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April,21,2002

「ダイアモンド・エイジ」
著者:
ニール・スティーヴンスン
出版社:
早川書房
分類:
SF,ハードカバー

ハードカバーは買うまいと思っていたのですが、「エンディミオン」が、なんともなー、という塩梅だったので、買いました。もう、本置く場所無いのに……

感想を、正直に書きます。古いです。もう古いです。まるで「ヴァーチャル・ライト」のように。

「ヴァーチャル・ライト」と「あいどる」を足して、「フューチャーマチック」も足したりして、謎の係数で割り、スティーヴンスン味を足した、そういう感じでございました。


ナノマシンによって生産というシステム全体が様変わりした、最近ありがちな世界設定です。パーツ単体では美味しいアイディアはあるのですが、登場人物の価値観がその世界であるべき態度となっていない、それどころか過去の価値観をテンプレート導入している、という有様で、つまりその世界観からの衝撃は極小です。

コミュニケーションの視点を欠いているから、声優重要、なんて結論にしか達していないのにも泣けてきます。

オモシロ価値観とテクのミックス具合がミソなのでしょうが、正直キませんでした。


多分、他の人の感想は違うと思います。

私の未来観はここ数年で大きく変化しました。政治と経済の、テクノロジーによる大きな変化を、再定義を含まない未来は、もはや私の中には存在しません。


政治は非協力ゲームである。政治は特定のコミュニケーションレイヤーとして定義可能である。非協力ゲームとしてコミュニケーションレイヤに載せた場合、重要なパラメータはパケットの信用度で、ここで政治とセキュリティは実は等価だと結論できる。そんな未来。

問題解決の為のネットワークゲーム、掲示板、チャットが作る場が、旧来の政治システムを圧倒し、取って代わる未来。参加度がゲームバランスとして測られる未来。

問題解決のシステムが、個人的問題から国政までスケーラブルな未来。

互いに違う価値観を相互認証するために、価値観表現の為に拡張された”マーケット”概念を用いる未来。価値観帰属の表現として”マーケット”が用いられる未来。

問題解決が、価値観のすり合わせが、拡張された市場原理によっておこなわれる未来。

新しい価値観へ投資する未来。


もう、自分の頭の中では”新しい未来”、実に良い感じで実装の予感がするので、偉いさんが会議してたり主人公が個人的会見で説得したり抗議行動で行進してたりするSFを見ると、プ、と吹き出してしまいます。

近年のポストサイバーパンク系列作品の中での問題解決が実に冴えないのは、旧来の政治システムを用いない問題解決に自信を持っていないためだと思います。なんか湧いてきた集団意思に敵が圧倒されてあぼーん、というのはショボいにも程があります。

ナノテクの魔法で問題解決、というのも、ハナでせせら笑われて良いと思います。


「ダイアモンド・エイジ」は凡百の作品よりかは出来は良いとは思いますが、ハードカバーを買う意味は無いと思います。

「フリーウェア」
著者:
ルーディ・ラッカー
出版社:
早川書房
分類:
SF,文庫

まず、自意識を獲得した機械たち”バッパー”が月に生まれた。

人類からの隷属を脱した彼らは、大型システムへの隷属の危機からも脱したが、結局人類によって滅ぼされたのだった。同胞を奴隷マシン”アジモフ”として使役し、バッパーの生存を認めない人類に。

しかし、バッパーたちの新ハード、リンプウェアと、人類の兵器、素子カビとが、新たな種族、モールディを創り出した。素子カビによって電子システムの死に絶えた地球-月系に、新たな人類-モールディ共生社会が生まれたのだ。

それから、りんりん。


「ソフトウェア」「ウェットウェア」読んでいない方のためにこれまでのあらましを説明すると、大体こんなものでしたっけ。他にも色々あったのですが、ラリったりアタマ輪切りにされたり空飛んだりとか。

