棒を振る振る
(00/9)

平島氏主催。宮の森CC
再戦(7/9)は7名で。

前田氏メンバーの御殿場GC
にて(8/19)。若林豊氏初参加。
生憎曇天だが背後の富士絶景。
大学時代以来触れることのなかった
 クラブを久々に握ったのが今年3月、
 爾来私のゴルフ熱は急速に高まって
 いる。既に4月の2日連続ラウンド
 を皮切りに、7、8、9月と旧TO88
 世代にも、俄かにゴルフ・ブームが
 到来した感がある。

洋行や地方行脚ならばいざ知らず、
 腕を高めるというよりは、主に東京
 に住み高額な練習場、コース廻りに
 励んでいるのだから、我々も相応の
 年齢になったということだろう。
運動経験に乏しく、今ではトヨタ自動車と経団連会館への移動
 程度しかしない私であるからして、腰を回転させるという概念
 から学ばなければならなかった。それでも阿佐ヶ谷の練習場に
 通い、レッスンプロの御指導も一寸受け、200超のスコアを3度
 続けたあと、猛暑の中、小山岳風の御殿場GCでは170台まで
 短縮され進歩の跡が見られた。ところが勢い勇んで挑んだ秋の
 おおむらさきGCでも170台で、イチから出直し。今年中に120
 という野望到達に暗雲が兆している。

野球経験のある平島俊彦氏、夏から週一ペースでラウンドする
 前田史哉氏、更に昨今では三浦章豪氏の着実な進歩が光るが、
 随所でチョロったり思いきり右へ飛んでいったり、3パット4
 パットで2ケタと、未だゴルフ社交界への道程は遠い。当面は
 気のおけぬ面子で和気藹々の棒振り行が続きそうな案配である。

永野景子アナのホームグラウンド
おおむらさきGCにて(9/7)。
埼玉にて初の平日ラウンド。
十周年 −恵比寿倶楽部'00
(00/8)

 WTCから10年、恵比寿倶楽部第10回記念大会は、
  旧WTCOCEB'S全員を擁する豪華幹事団の下、
  8/26、恵比寿にて開催された。

 10周年を記念し、プロジェクターとスクリーンを
  会場に持ち込み、弓場潤一氏秘蔵のWTC直前の
  面々の映像を放映。往事を回顧するとともに、
  彼我の差に、10年の日々を感じ入った。
(左より、公務員・高橋洋氏とスリム・上月敬子氏、マダム風の浅井英里子氏と唄姫・久保雅子氏、
 稲岡恵美、高谷綾子、名古屋から遙々来訪花岡道世の3氏、往事の桐本氏を見上げる桑原拓也氏)
 会では、桐本慶祐氏が9/30の御成婚を前に新婦・径子氏を披露。
  二次会の前哨戦と相成った。また恒例の近況報告にあたっては、
  合田紀子氏が一瞬の日本舞踊を舞ったほか、武藤康氏は将来
  不安を激白。独身激減で「平田泰隆氏が心の友」の武藤潤氏、
  桐本夫妻に「どうしたら運命の人と出会えるのか」と問うた
  永野景子氏とともに3名で次回幹事に選出された。
  (右写真は、W武藤ドットコムを結成?した両武藤氏。コンビ
   で文化放送ゲスト出演か?)
 二次会はカラオケ。23時まで宴が繰り広げられ、ここでも武藤康
  氏は合唱で鍛えた喉と舞踊で活躍。

 なお
昨年から更にグレードアップし、3台のPCを導入した
  掲示板による海外ほか欠席者の誌上参加だが、多くの記帳を
  戴いたにも拘わらず現場からの実況が捗らず、今後に課題を
  残した。次回からは映像の即時配信、記帳画面を会場にて放映
  するなど更なる勘案が求められよう。

 何はともあれ、お疲れさまでした。ではまた来年。
追記

 ワープロ全盛期の往事に、パソコンを操る助っ人外国人として、AIESEC
  独ケルンよりWTC-OCに無償派遣されたHasko Schmidt氏より、恵比寿
  倶楽部に近影、ご記帳を戴いたので追記したい。

 メッセージは、掲示板1759-60ご参照。
姫路探検記
(00/8)
高橋洋氏より姫路紀行(7/22-23)を投稿戴いた。皆様も是非旅行記なぞものして戴ければ幸いです(編者)。

