違うものの見方。
多様な価値観、可能性の提示、世界の再構築。そんな作品に接する度に、私はこのジャンルを愛していることを、はっきりと思い知る。
しかし、SFの体裁はしていても”SF的なものの見方”という、画一的な視点しかもたない代物が、どれだけ多いことか。それらはいわば、主人公がトレンチコート姿ならばハードボイルト、皮のよろいを着ていればファンタジィだと主張するようなものであり、陽光を浴びるとたちまち酸の臭気を発して溶けてしまうような代物だ。
そして、SFの贋物には、どんなジャンルにも増して、私は我慢ならない。何故なら、SFは定義からして”違うものの見方”を、既にあるものとは違うものを、見せ続けねばならないものだからだ。
XXものの集大成! XXのオマージュ! それらは想像力の無さの告白であり、恥ずべき罪だ。そして断罪は、"ほんもののSF"を読むたびに、これらの頭上になされるだろう。
…上は気にしないで下さい。SFファンが興奮したときに吐くタワゴトです。
こんな作品に接する度に、私はこのジャンルを愛していることを、はっきりと思い知るのです。
収録された短編は大抵、既に発表時に大ハシャギ済みだし、もう時代的に古いものも多いのですが、しかしその思弁は鋭く、いくらでも再読に耐えそうに思えます。
そしてそれは、特に「小さな、小さなジャッカル」のような、時代的に過去に属してしまったような作品を読むとき、それははっきりとします。
我々は、現代すら、いや、ひょっとすると90年代のような過去すら、ちゃんと把握していないのだと。
例えば、ネットワーク技術について、その可能性を掘り下げた作品があっただろうか。携帯の可能性を掘り下げることすらなされず、オープンソースの意味すら把握していない、そんな未来は嘘でしかない。
スターリングは、そんな可能性を全て承知しているように見える、ほぼ唯一の作家です。
「招き猫」は、市場を介さない経済システムの可能性を示唆した、最初の作品でした。今では、フリーウェア/オープンソース哲学の普及により、私などにはごく当然に思える、多少誇張し過ぎだな、と思える程度の作品ですが、読んだときには絵空事にしか思えなかったものです。
「クラゲが飛んだ日」はいかにも楽しげな作品で、この雰囲気を楽しめないようじゃ、この現代と、そして未来は楽しめないでしょう。
チャガヌータ3部作は、必読です。登場人物がまぎれもなく未来人であることに、衝撃を感じてください。トータルでみて、いま最もレベルの高い"未来"がそこにあります。
惜しいのは表紙カバーイラスト。ここは横山宏か沓澤龍一郎じゃないと。紐靴ですよコレ、ナイキなんて見たことも無いのでしょうね。肩提げ鞄も最低。センス無さ過ぎです。
しかし、やはりスターリングはイイッス。
「小さな、小さなジャッカル」何度も読み返しています。どこか魅力的な離れ業。価値観という名のボルツマン・マシンに加える、概念のハンマーの一撃です。
ダルダルです。
粒子加速器で何かステッキーなイベントが…というのはまた時代錯誤な話で、特にアイディアがあるでなし、ディティールもさほどではなし。
当然の話ですが、未来を観測できると、決定論は成り立たなくなります。思考実験で充分なハナシを長編に仕立てた上に、思考実験とすら呼べない代物しか提供しません。
加藤直之のカバーは素晴らしいのですが、中身は…ナシ。
意欲的なアンソロジーの第3巻、ですが、実は私、初めて買いました。
やっぱ古臭いのはいけねぇや。買ったのは、ハーラン・エリスン「『悔い改めよ、ハークレイン!』とチクタクマンはいった」の為です。
そして他も勿論、名作揃いです。間違いなく名作、名を残した、名を残す価値のある作品です。当時の時代感覚におそろしく鋭敏で、先駆であろうとする衝動に満ちていて…
旧ソ連時代からのロシアの宇宙での溶接技術を紹介する、奇特な一冊です。
溶接は学校やバイトで散々やったし、資格も持っているので、するすると読めました。最近ミールなどのロシアハードウェアはちょっと勉強したので、理解が進んでよかったです。逆にいえば、多少の予備知識が必要な本ですね。
軌道上での大型構造物建築の為に、ソヴィエト/ロシアは営々と技術開発を行ってきました。初期のものは情けない結果ばかりでしたが、今では運用まで含めて、実利用レベルにまでそれは達しているようです。
ミールあたりの軌道では、地上では作るのが難しい位の高真空ですが、原子状酸素の影響を無視できない、そんな雰囲気になっています。真空ではアークの生成が難しいため、通常のアーク溶接はできません。高真空では拡散接合が可能ですが、接合の質の管理が問題となります。現在実用化されているのは、電子ビーム溶接です。
