19世紀初頭の戦争に関する論議一切を詰め込んだ本です。分厚く、内容はくどいほどに網羅的で、読んでいて何度と無く眠気に襲われました。内容を把握するためにはノートでも取るべきかもしれません。私は何度となくバックトラックして記述を確かめました。
有名な本です。記述の相当箇所が今や時代遅れですが、読むべきところはありました。
戦争の本質は暴力、対象者の意志を無視した力の行使です。そして暴力は、テクノロジーによって拳骨よりも効果的になります。従って、戦争のパラメータの第二、意志に次ぐ位置にテクノロジーは存在します。
テクノロジーの変化により、まず用兵区分全般が変化しました。情報収集手段の変化によって前線の意味合いが変化し、拠点防衛の意味も今では違います。要塞ももはや有効ではありませんし、占領地からの徴発の優位性も有りません。主力戦闘力の壊滅は戦争勝利の絶対条件ではなくなりました。戦争指導機構を直接精密誘導スタンドオフ兵器で潰すような戦争が最近の流行りです。
しかし、本書の多くの記述、特に強く主張される”戦争とは他の手段をもってする政治の継続である”は今日においても真であります。
政治、つまり問題解決の為のコミュニケーションが、多くの場合対話のみでの解決に到らないことは意外では無いでしょう。
これら多くは法の裁定、ローカルルールの適用、問題の棚上げという手段で一応の解決がなされます。暴力に訴えることは無いとは言わないものの例外的だと言っていいでしょう。暴力の行使には別に法の裁定が下されることが多いのも理由の一つでしょう。
しかし問題は、国家間の政治です。国連はローカルルールにすら成り得ませんでした。国際法は無視され、正義はでまかせの一種にまで成り下がりました。
強国は、対話不足を他の手段を持ってして補うことが可能なのです。つまるところ、戦争です。しかし、大抵の国家は強国ではなく、強国と武力で争って自らの主張を通すことは不可能です。
実のところ、我々には対話しか道はありません。
武力行使以前に問題を解決する、もしくは棚上げにするかです。弱者に対しては戦争も有効ですが、ルールを守ることが共通の利益となるシステムを作る上では、それは禁じ手でしょう。国家間のルールを作り、守ることは、近代国家の一貫した目標です。ゲームのルールが作るか細い組織化傾向を守るのです。
非常時を論じる前に、外交の努力と手法、そして何より成果を論じるべきです。戦争が外交の延長なら、外交が戦争の前衛であることもまた真です。我々は有事の前に常時を論じるべきです。そして、あらゆる事態に対して、常時の対応で充分であるように脅威を減じ、対応を講じるという目標を掲げるべきなのです。外交の無策のツケを有事に廻してはなりません。
……脱線しましたが、本書で特に興味を引いた記述がひとつ。
フランス革命が対外的に莫大な影響を及ぼしたのは、明らかに、その用兵が新しい手段によって新しい見解のもとに行われたからというより、むしろ政治技術や行政技術が一変し、政府の性格、国民の状態が変化したからである”
政治技術や行政技術。そう、それはテクノロジーなのです。我々が当然のように享受している技術の運用初期をクラウゼヴィッツは目撃し、明快な結論に達しています。そしてその結論を外挿すれば、より進歩した政治技術はより強力な軍事力を生み出すだろうと予測できます。……林譲治さんが喜びそうな記述だなぁ。
より進歩した政治技術、問題解決手法は、我々が意に反する不合理な状態に陥るのを防ぐ強い力になると、私は信じています。
種子島で買った(その書店、なぜかこれしか無かったんで)はいいものの、その後読む暇を見いだせなくて放置していたモノを、年があけてひと月が経った頃に読みました。
つまり、ヴァレンタイン前。うぐぁあ。
駄目でした。お嬢様学校なんて、ファンタジーよりも遠い、筑後川の向こうよりも遠いです。到底有りそうに思えないんです。なにせ高専出ですから。
歯車と切削油の園で5年も過ごしたんです。どちくせう、何がごきげんよう、だ。
ゴロゴロ萌えて逝く前に、やるせない気分で一杯になったのでした……
スプートニクが打ち上げられる"1年前"にソ連で出版された本を、打ち上げ後1年以内に翻訳して出版したものです。当時の状況がわかる書籍として興味深いものがありました。
