特集は「われらSF者宣言!」という事で、久々に立ち読みしたばかりか、買ってしまいました。しかし、私はスゴロクの2駒目、SFマガジンの購読ってところでリタイアです。もしかして自分はSF者では無いのでしょうか。
当然そんな事は無くて、ちょっと例が極端、記事の書き手が極端なだけですが、今やSF者なんて保護にも人工的手段が必要な希少種であるという現実を今更ながら思い知らされます。
SFは今や設定(”SF考証”という言葉の発明は画期的でしょう。流石は21世紀)であり、良くて教養です。
そもそも、SFを人生の拠り所とする”SF者”という思想がおかしいのですが、そうは言っても間違い無く私は、人の造りし星に運命を定められたSF者です。鏡を見る度に思い知らされます。せいぜいが昼メロ程度の日々の営みのスケールを越え、様々な制約を、個人の枠組を超えたものを見てしまった人間のまなざしを見れば……
本記事は、SF者の末路を知る上では有効でしょう。想像します。SFに人生を変えられるって結局どんな事だったのだろうか、今でも変えられる人はいるのだろうかと。
沖方丁「マルドゥック・スクランブル”104”」 アイディアと奇想溢れる秀逸なエンタテイメントです。また、テクノロジーをどう扱うかについて、自分の意見に近いものを採用しているのも評価点です。
危険なプロセスはオブジェクト化、クラス化、コンポーネント化してインタフェイスを安全に保つと同時に実装の詳細をオープンに保つ。それが現代的手法ってヤツです。最終的にはインタフェイスは状況を理解し、フライバシー保護プロトコルで連結されたAIとROMに焼かれた法を実装し……
「ぼくが紳士と呼ばれるわけ」「地には豊穣」の評価は微妙。
「デイドリーム、鳥のように」 元長柾木というと、こんなのを作ったことも。毎度の事ながら混乱(という程のものでは無いが)した読後感を残してくれます。高い評価を与えて良い、見るべきアイディアの多い作品です。タニシも出てくるし。しかし物語と、おそらくは物語からはみ出した部分にも存在する価値観のありようには違和感を感じます。「未来にキスを」のラストは刺激的でしたが、自分の幻視の正反対のものだったのです。やはりその時の”敵”認定は正しかったのでしょうか。面白いです。
特集のタイトルが「リアリティ・クライシスの行方」……なんじゃそりゃ。
普通に「祭り開催!イーガン、スターリング、それにスティーヴンスンもあるよ!」と書いてくれれば、ホイホイと買っていくバカがここに一人いるのに。
イーガン「決断者」 たまげるような視点は無いものの、実に誠実な内容だと思いました。概念を寓話のカタチに構成する、その手際と視点の誠実さは素晴らしいです。
東浩紀のイーガン論は……
東浩紀には一度ポストモダンという概念をさっぱり忘れることをお薦めしたいです。きっと視野が広がって色々よく判ってくると思います。でも、ポストモダンってもしかして芸なのでしょうか。だったらいいや。
スターリング「楽園では」 題も素晴らしい。良い作品です。政治的主張の直截なチカラ。やっぱ判ってるよなぁスターリングは。
私の言う”政治”とは、”オレ一人の問題”の外側、他者との問題解決の為のコミュニケーションです。スターリングは、これまでコミュニケーションの取りようの無かった2人に、携帯と言うテクノロジーを介在させています。シンプルですが効果的です。この物語では携帯は政治的手段なのです。
スティーヴンスンはというと、ヘボです。テクノロジーをどう扱うかについて、もうアタマが廻っていないように見えます。
これも昔同じ事を書いた記憶がありますが、ブラックボックス化されたテクノロジーを使うのと、実装を生で扱うのとではユーザに要求されるものが全く違います。素人がMozillaのソースを読んで、シンプルで高速で世界シェアの狙えるブラウザを造ろうと考えても、実現させるのはまず無理です。素人は黙ってプラウザコンポーネントというブラックボックスを使っていろ、と。生のテクノロジーに触れたければ学ぶしかありません。技術、思想、主張を。
現在のブラックボックス全盛の世の中がテクノロジー観を歪めている、この作品はその好例だと思います。
小川一水「老ヴォールの惑星」 淡々としながらハードな物語ですが、舞台はホットジュピター、系外惑星チェッカーなら最近の話題、水星軌道の遥か内側を公転する巨大惑星です。出てくる星系はHD46375だそうなので、109光年彼方の、公転半径0.041AU、地球質量の79倍の惑星の物語ということになります。
最後にチャールズ・ストロス「ロブスター」 オープンソースの伝道師が……ほぉ、と期待しましたが、最初から違和感を感じてしまいました。1980年代的なガジェットが見え隠れする、単一価値観の大衆とお金と権利の話です。
オープンソースの伝道師が、さて次はどんな特許を出願しようか、だそうで。それはストールマンの顎ヒゲに誓って違います。著者のアタマをしゃっきりさせるために、20アンペアぐらい電流を流してやりたいです。
