2001/5/27
平田泰隆氏・押田裕貴子氏の御成婚を祝う
マンゴー平田の唄の祭典、魅惑の88cm
co-starring with 押田裕貴子
making of Mango Hirata
〜マンゴー平田の出来るまで@〜
プロローグ
通例において、御成婚二次会に限らず催し事に当たっては準備期間の長きを以て良しとなす。例えば、「踊るYMO」や通称「ニセYMO2」など、企画立案の初期段階から実演まで、実に半年以上の日数を擁している。ところが今般、我々が平田氏から「御成婚」の第一報に浴したのは2月も半ば、かつ往事はまさに上田谷真一氏の御成婚二次会準備が佳境を迎える頃だった。急ぎ名古屋に向かった粥川が取り敢えず作成した素案を基に、今後の日程調整に着手したのが2月19日、この日から約3ヶ月強、やがて我々は熱く、凝縮された日々を迎えることになる。
平田氏の二次会については、既に御成婚の決まる遙か以前から、漠然としたプランだけが存在していた。即ち、
@平田氏の新曲発表会を兼ねる。
A「小樽の海風」を再演し、上記新曲と併せ「唄」をメイン・テーマとする。
B会場は新宿・てあとろん'88を使用する。
ところが難問が発生。まず昨年2月より製作を再開した氏の新曲は、「ニセYMO2」のバンド練習が始まるとともに作業が中断されており、物理的に間に合わない。氏のゴールイン迄には余裕があると踏んだ予測は、電光石火の御成婚決定により見事に覆されて仕舞ったのである。
かつ御成婚披露宴が白金は八芳園で、日曜午後に挙行される運びとなったため、物理的に遠い新宿での二次会開催には黄信号が点った。
固まる輪郭、ビデオと腹芸
与えられた時間は少ないにも拘わらず、その後の歩みは決して速やかではない。まずなすべき急務は会場の選定である。3月10日、三浦夫妻主催、平田[間もなく]夫妻との初顔合わせとなる昼食会が新宿「雪国」にて開催される。
これに引き続き、新宿・渋谷・恵比寿と強風の中、候補地行脚が繰り広げられた結果、粥川の強い推奨もあり、「てあとろん'88」強行論に傾いた。件の地は大仰なエンターテンメント性と、歌手・平田泰隆の新曲発表会にはお誂え向きのステージと花道が用意されていることから、平田氏二次会には是非にと数年前から粥川の暖めていた切り札とも言うべき存在だったが、日曜夜の開催となり、移動を短縮して開演時刻を出来る限り早めることが求められたため、この日まで凍結されていたのだ。
しかし現地を見た平田夫妻からも断念するには忍びないとの声が上がり、ネックとなる移動時間を夫妻が実際にTAXI走行で検証した上で最終的にゴーサインとなった。この会場決定によりまず案内状の印刷・発送が可能になり我々は第一段階をクリアしたのである。
ここから再び小休止となり上田谷夫妻二次会(3/31)を無事完結し一段落した4月20日、改めて幹事団が集結。赤坂は「しゃぶ一」に既に司会が内定していた高橋洋、新郎の中高以来の友人であり舞踏はじめ全般の中核となる三浦章豪、幹事長の粥川が顔を揃えたこの日、事態は急速な進展を見せる。
まず粥川の素案にあった「3新郎登場」のコンセプトを活かし、高橋氏の提案により腹芸が急浮上。これは2月に行われた高橋氏主催のスキー・ツアーの際、平田氏本人と前川賢司氏が見事な太鼓腹を披露し一同の驚嘆を誘った(右写真)ことに端を発している。
同時に、三浦氏からは昨年11月に行われた平田氏の名古屋行送別会を再現映像で紹介し、如何に新郎が新婦に酔い、急アタックをかけ、かつ幾多の紆余曲折を経て今日の御成婚に至ったかを描く、というビデオ収録案が提起される。これはビデオ機材とスクリーン敷設という会場の特質を活かしたプランであるとともに、これまで平島夫妻二次会や高崎夫妻二次会で活用されたイメージ・ビデオに代わる、前例のない新機軸として一同は大いに奮起を促された。
「3新郎」には新郎の初任地である山梨の連想からワイン試飲を加え、当初案から継続して新曲発表をラストに据えることで、話はまとまった。2日後、新婚の上田谷氏も幹事団に復帰し、夫妻を交えた準備会にて「腹出し」「ビデオ撮影」の了解を得、ここに漸く会合全体の流れが定まったのである。