打ち上げ前なので、軌道上ハードウェアの話題は殆どないのですが、ロケット技術、静止や太陽同期、惑星間などの様々な軌道の話題、高空大気の話題、発電、居住、打ち上げ手法、再突入などの話題が取り扱われています。現在では大抵記述とは違う手法が採られているのですが、宇宙開発の出発点の現場の考え方というものを知る手掛かりとして貴重だと思います。
そういえば、今日のデブリの話題をするような調子で、隕石による宇宙機の破壊を心配している個所がありました。
ああ、どうしてもそういうものの心配をしちゃうんだな、そう思いました。現場の運用者はちっとも心配していないけど、可能性としてはゼロではないものだから生真面目に「可能性はあります」なんて答えてしまう類の事柄の中でも、エンタテイメント性故に何故か人気のあるデブリの、人気の秘密を見たような気がします。
昔のSF映画では、ゆっくりと飛来する隕石を銀色の宇宙船がひらりひらりとかわすシーンが見せ場として用意されていたものです。要するに宇宙のファンタジーっスね。
正直言って、かなり現実感の無い記述ばかりだと思います。手垢のついた宇宙ホテル、月面のモジューラ工法で作る居住地。保全設計に関する記述は皆無ですし、気液循環や熱制御といった基礎的な部分に関する記述は無きに等しく、代わりにデブリの心配をしています。
生命維持をECLSSのひと言で済ましています。まず電源の心配からすべきでしょう。水の有る環境で電気を使うとどうなるか、与圧構造の温度と結露の可能性、配管一つとっても地上とは大きく違う設計、工学が必要でしょう。
現実的な記述の先には、新しい、現実的な構想があると思います。例えばスペースコロニー。
直径500m、長軸長810m、更に外側に直径1300mのリングを持ち、慣性能率比を1.05にした構造、0.8rpmで回転し火星地表と同程度の擬似重力環境を実現、自転軸は黄道面と垂直で太陽光の入射率と放射率の比を1.3程度とし、外壁に薄いアルミ板、遮蔽用の燒結コンクリート、構造を持つ鉄合金のフレーム、そしてステンレスの与圧壁を持つ、全密閉型の超大型有人スピン衛星を!
……なんてのは一例。実証に基づく知識に欠けるのは仕方がありませんが、現在の状況でも、もっと新しく、現実的な提案が可能だと思うのです。
久しぶりに、本棚の上のオブジェの埃を払いました。
作ったのは18歳の頃、日経サイエンス別冊コンピュータレクリエーション誌内のひとつの表から作りました。
直径20センチの透明アクリル円盤の両面から、透明アクリルの丸棒が長さもまばらに突き出しています。円盤は黄道面、縮尺は14959787000000000分の1、太陽系に近い、近距離の恒星15個の位置を立体的に表したものです。丸棒の先端には蛍光BB弾が接着されていて、夜中、明かりを消して寝床から本棚の上を眺めると、それがぼんやりと光を放つのが見えます。
暗闇の中の蛍光たちは、まるで星に触れることができると錯覚しそうな程、近くに感じられました。手を伸ばせば届くほどに。
近距離の恒星!
宇宙開発の究極の目的は、星々に到達すること、ではないでしょうか。天上の砂粒のような輝きを、この手に掴むこと。
決して惑星や衛星や、軌道上などではありません。目的は星です。「宇宙に行ったら、宇宙から地球が見たい」なんて言う奴は宇宙に行く資格はありません。刺してやりてぇ。
……冗談です。
星までの距離は果てしなく思える程の、呆れる程のものですが、決して無限の彼方にある訳ではありません。有限の、測れる距離にあります。
有限であるなら、到達可能です。本書はその到達可能目標についての、具体的なデータを提供します。しかし、データと言っても位置、固有運動、そして恒星のタイプくらいしかありません。惑星の有無やタイプについての情報は、現在の観測ではまだわかりませんが、遠くない将来には観測が可能になるでしょう。
それまでは、この本を。
近距離惑星系についてはOther Worlds,Distant Sunsのようなサイトがあります。
Windowsマシンを持っているのなら、近距離の恒星を自由にブラウズできる3D Starsなどのソフトがあります。イチオシはHippLinerです。
Windowsマシンじゃ無い人には、自作ですがVRMLで見る近距離の恒星(1.0版/2.0版)もあります。指先に、いかがですか?