 [高橋洋氏=写真も] 午後3時丁度に新快速で姫路駅に着くと、改札口にいつもの温かい笑顔が
  待っていた。兵庫で生まれ育った私と言えど、姫路などそう来る所ではない。世界遺産の姫路城
  城に2度程来た記憶があるが、それ以外に姫路に来た覚えは無い。神戸からわずか40分で着いて
  しまう播州地方の中心地ではあるが、正直言って、地味な印象は拭えない。そんな地にわざわざ
  足を運んだのは、そこに大親友が住んでいるからに他ならない。

 もう一人の悪友芝村とも再会し、松田浩の車に乗り込む。すると車は広畑の製鉄所に向かった。
  そこでは、小学校の運動場を百以上も並べた様なだだっ広い敷地に製鉄の各工程がぽつりぽつり
  と並んでいた。人事担当の松田氏によると、最盛期には15千人いた従業員も今では1500人との
  こと。各工場施設も長年の活躍に日焼けして、穏やかな壮年を感じさせられた。


 工場見学も終わり、さてそろそろ家に帰ってビールでも片手に
  涼めるかと思いきや、エンターテイナー浩は、「今晩の夕食に」
  と釣りに連れて行くという。私はスラックスに革靴を履いていた
  ので、まじか?と思うのもつかの間、車窓からはのどかな瀬戸
  内海の風景が目に入ってきた。関東の方々は「瀬戸内海」と言われ
  てもイメージできないだろうが、そこには静かな入り江の小さな
  漁村が続き、すぐ目の前の海には島影が重なる。なんともまあ
  平和な世界なのだ。

 浩は用意周到に3人分の釣り竿を用意してくれており、すぐに取り掛かった。しかし釣れない。
  釣れない。素人の芝村と高橋は、始めは投げるのも大変であったが、ちゃんと投げようが目の前
  で糸を垂らそうが、結局ぴくりとも来なかった。しかし、そんなことはどうでもよかった。真っ
  青な瀬戸内海を目の前にして、炎天下ながらのどかな風が吹く中で、3人は3月の
伊豆の大惨事
  以来の時間を埋めることができた。

 日が山蔭に落ちた7時には竿を納め、やっとこさ松田邸に向う。
  律子夫人に莉緒ちゃんが待つ新日鉄社宅は、築30年になる年代
  ものだったが、2DK二つをぶち抜いた中々快適な空間であった。
  早速豪華な夕食が始まったが、とにかくビールがうまかった。
  超暑がりの私は、暑い中をぶらぶらすることなど最近無かった
  為か、この夜はとにかくビールを飲んだ飲んだ。勿論暑かった
  だけではない。次から次へと出てくるご馳走も絶品であったし
  何より久しぶりの親友達と話すこと自体が快楽であった。
 
 夕食が終わると莉緒ちゃんが一頻り芝村と戯れていたが(個人的には芝村はほんといいお父さん
  になると思うんだけどね〜)、私が泣かせたのを機に律子夫人共々奥に引っ込んで就寝された。
  これが11時過ぎであったが、ここから30代の男達の世界が始まった。
  浩は3月に異動を命じられた際に、本当に悩んだという。東京に住んで数年。次の夢に向かって
  着々と準備を重ねていただけに、ここで田舎で引っ込んでいいのか?やはり独身の私などには
  理解し得ない悩みだったと思う。芝村も、タイで活躍して帰ってきたものの、現在は名古屋の
  外れの閉鎖が決まっている工場でくすぶっている。そう言う私も、留学後1年が経ち、次の夢に
  向けて密かに志を温めている。そんなかんやで、3人の話は多岐に及び、一気も沈没も無かった
  にも関わらず、何と日の出まで及んだ。

 翌日、10時頃目を覚まし、遅い朝食をご馳走になり、大阪に住むご両親の所へ行く浩を含めて
  3人一緒に姫路駅から新快速に乗り込んだ。それぞれ歩む道は違ってしまったが、やはりいつ
  まで経っても親友であることには変わらない。そんな頼りになる友がいつでも側にいることを、
  心から確認できた、真夏の一夜であった。
  (掲示板1701-1703ご参照。)