光と闇、熱と冷気、極端な環境の中、小さな創意と確認の積み重ねでもたらされた、この成果の生かされる日がくることを、信じたいものです。
ソヴィエトの初期の宇宙開発において指導的立場にあった人物、セルゲイ・パヴロヴィッチ・コロリョフに関する本の中では、噂されることの多いコロリョフの伝記の翻訳がまだ出ていない現状では、最も詳しいものでしょう。
あと1人、フォン・ブラウンに関しても、互いにおよそ半分づつを記述にあてていますが、ま、この人に関しては他にも資料は多いので。
…なるほど、シベリアに七年送られる原因となった告発の主が同僚のグルシコだとすれば、コロリョフのグルシコへの不信もわかる気がします。実際、グルシコのエンジンは要求性能を達成することができないことが多く、ヴォストークではコロリョフは上段エンジンを独力で開発するハメになります。月計画では、グルシコの支援は全くありませんでした。後に、この月計画を”なかったことにした”のはグルシコでした。
コロリョフはシベリアで歯を失い、顎を割られ、ボロボロになって帰ってきて、ほぼすぐに、V-2の復元打上げ作業を通じて、ロケット開発のトップになります。クルト・マグヌスの「ロケット開発収容所」によると、カスプチン・ヤールの最初の打上げのときから、印象的な人物だったようです。
想像力、柔軟さ、バランス感覚、技術者の嗅覚、そして、意思力。たぐいまれなプロジェクトリーダであったことは確かでしょう。星をつくった最初の男。人類を宇宙へと送り出した男。その情熱も悲劇も、人々に記憶されるべきでしょう。
彼は更に遠くへ、月にヒトを送ろうとしました。しかし、フルシチョフの失脚まで足踏みして、手痛いスタートの遅れを取り戻そうとした矢先の1966年に彼は死にます。
それは、ひとつの歴史の区切りだったのです。
試しに読んでみたんです。
…頭痛がしました。見たものの解釈を拒否しようかとも思いました。
凄いです。ヤローの駄目妄想を煮詰めた、先鋭的な記号群が満載です。
十二人の妹と血縁パラメータ? うら若い先生たちがボクのママに? イラストと、取って付けたような物語の内容は、少女というより、何か奇妙に可愛い小動物たちのように見えます。
異常さを憂うのは、もはや間違いです。事実を直視すべきです。人間は、ここまで記号化された対象でもオッケーなのです。
記号として等価に交換可能となった12人の少女。流通し、消費可能な単位。恐らく、相互の演算も可能でしょう。情報幾何のレベルで考えると面白そうです。
例えば、ほぼ同じ規模の萌えを加算しても、萌えは単純に倍加しないことが知られています。萌えを大きくするためには、差分を大きくする(例えば変な語尾の付加)こと、また、単位を増加する(例えば12都市に12人)ことが、操作として現状主流となっているようです。
私は、核よりも、遺伝子操作よりも、血縁パラメータの方が怖いです。神の領域への挑戦としか思えません。
ここにあるのは、もはや癒しでも、補完でもありません。
増強です。
ヒトの精神は今、これまで到達したことの無い領域へと進出しようとしているのです。それがいかにアレな領域でも、それは恐ろしい可能性を秘めているのです。
…しかし、こんなものに人類の革新を感じていいものだろうか…
もう出ないものとばかり思っていたのに。
それが出ると言う事は、当然、以前にも増して奇矯度を増し、大多数読者をおいてきぼりにするディープさを増し、観測不可能な領域へと加速しています。
こんな詳細なXBOXの解説、初めて読みました。Indremaの仕様も。後半になると完全暴走して、WindowsCE系で多用されるRISC CPUの、壮絶な特集が。無意味に詳しいです。フツーの詳細な情報なら、メーカーのサイトでスペックシート落としてくれば良い訳ですから、なんというか。勉強にはすごくなりますが、その勉強が活かせる環境って、そうはありません。
しかし、X68でハードとくりゃ、来栖川電工や自転車創業などが顔を出すものとばかり思っていましたが、どうしたことやら。今号の傾向からすると、モルフィー企画辺りの登場も期待したいところです。
このハードオタの牙城、どこまで先鋭化するのでしょうか…
設計者の末路を案じてしまうような妙な機体ばかり、揃いも揃って視界悪そうなのばかり。グルシコのRD-1エンジンの詳細がわかる写真は収穫でした。
しかし、Mig-Ye-8って、ホントに1962年の機体なのか…
年下から告白された篠奈は、その理由を知って愕然とする。
「メガネっ娘だからっスよ」
それはかける人間の内面の、更なる延長!
