終点である早稲田や三ノ輪橋には、車庫がない為折返し運転が行われています。昔は早稲田車庫などもあったみたいですが、今ではこの『荒川車庫』が、都電荒川線唯一の車庫になっています。都電運行の指令塔であり、都電が休む場所でもあります。あっ、もちろん乗務員が休む場所でもあります。
5月下旬には薔薇が沿道に咲き乱れますので、薔薇を見ながらぶらっとするのもいいものです。
→【春〜初夏】薔薇の道に数種類の写真を載せました。
車両の車庫入れの関係で三ノ輪橋方面に向かう停留所
だけは、乗車ホームと降車ホームがわかれています。
乗車の際は気を付けて下さい。
ここで乗務員の交代が行われます。
車庫では7000形から9000形までの揃い踏みが見れる時もあります。この時は7000形と7500形が休憩中。詳しいパンフレットが営業所内に置いてあります(無料)。都電の歴史とか都電ミニ知識などが載ってますので、夏休みの自由研究にもいいかも。
ありし日の6000形・・・
→一球さん廃止の記事
→都電荒川線の歩み
平成19年5月27日から新車両9000形(9001号車)通称レトロ車両が運行していましたが、平成21年1月31日からは9002号も加わり2両になりました。
平成21年2月8日に行われた撮影会の様子はここ。
平成21年6月に6086号が帰ってきました。車庫で保管されるみたいです。
☆都電の切手ができました。→“都電荒川線のはしる街”(地域限定発売です。)
平成27年9月18日に新型車両「8900形」が登場しました。平成27年10月18日に行われた撮影会の様子はここ。
★8900形の前に8800形が平成21年4月26日から運行されています。
☆現在8801〜8810が運行中です。
平成28年5月30日に7000形を改良した「7700形」が登場しました。
開場日 土・日・祝日(振替休日を含む)※12/29〜1/3は休場
開場時間 10:00〜16:00
入場無料展示車両
● 5500形(5501号車)通称「PCCカー」(写真中央)
昭和29年製造。アメリカの最新の技術を導入してつくられた車両で、独特の流線型の車体と低騒音・高加速の高性能を持つ。三田車庫に配属され、1系統(品川駅前〜上野駅前)で使用されていました。現役引退後は荒川車庫で眠っていました。
● 旧7500形(7504号車)(写真右)
昭和37年製造。都電としては珍しい2つ目のライトが特徴。当初は青山車庫、その後、路線の縮小に伴い荒川車庫に配属されました。引退前の数年間は主に朝のラッシュ時の通学用に活躍し、「学園号」の愛称で親しまれていました。
○車両の中には昔の写真等が展示されています。
全国三千余社ある内の一つ。本宮は石川県にある白山比盗_社、御祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)だと思います。
が、創立沿革など詳しい事は、神仏分離の際に古文書等の紛失により不明だそうです・・・。
隅田川沿いには、明治・大正・昭和にかけて、対岸の宮城村(足立区)との間を結ぶ渡船場がありました。明治41年(1908年)、現在の読売新聞、日刊スポーツ(旧キリンビール)の敷地に下野紡績の工場ができ、対岸からも大勢の人が工場へ通勤するようになりました。そこで、梶原・宮城地区両岸の住民有志が出資して作った船の発着場が、梶原の渡船場です。
最初、運賃は大人1銭、子供5厘、荷車1銭5厘、自転車1銭だったそうです。(大人一人が自転車で乗船した場合2銭だったのかどうかは記録されてませんでした…)荷車という運賃があるように、駒込にあった市場に野菜を出すための交通路としても利用され、毎日15台以上が隅田川を船で往復していたそうです。
第二次世界大戦中には、足立方面などに軍需工場が多くなり、工場へ通う通勤者の足としても混雑したそうですが、交通手段の整備とともに、渡しが使われることも少なくなり、昭和36年(1961年)にその姿を消しました。写真は梶原の渡船場跡から望む隅田川。梶原の渡船場跡の立て看板はあるのですが、汚くてお見せできる代物ではありません・・・。人があまり来ない場所なので見捨てられてるんでしょうかね・・・。
キリンビールの広大な跡地に建ったのが、この二社。
工場の一般見学とかはできないみたいなので、外観写真のみです。
→過去の写真はありし日のキリンビールとして残してあります。
写真は、NHKのドラマ『チョコレート革命(98年6〜8月)』の撮影現場。下の写真は撮影前のひとときでスタッフしかいませんが、この日の撮影には葉月里緒菜が来てました。「写真撮影はご遠慮願います」と言われてしまったので写真はありませんが・・・。
この建物ですが、今では建て直され、普通の家になっています。
探しても無駄です。ごめんなさい。