読みでのあるお話が色々詰まった、面白い話でしたが、「ここにはSFの全てがある!」ってな風には思えませんでした。
色々入っているけれど、樹脂で出来た料理サンプルのような、まがい物感がしたのです。でもまぁ、まがい物でも良いんです。出来が良ければ、私は何だって評価します。そして、出来は良かったんです。
懐かしさと新しさの入り混じった未来描写は、サイバーパンクについて来れなかった人たちにもジャストフィット。グランドホテル形式は、小出しにした情報で読者をおいしく焦らします。
個人的にはおいしい所はありませんでした。未踏の地はどこにもなく、先達の旧跡を辿る、パックツアーのような作品です。
但し、素晴らしい力技であることには間違いは無く、そういう力技そのものを評価する人は、高く評価するでしょう。お勧めできます。
私はSFのコアは”影響力”だと思っています。読み手に及ぼす作用。読み手の観念体系を揺るがし、破壊する、精密で強力なチカラ。
ここには、それがあります。だから、今、読むべきです。恐れぬならば。
物語の主人公、視点は科学者やヒーローではなく、ごく普通の立場に近く、しかし、異様な状況を試されます。それは慎重に吟味された、理詰めで構成された、思弁の法廷です。
どの短編も抜群です。私個人のお気に入りは「繭」や「放浪者の軌道」です。さりげなくも問い掛けるものが重く、そして簡潔ですばやく。「放浪者の軌道」での、ストレンジアトラクタの使い方など、素晴らしいのひとことです。
これまで考えたことも無かったことを考えさせる。未知の地平で、読者の主観に選択を強要する。これはある意味「ハイペリオン」の対極にあり、そして私は、イーガンを徹底的に支持します。
多分、ここ10年で、最も読む価値のある作家の短編集です。
今やクラークと言ったら地雷の代名詞なのに、何故買ってしまったのでしょう。
バクスターに賭けたんです。久々のバクスター。クラークとバクスターという、イギリス系組み合わせにもちょっと興味はありました。でも、判っていた筈なんです。
内容はというと、ワームホール技術が、物語的に破綻をきたさない程度に、ステープルドンチックに生ぬるく発展する過程を描いたもので、つまり、バクスターにティテールを飾ってもらった、クラークの妄想です。
例えば、ちょっと細部にケチを付けてみましょう。多少ネタバレします。
過去視はできても過去に情報を送れない、というのは、この状況では、よく考えてみれば、過去の時空に、黒い玉が見える状況、平坦な時空に異物のように転がる、大きなブラックホールがあることを意味します。情報を出せないのなら、それは明らかに、事象の地平面ですから。そしてそれはつまり”未来”へのエネルギーの流れがある訳です。
著名な事件の周囲には黒いものが密集し、付近の気温は下がっていくでしょう。
きっちり考察していないのです。多分、元は”過去視技術ができたら”というワンアイディア物だったのでしょう。しかし、生活描写も、生活の変化の描写も生ぬるく、大体、もちっと感情移入できそうな登場人物を用意すべきだったんです。
時間モノは、オーソドックスな物語構造が破綻して初めて面白くなるタイプのジャンルだと思うのですが、元の物語構造そのものがフニャフニャとあやしいのです。
上下巻組のスカ、というのはやはりキツイです。読者を追い詰める勇気の無い、ヘッポコでした。
"ハッカー"SFの短編アンソロジーだそうで。
世間ではやっぱりハッカー=クラッカーなので、それ系がメインに据えられており、真にハックといえる作品はごく少数、「われらが神経チェルノブイリ」「マシン・セックス[序論]」、この位でしょうか。
しかし、ある種のSFは、それ自体がハックでもあります。圧倒的な先駆者ギブスンの「クローム襲撃」、タイトなアセンブラコードのようなスワンウィックの「ドッグファイト」、そして無茶なセンスとテンションのスティヴンスン「スピュー」。
大概が読んだことのある作品で、ハズレが多いのですが、「スピュー」載ったから、ワイアード日本版ステて良いかな、とも思いました。あの雑誌は今や恥ずかしい厨房の記憶みたいなものですから。
「われらが神経チェルノブイリ」と「スピュー」読んだことが無いのなら、買いです。
近年のコンピュータ周辺/業界本としては出色の本です。読んで非常に面白く、和製のソフトウェアプロジェクト文献としては、恐らく初めて評価できるものでしょう。
構成に多少の気負いや内容の反復が見られますが、良く書かれており、目玉である”企画書の書き方”も、他業種では役立てようも無いものですが、その考え方は新鮮に感じられるでしょう。
ソフトウェアプロジェクトの大半は、開始時点で失敗する、というのは以前にも書いた気がしますが、プロジェクトの始点である企画書、そして失敗例に関する多彩な内容は、一読に値します。
…しかし、フローチャートなんて久しぶりに見ました。いや、半年ぐらい前に抹殺した仕様書モドキの中にもあったような気もしますが、葬っちまったので問題は無いのです。しかし、ゲーム業界も一応ソフトウェア業界なんでしょ? 何故?