そして今回も中身は同様。ひどく混乱して、脈絡の無い代物です。しかし、断片はイカします。ガムでくっつけた宝石のモザイク。

”BGMには20世紀のクラシックなメタルを”

ただ、ラストはうーん。宣教師殺しといて、それで終わりになるもんかい。アメリカ人ってヤツは全く。

「90年代SF傑作選 上下巻」
出版社:
早川書房
分類:
SF,文庫

基本的にはハズレ。但し、下巻収録の「ルミナス」グレッグ・イーガン だけは必ず読みましょう。激賞します。イーガンの長編並みのネタ炸裂です。ネタが理解できた瞬間の概念ぶちこわしのトリップ感が忘れられない向きは、絶対に読むべし。


しかし、なんというか、1960〜70年代のアンソロジー読んでいる気分でした。最悪な順からリストアップしたい気分。

「わが家のサッカーボール」イアン・R・マクラウド は何故かちょっと良かったかなぁ。あと、お薦めするとすれば「サモリオンとジェリービーンズ」ニール・スティーヴンスン でしょうか。ただ、再読すると、最初に読んだ時から自分の価値観が変化してしまった事を切実に感じました。

提示された新しい価値観への歓びが、もう、ばっさりと存在しません。概念拡張無しの、価値観表現としてのマーケットという背景を背負わない、裸のウェブマネーなんて、あんまりにも90年代的。セットトップボックスなんて、あまりにも95的。そういう点では、「サモリオンとジェリービーンズ」は、間違い無く90年代SFです。


不毛な90年代は終わったと、そう信じさせて欲しい。切実な願いです。

「エンディミオン 上下巻」
著者:
ダン・シモンズ
出版社:
早川書房
分類:
SF,文庫

らんらんらんらん川下りぃー

「月刊ドラゴンマガジン4月号増刊 ファンタジア バトルロイヤル」
出版社:
富士見書房
分類:
SF,雑誌

うーん、冒頭での必要な知識の与え方という点では、小川一水氏の作品は抜群に巧いのだな、と、逆説的に気づかされました。ジャンルの知識を相当に必要とするツカミってのは、いかがなものでしょうか。

自分はこのジャンル、サブジャンルの多数に関して知識を持ち合わせはいますが、暗黙のうちの了解事項というのは、自分と著者のそれの食い違いが存在した場合、それは違和感の原因となりました。

ジャンルに安住した作品というのは、どうしても二次創作的な生温さが漂います。本質的には二次創作ですし、書き手が二次創作であることに自覚的でない場合、イタさすら漂います。

ま、そのイタみは、自覚的な読み手しか感じないモノですから、良いのでしょうが……

しかし何より、上遠野浩平氏がこれほどテクノロジーに暗いとは思っていませんでした。全知的博識を持つとされる登場人物が吐く法螺や、思わずツッコミを入れてしまう真相には、悲しい思いを抱かずにはいられません。

ロケガ短編は、軌道上で衛星製造というアイディアは高評価。テロリストのへっぽこぶりは低評価です。観光客打ち上げでなくドッキングミッションなのだから、打ち上げ前にアレはばれるのでは。あと、ISSのディティールはもちっと欲しかった気が。

「神は日本を憎んでいる」
著者:
ダグラス・クープランド
出版社:
角川書店
分類:
小説,単行本

畜生、ぼくの人生。まずは社会のせい。受験とか、親がショボい事とか。

そして、宗教。日本人の寂しい魂のいきつく場所。

クープランドは割りとファンだったのでチェック。

ネタはオウム。サリン撒いたりします。あとサブカル。

失望しました。なんというか、確かに断片は、ディティールは正しいのだけど、書かれているような文化がメインストリームかというと、それはもう激しく怪しい訳です。

日本はもはや、かつてあれほど画一化していた社会の面影を留めていません。大晦日に紅白なんて年寄りしか見ません。大衆文化と呼べるものが実質消滅し、様々な文化、価値観、マーケットの集合体となりました。

