お前、神楽の社員だな?」
そう問うのは、目の前の女。いや、化け猫。こいつは見た事が有る。たしか……
「私は猫界四天王の一人、ソックス。私が相手になろう」
そこで女は、背後の猫達に向き直り、
「こいつは私が始末する。他のものは予定どおりに行動しろ」
と言うと、猫達はさっと散っていった。
その後ろを向いた一瞬を、田波は見逃さなかった。自転車を起こし、押しながらそうっとその場を離れようとする。
「待て!」
背後の声に、田波は自転車に飛び乗る。待ってたまるか。昨日、現場で仕事をしたそのままの格好だったので、封印用の装備一式は自転車荷台のスーツケースの中にある。荷台のゴム紐を解く暇さえあれば……
綾金市保健所は、奇妙な見学者を迎えていた。
「なぁ・・これが保健所か?」
「そうだ、君達はここで秘密防衛組織ハウンドの研修を受けることになる」
そう応えたのは、変な髪型と変な髭の男。質問をしたのは博多弁のロンゲ君だ。
彼らは、遥か某都市から市民の血税を使って遊覧旅行、もとい、研修のためにここ、綾金保健所を訪れていた。だが、確かに変だ。どう見ても自衛隊の駐屯所なのだ。
「何か嫌な予感がしてきたぜ」
『何時ものことだ』一行は、射撃訓練場らしい開けた場所に案内された。
「ところで、美咲は?」
『そういえば、見ないな』「松屋君は、体の調子が悪いそうなので、今日の訓練には同行しておらん。さて」
と、手渡されたのは、お札、らしい。多少黄ばみかかった白紙に丸と内接する三角がプリントアウトされている。そしてなぜかコネクタのようなものが付いている。
「博士よ、これは何だ?」
「お札だ。ここではもう使われていない旧式装備だそうだが、威力は十分だ。さて、各自、コンピュータとお札をケーブルで接続するのだ」
「で・・・これからどうするの?」
と、ツンツン頭の男が振り向いた拍子に、その手がリターンキーに触れた。
封印ソフトウェア起動。
地べたに置かれたお札が火柱を噴く。
大衝撃。
一同、唖然。
「博士、これは一体」
「君たちは、漫画でこれと同じようなものを見たことは無いかね」
「そりゃまぁ」
「では、今、技術がフィクションに追いついたということだ。そう、インターネットのように!」
ロンゲは、聞いていなかった。地べたに座り込むと、なにやらぶつぶつと呟いている。
「へっ、やけに危険なお札じゃないか……なぁに、バクダンか何かと思えばいいわけだ。保健所だということも忘れてしまえば……」
『松屋は、これを見越していたのか』その松屋は、赤信号の交差点で梅崎に目撃されていた。
「ひゃー、見てみて」
「なになに」
「社長が十歳ばかり年取ったような感じの、ほらあそこ歩いてる」
「おお、本当だ」
「社長も、あんな感じになるのかなぁ」
「なるの?」
信号が青になる。姫萩は鼻歌を唄っていた。
「……きゅーんきゅーん、私のアネはぁ、スチュワーデス」
「なんだぁその歌は」
「いや、最近飛行機づいてるなぁと思って。ウチの会社でも飛行機買わんかなぁ。勿論、ハンドルで運転できるように改造して」
「……上昇とか、どうすんの」
「……考えてない」
二人は車を路駐すると、映画館へと入っていった。
「大人、二枚」
「煙草吸って、いい?」
蘭東が受けた電話は、田波からのものだった。
「契約を受けたわけじゃないから、それは仕事じゃないわね、とにかく逃げて、早く出社しなさい!」
「そんな、あっもう来たちくしょう!」
それで通話は切れてしまった。
誰か、迎えにやった方が良いだろう。電話機の短絡番号ボタンを押す。
「真紀、あんた今何処にいるの」