CASEツールやテストツールの話題は全く無く、テストに関する配慮ナシで企画なんてやって良いのか? 例えばネットゲームはデバッガで追えない内部状態で一杯なのに…等とも思うのですが、こういうリスクの読み方は内容には含まれません。
開始時点で失敗した、最悪のデスマーチの例で一杯の本書は、色々と寒くなれる内容で一杯ですが、恐らく成功したゲーム開発プロジェクトでも、と、そう深読みすると、もっと寒くなれるかもしれません。
あまりに有名な本ですが、上述本の内容に関連して紹介します。
ソフトウェア開発、そのプロジェクト的側面に絞って書かれた、古いけれども今でも通用する本です。当然、必読です。
プロジェクト企画と管理、分野は違えど、書かれていることは実は一緒、失敗についてです。失敗とはどういう状態なのか。どうして失敗するのか。失敗しないためにはどうすべきか。
問題解決の手法を、我々はもっとよく学び、実践すべきです。
しかし、もし銀の弾丸があるのなら…
今ウワサの、”エクストリームプログラミング”(XP)が取り上げられています。エクストリームと聞いて葵ちゃん、ときてしまった御仁もいるでしょうし、古参のSFファンなら”X.Pで幸福を!”なる題名を連想するかもしれません。私は勿論前者。若いっスから。
…そこっ、笑うなぁ!
XPは、次世代のソフトウェア開発手法とも呼ばれており、極端とも思える手法の採用を呼びかけています。顧客とプログラマがテストとコーディングを、その開発期間中連続して行なっていくこと、機能追加は本当に必要になった時点で行なうこと、二人のプログラマが一台のパソコンを共有してコーディングすること、設計変更を恐れないこと。
仕様書ではなく、顧客を設計の場に連れてきてその場で決定してゆく。それは理想であって現実ではない、という方も多いでしょう。しかし、仕様書で意思疎通に大きなインターバルを置き、仕様変更を繰り返して、今どのような仕様に従うべきかわからなくなる混乱に陥るより、緊密な連絡を短時間維持して、早期にシステムを完成させるほうが、生産的でしょう。
問題解決の手法、イコール、人間関係、イコール、政治。
ある程度のプロジェクトに関わったプログラマなら、なんとなく上記の図式が実感できるのではないでしょうか。
工学と政治が融合する、人間関係を設計し、実装する、その恐るべき可能性に惹かれます。ネットワークとは何なのか、政治とは何なのか、ビットとプロトコル、インとアウトに絞れば、見えてくるものがある筈です。
そして、問題解決の手法こそ、真に学ぶべき価値のある思想です。大体考えてみれば、生産的価値の無い思想には、飾り以上の価値は無いのです。
多分、そう、私は思います。誰にも気づかれず、今、偉大な哲学の時代の幕が開けたのだと。
紹介されていた、フリーのXMLサーバBXSに興味があったのでチェックです。
BXSはJava2で書かれた、いわゆるサーブレットです。Webサーバとして動作し、XMLドキュメントにXSLスタイルシートを適用し、アクセスに対して動的にドキュメントを生成します。例えばHTMLやPDFを。
最近思うのですが、出力用だと割りきってしまえば、タグ使用が一貫していれば、HTMLでレイアウトに凝ったり表現に凝ったりしても良いのではないか、そう思うのです。特に、クライアント情報に従って動的に、XMLから生成するスタイルなら、万全ではないかと。XHTML程度では、自前のドキュメント全てに、有効なマークアップを施すことはできません。単純でも自前で仕様を作り、そのXMLドキュメントから変換するほうが良いでしょう。
とにかく、非常に興味深いです。Javaアプリケーションなので、プラットフォームを選びませんし、是非とも色々試してみてください。
特集は未来予想。50年後を予想します。
…そうか、次のマイルストーンは2050年、なのですね。人類の、次の到達検証点。我々人類はオープンソース・プロジェクトのように、目標と評価、検証のシステムを持つべきなのでしょう。
…と話を大きくしたところで、本題に戻れば、特集の内容は、なきに等しい、と私は評価します。専門バカの専門領域の狭さは、時間軸に対しても同様に存在するのかもしれません。SFというより堺屋太一、いやそれ以下かも。