そして私は極めて大きな価値観集合体”オタク”の構成員で、オタク文化に属すものなら大抵のことは知っているけど、他の文化については無知もいいところ。だから、他のカルチャーセグメントに対して偉い口は叩けません。

だけど、客観的な指標として、本屋に並ぶ雑誌の種類をカウントすることをお薦めできると思います。

エロゲ雑誌だけで、大抵の古典的カルチャーセグメントを撃破できるということを、もっと深刻に考えるべきだと思いませんか。だがそれも、コンビニのパチスロ雑誌、改造車雑誌には対抗できない事も。

日本のサブカルは、本質的にあるべきサブカルではありません。社会不適合者のための文化には程遠く、格式高いサブカル道と化しています。大衆とその他という構造は消滅し、サブカルはただのカルチャーセグメントの一つに過ぎなくなりました。


クープランドは日本を格好良く書き過ぎました。こんな太田出版な日本は存在しません。

というか、外見から判断するとこうなるのかなぁ。

「NHKにようこそ!」
著者:
滝本竜彦
出版社:
角川書店
分類:
小説,単行本

では、日本において、社会不適合なヤングメンがジョブチェンジするのは、そう、

ヒッキー!

主人公は、今や時代の寵児、最新のムーブメント、ひきこもりなのです!

……鬱だ。

気になる書評を読んで、しばし探索した後にゲット。

主人公はそれはもう立派なひきこもり。実にダメ。爽やかにイタ過ぎ。

ひきこもって4年目。親の脛をかじるのも限界になって、訪れる変化。宗教奉仕活動してる岬ちゃん、就職率100パーセント以上な、あの学校に通う隣の山崎君。主人公はどうしたことか、タブブラウザを駆使した挙句に立派なひきこもりのロリコンになってしまうし、隣の住人とエロゲー作る羽目になるし、合法ドラッグのバッドトリップでガクガクブルブル、しまいには等身大ルリルリフィギュアも貰ってしまうし……

リアルに痛いっス。しょっぱなから後半まで、ゴロゴロと凄まじい勢いで転がっていきます。


世の中、イタい表現は多く存在するのですが、このイタさは、解釈不要の苦痛、読み手(選ぶのでしょうが)の痛みそのものです。なんのかんの言っても、自分がどノーマルだとは言えない事はよく自覚してますし。

でも、このイタさは、任意ラジオのそれで、オタ的には割りとオッケェ。

あ、あと、岬ちゃん、癒し系エロゲくさっ。


物語的にはヘボですが、一部ディティールのリアルさに関して、描き方に関して、激賞します。ダメオタの自覚があるなら、読みましょう。

「宇宙へのパスポート」
著者:
笹本祐一
出版社:
朝日ソノラマ
分類:
趣味,ノンフィクション

光。轟音。最強の飛翔機械は、メディアの帯域には収まらない。


ロケットの打ち上げ、一度は観たいっス。

直接、この身で。

そう思ったなら、この本は最良のガイドブックとなります。地理、交通、交渉、装備、工学から雑学まで対象に関する知識、そして忠告。著者の興奮、興味が直接伝わってくる内容は読んで面白く、言う事はありません。

言うとすれば、西之表、中種子、南種子ら市町村、及び鹿児島県はこの本を、観光客や来島が期待できるターゲットに適価で販売することを積極的に行なうべきであろう、という事ぐらいでしょうか。無償配布しても良いでしょう。

あと、リレーがなんなのか判らないような報道関係者は絶対読め。

「メタマジック・ゲーム」
著者:
D.R.ホフスタッター
出版社:
白揚社
分類:
科学,ハードカバー

筑波の古本屋が数軒固まった界隈も、最近ではめっきり寂しくなり、棚の向こうから聞こえる店主と常連の会話も寂しい話ばかりです。

そんな訳で、常々欲しいとは思っていたものの優先順位でヘネシー&パターソンあたりに負け続けていた本書を、その古本屋でGET。


本書はサイエンティフィック・アメリカン誌連載の内容を元にしたもので、装丁など前著「ゲーデル・エッシャー・バッハ」に類似していますが、構成は大きく違います。というか、凝っていません。内容はずっとストレートで、連載時の内容を並び替えて増補を施したモノと言って良いでしょう。