私はこのオッサン、大嫌いです。
このオッサンがソユーズで(そう、ソユーズで!)宇宙に行った時には”秋山豊寛をねたむ会”を結成した位です。会員は二名しかいませんでしたが。
今更ですが古本屋のワゴンで入手したので、いちいち癇に障る記述を読んでいきました。考えれば当然なのですが、事実関係の情報は非常に貴重なものがあります。日本語で読める旧ソ連宇宙開発関係の資料としては貴重な1次資料です。
あと、”R-16の爆発事故”らしきものに言及している部分がありました。
これは恐らく宇宙開発史上最悪の事故でしょう。純粋なICBM開発での出来事なので、宇宙開発というと微妙に違うのですが、この時120人以上が死んでいます。
この時の事故のムービーを持っているのですが、これがもう、タイヤが燃えている車両脇の焔の中から燃える何かを数人がかりで運び出す、火だるまの人物が鉄条網を乗り越えようとする所で動かなくなる、といった具合なのです。
宇宙開発に関わるものは皆知っておくべき事故だと思います。安全と打ち上げ信頼性においてこれ以上無い反面教師、馬鹿な軍人に技術屋が迎合するとどうなるかを示す好例だと思いました。
ま、本書ではさらりと死んだ人数書いているだけなのですが。
気になるといえば、帯に”本書は、ワープロで書かれたフロッピーをジャストシステムのSuperDTP「大地」で……”などという、売り文句のつもりの記載があるのですが、ワープロで書かれたフロッピー、かぁ。内容のレベルに微妙に合致しています。
例年よりも遅くなりましたが、出ました。二月のコロンビアの事故が載っています。
こういう細かいところが、毎年発行される本のミソですね。さて、来年のものには、IGSについてどのくらい載っているでしょうか。
筑波宇宙センターの新設されたお土産売店で確保。
最後のNASDA NOTEです。上記のスペース・ガイドの業界向け編集のこの本、来年も同様に出して欲しいモノです。
何故かゲッツ。
本書は、市販車輛を改造するための本です。様々な目的の車両を作る際の様々な注意点、法令や改造手法、安全確保や不具合の事後対策まで網羅した内容となっています。
消防車、教習車、ローリー、車輛運搬車、みな改造車です。福祉用改造や防爆、防弾車といったものも、どう改造するのか解説されています。改造に際しても、突き合わせ溶接や強度計算のような工学の基礎まで解説した、至れり尽くせりの内容です。
改造届け出の書式の解説や認可のプロセスの説明も実に細かいです。
特に興味深かったのは、改造の認可基準、つまり保安、安全の基準です。流石は様々な積み重ねの有る業界だよなぁ、と思ったり。
……しかし本当に何で買ったんだろう自分。改造でもしよか。
歴史上、そして現在において著名なデザイナーの略歴と作品についてコンパクトに紹介している本です。デザイナーとか詳しくないので、アンチョコとして重宝しそうです。重宝するようなシーンがあるかはともかく。
しかし、なしてデザイナーって、椅子ばかり作りたがるかなぁ。車輪の再発明に長けた連中ばかり。世の中のモノには、まともなデザインなど殆ど無いというのに。
コンビニで査収。
タイトルの後ろに”?”を付けるようなBRUTUS誌の悪趣味な編集、そして特集がされていますが、無印良品、好きなんです。
デザインされたアノニマス、これが私の無印良品の印象です。フツーのもののフリをしてそこらの日用品と置換可能な奴。
これが要らない物を作り始めたら、即座に切り捨てます。日用品で無いものは要りません。そうなったら100円ショップの方がまだマシというものです。100円ショップの中から良いデザインのものを探すのは非常に楽しい娯楽なのですから。
でも、無印デザインの製品を待ちわびている分野は存在します。マウスを、USB接続のカードリーダーを、PCケースを作って欲しい。世の中には、まともにデザインされざる代物が山程も存在するのです。
あと、ソフトウェアインタフェイスも。
特集「トーキョー・モビリティ・レポート」回りくどいカタカナですが、要するに都市の移動システムについての記事です。
昔の「ミュー・アルファ」誌にあった特集を思い出しましたが、遥かに及ばない内容です。提案に根拠が無く見た目だけなので、真に可能性を見出すところまで到らないのです。大体、チョイノリを取り上げていないというのはどうなのでしょうか。
自転車を山ほど取り扱うべきだし、都市の移動を変える主役であるGPSなどの位置情報についても触れるべきでしょう。位置情報サービスをサポートしない提案など無意味です。
なんだか「実録 天才プログラマー」的な内容を連想してしまうタイトルですが、本書はソフトウェアデザインに関するコラム集です。コラムは一つ一つが独立で完結した題材とテーマを扱い、しかし本書は全体で極めて多くの要素をカバーするものとなっています。
参考になる内容の多い、お薦めできる1冊です。……中にはMicrosoft Bobを賞賛するようなモノもありますし、もってまわった儀式じみた手法を薦める記事も多く、かつてのアップルの錯誤を思わせる内容にも事欠かないのですが、それでもお薦めします。
何故なら、今日においてもソフトウェア・デザインというものに自覚的でないソフトウェア製作者が大多数であり、間抜けな手順、間抜けなレイアウト、間抜けなプロトコルを要求するものに事欠かないからです。