柔肌と硬質なフレームの調和による至上の美!
ダテメガネは冒涜、フレームはセルかメタル、色は黒もしくは濃い色調。強気でつり目でショート、スリム体形で胸はナシ。
変態だ! 変態さんだ! …やっぱ変態だよなぁ。
本邦初の本格眼鏡っ娘漫画、遂に単行本化!
我々はこの日をいかほど待ち望んだことか! ブンダバ!
眼鏡っ娘フェチ、メガネスキー共の理論指導書です。その理論は未だに先鋭であり、眼鏡っ娘フェチに多い語りたがり、理屈屋の理論のどれよりも、鋭く完成されているのです。
実際のところ、眼鏡っ娘フェチというのは、他の記号化プロセスとは本質で異質のものであります。例えば、先鋭的な眼鏡っ娘フェチは大抵の場合、”理屈っぽくてひねくれているのが萌えるんです”などとのたまいます。つまり、反記号化の傾向があるのです。
例えば、傾向として(プラスおさげ、おとなしめ)や(プラス童顔、巨乳)というのは、他の記号化プロセスの影響下にあり、純粋なものではありません。
極論を言えば(プラスショート)というのも、純粋なものではありません。私は、(プラス”適当”)つまり、後ろで適当に結わえたり、髪型をあんま気にしていない、そんなのが萌えたり、あぁう駄目だぁ。
本質で違うというのは、基本的にメガネスキーというのは、「オイラはマイノリティだから、おんなじようなマイノリティなら、オイラの事を理解してくれるかも」という都合の良い妄想に基づくからです。基本的に理解を求めていますから、夢想と反記号化の傾向との折り合いを、微妙なところで付けているのが特徴といえます。語りたがりも、この理屈から説明ができるでしょう。
だから…ヘコむ訳ですな。
私自身がメガネスキーであり、その理屈を承知した上で、それが語りたがりの延長であることも承知する、いわば駄目の自己言及にハマっている訳です。
また、”何故メガネスキーなのか”を掘り下げると、自己の人格形成の暗闇に踏み込むことなり、その度に死にたくなります。
「屈折リーベ」だと、文芸部の先輩たちや、”眼鏡じゃない”という理由でふられた唐臼が、いとおしいです。ラブコメなんて、ラブコメなんて、くそ、ねたみそねみが炸裂です。彼等へのシンパシー故に、私は幸せにはなれません。
…でも、もしかすると、この作品が、幸せなハッピーエンドを持つ大甘のラヴコメであることが、救いになるのかもしれません。
でもやっぱ、ラブコメなんてどちくそう。
追記:
こういう説を思いつく。
「自分に相応しい相手として夢想する『理想の眼鏡っ娘』像は、当然の帰結として、その本人の鏡像の性質を持つ」………やー、んな筈があろうか、この説ステ!却下!棄却!
陽炎と麦わら帽子。都会からの転校生は、水辺だとかがやいて見えた。
田舎の高校生のぼくらに吹く夏の風。みずいろの季節。
こういう、田舎エコロジーバンザイな代物、大っ嫌いなんです。
私は根が田舎モノですからハイ。田舎では水といえばアレですよ、昔は水を巡って部落ごとに血みどろの闘争があったものです。夜陰に乗じて上流にある隣村の堰を壊したり、分水盤の配分を巡って、永きに渡って訴訟を続けたり。
田舎の地方史に詳しくなると、歴史が違って見えます。ちなみに、遠縁にあたる、江戸時代の大庄屋、水城久七は堤を築いて近隣の村を水不足から開放したために、水久神と崇められたそうです。今でも堤には石碑があるとか。
ちなみにリンク先の小学校は私の母校です。三年生まで木造だったんです。冷水の分校は入学前に廃止されました。いつまにか家も増え、遠くの丘は宅地に、拡大する福岡都市圏に飲みこまれ、川はコンクリートで護岸され、圃場整備で十三塚は消えましたが、朝早く川に行けば、カワセミの飛ぶのが今でも見られます。
…多分。
…えらく脱線しましたが、しかし、この作品、なんか気に入っているんです。
ひとつは、割と田舎描写が丁寧なこと。もひとつは、等身大の悩みをもった登場人物がいること。二つめはわりとフツーの条件の筈なのですが、大石まさる作品は大甘な代物ばかりですから。
大体、自分のやりたいことが分からない、というのが大体分からないのです。
ココロの中に、レベッカの"MOTOR DRIVE"が鳴り続けていた、何かに駆動され続けたような、そんな青春。