無料と自由を履き違える標準的な錯誤(どうやら等価交換が可能だと考えているらしい)にはじまり、無脊椎動物の神経系シミュレーションがヒトじみた知性を自然に発生させると言うファンタジーを披露し、BSDのデーモン君をアリアンスペース社の手先とし、プリペイド携帯を利点の無い使い方をし、とにかく著作権と特許に関して愕然とするほど意識が低く、もうどうしようかと要らぬ心痛をしてしまいます。
もう、こんなヘボいのは読みたくありません。
セレーネbの成果報告書、ちょろっと見る機会があったんです。
セレーネbは月面に軟着陸して無人ローバーを降ろすミッションです。ワクワクするじゃないですか。ランダーは検討内容が詰まっていておお、と思いましたが構造が古いモックアップそのまま、考えてみればセレーネaでキャンセルされた内容そのままです。
ローバーはというと、やる気の無いポンチ絵が。現実感の無いロボットアーム、何も考えずにパクったような足回り、夜を越えることもできそうにない構造、最低です。
関係者、やる気無いんだろうなぁ。
月への距離は、人によって変わります。
2025年、日本の民間企業合同体が月に有人施設を作ることになります。規模は最大50人が快適に滞在可能なものを。予算は1500億、工期は10年。
宇宙屋として、身震いを覚えてしまう内容です。
月面の描写は抜群です。激賞します。例のトロフィーについては、日本航空宇宙学会誌1998年6月号掲載の論文(ATRエンジンとスクラムジェットとロケットエンジン付きのNAL0型スペースプレーンの設計を最適化したら、スクラムジェットの駆動時間がゼロ、ちなみにペイロード搭載も無理という結果が出たというもの。ATRをマッハ6まで使うことになっているが、これはロケットエンジンの推力が拘束条件として絶対に離床できないレベルで固定されているため)や傾斜機能材研究の流れを知っているので微妙な心持ちになりましたが、描写は良いです。宇宙機運用のシーンも抜群です。
天才美少女と金持ちの老人には、かなりがっくりきました。
宇宙開発はハードボイルドです。ハードボイルドなんです。大衆の浮かれた支持も無く、冷たく狭い空間と故障するハードウェア、非難だけがこだまする悲劇。人々は黙々と、しかし熾火のような情熱を抱きながら……
……とまぁ、オイラの妄想の中では宇宙開発は猛烈にハードボイルドで、登場人物は陰を背負いまくりです。現実とはえらくギャップありますが。
そんな感慨を吹き飛ばす内容でした。流石は名古屋。きっちり人物描写、主人公と少女の内面も積み重ねられることを期待しています。
宇宙開発ファンは即買い、それ以外の方も期待して良い内容だと思います。
いわゆるヒロイックファンタジーの中でも名の知れた短編を集めた傑作集、なのですが、読んでそれほど満足できませんでした。「サクノスを除いては破るあたわざる堅砦」とか期待していたのに。
所詮逃避文学よ、などと言ってしまっては実も蓋もありませんが、しかし楽しめないとは思っていなかったのです。
私の妄想の逞しさはそりゃもう バーバリアン級の すごい アレゲ です。現実逃避と白昼夢はゲームは1日1時間って感じでこなしています。でも、「日経エレクトロニクス」を読むと妄想が止まらなくなる、ってトコロまで逝っているので、普通の妄想ではもう駄目なんだと思います。収録のエルリック物を読んでも、ストームブリンガーの振る舞いに対してこれって笑い所なのだろうか、等と考えてしまいます。
収録作品は全体的に底が浅く、事物や行動など、合理性に欠ける部分が舞台の書き割りのように物語を安っぽくしています。それでも、美しく、格調高く、強力でありさえすれば何か感じるものもあったろうかと思うのですが……
ヒロイックファンタジーとは縁がないのかなぁ自分。
自分にとっての幻想とは何だろうか、と考えてみたとき思い浮かぶのは、小学校からの帰り道の竹薮や廃屋の闇、溜池の深み、畦道の心細さ、工場や鉄道にこだまする風の噂、目に見えないもの全てだったのだと思います。
私ゃ田舎の出なので、夜の闇に西洋風の化け物などは想像できません。西洋風のファンタジーはそれなりに楽しめますが国産のものは風情が無いし、海外のものには感じられるべき雰囲気を感じ損ねている、そんな気がします。
さて、日本風とは言っても、記紀神話は農村には全然マッチしない、せいぜいが猿田彦(猿田彦は庚申信仰と関連が深い)程度、そもそも河童も天狗も出て来ないし、と、成立年代無視して主張します。重要なのは農村にマッチするか、ですから。
本書は聞き語りで集めた、”最近に起こった実際の話”と称するもののうち、天狗、河童、神隠しの類を集めたものです。ほぼ全てが明治以降、かなりの数が昭和の頃、少なからぬ数が結構最近のこととして語られています。