「えー、今帰還中」
「……背後に聞こえているのは何?」
「気にするな」
「夕に代わって」
「……寝てる」
ぴきっ。
蘭東の持つ受話器に、ひびが入った。
「あっ」
「なに?」
蘭東の額に青筋が浮かぶ。
「4号がレッカーされた。迎えに来て」
ばきっ。
ひびが受話器全体に走る。そんな所に別の通話が入る。
「ちょっと待ってなさい!」
蘭東は深呼吸をし、気分を落ち着かせると、営業ヴォイスに切り替えた。
「はーいこちら神楽ガッツィ・ジェネラル・ガード社ですぅ」
「ひーっ!」
こちら田波君。息を切らして走っている最中だ。
スーツケースを荷台からほどく事に成功したものの、その間に化け猫との貴重な間合いを詰められ、自転車に再びまたがって逃げることは諦めざるを得なかった。スーツケースも、まだ逃げるのに精一杯で、中身を取り出すまでには至っていない。
そんな田波と化け猫の耳に、低く渡る音が聞こえてきた。始めは無視していたものの、やがて、さっと太陽を隠す影がさし、何かと思って空を見上げれば・・・
「あれは!」
空を低く飛ぶ、白亜の巨艦、あれはコミックジェイアークだ!
「なんだなんだ」
「ハウンドの新手か?」
だが、そんな双方を無視して、あらぬ方向へと去ってゆく。
「奴は一体……」
時は少々溯る。
「緊急招集!!」
鳴り響くポケベル。液晶のメッセージは、「DEFCON1」
はっと立ち上がる高見。顔にはトーン屑と消しゴムの滓が。机にうつぶせていたのだ。
「これは……絶対招集!急がないと!!」
だが、我に返る。目の前には白い原稿。
「過去からは逃げられないのでしょうか、高乃先輩……」
現実逃避しそうになる自分を押さえ、冷静に考える。
「原稿は落とせない。落としたら……ふるふる。じゃあ、残る手段は……」
高見のアパートにコミックジェイアークはやって来ていた。
「明日までに間に合わせないといけないんです!」
「どっ、同人誌の原稿……しかも、やおい……」
目眩に倒れ伏すコミックソルダートJ。その手に500万円を載せると、高見は飛び出していった。
「貴様との勝負は預けておくわ。また会おう、平社員!」
”ソックス”はそう言い残すと去っていった。
どうやら助かったらしい。へたり込む田波。化け猫はもう見えない。だが、田波は叫ばずにはいられなかった。大体、神楽の社員ってだけで、何故こんな目に遭わなくてはならないのだ。
「俺は神楽を辞めるんだぁー!」
そんな声が空しくこだます中、田波には新しい司令が与えられていた。
鳴り出した携帯を取ると、聞こえてきたのは社長の声。
「仕事よ田波くん、綾金城へ、急いで!!」
「へっ?」
「そう化け猫は?どっか行った?じゃあ問題ナシね。真紀と夕がもう向かってるし、高見ちゃんにも招集かけたから、あんたも急いで」
「・・・これで最後だっ!」
「えっ何?」
現場には既に梅崎と姫萩が向かっていた。
やって来たタクシーを徴発し、綾金城へと急行する二人。運転手は既に、姫萩の「運転させろ」攻勢に負けて、いつのまにか逃走していた。しかし、
「・・・次、どっち?」
「今、何処だ?」
「・・・迷ったね」
「迷った」
二人して迷子になっていた。
結果として、自転車を漕いで来た田波が一番乗りとなった。
「先に来ている筈の二人は何処だ?」
二人はその頃、コンビニを見つけて、そこで都市地図帳と首っ引きになっていた。
「うーん、多分、ここだ!」
「そうか?」
コピー機の脇にうずくまる怪しい二人組に、意を決して店長が声を掛ける。
「お客さん・・・売り物をそんな風に扱わないでくれませんか」