書けばいい。歌えばいい。走ればいい。自分の行為が、選択が正しかったのか、それだけを悩めばいいんです。
…しかし、故郷が恋しくなるようじゃ、トシなのかなぁ。
ヒトが、地球から離れることにはじめて成功して、百年以上が過ぎた頃。
宇宙が、ヒトに優しかった試しなど無かったし、これからもそうだろう。しかしヒトはそこへと踏み出し、やがて居座り、生きてゆく。
英雄の時代は過ぎ、”ぼくら”が宇宙で生きてゆく時代。しかし、宇宙が優しくないのは変わらないのに、ぼくらは英雄じゃない。
でも、生きる。どこまでも行く。
無限の中を。
いい作品です。待ち望んだ単行本第1巻です。
第一話はアタマを抱えてしまう内容でしたが、それ以降、この作品はツッコミよりも見るべき個所のほうが多い、すなわち臨界に達したと思います。
純粋数学というように、純粋目標という言葉があるのなら、宇宙はまさにそれでしょう。宇宙へ行くだけではなく、低軌道から、さらに高く、月へ、惑星へ、星へ。
宇宙はどこまでも広がっています。だから、夜空を見上げるとき、この全てが無限の広がりを持つのだと考えるとき、そして、自分の手を伸ばす、その意思が宇宙を変えると信じられるなら。
だから、この物語は心を打ちます。感動ではなく、意思が響く、迷いと衝動を肯定する、この物語が貴く感じられるのです。
広島県三次の、三月の寒気。朝霧が家並みを覆う。思い出の街。
しかし、少年を待ちうけていたのは仮面の男。少年の血の宿命が怪異を招く。暗き因縁が、まつろわぬ山の民の元へと彼を招く。
闘え、幼馴染の巫女さん三姉妹! 学園、伝奇、そしてラブコメ!
稲生物怪録をベースとしてアレンジし、舞台を現代、背景に山の民を置いて、統一したスタイルで描く意欲作です。
しかもラブコメ。いい感じのこそばさとギャグが良い感じです。巫女さんという美味しいネタを扱いながら、萌え狙いに堕ちる事無く、絵柄と調和した枯れた涼しさが、またこそばくて良い按配です。
三姉妹の名前は三次名産の和菓子に由来するらしいとの事。ディティールも結構凝っている様子です。例えば倉子さんの愛車とか、赤ヘルラーメンとか。
惜しむらくは、架空の皇族と神祇の大きなチカラのような、作品世界を明白に架空の世界としてしまうような大仕掛けを導入してしまった事でしょう。勿体無い。
今月は表紙「ジオブリーダーズ」
背広姿が複数でAKを片手持ちで撃ちまくる、というのは新鮮でイイッス。サスペンダーの眼鏡も、裏切り者の目付きがよろし。
今月は黒猫の姿をたっぷり拝めて幸せです。私はなんとなく、黒猫にコロリョフを連想しちまいます。いや、首の太いところとか渋いオヤジぷりっとか。
ハウンドは狙撃用”光線銃”を導入。しかし、光学機器にロングバレルの意味は無いっす。長くすればF値を大きくできますが、カセグレンにしてコンパクトにまとめたほうが扱いが楽です。それより、口径の方が効いてきます。勿論、最も重要なのは精度です。
しかし、アレって結局通信だと思うのですが、そうなるとビットの波形とか誤り率とかが気になると思うのですが…
神楽はといえば、こいつらも野良猫と変わらない生活で、ある意味象徴的なシーンですね。なんか地元小学生から人権認められていない人いるし…
ああ、高見ちゃんのアゴ載せ、いいなぁ。イモ、いいなぁ。
「エクセル・サーガ」新人さんはエルガーラ…宗像かぁ。次は糸島か前原か。雑餉隈とか井尻でも、いやいっそのこと水城を…とか。
巫女さん漫画「朝霧の巫女」は、実は乱裁道宗、実は3枚目な不幸な同級生、楠木正志登場。良い感じです。最近この手の若めのキレ易そうな目付きがツボっす。悪態がステキ。
「HELLSING」1回に見開き2回ってのは多いです。効果的な分だけ。
「カムナガラ」絵の構図、コマの配置はやっぱ凄いです。しかしゆっくりした話だなぁ。
「ストレンジドーン」結構前に順調に最終回をやったアニメのメディアミックス作品、元が終わったからには、何やらかすだろうかと思っていたら。
美夜川はじめ、流石…というか、無茶だ。
「オタが行く!!」…"すんげぇふしぎ研究会"じゃと?
………うがぁーっ!!そんな読み方は神が許してもオレが許さぁーん!!
SFはSFなのじゃー!ハードSFとサイバーパンクだけがSFなのじゃー!(極論)80年代以前の作品を読むこと超禁止!(無茶)