研究論文
(1997(平成9),1〜12)
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・当論文リストの作成にあたって,【吉田正さん】の協力を得ました。
1月
- 江藤淳,「漱石とその時代――第5部」94-01,1997.01,
- 重松泰雄,「閉じられぬ〈完結世界〉……『道草』の構造について考える(承前)」,「敍説」14,1997.01.06,
- 伊藤氏貴,「告白する『こころ』−−『こころ』における告白の位置」,「芸文攷」2,1997.01,
2月
3月
- 谷口 巌,「『草枕』を歩く」,「愛知教育大学大学院国語研究」5,1997,3.
- 西村好子「恋愛の誕生と近代の成立――『三四郎』論――」「国語と国文学」74-3(879),1997.03,01.
- 江藤 淳,「漱石とその時代 第五部(3)」,「新潮」94-3,1997.03.01,
- 斎藤順二,「漱石と鎌倉」,「群馬女子短期大学国文研究」24,1997.3.14,
- 佐々木啓,「『明暗』小考――清子の造型について」,「青山語文」197,1997,3.10,
- 武田充啓,「『虞美人草』の「小供」たち」,「奈良工業高等専門学校研究紀要.」32,1997.03,
- 奥野政元,「『思ひ出すこと』について(下)」,「活水日文」34,1997.03,
- 佐藤和代,「夏目漱石による『白痴』からの3つの抜き書きについて--自由間接話法を中心に」,「人文科学研究」(新潟大学人文学部)
93,1997.3,
- 木村 功,「夏目漱石におけるイプセン戯曲の受容――留学時代のイプセン読書(2)」「宇部国文研究」28
1997.3,
-
4月
- 江藤淳,「漱石とその時代 第五部(4)」,「新潮」94-4,1997.04.01,
- 清水一嘉,「漱石のロンドン日記から1……『鳶色』の霧」,「英語教育」,1997.04,
- 陳明順,「漱石と『天』」,「国文学試論」(大正大学)13,1997.04,
- 小橋孝子,「『草枕』――鏡が池の詩想」,野山嘉正編『詩う作家たち』(至文堂),1997.04,
5月
- 松下浩幸,「『三四郎』論――『独身者』共同体と『読書』のテクノロジー」,「日本近代文学」56,1997.05.15,
- 宇田川昭子,「漱石の再掲載作品と芥川の初出未詳作品について」,「日本近代文学」56,1997.05.15,
- 松本寛,「漱石の英文学」,「英語青年」,1997.05.01,
- 清水一嘉,「漱石のロンドン日記から2……『鳶色』の霧(2)」,「英語教育」,1997.05,
- 高橋世織,「漱石と賢治――アマチュアリズムの再評価――」,「国語教室」61,1997.05,
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- 朴杓禮,「ヒロインたちの『生』と『愛』と――『明暗』への一考察――」,「論輯」(駒沢大学大学院国文学会)25,1997.05,
6月
- 長谷川泉,「斜眼夏目漱石」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 劉建輝,「漱石と『満州』――『下等遊民』発見の旅」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- M・Jデ・プラダ=ヴィセンテ,「猫のパラノイア・笑いのヒステリア――『吾輩は猫である』の笑い」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 劉岸偉「漱石の社会意識――『野分』の世界を中心として」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- アダム・カバット「漱石の文明批評――『それから』を中心として」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 崔在■(吉吉),「彷徨する青春――『三四郎』を読む」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 金泰淵「漱石におけるエゴイズムの問題――『行人』を中心として」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- マリア・アンドリオプーロス,「こころの表と裏」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 申 賢周,「漱石の女性観――『明暗』の女性たちを中心として」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 李 平,「『吾輩は猫である』――そのユーモアを中心として」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 張建明,「『坊っちゃん』の笑いについて――『猫』との繋がりをを中心にして」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- ウィリアム・バートン,「『草枕』――『紀行文』の側面から」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 孫順玉,「『虞美人草』――『道義』の問題を中心として」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- メータセート・ナムティップ,「『三四郎』論」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 張 