「・・・ここ、何処?」
「煙草、無い?」
「はぁ?」
仕方なく、田波は一人で戦いの支度を始めた。自転車の荷台からスーツケースを降ろし、ノートパソコンを引き出す。お札を12枚、数えてスーツの内ポケットに収める。肩からボウガンを降ろし、矢を4本、ガムテープでボウガン本体に貼り付け、次いで一本をつがえる。
「それにしても、よく俺、捕まらなかったな」
考えてみれば、ボウガン背負った不審人物である。誰か目撃して、警察に通報していないとも限らない。
「長引くと面倒か」
携帯を取り出すと、目的地への到着を会社に告げた。
「それで、これからどうすればいいんですか?」
「突入!攻撃!封印!やっちゃえ!」
「・・・その、具体的な相手とか状況とか」
「市との契約よ。どんな相手かはわからないわ。なにせ目撃者、もう死んじゃったって話だし。本丸付近で、とにかく見つけて!」
菊島からむりやり受話器を取り上げた蘭東がそう告げた。無茶な話である。
「そんな、無茶です」
「だいじょうぶ」
再び菊島が受話器を取り返したようだ。
「スーツケースの中に準備をしといたわ。大丈夫、神楽のロゴを見せれば」
「おいちょっと待て!」
だが通話はプツと切れる。なんて話だ、等とつぶやきながら、仕方なくスーツケースの中を再び検分した。
あった。さっきは気が付かなかったが、神楽のロゴのワッペン(縫い付けとアイロンプリントの二種類)、腕章、そしてゼッケン。ゼッケンは黒マジックの、社長の手書きらしい。問題外である。
スーツの腕にビニールの腕章を通す。考えてみれば、これが警備会社社員らしい姿だと言えるかもしれない。しかし、
「……間抜けだ」
天守閣最上階から双眼鏡を覗いていた、怪しい公務員も、彼の姿に同意見だった。
「……間抜けだ」
「でかい。でかすぎる」
天守閣を三階分登ったところで、いきなり怪しさ大爆発な対象を見つけてしまった。
紺の鳶装束のハゲだ。身の丈はおよそ3メートル程か。天井につっかえた身体を、窮屈そうに折り曲げている。薄暗い蛍光燈照明のなか、ゆっくりと奥へ進んでいる。
先回りしよう、そう田波は判断した。こう柱が多ければ、柱にお札を貼って封印できる。相手が階段を登り始めたのを見届け、隅の非常階段に急ぐ。化け猫の目的は上に違いない。
階段を二階分駆け登る。天守閣は地下二階地上五階の構造だから、ここは地上三階である。化け猫が登ってくる階段を確認すると、次の階段までの距離の中程に、罠を仕掛けた。四本の柱の、面取りされたエッジに、それぞれ対角をなすよう貼り付け、自分は柱の陰に隠れる。ノートパソコンの電源を入れる。メモリチェックが始まる。
重い、篭ったような音が近づいてくる。
OSがようやくブートした。
化け猫の頭がぬっと突き出した。あんまり大きいものだから、すぐそこに居るように思えるが、大丈夫、まだ距離がある。田波は自分にそう言い聞かせる。ボウガンをすぐ撃てるよう、肩から外し、足元に置く。はっと気づいて、ノートパソコンのボリュームを絞る。
ドンと、爆弾が爆発したような、そう、聞きなれた高見ちゃんの手榴弾の爆発音をこもらせたような音と衝撃がした。
「うわっ」
思わず声をあげてしまう。それほどの衝撃だった。見れば、階段周りの床が破壊され、それでも狭いらしく、化け猫は窮屈そうに肩を狭めて捻じ込み、身を持ち上げている。
OSの起動が完了する。間髪をおかず、封印プログラムを起動する。
化け猫はようやく腕が自由となり、腕力でその巨体を持ちあげ、上がって来た。床に膝をつき、前進を開始した。
「来い!」