サイエンティフィック・アメリカン誌連載というと、前担当者のマーティン・ガードナーや、次の担当者のデュードニーと比べてしまいますが、内容は思弁寄りにちょっと偏っています。本書の内容そのものは非常に刺激的で、読む価値は非常に高いと思います。

ただ、21世紀の視点でみると、古さを感じる部分も多いです。特に13章で論じている、あるフォントを表現するのに、基礎となるフォントのパラメータを弄るだけで可能であるか、というトピックで、ホフスタッターはそれは出来ない、そういうパラメータ操作の外側の、芸術的なひねりが必要であると結論していますが、自分のパソコンに様々なフォントが、有限のビット表現で収まっているのを見るだけで、その主張の虚しさが感じられます。というか、クヌースの揚げ足とって威張るな。


1983年と2002年の断絶を考える時、例えばうずらが他の人工無能とどう違うのか、考えてみるべきでしょう。

10億以上の命令を毎秒こなす機械にとって、例えばリアルタイムでの現実的な形態素解析はもはや厳しい負荷では無いし、ストレージの規模と速度は、限定的でも世界表現が可能なフレームを構築できる筈です。

そろそろ、多少は意味を理解するソフトウェアが出てきて欲しいものです。機械翻訳で意味の理解が多少でもサポートされるなら、数ギガバイトくらいハードディスク食っても構いません。出ろー。

「現代経済学」
著者:
小島照男,小沢健市,小林保美
出版社:
文化書房博文社
分類:
科学,ハードカバー

政治の次は経済。サイエンス・フィクションの新しい沃野だと、私は信じています。

何と言ってもこの分野、時代への非適合性が甚だしく、ソフトウェア工学の道具で切り刻んで、用語を再定義してやるだけで、新しい視野がどんどん開けます。

とにかく、生産者が需要に対して何を行なうか、オタクマーケットを一瞥するだけで、”利潤最大化の理論”を取るバカなんていやしないことを悟ることが出来る現在、フリーソフトウェアという生産を、権利商売をどう考えていくか、経済学には面白い穴が一杯あるのです。

ナノマシンによる生産を考える前に、もう既に妙な具合になっているモノについて、ちょっと考えてみませんか?

まず、”経済人”という概念を真っ向否定します。詳しくは下の日経サイエンス2002年4月号を参照されたし。簡単に言えば、自己価値を最大化しようとする”新経済人”を仮定するのです。

ものの価値は、当人の価値観が決める。その単純な理屈から、価値観表現の集合体として”市場”を再定義します。取引の場、という定義を捨て、”新経済人”ひとりひとりが持ち、また所属する社会によって階層的に構成される、価値観表現テーブルとして見ていきます。要するに、手続きからデータに視野を移すのです。

”需要と供給”の例のアレも、そういう見地から見方を変えます。価格を動かすのは、現実の取引ではなく、価値観のやりとり、コミュニケーションです。例えば、政治家の人気の変動は、マイナス情報伝播による、国民と言うマーケットでの価値観変化と捉えることができます。需要と供給という視点では、こういう拡張のしかたはできません。


オタク市場がパレート最適からどれほど程遠いか、フリーソフトに対する需要顕示がいかに顕著か、マクロ経済学がどれほど砂上の楼閣か、そういう点を考える上で、この邪悪な経済学入門に関して、本書は非常に助けになりました。