真の読みどころは、「プログラム自動改良のための定理証明器」つまり、平易に書かれたプログラムを、”真のプログラマー”顔負けのものにする、いわば、ソースコード=ソースコード変換器です。
無駄なループ、条件分岐を削り、シンプルな、真の内部論理を導く、こういうプロセスは電子屋なら論理回路設計でお馴染みのものですが、更に、予測、推論によって論理を証明しうる定理証明器により、実用的な時間内で行なうというのは、素晴らしいです。
可能性は眩暈がするほど広く、多分地道な進歩が必要なのでしょうが、将来を期待せずにはおれません。
新連載はスクリプト言語について。今回は座談会ですが、中身はありません。
将来のスクリプト言語については、考えていることが少しだけあります。自分のやりたいことを、平易に表現しさえすれば、コンピュータが、実現に向けて努力するような、そういう記述=命令形式は実現しないものか。
最終目標をコンピュータが理解可能な形で与え、トップダウンで、実現への詳細を、コンピュータがユーザに問い合わせながら構成する。仕様から決定される、バグ無きプログラムを、極めて易しく作るシステム。
仕様書=スクリプトを、対話的に導出するシステムです。こんな夢想も、多分…
特集はBSDの組み込み。流石、この雑誌の記事は詳細かつ的確です。
NetBSD/sh3はひとつのキーアーキテクチャなのかもしれません。ROMブートし、IPv6をサポートする安価で低消費電力のフリーアーキテクチャの普及は、組み込みの世界をやがて変えてしまうでしょう。次世代家電I/Oは、USBでもIEEE1394でもなく、Erthernetでしょう。
組み込みなんて興味無し、という人には、MacOS Xの紹介。だってホラ、Machだし、つまりBSDだから。しかしなんと豪勢かつ無駄使いなGUIなのでしょうか。ウィンドウは全てアルファチャンネルを持ち、つまり半透明や縁がとろけたようなウィンドウが可能。アイコンは自由なサイズに変更可能。そして、ディスプレイPDF!ディスプレイポストスクリプトの延長線上に、確実な立脚点を見出しています。滅茶苦茶重いインタフェイスですが、このゴージャスさは10年持つかも、しれません。
個人的にはウィンドウインタフェイスには色々と意見を持つ私ですが、Macというブランドの進行方向として、まぁ良いのではないかと思います。魅力的です。
今回の焼肉は、懐かしい本の話が中心。「プロフェショナルUNIX」は私も読みました。以前仕事でテレタイプからvi使う羽目になったときに。まぁ、最初は「たのしいUNIX」だったのですが。「awk256倍」もなつかしー。「interface誌は目の付け所が早すぎる」とか「IPv6が森首相の口から出てすごく不吉」とか、ツボな発言も多く、楽しめました。
メモリの耐放射線対策や画像圧縮などで、ずいぶんとお世話になったinterface誌の連載をまとめたものです。誤り訂正や暗号、信号解析といった、現代の中枢技術の根底にある数学について、結構わかりやすくまとめています。
こういった技術に関する書籍は案外と少なく、仕事で必要になった時には、少ない書籍の、わかりにくい記述に多いに悩んだものです。
こういった数学は、もっと興味が持たれて良い分野です。テクノロジーの基礎として、重要視されなくてはならないのです。例えばデータ圧縮は結構文献が多いのですが、それらが数学からの理解を与えてくれるかと言うと疑問です。
なんというか、日本の文化全体にある、理屈を軽視する風潮はどうにかならないものでしょうか。理屈っぽいのを嫌う前に、理屈をわかっていない奴が偉い口を叩くのは、どんな分野でもおかしいのです。
読んで楽しいかは問題ではありません。どうしても私はこの本をお薦めしたい。文系の人も買って読んで頭を悩ますべきです。勿論、事前に最低限の知識が必要となりますから、高校の数学の教科書でもひっくり返してきて復習してください。
ま、最初の1ページで挫折しても、ほかの人への知識的なブラフとして、強力に働いてくれますから。ページを開いてその辺に置いておけば、簡単に場の人々を威圧できるでしょう。
特集は「OPINIONS 2001」様々な著名”デザイナー”の、さまざまな声です。
宮元茂や押井守のような、センスのよい人選が光ります。読んだ人は、きっと何かを得ることができるでしょう。
…うわ、CD-ROMなんて付いてるよ。
えーと、なんですな、ホラ、他の新紀元社の本と同じ、資料ッスよ資料。