化け猫は、肩に当たった柱をひん曲げ、破砕しながら進んでくる。田波は悪い予感がした。
お札を貼った柱のうちの一本も、化け猫の振り回す腕で、あっけなく粉砕された。
「くそっ」
間髪おかずリターンキーを叩く。封印できなくても、ここでダメージを与えておくに如くはない。
さっきの衝撃音とは対照的な、派手なズパーンという音と光が炸裂した。
「どうだ!」
駄目だとわかっていても、封印されてないか、期待してしまう。しかし、プログラムは封印失敗を告げていた。ノートパソコンの蓋を閉めると抱えて、もう一方の手にボウガンを持つと煙に紛れ、その場を離れた。
だが方向が悪かった。目の前には上への階段。後ろ、煙の中から、巨大な腕の先がにゅっと突き出して来た。選択肢は無い。田波は階段を駆け登った。彼は上に追いつめられた格好になる。
「封印失敗!大体、先に来ている筈の二人はどうしたんだ」
携帯で本社に連絡する。
「あっ、ちょっと待ってね」
キャッチホンが入り、例のぽんころぱんぽろという音楽が流れる。これ以上不吉な調べは無い。
衝撃が走る。下からの階段の床周りが、見る見る間に破壊されてゆく。しばらくすると粉塵で何も見えなくなった。
「田波くん!」
通話が戻る。
「もう少し持ちこたえて!」
そう告げると切れてしまった。
「そんな」
不吉な圧迫感に、背後を振り返ると、ひゅおと吹く風が粉塵を吹き飛ばし、急に開けた視界の中に、化け猫の巨体があった。二の腕まで茶色い毛で覆われ、指先は鋭く長い爪で終わっている。爛々と光る目が田波を射抜く。その圧倒的な存在感が気圧として押し寄せてくるようだ。
ボウガンを構え、撃つ。だが、化け猫は胸に刺さった矢をものともせず進んでくる。すぐにボウガンの矢は尽きた。どすどすと迫る化け猫に、とにかく田波は逃げ出した。
「ちくしょうこんなのアリか!」
「神楽め!邪魔をするな」
「そう思うんなら追いかけてくるな!」
すぐに追いつかれた。部屋の隅に追いつめられた田波。
「ちくしょう化けて出てやるぞ菊島ぁ!」
不吉なことを言う田波。化け猫は腕を振りかぶった。その時!
どぉん。衝撃にはもはや慣れっこになった観のある田波だったが、こんどの衝撃は横からだ。再び周囲に満ちる粉塵。田波のスーツは既に真っ白である。
化け猫の腕が宙をなぎ、粉塵を吹き払う。そして見えたのは、壁から生えた乗用車。車には「綾金無線」の文字。そして!
「梅崎さん!」
「たぁりゃああああああああああああああああああ!」
周囲に満ちる轟音。撃ちまくる梅崎。化け猫の顔を穴だらけにしてゆく。
「ふっ、待たせたな」
「……しかし、ここ四階ですよ!どうやって」
「聞くな」
「姫萩さん!どーやって」
「すっちぃに不可能は無い」
「答えになって無い」
「まぁ」
硬直した田波の肩をぽんぽんと、梅崎が叩く。
「勇者シリーズでよくある、ご都合主義って奴さね」
しかし、梅崎は田波の硬直の理由を誤解していた。
「……後ろ後ろ」
「へっ?」
振り返ると、ノーダメージ、怒り爆発という風情の化け猫がそこに。
「……逃げろぉ!」
三人は揃って駆けだした。
「あっ!」
姫萩が素っ頓狂な声をあげた。
「ライター、買うの忘れてたぁ!」
「おどかすなぁ!」
化け猫の腕が頭上を薙ぎ払い、柱二本が同時にへし折れる。
「あんたら、一体何しにきたんだぁ!」
田波の手からノートパソコンがもぎ取られた。
「……冷たいじゃないかぁ」
パソコンは化け物の腕のストロークの頂点で爪から離れ、そのままの勢いを保ってすっ飛んでゆき、壁にぶつかってぐしゃりと潰れた。