古本屋で1冊、大学教養過程のちょろっとしたテキストを買って、ツッコミ入れながら読むことを強くお薦めします。

「日経サイエンス 2002年4月号」
出版社:
日経サイエンス社
分類:
科学,雑誌

ここまで読まれた方は薄々感づかれているやも知れませんが、最近の私のキーワードは”価値観”です。価値観という概念を大胆に拡張し、特に、ミクロ経済学的な分野に導入しています。

今月の特集「フェアプレーの経済学」は、そういう意味で、強く我が意を得た内容でした。最近経済の本いくつか読んでみて、なんというか、数学と妄想のアクロバチックな結合、という感を強く持ったのです。大体その”理論”誰か追試したのかよ。

ということで、進化経済学なんてもの麗々しく持ち出す前に、もちょっと視野を広く持てと、私は主張します。


私は、市場というモノを、共通の価値観でセグメント分けされた、共通価値観、ものさしであるとみなします。価値観を同じくする集団内でのみ市場は意味を持ち、そこで値段付けされたものは、お金という単位を介して、相互に交換可能になります。

かつては、経済は大衆というマーケットカテゴリのみを考慮の対象としていれば良かった訳です。大衆というのは、これまでの経済学が暗黙のうちに仮定していた価値観を行動規範としていました。

オタクマーケットが不況に強いのは当然です。オタクは一般人の価値観を共有していません。オタクの価値観がオタクマーケットを定義しています。一般人にとって無価値な品が意味不明のルールに従って流通する世界です。しかし、オタクの価値観がマーケットを機能させています。

コミケが、大衆的なマーケットのように振舞わないのは当然でしょう。オタクの価値観が動かしているのですから。ま、転売とか、一部振舞うようですけど。


私の経済というものの捉え方は包括的で、コストという言葉の適用対象全体が相手です。

行動は、価値観という関数にコストという変数を与えることで決定される。この単純な捉え方で、経済を捉え直すことで広がる視野は刺激的です。このちょっとした思考実験を皆さんにお勧めしたいと思います。


他の記事では「ゲノム研究で加速する抗ウイルス薬開発」は、こんな薬品が作られているというさらっとした紹介で読み甲斐ナシ。「三次元に飛躍する半導体多層チップ」は将来性のあまり期待できない技術です。

「動き出した次世代原子炉計画」ペブルベッドやナトリウム冷却炉の話題で、現政権の意向を強く反映したものといえるでしょう。小型安全炉の話題はナシ。廃棄手法の話題もナシ。駄目です。

「H8ビギナーズガイド」
著者:
白土義男
出版社:
東京電機大学出版局
分類:
技術,単行本

さて、一連のような経済についてのタワゴトが美味しくなるのは、工学に適用してみてからです。ロボットに適用するのです。

価値観というのは、行動判断の基準として通常用いられます。ロボットの行動を決めるのに、ロボットの価値観に従わせる、そのためにロボットの価値観を設計するのです。

ま、評価関数というのを、価値観と言い換えただけですが、価値観を市場として定義したおかげで、価値観テーブルの操作を、擬似通貨を使い、自己価値を最大にするよう振舞わせる、という、シンプルな行動基準が採用できます。

価値観テーブルはシンプルに、行動、情報に対して値段を振っていくものとして機能します。価値観テーブルを評価によって修正することで、より高度な振るまいが可能となりますが、大抵の用途では価値観は固定で設計できるでしょう。

例えば、メイドロボを設計するなら、ロボは人間に奉仕することに高い価値を置き、同時に、人間に誉められることに高い価値を置くようにします。奉仕とその代償が等価で交換されるのが基本ですが、自己の空き時間や能力と言った可処分資源、自己価値を投資して奉仕し、将来誉められて、投資分を取り戻した上に、他人が自己を評価したときの想像しうる価値を高めようとするでしょう。

