9/19-22、粥川夫妻は沖縄本島を訪問した。 夫妻は近年、亜細亜各国歴訪を行っているが、 本年は距離的規模を縮小、但し金銭的には全く 縮減にはなっていない。国内南洋の旅は00/7 の原山夫妻を訪ねる奄美大島行以来となる。 沖縄と言えば第一感でリゾートとなるが、今般 はこれに加え、旧跡観光、更には基地の街 オキナワに触れるという三要素を消化するため 3泊4日をフルに使った強行軍となった。
(冒頭写真)、夜にプール、早朝から谷越え・池越えの本格18ホール・ショートコースと 体力を酷使したリゾートとなった。唯一三日目には一路58号線を北上、北の自然を車上 から味わい、折返し地点とした辺土名では一茶ここに生まれる、と感慨を新たにした。 また毎日食した沖縄そばでは、夜は要予約の大賑わいの「海ぶどう」が飛び抜けて美味 だったことを銘記し、泡盛を飲み過ぎ、道の駅で嘔吐したことは抹消したい。 ◎基地の部 かの有名な「安保の見える丘」(左写真)から嘉手納基地を 眺望。楚辺通信所、普天間基地は横から覗いただけに 終わった。夜のコザも実に穏やかで、僅かに名護市の 旧市街の寂寥に比して58号線沿いの開発振りに、公共 事業費の投入度が伺われたこと、唐突に辺土名で朽ち 欠けた米軍の「入るばからず」札の立った広大な空地に 出会い、米軍の放棄地かくあらんと思われたこと等に 基地の街の極一端を垣間見た。 概ね旧跡は網羅したかと思われるので次回訪れる際は積み残した北端/やんばると、 近隣の島へゴルフともども今度はリゾート中心で南の島を訪れてみたいと思う。
気鋭の雀士が集い、熱き闘いが繰り広げられた。
の4名。久々の顔触れに名残惜しんだか120分の長半荘となり、泥の眠りに陥ったのは 辺りも白み始めた午前5時だった。 翌朝は7時半起床。急遽出張となり新妻を残し、名古屋に向う河田氏が背広に着替える 傍らで一団が卓を囲む奇妙な光景が繰り広げられる中、粥川がハコ目前から原点超・鳥 総取りでプラスに浮く驚異的な粘りを見せる、又もやの長半荘を終えると既にチェック アウトの11時は目前で、朝雀者は朝風呂を断念するオチまで着いて大々円と相なった。
を轟かせた小林夫妻が、大祐氏は役満直撃に耐え微浮の3位、裕子氏も本格派顔負けの 混一親パネから断公ドラ6のヤクザ手迄、縦横無尽に芝村氏からもぎ取るなど、夫妻 トータルでは惜しくも微沈に終わったが、遂に鍋を味わう側目前の飛躍を示したのが 特筆される。代わって食べらる側に回ったのは21世紀参加組の2氏。河田氏は風邪、 早朝出張の二重苦を押しての参加の挙句の沈みっ放しと前回の前川氏を彷彿とさせる 結末だったが、その前川氏は水上で連箱を食らった朝雀で初のトップ獲得と大いに進境 を見せ、同日開催された競馬G2レースと合算してプラスと大いに面目を施した。 一方、今回は平田裕貴子、河田幸子の両夫人が初参加。空時間を利用して、非競技練習 卓も開かれた。とくに前半一卓期には全く麻雀を知らない河田夫人に高橋氏がイチから 指導。「高橋洋の麻雀講座」として、既にベテランである小林夫人も「私も習いたい」と 基礎からの再レッスンを希望する程の反響を博した。これを期にレディース卓の開催、 初心者ハンデ・ルールの採用等、新機軸が早くも遡上に昇っており、参加者の拡大と と「鴨の促成栽培」(?)という2大目標に向け新たなる第一歩を踏み出すこととなった。
感慨。名物・おしぼりうどんを賞味した後、順次帰路に着いた。漸く一同が疲れを癒す 爆睡に着いた頃、睡眠不足のまま名古屋へ向った河田氏は勤務を続け、帰着は21時。
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