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May,13,1995

「時間的無限大」

著者:
スティ−ヴン・バクスタ−
出版社:
早川書房
分類:
文庫,SF

「生命の創造」が人間にも可能となり(コンピュータ・ウイルスだって生命だろうし、思想のような実態のないものも生命のように振る舞う。そういや「音楽は生命」なんて短編、書いたこともあったっけ)、「世界の創造」も射程の範囲に入ってきた訳で、次はやはり「時空の超越」でしょうか。

これと、神様に関しては、最近読んだ「時間的無限大」が、なかなか凄い論理実験を繰り広げています。

どうせこれから読む人もいないと思いますので、ネタばらししちゃいます。

現在の物理学が認めざるを得ない事実「時間を遡れる可能性が有る」、その可能性の一つ、ワームホールによって未来への通路が開かれた未来の話なのですが、メインネタはそれでは有りません。

「ウィグナーの友人」という、同名のパラドックスを信奉する宗教団体(?)が出てきて、信者の様子が某オ*ムっぽくておお、という感じなのですが、何も経典とか神などを崇拝している訳ではなく、ただの「シュレーティンガーの猫」の変形パラドックスを信じているという点がなかなか。

自分だって信じそうな位ですから。

さて、「ウィグナーの友人」について。

有名な「シュレーディンガーの猫」の論理実験は、つまるところ、見てみるまでは(たとえ常識的に推測出来たとしても)中身は決してわからない、それどころか、見た瞬間に中身は決定されるという事を示唆しています。

これについては、最近になって実験で確認されるようになりました。実験内容はなかなかとんでもないです。詳しくは最近出た日経サイエンス別冊「量子力学のパラドクス」を参照して下さい。

さて、箱の中の猫は見てみるまでは生きているか死んでいるかわからないし、それを見ているシュレーディンガーも、実験室に行ってみるまではどうしているかは不確定であり、彼に会いに行ったウィグナーも、誰かに見られなければ不確定。さらに見た人間も……と言う具合に延々と繋がってしまう訳で、最終的には宇宙に最後に独り残った最後の人間(若しくは異星人)にまで繋がってしまう訳です。

全てが確定するのはその時、最後の観測が行われた時であり、それまでは全てが幻であり、宇宙のありようは、最後の観測がどのようにして行われるかに掛かっているのです。

つまりは「光あれ」と言うのはどっかの誰か、とにかく最後に残った奴で、しかも宇宙の始まりではなく、終わりに言われるのです。

しかし、冷静に考えると、今我々が存在するのは、宇宙に観測者がいなくなる時が確実に有り、しかもその果てしなき時間の終わりに観測が既に行われたせいだ、と言う事になり、我々の歴史はその観測者の視点によって、未来のどこまでも確定している、という事になります。

理論的に否定できないだけに、嫌ですねぇ。

さて、私は神様というものに対しては、独特の持論を持っています。

「神様はいないか、若しくは無限にいる」

証明:

この世界全てを創造した存在がいると仮定し、それを神と呼ぶ。

さて、神は誰が創造したのか。

神が自然発生なら、世界も自然発生である可能性を産む。とにかく、創造される必然性を失う。

とにかく、少なくとも一つは自然発生した訳で、最初の前提と矛盾する。したがって神は自然発生しない。

神が誰かに創られたのなら、その創った存在は誰が創ったのかという問題を生み、きりがない。唯一考えられるのは創造者の創造者の創造者の……という具合に、無限に創造者がいる、というもの。

一番簡単な説明は、世界は自然発生した、創造者はいない、というものである。

結論は、神はいないか、無限にいるというものになる。

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