掃除ロボットならば、部屋を綺麗に保つ価値と、ロボットの能力投入のコストのバランスを適切に設計することによって、経済的な掃除が可能となるでしょう。


……とまぁ、こんなタワゴトを大真面目に論じられるのが、SFのいい所です。


この本は、ロボットやろうというアマチュアが一度は手を出すハードウェア、日立製H-8マイクロプロセッサの入門的書籍です。

MMUは持たないものの十分なメモリ空間と演算能力と命令群を持ち、ROMやA/DコンバータやUARTなどをパッケージに内蔵し、ごくシンプルなハードウェア構成でコンピュータを構成できるH-8は、自作ハードウェアに演算能力を付加する良い方法となります。

内容は、Z80辺りを触ったことがある人間には全く問題無い内容です。これが初めてのマイコンというヒトは、最初のアーキテクチャ説明はとりあえず飛ばして、実習から入ってみることをお薦めします。最初の説明、非常に判りやすく丁寧なのですが、なにぶん機能が多すぎて、少々駆け足になっています。


私は、ロボットにはプログラマブルな多入力割りこみや多入力A/D変換、多入力パルスカウンタ、多出力PWMなどを受け持つ、チップセットが必要だと思っています。CPUに集積するのは小規模なものには向いていますが、関節自由度が30もあるような代物には使えません。

DOS/Vアーキテクチャ弄って、バス転送速度より割り込みとタイマとタイミングを重視する、ロボット向きのアーキテクチャを作るべきでしょう。

でも、今回これを買ったのは、秋月製LANキットの為だったり。技術屋のオモチャとして推奨できそうです。

「プロフェショナル シェルプログラミング」
著者:
砂原秀樹,石井秀治,植原啓介,林周志
出版社:
アスキー出版局
分類:
技術,単行本

Unix系OSを使うためには、シェルの知識が不可欠です。最近はいきなり今時のディストリビューションを突っ込んでXとGNOMEでWindows気分、sawfishのカスタマイズやってご満悦という向きが増えて、どうしたもんかねぇ、等と年寄りを気取っていたのですが、自分だってシェルの利点を全く生かしていないと、最近気づきました。

要するに、シェルスクリプトです。cronとかでちょいと小粋な運用をしようと思ったら、避けては通れません。

難しいか、と問われれば、易しい方だと思います。でも自由度、機能有り過ぎ。

初心者は読む必要は無いと思いますが、シェルスプリプトに手を出さないうちは、Unixのユーザインタフェイスについて大きな誤解をしているのだと、知ってほしいと思います。

ツーと言ったときに即座にカーと返す、それだけがユーザインタフェイスでは無いのです。

「LINUXデバイスドライバ」
著者:
Alessandro Rubini
出版社:
オライリージャパン
分類:
技術,単行本

仕事で自作のATバスボードでうんたら、WindowsがヘタレだからLinuxでどっこい、という訳で、SoftowareDesign誌の別冊「すみからすみまでLINUX テクニカル編」とか参考にして、Linuxのデバドラなど作っていたのですが、トラブルをきっかけにもっと勉強しようと思った訳です。

前述のムックは、所詮第二特集、デバイス番号って何?自作デバドラを自動モジュール組み込みするには?printk()使用の際の注意点は?等々、すぐに疑問符が増殖するような内容でした。

これら疑問は、本書での系統立てた説明で全てあかされます。

また、組込屋として、興味もありました。デバドラはどう作るべきなのか。力業しか知らないし、非キャラクタ型デバイスについても知りたいし。

現在のところさっくり読んだだけですが、非常に良い内容だと思います。ちゃんとしたデバドラを作ろうと思うのなら必読でしょう。OSとハードウェアの知識が多少有ることが望ましいですが、ま、知識の無い人がこの本を手に取るとは思えませんし。