更に私は、全く別の業界にもこの本を読むように薦めたいと思いました。例えば、宇宙開発。
人工衛星のオペレーションは、白衣の科学者によって行われる神話時代、チョッキを着たフライトディレクターの英雄時代を経て、作業服を着たオペレータが手順書を片手に行なう、退屈なニ交替勤務で行われる時代に到達しました。
衛星のインタフェイスはコマンドとテレメトリ、ようやく固定長から可変長へと進歩しましたが、運用は退屈でしかも錯誤を含みやすく、運用者に多大な負担を強いています。衛星のインタフェイスには、改善の余地が多大に存在するのです。
インタフェイスの改善の果てには、衛星の運用はこれまでと全く違った経験をもたらすようになるでしょう。衛星の能力をインタフェイス方面で湯水のように浪費することで、新しい可能性が広がるだろうと予測します。衛星の使い方が変わり、更には衛星を使うことが楽しくなるだろう、と。
宇宙開発業界の多くの人もこんな予測にはついていけない、と思うでしょうが、かつてのメインフレームのユーザーが今のインテルのTVCMを見たら目をまわすだろうことを想像してみてください。
インタフェイスは使い方を制限します。だから、プロダクツに良いインタフェイスを。
よーくわかりました。北東に送る呪いの念を更に強くしましょう。どうかSHの設計者たちがタンスに足の小指をぶつけたり、トイレットペーパーを切らしたり、豆腐に醤油と間違えてソースを掛けたりしますように。
……本書はSHのエキセントリックなアーキテクチャの入門書として第一にお勧めできるものだと思います。メーカーのマニュアルの意味のよくつかめない記載にうんざりしているなら、一読して得るものがあるでしょう。ヘネパタのエレガントさとは無縁の問答無用RISC、SHのイヤっぷりを是非貴方も。
題を素直に解釈するとプロテクト破りの技術についての本のように読めますが、もちろん違います。本書はソフトウェアに掛けられている様々なプロテクトについて概説するものです。”解剖学”なんて、アニメの便乗本のような題を付けるのは何とも。
著者は古いDOS/FD時代のコピープロテクトに関わっていたらしく、懐かしむような部分が見られます。CD-ROM系のプロテクト事情に、昔はとは違い安直だと。しかし、今も昔もプロテクト周りは十分にヘタレていたと私は思うのですが。
懐かしむ調子に、太宰府にあったコピー屋を思い出します。福岡の大名にもあったっけ。貧乏な学生がコピーに走るのは、ある程度は仕方ない部分があります。彼らはまだ何も作り出しておらず、自分の作り出したモノの評価を気にするようになるまでまだ遙かに遠い位置にいるからです。
私は、義務教育で創作と同時に創作の公開、創作物の管理まで教えるべきではないかと思っています。但し、それにはまず社会の共通合意が必要です。
創造の成果の拡散と運用を、どこまでコントロールするのか。創造者は創造物のコントロールを、時間と空間とネットワークを越えて行う権利を持つのか。創造者の権利はどうなるのか。
私は、その先には大きく分けて二つの未来があると思っています。
一つは、少数の創造者が、プロテクトされ、コントロールされた創造物を、その他大勢の消費者に供給するというもの。もう一つは、多数の創造者が互いに創造物を供給する時代。
コンピュータは、創造物のコピーを容易にすると共に、創造も容易にします。パロディ、二次創作、カットアンドペーストやコラージュも含めれば、創造者は莫大です。ネットワークでの些細な発言にも著作権は及びます。私は後者の時代が来ると思っています。創作者が互いに認められ、しかし、利潤は薄い時代が。
そういう時代のコピープロテクトをちょっと想像しています。
OSのえらいひと、タネンバウム先生の本です。
タネンバウム先生っていうと、Linuxを巡ってLinusと喧嘩したエピソードなど思い出してしまいますが、元々、教育用Unixサブセット、MINIXの作者として名の知れた方です。
分厚い本ですが、ヘネパタの余勢を駆って突撃です。
教育用だけあって、実装にまで踏み込みながら分かり易い内容だと思います。内容が、OSの実装例の一つに過ぎないと言うことだけ念頭に有れば、お勧めできる内容です。あと、μITRONは日本独自のOSでビルゲイツに対抗でイエッヒーなんてほざく向きを黙らせるのにも向いています。厚み重さが実に手頃です。
elfとかcoffとか、判らない人は読む必要はありません。しかし私には読む必要が生じました。これは、コンパイラが生成する実行可能なオブジェクトファイルの形式についての本です。
これまで組み込みでアドレス絶対指定、せいぜいがスタティックリンクで済んでしまう世界の住人だったので、色々と新鮮でした。
組み込み屋は読んでおいて損の無い内容です。もっと高度な事がしたいなら。
NetBSDは1.6からクロスプラットフォームのユーザランド構築がスクリプト一発なんだよなぁ、と安心していたら見事コケました。なんだかCPPが凄いところに無いから駄目だとかメッセージを吐いてきます。
ちゃんとしたstableで再インストールすっぺよ、と思うのですがちと悔しいので、色々調べてみようと思ったのです。
そもそも、
./configure
make
make install
アレが一体何なのか、細部で一体何をしているのか、気になった事はありませんか?
