WTCから10年、恵比寿倶楽部第10回記念大会は、 旧WTCOCEB'S全員を擁する豪華幹事団の下、 8/26、恵比寿にて開催された。 10周年を記念し、プロジェクターとスクリーンを 会場に持ち込み、弓場潤一氏秘蔵のWTC直前の 面々の映像を放映。往事を回顧するとともに、 彼我の差に、10年の日々を感じ入った。
氏は合唱で鍛えた喉と舞踊で活躍。 なお昨年から更にグレードアップし、3台のPCを導入した 掲示板による海外ほか欠席者の誌上参加だが、多くの記帳を 戴いたにも拘わらず現場からの実況が捗らず、今後に課題を 残した。次回からは映像の即時配信、記帳画面を会場にて放映 するなど更なる勘案が求められよう。 何はともあれ、お疲れさまでした。ではまた来年。
[高橋洋氏=写真も] 午後3時丁度に新快速で姫路駅に着くと、改札口にいつもの温かい笑顔が 待っていた。兵庫で生まれ育った私と言えど、姫路などそう来る所ではない。世界遺産の姫路城 城に2度程来た記憶があるが、それ以外に姫路に来た覚えは無い。神戸からわずか40分で着いて しまう播州地方の中心地ではあるが、正直言って、地味な印象は拭えない。そんな地にわざわざ 足を運んだのは、そこに大親友が住んでいるからに他ならない。 もう一人の悪友芝村とも再会し、松田浩の車に乗り込む。すると車は広畑の製鉄所に向かった。 そこでは、小学校の運動場を百以上も並べた様なだだっ広い敷地に製鉄の各工程がぽつりぽつり と並んでいた。人事担当の松田氏によると、最盛期には15千人いた従業員も今では1500人との こと。各工場施設も長年の活躍に日焼けして、穏やかな壮年を感じさせられた。 工場見学も終わり、さてそろそろ家に帰ってビールでも片手に 涼めるかと思いきや、エンターテイナー浩は、「今晩の夕食に」 と釣りに連れて行くという。私はスラックスに革靴を履いていた ので、まじか?と思うのもつかの間、車窓からはのどかな瀬戸 内海の風景が目に入ってきた。関東の方々は「瀬戸内海」と言われ てもイメージできないだろうが、そこには静かな入り江の小さな 漁村が続き、すぐ目の前の海には島影が重なる。なんともまあ 平和な世界なのだ。 浩は用意周到に3人分の釣り竿を用意してくれており、すぐに取り掛かった。しかし釣れない。 釣れない。素人の芝村と高橋は、始めは投げるのも大変であったが、ちゃんと投げようが目の前 で糸を垂らそうが、結局ぴくりとも来なかった。しかし、そんなことはどうでもよかった。真っ 青な瀬戸内海を目の前にして、炎天下ながらのどかな風が吹く中で、3人は3月の伊豆の大惨事 以来の時間を埋めることができた。
になると思うんだけどね〜)、私が泣かせたのを機に律子夫人共々奥に引っ込んで就寝された。 これが11時過ぎであったが、ここから30代の男達の世界が始まった。 浩は3月に異動を命じられた際に、本当に悩んだという。東京に住んで数年。次の夢に向かって 着々と準備を重ねていただけに、ここで田舎で引っ込んでいいのか?やはり独身の私などには 理解し得ない悩みだったと思う。芝村も、タイで活躍して帰ってきたものの、現在は名古屋の 外れの閉鎖が決まっている工場でくすぶっている。そう言う私も、留学後1年が経ち、次の夢に 向けて密かに志を温めている。そんなかんやで、3人の話は多岐に及び、一気も沈没も無かった にも関わらず、何と日の出まで及んだ。 翌日、10時頃目を覚まし、遅い朝食をご馳走になり、大阪に住むご両親の所へ行く浩を含めて 3人一緒に姫路駅から新快速に乗り込んだ。それぞれ歩む道は違ってしまったが、やはりいつ まで経っても親友であることには変わらない。そんな頼りになる友がいつでも側にいることを、 心から確認できた、真夏の一夜であった。 (掲示板1701-1703ご参照。) |