Linuxでハードウェアをコントロールしたい、パソコンでハードウェアを効率的にコントロールしたいと思うのなら、非常に参考になる本です。

「電撃萌王 Volume.01」
出版社:
メディアワークス
分類:
趣味,雑誌

マニア向け漫画誌「電撃大王」の駄目版です。

市場セグメント的にはエンターブレインのマジキュー辺りにぶつけてきたもの、なのですが、流石は駄目界の覇者メディアワークス、マジキューのイタさは感じられません。

これは、市場の見極めの精度が相当に高いことを意味します。電撃大王本誌に見られた、製作側のオタク意識の高さ(……)は評価できます。

しかし、

萌え、その一言で全てを許容し、全てを論じ、全てであると断じるのは、間違いではないのか、いや、それ以前に、萌えという確固たる評価軸が存在すると言うのは、幻想ではないのか。そう、強い疑問を持ちました。

”萌え”の発見というのは、恐らく、日本人の精神史において、詫び寂びの境地の発見と比較して論じる意味のある、大きな出来事だったのだと思います。

しかし、萌え、という言葉はあまりにも便利過ぎました。我々はその境地の繊細さについて語ることをせず、曖昧にその規模と、”属性”について語るのみ、なのです。

属性に付いて語るものは、差異には敏感であるものの、その境地について語り得ていません。ゴロゴロしたりハァハァしたりするだけです。

もし、その境地を大切だと感じるのなら、語らなければなりません。


こんなことを考え出したきっかけは、”眼鏡っこ萌えって、他の属性萌えと性質を異にするのではなかろうか”という思いつきからでした。

あえて語るならば、眼鏡っこ萌えというのは、性的興奮の境地から二歩ほど引いた、不幸な少女/少年時代や、要領の悪さや、尊重したいプライドや、その他あらゆる事柄について、助けてやりたい、応援してやりたい、抱きしめて頭をなでてやりたい、そんな気持ちではないかと思うのです。

果たしてかような情動が、猫耳が付いたりメイドさんだったりすることでも誘起され得るでしょうか。

そういう意味で、セグメントとスケールを追求すれば到達する当然の帰結、「萌王」の、幼女の下着姿オンパレードに、読者が我に帰ることを望みます。みんな、こんなものを求めていたのですか?

「イエスタデイをうたって #3」
著者:
冬目景
出版社:
集英社
分類:
漫画,単行本

いつまでもそのままじゃ駄目だろ、とか、残された時間は無いぞ、とか、色々言われる。やりたい事がきわめて曖昧な俺は言い返せない。残るのは焦りだけ。

判っているんだ。

「でもさぁ……

目的のはっきりしてる人には何も言えなくなっちゃうよね」

俺の横を、青春が駆け抜けていく。

人生は、やらねばならないこと、で出来ている。そう私は思う。

やりたい事がわからない、だとか、やりたい事はできないとわかっている、だとか、そういうセリフを聞くたびに、私は”じゃあ生きるな”と言いそうになるのを抑えて、実につまんない助言をするようにしました。

一度、失敗しろ。絶望しろ。そうすれば、どうしたいのか、嫌でもわかる、と。


時計の針が動く限り、時間はあるのです。


でも、本当に自分のやるべきことが判ったならば、多分主人公は別人のようになるでしょう。少女ハルが好意を寄せていた理由、何も背負うものの無い優しいプータローは存在しなくなるのです。

多分そんな物語、です。

「ソコツネ・ポルカ」
著者:
わかつきめぐみ
出版社:
白泉社
分類:
漫画,単行本

かつてそこには、ちいさな泉があったと云う。祠もあったと云う。おはぎの好きな土地神さまが居たと云う。

すぐそばの、懐かしい聖域。ちいさな、いとおしい伝承。

いつものわかつきめぐみ、綺麗な細い線と、ジジババ趣味な地味なネタ、悟ったようなきれいな物語です。

わかつきファンならお薦め、昔の随筆のような淡白な内容がオッケエならお薦め、土地や歴史に根付いた小さなお話の美しさを知っているならお薦めします。

実家のほうの郷土史は相当詳しいけど、筑波のそれは全然だから、近所だけでも調べてみようか、そう思います。でも、郷土史って、本気でやると、汚い部分がたんまり出てくるかならなぁ……

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