「ねぇ、誰かライター、持ってない?」
血走った顔の二人とは対照的な、緊迫感の無い姫萩の声。破壊された天井のコンクリの破片が、恐ろしい勢いで田波の顔のそばを通過してゆく。
「知るかぁ!!」
二人ハモる。五階への階段を駆け登る三人。
「おい、もう逃げ場無いぞ!どうするんだ!」
指摘する田波。
「…………ふっ、地獄はわたしの職場だぜ」
「こんな会社、辞めてやる、これ終わったら絶対辞めてやる!!」
「車、無いなら、わたしゃ関係無いね」
「よくもまぁそんな事、真顔で言えるなぁ」
「ねぇ、本当にライター、無い?」
「知るかぁ!!」
「おやま」
背後から、そんな声がした。
振り返る三人。その先には、中肉中背、背広に丸眼鏡、手にはトランクという姿の男が一人きり。
「・・・あんた」
「おや、何時ぞのときはお邪魔しました」
「田波の知り合い?」
「厚生省の、えーと、お役人」
「私、こういうもので」
手際よく三人に名刺を渡す役人。両手にモーゼル持っていた筈の梅崎までも、いつのまにか名刺を手にしている。職人芸だ。
「あれま」
三人の背後を見て役人、
「どうも私の予想とは違いますね。ではあと、頑張ってください」
「えっ?!」
振り向くと、10メートル程向こう、影の中、そこに、化け猫が音も無くうずくまっていた。火災警報機の赤ランプが、沈黙のうちに廻り、怪物の異様な姿をストロボのように照らしていた。
「何も音、しなかったぞ」
「火災警報の信号線だ!」
「そんなものあるなら、最初から使えーっ」
「化け猫に言って、どうする」
振り返る田波。
「あんたはどうする・・・って、おや?」
役人はいつのまにか、狭い窓によじ登り、向こうに身を乗り出していた。チャッと手際よく、ワイヤーのようなものを窓の桟にかけた。
「では、失礼」
笑顔で窓の向こうに飛び降りる役人。
「あいつ、逃げやがった!」
顔を見合わせる三人。そこに、低く響く、どろりとした声が聞こえた。
「お前等、役人を逃がしたな。奴を逃がしたな。奴を始末する邪魔をしてくれたな」
声が1オクターブ低くなる。
「今日のところは、貴様等で勘弁してやろう」
「・・・・見逃して、くれるの?」
低い声でケッケッと笑われた。
「まさか」
田波は背広の内ポケットから、残ったお札を取りだし、身体の前にかざす。まるでそれが彼の姿を隠してくれるとでもいうかのように。
「あっ、いーもの持ってるなぁ!」
「おとなしく渡せぇ!」
ちょっとした騒ぎの後、三人は揃いの姿勢で、お札を目の前にかざしていた。姿勢は半身、逃げ腰、へっぴり腰。間抜けな姿だった。あの役人だって同意するだろう。
「来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな・・・」
それを見た化け猫は、傍らの柱をへし折った。どんという振動。
「どーも、やーな予感がするんだけど」
「言うな」
「死ぬ前に、煙草が欲しい・・・」
柱を二度三度と殴る化け猫。やがて柱の破片の中から、手頃な大きさのものを選りだした。
「ほらみろそらみろ」
「死んだふり、しようか?」
「ライター、無い?」
「無い!!」
振りかぶる化け猫。
「わーっ!!」
振りかぶった化け猫の腕に、光るものが走った。小さくチンという音。それを聞いて、田波は悟った。
「伏せろォ!!」
衝撃。爆音。爆風。耳がキーンとなる。
「お待たせしました!」
「高見っ!」
「何処だぁあああああ!」
化け猫が吠える。
「此処です此処です!」
ひゅん、とどこからともなく飛来するバタフライナイフ。チン、再びチン。
