コラムとエッセイ
(03/1)
 コラムには新聞でいう20行程度のハコもの記事、文章も若干柔らかめでオチもついて
  とのイメージがある。一方で、エッセイというと筆者個人の"心に映るよしなしごと
  をそこはかとなく"綴ったもので、日記風の文章は世のHP上にも少なくない。
 かく言う粥川も98年4月から「コラム
  堀内一三」と題して随想形式の連載を
  始めたが、確実に何かを書かねば
  ならぬとの強迫観念が徒となったか
  半年でダウン。

 しかしながら2つの契機が重なった
  ことで遂に再開に踏み切った。ひとつ
  は知人の何人かがメールマガジン風
これは柱、こちら茶柱。様々な柱が積み重なっていく
ところから「コラム」と呼ぶ(らしい)。
  に流している"日記"、もうひとつは秋田伸吾氏(WA88)から「ぶれいくするぅ」
  新連載のお申し出を戴いたことである。

 文章は人に読まれる、更には読ませることを意識して筆を執ってこそ上達するが、
  矢張り肝要なのは継続は力なり、だろう。三日坊主に終わらず配信し続ける積もり
  なので暫くお付き合い願いたい。
秋田伸吾「ぶれいくするぅ」
新・コラム堀内一三
アサマヤマノボレ 〜浅間温泉の巻
(03/1)
第3回となった新春温泉麻雀の会は当初参加予定15名を
 数え、3卓のみならず4卓も狙う勢い。最終的には11名
 となったがそれでも総半荘数16とともに過去最高を記録
 し、ファウンダーズ4氏と牌の申し子・矢野酉太郎氏に
 より検討を重ねた全二十条に亘る「アイセック囲卓の会
 規約」も初お目見えした。

1/11、例によって添乗員・高橋洋氏に率いられた総勢7
 名の雀士達はスーパー特急「あずさ」にて松本へ。ここで
 名古屋経由の芝村茂樹氏、本会初参加となる花岡道世氏
 が合流、バスにて浅間温泉へと向かうこととなった。
宿に入ると前回同様、買い出し担当の小林大祐・裕子夫妻との
 再会を祝す暇もなく早速競技が開催される。今般は連続2直
 ならぬ上納点付連続2卓制のため、西入なし、親ノーテンは
 南場も親流れとして両卓の回転率を保つ様努めた。それでも
 余る「飛び」等による時間差は、規約策定により制度化された
 「認定初心者」の花岡氏、粥川美和への高橋氏による指導卓が
 挙行されるなど効率的な運用となった。

競技は冒頭から芝村氏が二軍で大勝ちし一軍で微沈、再び二軍
で稼ぐ高等
戦術(?)で
飛び出し、
+250のダン
トツ首位も
夕食後伸び
悩み。23時
小林裕氏が
退場すると
予備役なし
の2卓フル
操業の過酷
な日々が
続いた。

更に2時、
規約第三条
に定める
常任理事に
就任した
 高橋、芝村、粥川3名(平田常任理事は欠席)と新たに本会顧問の称号を与えられた矢野
 氏による浮き同士の潰し合い戦に至り遂に割れ目採用。僅か1時間半で3半荘を重ね、
 芝村氏が飛び、更に疲労から集中力を欠いた矢野氏から粥川がもぎ取り、高橋氏を交え
 三者横一線にて午前4時、遂にお開きとなった。
一方、苦しんだのは前回進境
 を見せた「鴨」組。研究熱心な
 小林裕氏はダマテンに活路を
 見出すも久々の親チョンから
 撃沈。前川賢司氏も白切り
 ダブロン、更に発の暗刻に
 一発振込むと裏ドラ表示牌が
 白とシロに泣かされ最下位に
 終わり、振込みマシーンこと
 河田浩氏の不在を嘆く声が
 空しく響いた。

夕食。事後の温泉タイムとともに
休憩時間はこれだけ。

強い妻(麻雀は必ずしも強くない)と
その友人達に囲まれ何を想う昌平氏。
両氏は体調不良も祟っており、野生の生物が大地震を事前に察知するが如く、体内から
 発せらる危険信号ではないかとの指摘も生まれた。その証拠に河田浩氏は連続の風邪で
 今回は遂に直前休場、結果としてマイナスを防いだという深い考察である(笑)。
また成婚後初参加の小坂夫妻は前半「夫婦鳥」の悲劇を味
 合うも後半は昌平氏がトップ2回。トータルでは沈んだ
 がこれを「撒き餌」として次回以降に明るい展望を残した。

翌日朝食後は前回創設が謳われたレディース卓が実現。
 高橋氏、粥川がこのサポートに回ったため唯一参戦した
 芝村氏に奪還の可能性が残されたが奮わず、粥川の4回
 振り勝利を以て終結した。

事後は未だ睡魔の襲う中、古の趣を残す松本城、更には
 あめ市の行われる松本市内を散策。蕎麦と喫茶の感想戦
 を経てこれも毎度の爆睡
 特急にて松本を後に
 した。なお帰路、前川氏
 が前回同様馬券を的中
 させ、ほぼ麻雀の敗北を
 補ったことを付記して
 おきたい。次回は温泉
 シリーズ1周年を記念し
 4月挙行の予定。

計理
に事
余長
念に
な毎
い度
高の
橋多
 謝







輿