非常に勉強になる本です。しかし、その勉強が生かされるかは疑問、というか断定しても良い気が。しかし、はへー。
21世紀最初の瞬間に、友人から贈られたのが、このコロコロコミックス単行本全七巻でした。おかげで正月は、秋葉をヨーヨー探して歩き回る羽目に。
「ほら、ヨーヨー、あるぞ」
「…駄目だ」
「はぇ?」
「俺の探しているヨーヨーは、持った瞬間、”こっこれは!”って感じで、ゾクゾクしたり、”とんでもないものを創りだしてしまった!”って感じだったり、中にナゾの回路が入っていたり、”超フライホィール効果”があったりしないと、駄目なんだぁ!!」
「…あうぅ」
文字通り、子供騙し目的の、バンダイ・ハイパーヨーヨー売らんがな漫画で、ライバルや悪の科学者や新製品がてんこ盛りのオーソドックスな漫画なのですが、それがなにか、1歩突き抜けた感のある作品です。
運動神経抜群、元気一杯の小学生が主人公。ヨーヨーをばかにしたことから、線の細い2枚目キャラにヨーヨーの凄さを見せつけられ、彼に挑戦すべくヨーヨー使い”スピナー”になってゆきます。
重さ5倍の危険なヨーヨーでの修行、現れる様々なライバル、仮想空間でのヨーヨ勝負、病床の弟を抱える相手との闘い、そしてライバルとの対決は基本技での、怪我をおしてのプレイ。惜しくも主人公は敗れるが…
そして謎のプロジェクトと日本選抜チームの結成。しかし主人公は選考に漏れる。実はコレは、彼に怪我の療養に専念させるための深慮だった。新しいプロトタイプヨーヨーを手にし、日本選抜チームの合宿に参加する。それは南海の孤島のサバイバル。ヨーヨーを駆使して、難関を超えて行くスピナーたち。超伝導磁石浮揚トロッコの危険なヨーヨープレイ、断崖をヨーヨーでよじ登り、その中で彼らは互いに絆を深めてゆく。
最後に待っていたのは、ヨーヨーに内蔵されていたチップを元に、スピナーの個性をプログラミングされたロボット達だった。自分たちのコピーを相手に、少年たちは自己を越えるのだ。
しかし、遂に悪党が本性をあらわす。奴等は、ヨーヨー技術で世界征服を企んでいたのだ…
ヨーヨーで、絵的にどこまで魅せるか、オーソドックスなキャラ造形にヨーヨーをどう絡ませるか、非常によく練られています。
24時間耐久ヨーヨーや、マイクロメータ精度のヨーヨー、ヨーヨーに内蔵された謎のチップ(ちゃんとボタン電池とメモリも基板に乗っかっている)、そしてヨーヨープレイの特性”だけ”から個性をコピーされた、相手そっくりのロボット。最後は”スーパーヒューマノイド”となったかつての仲間との、重力を超越したプレイ。客観的に見て、すげーバカなのですが、そのギャップが素晴らしいです。
惜しいのは、中に出てくるヨーヨー企業の名前が、”ヨーヨーダイン”では無かったことですね。コレやってくれたら、超リスペクトものだったのですが。
とにかく、なんというか、色々とオモシロイです。
こわいところに行ったら、こう思うの。たすけて、ミルク隊。
不随意のジャンプで平行宇宙へと散ってゆく子供たち。そこは、さまざまな生物、知性体の闘争の場だった。
現在生存可能な閉じていない宇宙はおよそ六百。しかし…誰もいなくなり、誰も考えなくなったとき、その宇宙は閉じてしまう。そして、ミルク隊は、子供たちはあまりにも無力だった。
2巻目も圧倒的です。奇怪で印象的なイメージ、覆されてゆく状況、混乱したスケール感を伴った奥行き。平行宇宙の生物相の断片だけでも相当に刺激的です。
勿体無いくらいの展開の早さです。わくわくします。
移ろい、滅び、忘れ去られてゆく人々と歴史。だから、彼女は永遠を求めた。
最後のひとりと、最後のひとりが歩む、それは多分、別れの旅。
幻想と史実の境界の寂しさ。奇妙な諦観の流れる、悲しい筈だが、全て受け入れてしまう、そういう物語です。
やまむらはじめは、圧倒的な構成力を持っているが故に、長編ではその力に振り回されている様に思います。この作品はファンタジーの枠組を使い、割とタイトな構成となったために、成功したのでしょう。
実際、感情移入したばかりの人物が次々と毎回死んでゆくという、イヤな構成で、あのような読感を持たせる、その事実に戦慄します。最終話を読者に受け入れさせるのは、並大抵の筆力では不可能でしょう。
やまむらはじめのファンなら、文句無しにお薦めします。
化け物めッ! 化け物共めッ!
