ああ奥飛騨に雪が降る
(06/4)
[文=粥川,高橋洋氏、写真=粥川,小松雅和氏]
 05/4以来の温泉一泊麻雀は渡中した芝村茂樹・本会常任
 理事の帰国参加こそ結果的に叶わなかったものの、東京、
 名古屋、更には大阪に復帰し体重も復帰を遂げつつある
 前川賢司氏も元気な姿を見せ、松本からレンタカーにて
 一時間余、岐阜県ははや富山県にも程近い秘境・奥飛騨
 焼岳温泉へと囲卓の会は更なる進化を遂げたのであった。

宿に到着するや否や寸暇を惜しんで卓の設置に勤しみ
 仲居諸氏の目を丸くさせる展開は変わらなかったが、
 通例ではその所要時間短縮を図るべく本会議長・粥川が
 血眼になる風呂と食事が今回の白眉であった。
初心者競技者として参加した松尾智晶氏が論文執筆とお片付け担当に専念したため競技は
 終始予備役なしの8名フル操業となり、本来なら競技者の何れかがハコを被り"飛ぶ"こと
 で連動するもう一卓との時間差を利用して入るしか手段の無かった温泉が、立湯に寝湯、
 果ては雪景色に湯の滝も映え、小坂史子氏が「ずり落ちる」
 と宣った腰巻、胸巻に身を包み一同に会する混浴露天風呂
 と漂う天然クロレラは勝負に一喜一憂する雀士達の一服の
 清涼剤となり、名物・朴葉味噌はじめ後から後からと繰り
 出され満腹堪能した夕食に続き、恰もわが国自衛隊の如く、
 会史上初の総員風呂時間が構成され、ふたひとまるまる
 (二一〇〇)再集合となったのである。

ところがこれは予想外の事態をもたらした。再開された第四
 サイクルの七/八戦は総員が極度の睡魔に襲われ、高橋洋本会理事長自ら振聴錯和を犯す
 など牌が乱れたが、時は未だ零時を回らず温泉麻雀では宵の口、「お楽しみはこれからだ」
 の時間帯に過ぎない。介護保険第一号非保険者入りを前に愈々歴戦の勇士達も力尽き湯治
 珍道中に堕するかと誰もが天を仰いだが、第四サイクルが終了すると仮眠を取っていた者
 も不死鳥の如くムクムクと起き上がり、小坂・花岡両女性競技者も含め、さも何事も
@開始時。A夜半再開時は浴衣で。B疲労困憊初日最終局。C粥川カメラが壊れ携帯電話にて撮影、二日目朝。
無かったかの様に卓の前に全員が勢揃いし、通例通り2時迄打ち続け、更に高橋理事長、
 粥川議長、林義隆氏、小松雅和氏の四氏競技がお開きとなったのは午前3時半と、伝統
 と栄光に彩られた囲卓の会の歴史は辛くも守られたのであった。
競技は高橋理事長がスタートから飛び出し独走。
 序盤好調だった矢野酉太郎氏が大手筋が悉く
 単騎や嵌張の薄い待ちに蹴られるツキのない
 展開に沈むと、替わって深夜枠に強い粥川と
 今回も「イワナと言わないで」等の寒い駄洒落を
 連発した小松氏が「80回も携帯麻雀で練習」した
 成果か、立直のみで親リーに果敢に挑戦し、
 裏ドラ4枚乗せて仕舞うという驚異のタコ麻雀
 で躍進。二卓制から独立し行われた初日最終戦
 が決戦の場となったが、粥川は直前にカメラを
 壊し意気消沈、小松氏は時間短縮の為ここから
 採用された初体験の割れ目ルールに戸惑い何れも高橋氏の後塵を拝し雌雄は決した。
 優勝は通算11勝で単独最多勝となる高橋理事長。小松氏、粥川が続き、Aクラス4位に
 総合マイナスながら考え込む素振りの"儀式"が始まると忽ち大役を成就させる天性の
 引きの強さを今般も遺憾なく発揮した花岡氏が入った。二日目午前の第六サイクルで
 漸く浮いた林氏が5位に上がり、6位に矢野氏、前大会での錯和連発から一転「今回は
 誤ロン一回で済んだ」前川氏が初日終了時では4位と健闘も入れ替わり7位に沈んだ。
 なお最下位は小松氏に翻弄され気前のいい振りっぷりが目立った小坂氏だった。
さて奥飛騨ガーデンホテル焼岳を午前10時半に後にすると、一足
 先に帰京する粥川議長をバス停まで送り、残る8名は奥飛騨熊
 牧場へと赴く。逆立ち歩きやブランコなど様々な曲芸を披露する
 「学習発表会」に感嘆する中で、調教師女史から熊氏への質問が
 募集されると誰よりも早く手を上げた小松氏に松尾氏が「子供に
 譲れや」と鋭い突っ込みを入れる一幕も。

更に平湯温泉に移動し、外湯「ひらゆの森」でまたもやひとっ風呂。
 広大な敷地に何軒も連なる木造平屋の中で名物の飛騨牛も食し、
 飛騨牛乳を飲み、露天風呂がいくつもある白濁泉を満喫するなど、
 3時間かけ前夜の疲れを癒し、松本を経て東西へと家路を急いだ。
 なお東京組あずさ号内では、日本酒をラッパ飲みする松尾氏や、
 女性を口説く際には「押し倒せ」と主張する小坂氏に、独身の高橋・
 小松両氏が説教を受ける珍道中となり、あっという間に新宿に到着
 してしまったことを付記しておこう。初の岐阜県進出を果たした
 今会は、競技は勿論こと幾多の温泉を堪能し、硬軟織り交ぜた
 充実した会となったのではないか。