衝撃。爆音。衝撃。爆音。爆風。爆風。
「おお、凄い凄い」
ぱちぱちと手を打つ三人。
「ねー、大回転アタックは?」
「・・・しません」
おまけにチン。衝撃。爆音。爆風。
「田波さん、大丈夫ですか」
「高見ちゃん、ナイス」
赤くなる高見。化け猫に対し、やーいやーい、と子供のようにはしゃぐ梅崎、姫萩。
「ところでパソコンは?」
田波は高見に聞いた。
「えーと、すぐ、蘭東さんが装備を持ってくるそうです」
「装備って何?」
「・・・アレです」
「えっ、アレ、ちょっと待てぇええええ!」
ぴろろろろっ、と、携帯が鳴る。
「はい、田波です」
「田波っ、ファイナルフュージョン、決済承認!!」
「あーっ、わたしが言いたかったのにぃ」
社長がごねる声を、田波は聞いてはいなかった。足元から振動が伝わってきたのだ。振動はどんどん大きくなる。
「・・・あぁあ」
部屋が旋風で満たされた。何処からともなく飛来する三台のメカ。
「ほら、言いなさい!!」
携帯から蘭東の声。
「嫌だぁ!」
「給料要らないのああそう要らないのね」
「誰もそんなこと言ってないだろ、ちくしょう、ファイナルフュージョン!」
この間、バンク30秒。
「出張くぅん、G!」
肩に聳えるは準急ガオー、脚に輝くはプラウラガオー、背中に煌くは737ガオーだ!
ただの平社員である田波洋一は、ファイナルフュージョンすることにより、無敵の勇社員となるのだ。ちょっとスケールが狂っている気もしないではないが、勇ましいぞ、ぼくらの勇社員、田波くん!!
「さぁ、勇社員!レッツ、ゴー!」
「……なんでこういう装備買って来ちゃうかなぁ……」
ぼやく田波。
「その装備、格好いいですよ」
そう声をかけて慰める高見。
「いい人だなぁ高見ちゃん」
誰も、高見が脳裏に思い描いていた、不吉なヴィジョンを想像し得なかったのは幸いである。それは、田波と高見、有明の某所で揃いの装備(コスプレ)というものであったのだが……
そんな事を言っている間にも、化け猫は急速にその間合いを詰めていた。
「くそっ、食らえ!ブロウクンボウガン!」
だが、あっさりかわされる。
「プロテクトエアガン!」
これもあっさりと破壊される。
「アセチレンガス!」
相手にされない。
絶体絶命!とりあえず逃げる田波。
「ちくしょう、こんな会社、辞めてやるぅー」
「田波クン」
社長からの通信だ。
「神楽ガッツィ・ジェネラル・ガード社則第三十二条第三項−
『神楽社員は、会社の機材を壊した分は働いて弁償しなければならない』−だからね。さぁ、キリキリ働けぇ!」
「オッ、鬼ぃぃいいいいいいい!」
そんな目茶苦茶が繰り広げられている天守閣を眺めながら、
「おやまぁ」
さっきの役人は他人事のようにコメントしていた。
「あんまり、公共建築物を壊して欲しく無いんですけどねぇ」
再び天守最上階の窓から吹き出す煙。少しだけ遅れて、爆音。
何気なく、役人は振り向いた。振り向いた先、20メートル程向こうに、黒服の少女がいた。じっと役人を見つめている。沈黙がしばらく続いた。それを爆音が破る。
「さて、用件をさっさと済ませましょうか」
びくりと身を震わせ、少女は一歩だけ前に進み出た。だが、もう一歩が出せない。しばらく躊躇して、手にしていた黒いフロッピーを足元に静かに置き、一歩、二歩、三歩、下がると、くるりと振り向き、走り出した。
去ってゆく少女をしばらく眺めた後、役人はフロッピーに近づいた。拾い上げようとする役人の手と、フロッピーの間に、静電気の放電のような、青白い火花が散ったように思えたが、幻だろうか。