カチンコの音も軽やかに
黄金週間も明けいよいよビデオ撮影が開始された。まずは平日の9日、新婦・裕貴子氏と日本銀行在職時の同僚5氏を招いての「証言ビデオ」。新郎が前述の名古屋行壮行会で恰も「御成婚決定」の強気な発言を繰り返した後、大いにトーンダウンした背景には何があったのか、新婦側からこの間の経緯を語ってもらうというのが本ビデオの趣旨である。
とくにシナリオを用意することもなく、如何に鑑賞に足る映像が得られるか、出た所勝負の感があったが、"みのもんた"顔負けの高橋氏の巧みな聞き手振りと、何よりも新婦と御友人の笑いとペーソス溢れる「証言」により、望外の成果を得た。
取り分け新婦が名古屋を訪れた際、「最後に飲んだ300円の甘酒も割勘」というエピソードは、新婦が御成婚に踏み切るに当たり、新郎のカネに細かい「カネゴン」振りに悩んでいたという新事実を見事に映し出していた。勿論、後に新婦はこの「カネゴン」が、実は平田氏の堅実さの具現であると再認識することになるのだが。
また同時にこのビデオは、舞踏隊基調の内輪受けに陥ることなく、新婦側からの出し物として重要な役割を果たすこととなった。
続いて12日は新郎側「再現ビデオ」。新宿うおや一丁に当日さながらに遅れて到着した平田氏とともに名古屋行壮行会における「結婚宣言」の模様を再現する。粥川が撮影監督を兼ねるため出演者は4人と小振りになったが、週末にも拘わらずネクタイ着用で幹事団が集合、かつ到着シーンから映像に収まる平田氏はスーツ上下持参と気合いは十分。
三浦氏が当日模様をベースに作成したシナリオを元に、多数の参加者がいるかの様に虚空に向かって呼びかける熱演の男優たち。酒が進むに連れ舌も滑らかになる一方で撮り直しも嵩み、ノロケる新郎と突っ込む3人のやり取りを同じ台詞で幾度となく繰り返す姿はさながらボケ老人の如し。
さらに店を変えてビデオの導入部となる、新郎が三浦氏に初めて"恋人"の存在を打ち明けるバーのシーンを撮影後、夜の新宿を練り歩いた挙句歌舞伎町で発見されたフリカラで、三浦・上田谷両氏の指導の下、「小樽'01」舞踏作成に移行した。パパイヤ鈴木をイメージに、DA・PUMPやSMAP等のハードなアクションを参考として踊りが練り上げられていく。一方で、同日昼に購入した衣装のチェック、中でも鍵となる腹芸の予行演習として実際に平田氏の腹に顔を書いてみる。これが存外にgoodで、最大の難関であるビデオ撮影の大部分を終えようやく粥川もホッと一息、午前0時の新宿の街を後にした。
なお勢い余って褌姿で腹踊りならぬ"尻踊り"を披露するとのプランも飛び出し、一夜明けて新郎から丁重に辞退の申し出があったが、当日の舞台を見た観客の一人から衣装貸し出しの依頼とともに「尻芸」アレンジ構想が語られ、舞踏隊の伝承が実現する運びとなった。
カウントダウンTV出現
息も付かせず翌13日は、腹芸の練習である。ところがここで大問題が判明する。折角前日苦労して撮影した映像の音が全く聞き取れない。新婦側ビデオは個室だったため、音を大きくすれば対処も出来るが、前日は飲み屋の雰囲気を出すため敢えて平場にしたのが裏目に出て、単体マイクも用意しなかったため、周囲の音が存分に収録されて仕舞ったのだ。
ショックは大きかったが取り敢えず本件は棚上げし、2月の腹比べの張本人である前川賢司氏、更に類似した腹の持ち主として白刃の矢の立った矢野酉太郎氏を交え、腹芸練習を先行させた。昨日のフリカラでショパンの「華麗なる大演舞曲」の使用が提起され、中途で曲を一瞬止めるブレイク・ビーツ化を混入させ、順調に練習は進んだ。むしろお面にアフロ、マントを付けて仕舞うと殆ど誰が誰だか分からず、果たして新婦が正解を導き出せるかが疑問視される程だった。
この日は三浦氏が欠席のため、昨日撮り残した、「先日の結婚話はちょっとわからなくなってきてしまいました。忘年会でもこの話題にはつっこまないようにお願いします」というメールが送られてくる場面転換シーンは肩越しの三浦氏役を前川氏が代行、続いてその後に続く平田氏の「証言」撮影を行った。ここで大袈裟に言えば本会を成功に導く大きな一言が生まれる。