夜の主は殺戮と狂気、熱情と悪夢。狂いそうな夜には銃弾のダンスを。
ひとでなしに、ならないか。そう闇は囁く。だから、恐れなさい。闇を…
圧倒的な、一方的な、無慈悲な殺戮。
通しで読むと、狂気の沙汰としか思えない内容ですね。過剰な悪趣味、それも独特のセンスに沿ったやつと、オタク性が、スタイリッシュというと語弊があるでしょうが、なにか似たものを生み出しています。
何かピンとくるものがある、この感覚。今でもやはり新しいし、好きなのです。
まずは「エクセル・サーガ」、ベター電器とは、なんかえらく具体的、というか、見覚えがある気が。満遊書店新宮店のとなりの店のように見えるのですが、気のせいでせうか。今月は懐かしいノリで、ちょっと嬉しかったり。
「カムナガラ」凝った組み立て方で、短編の時の味のようなものが出ている気がします。主観が一定だったら、もちっと良かったのに、とか思いましたが。
「朝霧の巫女」学園伝奇ラヴコメ…カムナガラとはえらい違いだけど、良い塩梅です。
それはそうと、最後のページ中段、稗田父の蝶ネクタイアップのコマ、一瞬どことなく篠房六郎タッチに見えた私は…
「TRIGUN MAXIMUM」描き込まれた、ちょっと新鮮な気分がした絵でした。シリアスな話が続いた後だと、ちょっと違和感もありますね。
…しかし、我々はこの作品を知っていたから、先日の事件において、”何の影響だって?冗談だろ?”と思った訳ですが、もし、知らなければ、いや、もしかすると、私たちはこれまで幾つの優れた人/ものを、曖昧な合意の元に葬りさっていたのだろうか、そう考えるのです。
「迷彩君」この際だから書いてしまうが、私はこの作品が気持ち悪くて仕方ない。例えば今月のエピソードのような場合、ヤンキーとのインネン勝負になった場合、実際には、果てしなく煩わしいゴタゴタが、私の場合は、連中が就職し、社会のどこかにフェイドアウトしていくまで続くのだ。現実感の無い嘘を書いてはいけない。実際、私も社会の底辺の方にフェイドアウトしかけた経験がある。だから言う。「社会不適合者」などと軽々しく口にするな。”社会”に”適合”するということが、どういうことか、一度は考えろ。
さて、今月の「GEOBREEDERS」、田波くん、マルチバッドエンドな選択肢ばかりと思っていたら、こんな幸せそーなイベントがあるなんて。成沢とデートイベント、らしいです。フラグ立てています。どちくそう。主役二人が揃うと、話が進みそうな気がしますね。
黒猫とマービンの、あの2P、特に、黒猫の口許、うー、イイッス。タキも、まやも、今月は猫達が趣深いですね。
しかし…”化け猫封印用光学式磁界射出装置”とは?光学式で磁界で射出?
赤外でオプチカルな装置だと思うのですが、どー磁界が絡むのやら、果ては射出となると理解の埒外です。
成沢の説明から考えるに、猫たちは赤外変調通信に対してインタフェイス可能で、この装置は”猫プラットフォーム”実行形式のメッセージパケットを送出、リンクを確立して、クラックする、という所、かなぁ…
これを無線でやれば、プロードキャストで一網打尽なのでしょうが、セキュリティホールが無かったのでしょうか。
しかし、MOのマガジンはおバカでイイッス。