M4なるマクロ処理系を要求されて、いったいそりゃ何だと思ったことはありませんか?
本書でその疑問は解消されます。しかし、複雑なことやってます。プラットフォーム間の差異という混乱に対して、混沌で対抗しているようなものです。
便利そうだと言う事はわかりました。しかし、こりゃ追っかけるのは面倒だなぁ。
面白いです。ハマりました。
オブジェクト指向スクリプト言語Rubyのソースコードを、その巨大なコードのまずどこから読むべきだろうかという点から始めて、著者が読解していく過程として解説された内容はユニークであり、無味乾燥になることなく読者を引きつけます。文体も非常にこなれています。
もちろん、対象のソースも面白いです。最近自分でスクリプト言語を作ってみたという事もありますが、純粋オブジェクト指向で知られている癖に妙に枯れた設計で知られるRubyの設計の妙、特に、何を捨てて何を拾っているのかという点が実に興味深いです。
Rubyハックに手を出すつもりが無くても、読むだけでも得るものの多い本だと思います。
タイミング良い内容です。SDRAMのタイミングの決め方が全て書かれています。SHにSDRAM繋ぎたい向きは必読でしょう。
しかしこの裏表紙、式神の広告なのですが引いた方も多かったのではないでしょうか。いや、私はOKなのですが、できればもっと巧い、もっと駄目な絵を……
このくらい駄目な絵になると文句ありません。
理想的なバランスを実現した、駄目な技術書の決定版です。なんといっても重さがイイです。紙質といい文字の大きさといい、オレアリー本かプロフェショナルBSDかという存在感は大きな評価の対象です。
特製シールとカヴァー下というチェックポイントのクリアぶりも素晴らしいです。
内容に付いては、ネットの管理以前から始め、TCP/IPの知識、コマンド類の知識、問題解決の一般的な手順、特殊例、SSH、ログ管理といった流れで、管理者が持っていて欲しい知識(管理者が知りたい知識とは微妙に違う)に絞られた、よく纏められた内容であると思います。脚注の激しい暴走はアレですが、これはアレであることも評価の一部なので問題ありません。
個別のサーバの立て方などは別のドキュメントを当たるべきです。SSHの記述の位置はちとC言語本におけるポインタの記述の位置を彷彿とさせるものがあります。脚注の内容に付いては一部異論があるものの、本論に関しては問題無いと思います。
問題があるとすれば、目次などで萌え萌えうるさいこと、キャラのセリフに一部違和感がある(”はふはふ”はどうかと。”なつかしいうなー”は素晴らしいのだが)ことなどでしょうか。次ではより一層の洗練と駄目化を望みたいものです。
扉絵が何なのか判った途端に、あの頃に少しだけ戻っていました。
詰襟着て歩いた筑後川、河川敷の黄色い菜の花。英語が出来なくてもオッケーで、でもやたら数学がキツくて、赤点がべらぼうで、何故かドイツ語の授業があって、結局役立てることの無かった製図の授業、木型、鋳造、鍛造、旋盤とひと通りの実習は楽しくて、FM-16β(80186搭載)があって、外にメシを食うと言う事は、どっちのうどん屋に行くかと言う事と同値で、部活は先輩たちが楽しくて、後輩たちが一杯出来て、NHKロボットコンテストに出て……
23歳と15歳が一緒に居る学校。偏差値67のヤンキーの居る学校。
恋とかそんなものとは縁遠い生活だったけど、そこは楽しかったのです。
扉絵ですが、高専出身(若しくは在校)の皆さんには、縦は温度、横軸は炭素濃度、江刺ンところは液相だ、と言えば判るでしょう。やっぱ金属はアホばっかが定説なのでしょうか。自分も在校してた頃に金属から材料に名前変わっていたし。あ、オイラは機械。