それは絶妙の発想だった。新郎証言の撮影を粥川家の日本間で行ったため、妙に殺風景な背景がヒントとなったのか、テイク2に入る寸前、平田氏が言った。「カウントダウンTVを、っていう感じだな」。瞬時の内にアフロと粥川家在庫衣装の金ラメ・ジャケットを着せ、撮影に入る。昨日フリカラ屋で新郎が呟いた「パパイヤ鈴木ならぬマンゴー平田かな」の一言から、ここにマンゴー平田が誕生し、その装束も決定した。即ち場面転換のメールから友人・三浦氏の証言を挟み、「証言・新郎」のタイトルを映し、新郎登場と思わせて「カウウントダウウンTVをご覧の皆さん、マンゴー平田です〜」の笑いの映像が生まれたのだ。
同時にこれまで、当初の「唄の祭典」と腹芸並びに会場てあとろん"'88"に因んだ「魅惑の88cm」の複合だった会の題名も「マンゴー平田の唄の祭典、魅惑の88cm」と正式に決定を見た。
飛び交うメール、成功への序曲
こうして怒濤の2日間を終えたが、肝心の音の聞こえないビデオ問題は解決を見ていない。この時点で対応策として@撮り直し、Aアフレコ、B現場で映像に合わせて男優が演技、C現場で声優としてアフレコ、の4案が挙がっていた。
但し、@Aは名古屋在住の平田氏の時間が取れないため不可能で、BCの何れを取るか、この論議と併せ今後の日程、追加購入物、当日段取りの詳細など、幹事団には翌週月・火曜日に実に30通のメールが飛び交い、これまでの「仕事の合間は殆どマンゴー」の状況から、極端に言えば「マンゴー準備の合間に仕事」となった。奇しくも高橋氏が述べた様に、逆説的ではあるが「この幹事団の結束があれば、最早当日の出来は問題ではない」という程の熱の入れ様に至ったのである。
この週金曜日、粥川は休暇を取って12時間のビデオ編集作業に没頭する。20日会合で三浦氏の証言部分を撮り終え、一旦完パケに至ったが、新婦側については音の聞こえにくい部分、冗長な部分をカットし再編集となり、前日26日に至ってギリギリ完成を見る。
一方、20日には前週に続き粥川家に、今度は舞踏隊コア・メンバーが集まり、メイン舞踏の仕上げに入った。既に新郎自らの作詞により「小樽'01」は「名古屋で暮らそう」と題され、思わず一同が赤面(?)する程新婦への愛情溢れた内容に、同曲のラテン・ヴァージョンが披露された合田隆太郎・紀子夫妻二次会同様に、「俺が平田だ。君も平田だ。」の御成婚フレーズも挿入され、舞踏の装着を待つばかりとなっていた。
前週の会場再視察でステージの小ささが指摘され、舞踏は三浦、上田谷両氏とこちらも4月の御成婚後間もない前田史哉氏となり、若林豊氏はワイン試飲のウェイター役に回ったが、これが腹芸における新婦の実触におけるマジックハンド、実測のメジャーなど、何でも出てくるドラえもんウェイターとして見事なはまり役となるのだから分からないものだ。
また新郎新婦が引越のため練習に参加出来ないのを好都合に、隠し企画である和里田氏も遂にベールを脱ぎ登場。役者が揃った。
前日26日、完成したビデオと衣装類一式を抱え、粥川は会場てあとろん'88へと最終打ち合わせに向かう。題目の告知が案内状葉書に間に合わなかったため、メールでの告知とともに当日会場に据える横断幕の作成を三浦氏に託し、いよいよ準備は整った。
思えば5月は連休が7日に空けてから、9日(水):新婦ビデオ撮影、12日(土):衣装購入、新郎再現ビデオ撮影、舞踏作成、13日(日):会場打ち合わせ、腹芸練習、追加撮影、18日(金):ビデオ編集、20日(日):舞踏練習、追加撮影、最終進行確認、26日(土):ビデオ再編集、会場最終打ち合わせと幹事団はマンゴー漬けの日々だった。その成果が明らかになるのはもう翌日まで迫っている。
続く>:「マンゴー平田の唄の祭典 魅惑の88cm」当日模様へ
Copyright (c)2001 y.kayukawa.koenji Allright reserved