役人は手にしたフロッピーをもう一方の手のひらにピタピタと打ちながら、再び天守閣を振り向く。
「元気が良くって、結構、結構」
再び爆風と爆音。
「おい、どーすりゃいいんだ、一体どーすりゃいいんだ」
「勇気でなんとかするのよ!」
「ちくしょう、そうだ封印、お札は、パソコンは」
「もっといーものがあるから。えっと、じゃあ、送るわよ」
「何を!!」
「えーこちゃんハンマー、射出!」
「何を!!」
今度は蘭東の声だ。
どんと音がして、粉塵の向こうから、恐ろしい勢いで黒い板状のものが飛来してきた。田波はあやうく掴み損ねるところだったが、なんとか受け取ることができた。
だが、これは、どうみても、帳簿だ。一つだけ異常な点を除けば。サイズが尋常ではない。でかいのだ。
「……これでどうしろと」
「えーこちゃんの攻撃パターンを移植した、最強のハイパー事務用品よ。さぁ、叫んで!『没収!!』」
「あんたいつのまにそんなものを」
蘭東が菊島につっかかっている間にも、化け猫は体勢を立て直し、再び襲い掛かってきた。鋭い爪が伸びる!
田波は覚悟した。やけだ。何でもやってやる。彼は叫んだ。
「ぼっ、しゅううううううううう!!!!」
ずっぱぁああああん、どっ、ぼっがぁああぁああああああんんんんんんん!!!
振りかぶり、振り下ろした巨大帳簿は、化け猫の脳天を直撃した。心地よい衝撃の手応え。そして、化け猫は……床にめり込んで、目を廻していた。
「今だ!」
高見、梅崎の両名が、手早くお札を四方に貼った。そして、
「デリート!光にぃ、なれーっ!!」
「で、その公務員が、この名刺を渡して、天守閣の五階の窓から出ていったって訳?」
「そう」
「うん」
「確か、厚生省の入江とか……ほら、ここに書いてある」
「でも、その人、化け猫に何か用でもあったんでしょうか」
うーん、と考え込む一行。神楽ガッツィ・ジェネラル・ガード、全社員六名は今、引き揚げの最中に寄ったコンビニにいた。姫萩がライターを買うのに全員で付き合った格好だ。
「社長、何か知らない?」
暗いおもむきで名刺を手にとり、眺めていた菊島はその声で我に返った。
「……知らない、知らない、全然知らない」
社員全員のじと目に晒される菊島。
「田波、それは?」
「ねこ缶と”昔ながらのソース焼きそば”」
「…………明日、代休にしてあげる」
「本当ですか!」
「社長」
「よろしい」
「……うるる」
「田波さん……」
高見が声を掛ける。
「明日、お邪魔でなかったら、その」
「駄目ぇええええ!!」
菊島が割り込む。
「田波くんはわたしんだい!!」
田波は、久しぶりの休日がどういうものになるか、今から大体のところ、予想がついた。胃薬と頭痛薬も買っておくべきかもしれない。
「俺にまともな、まともな休みをくれ……」
その頃。
コンビニの店長は、コピー機の前でたむろす尋常ならざる六人組、三倍に増えた怪しい連中に、頭を抱えていた。
更にその頃。
「空はいい……やおいもホモエロも無く……」
Jジュエルとカップメンで命を繋ぐ、病弱サイボーグことコミックソルダートJは、原稿に突っ伏したまま、現実逃避していた。
エンディングテーマ「いつか長期休暇へ……」
作詞、作曲:蘭東栄子
君に、最新情報を公開しよう!
再び綾金に暗雲が立ち込める。あれは何だ!
政府の防衛組織ハウンドは敵か味方か
明かされる新しき事実、真の化け猫とは何だ!
謎が謎を呼び、風雲急を告げる次回、
「多分、次は無いけれど」
君も、この電話番号で神楽に依頼だ!
これが勝利の鍵だ!>>>>>>>>>>>>>>成沢さん