野良山高専という名前は心臓に悪いです。高良山(久留米の裏ッ側の山)思い出すし。
魯介の母校には寮は無かったのでしょうか。それはそれで幸いかな。そうそう、嫌な歌あったよなぁ。留学生居ました。英語教えて貰ったし。でもオナゴは見事に居なかったなぁ。
男子校という感じでは無かったのは、色々と出来ることがあった所為だろうなぁ、としみじみ思ったり。みょうちくりんな物を作る奴がそこかしこに居たし。ホバークラフト、4bitCPU、モデルロケット、男声合唱部。
そんなこんなで、何時もの魯介のアホネタチェックは出遅れます。そもそもこんなに趣味が近いのはやっぱり高専の所為なのでしょうか。
しかし読切「うしむすめ」は流石です。このキレ方は只者ではありません。今日は魯介と眼鏡を称えて、高専の嫌な思い出はさっさと忘れて寝ようと思います。
つーことで、グーテンナハ。
こがわみさきの新作短編集ですが、いつもながら良い感じです。
……しかし、キャラクターの顔見てると、何も考えてなさそうに見えるのはどうしたことでしょう。いや、中身は良いのですが。
悲しいことに、堀博昭はヘタレてしまいました。
奴こそ期待のアホだと、祭丘ヒデユキと並び立つアホ漫画界のニューヒーローだと信じていたのに……
裏切られた気分で一杯です。申し訳程度のエロなど要らぬ! あとプロレスネタに走るな! 洗脳されてるぞ!
嵐を憎むものは、風すら憎む。
魔女を憎むものは、歌すらも憎む。
だが、大気を愛する者は翼を得るだろう。広がりの中で、自由に。
今頃気がついたのですが、この作品、もしかしてソフト百合漫画、なのでしょうか。
そういう視点から読むと実に良い作品です。連載で追っていた時はレースとかレスキューとか視点が縮退してるよなぁ、等とも思ったのですが、もう新しい視点でしか読めなくなりました。
米村孝一郎の良いメカ描写山盛りの、新世代百合漫画です。猛烈にお薦めします。
最終巻です。
正直言えば、かなり失望しました。
物語の流れを振り返れば、主人公達の旅の風景、イベントはなかなか読ませるものがあり、心理描写も良いものがあったものの、最終巻において、テーマであった筈のものがほとんど置き去りにされ、連載ではほぼ無視され、単行本化に際して申し訳ばかり付け加えられて……
最終巻の内容の殆どは、夾雑物にしか思えません。設定に溺れて、物語構成の機敏を失ってしまったかのようです。何か、”風景”を無くしてしまったような、そんな気分です。
人の悲しみと神の悲しみ、人の怒りと神の怒りに違いはあるのだろうか。赤子の手と鉄槌の差は、人の喜びも、苦悩も、努力も、愛も、罪も、生命も、塵のように打ち砕く。
血に塗れた神の鉄槌が、地の民に振り下ろされる。
少しづつ内圧が高まっていく、そんな内容です。大きく動いた話のティティールを埋めていくような巻ですが、ドンパチはきっかり。
それは死を謳歌するために組織された悪夢。武装した死が都市に舞い降りる。
血糊の様に昏い狂気の中では、わずかな正気も、それは勇気だ。
たとえ塵のように軽くあっても。だが、鉄槌の前に正気の出番は無い。
化け物たちの戦争が始まるのだ。
FOXTVよりもエンタテイメントな戦争の開幕です。
砂漠の無敵戦車隊より破壊的で、毒ガスより邪悪で、大規模爆撃より血みどろな、地獄の猟兵たち。バクダッドより赤く燃える都市、異教徒よりも独裁者よりもテロリストよりも呪われた存在。
TVの視聴者ばかりが楽しむのは勿体無い、そう心得た悪鬼の享楽がたっぷり詰まっています。戦争のエンタテイメントを堪能すべし。全ての戦争は、”少佐”の為に捧げられているのです。