翌丹彡,「『それから』論――〈自然〉の問題を中心に」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- イヴォ・スミッツ,「『こゝろ』を読む――『異邦人』、『孤独』、『告白』、そして『欺き』」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 金美享,「孤立する『こころ』」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- スティーブン・ドッド,「『こころ』における肉体の重大性」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 崔明淑,「『硝子戸の中』論――『戸の外』から眺める漱石像と『母の声』」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 黄 女衣女里,「『道草』――お住におけるキーワード変換装置『どうせ』から『今に』へ」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 王 志松,「『文学論』――『文学的言語表現』と『自己』への探求」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 李 在聖,「『現代日本の開化』――漱石にとって開化とは」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 宇佐美毅,「漱石とロンドン/漱石と世界文学」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 渡部芳紀,「夏目漱石文学散歩(拾遺編二)」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 無記名,「海外研究者による『研究文献目録』」,「国文学解釈と鑑賞」62-6,1997.06.01,
- 清水一嘉,「漱石のロンドン日記から3……漱石『入浴ス』」,「英語教育」,1997.06,
- 岩切信一郎,「『吾輩は猫である』(夏目漱石著)の出版事情――著者・編集出版社――」「東京文化短期大学紀要」15,1997.06,
- 宮薗美佳,「夏目漱石『趣味の遺伝』小論――『学者』の立場と、日露戦争の報道に着目して――」「日本文芸研究」49・1,1997.06,
- 堀井哲夫,「漱石文学における愛(上)」,「女子大国文」(京都女子大学),1997.6,
- 永野宏志,「喜劇の時代の幕開け――夏目漱石『文学論』における実践について――」,「国文学研究」122,1997.06.15
7月
- 山本勝正,「夏目漱石参考文献目録8」,「広島女学院大学日本文学」7,1997.7,
8月
- 江藤 淳,「漱石とその時代第5部(6)」,「新潮」94-8,1997.8,
- 中島佐和子,「『草枕』の成立−−『高野聖』との比較から−−」,「国文」87,1997.08.15,
- 佐藤裕子,「『門』論――『語り』の機能と参禅の意味するところ――」,「玉藻」33,1997.8,
- 木村功,「『虞美人草』論――小野の形象について――」,「敍説」15,1997.08
9月
- 江藤 淳,「漱石とその時代 第5部(7)」,「新潮」94-9,1997.9,
- 馬場 彰,「漱石とUniversityCollege London」,「英語青年」143-6,1997.09.01,
- 福田昇八,「夏目教授五校最後の試験問題」,「英語青年」143-6,1997.09.01,
- 登尾 豊,「『坊つちやん』の反近代」,「国語と国文学」74-9(885),1997.09.01,
- 岸 規子,「『夢十夜』試論(二)」,「解釈」43-9(510),1997.09.01
- 加藤富一,「『二百十日』論」,「解釈」43-9(510),1997.09.01
10月
- イオアニス・メンザス,「ロンドンの金之助」,「批評空間」2−15,1997.10.1,
- 江藤 淳,「漱石とその時代 第5部(8)」,「新潮」94-10,1997.10,
- 曽我理恵,「『坑夫』考察」,「新樹」(梅光女学院大学大学院文学研究科日本文学専攻)12,1997.10.15,
11月
- 村瀬士朗,「変容する『金時計(プログラム)』――『虞美人草』論」,「近代文学論集」23,1997.11.5,
- 松尾直昭,「夏目漱石『夢十夜』再論――『第一夜』をめぐって」,「就実語文」18,1997.11,
- 北川扶生子,「『道草』の構成」,「国文学研究ノート」(神戸大学「研究ノート」の会)32,1997.11
12月
- 江藤淳,「漱石とその時代 第5部(9)」,「新潮」94−12,1997.12.1,
- 藤尾健剛,「夏目漱石『日記・断片』『ノート』など」,「解釈と鑑賞」62-12,1997.12.1,
- 崔明淑,「夏目漱石『満韓ところ\゛/』――明治知識人の限界と『朝鮮・中国人』像――」,「解釈と鑑賞」62-12,1997.12.1,
- 小田島本有,「漱石『野分』論――白井道也は<文学者>である――」,「釧路工業高等専門学校紀要」31,1997.12,
- 河村民部,「三四郎と『ハイドリオタフィア』」,「近畿大学文芸学部論集 文学・芸術・文化」9-1,1997.12.1,
- 呉 川,「コロケーションに見る『心』のイメージ――『こころ』における『心』の中国訳を通して――」,「国際関係研究」(日本大学)18-2,1997.12,
- 光宗宏和,「教材としての『こゝろ』の可能性――<語り手>と<話法>からの考察――」,「愛媛国文研究」47,1997.12.20