まぁ、こういう話はUFOと同じ、見たいもの見せましょうってプロセスが生み出す代物ですから物語としての深みには欠けますが、田舎者にとってのリアリティはばっちりです。天狗の話なんかは”山の人”と絡むので微妙な箇所もあるのですが、確かにらしい話はあります。
ただ、天狗や河童というのは自分の田舎で言うと那珂川や筑後ではちょっと聞いたことがありますが、実家付近では聞いた事がありません。せいぜいが山伏関連で、ちょっと寂しいです。恐らくは、現代においては別の闇があるのでしょう。
こういった民話は、農村の心理の場とでもいうべきものに立脚しているので、こういう話が聞かれなくなったという事は即ち、古いカタチの農村が消えていっていることを示しています。私は農村の古い闇も新しい闇もすこし齧ったので、古い農村が消えることについては良いとも悪いとも言えません。しかし、本書のような収集は極めて高く評価します。ここには古い農村が生きています。
日本の古典幻想文学で物語も楽しみたかったら、今昔物語、宇治拾遺物語だと思います。神話や民話の見たいものを見るというレベルでなく、ちゃんとお説教が入っているところがポインツですね。日本のファンタジーの根本は仏教説話だ、と怪しい主張をしていきたいと思います。
ただ岩波文庫のだと今昔物語は本朝部だけで3冊あるんだよなぁ……
岩波の3分冊が難儀に思えるのはこいつのせいです。
「オデュセウス」読んでこいつ読んでいないのは、なんとも落ちつかないので読み始めたのですが、苦痛です。
大体のところ、文学が読むに耐えるようになるのはシェイクスピア以降の話だと思います。それ以降も大概技巧もヘッタクレもないべっちょりとした文体が多く、成る程詩作が重要視されていたのも道理です。基本的にワードプロセッサ登場以前と以降とでは、技巧の深みがまるで違うと思います。現在読むものの大抵がヘボなのは、推敲のコストが下がったのと同時に書くコストも下がった為ですが……
内容はというとトロイア攻めの話なのですが、連中牛殺し過ぎです。何かあると牛を殺して丸焼きにして神に捧げます。もう何度も何度も。もし無人島で読む本がコレしか無かった時は、連中に一体何匹殺されたのか数えてみようかと思います。
昔の戦争は酷いの一言です。略奪と皆殺し、女は略奪の褒美で、それが多い少ないで神が裁定するという内容です。「戦争論」の頃のヨーロッパとはえらい違いです。クラウゼヴィッツも論じていましたが、戦争の形態は時代と共に移ろいます。政治的目的を持ったテロを他のテロと一緒にして戦争ではないと言うのは、時代が見えていません……というのは置いておいて、と。
現在、ようやく下巻に上陸。読み終われば、満足感くらいは感じるかな。
ネットをぶらぶらしているとよく、アニメと朝鮮半島のことしか書いていないサイトにぶつかります。これまでは「まぁ不景気だし右傾化というか不寛容というかセコくなるのは避けられないよなぁ」等とも思っていましたが、最近ちょっと不気味に感じられてきました。
準セカイ系というか、サイト管理者が自己の世界をコンパクトに縮退させる、その編集の仕方がこうも一様なのは何故でしょうか。アニメと天下国家の話題がシームレスで、中間の話題が欠如したそのセカイを不気味と評するのは簡単ですが、こういう物事には原因があるものです。
ということで、ウヨを魅了してやまない朝鮮半島の秘密にすこしづつ迫ってみたいと思います。
本書は、日本人でも朝鮮人でもない、第三者の記述であり、日清戦争前後という、半島との近代外交のごく初期を垣間見る貴重な内容として、朝鮮半島探求の手始めとして最適であろうと思います。
1894年から1897年、李朝末期の朝鮮半島は極めてエキゾチックです。腐敗と荒廃に満ち、汚く貧しく、そして奇妙な風物や風俗に溢れています。同じ農村でも、日本とは風物も風習も心理的にも大きく違います。特に信仰や盲信のタイプが全く違うのは注目したいです。鬼神信仰は救いが無く最悪。あと虎を怖がり過ぎだと思いました。
風習の多くは近代人から見て受け入れ難いものばかりでした。現代ではどうなのか、興味が湧きます。
支配層の腐敗は想像を絶しています。300年の平和も、日本と朝鮮半島ではこうも違うものかと驚きました。面白いのは、300年の平和な期間を通じて、日本への敵意が継続されている事でした。秀吉の2度の侵略戦を延々と恨みに思っているのですが、著者はこれを、被支配者層の惨めな現状はみな日本のせいだと、支配層が怒りの方向を制御したためだと考察しています。
日本と日本人に関する描写も結構あります。日本人は小人だと繰り返し書かれていますが、全般に悪いと評した箇所はきわめて少ないです。しかし日本の外交と内政干渉のやり方が決定的に著者の心証を悪くしたようです。閔妃暗殺は近代日本の外交において最初の汚点であり、結局ここで道を誤ったことが、今日までの日本と朝鮮半島との関係を決定してしまったように思います。
大体、なぜ今頃北朝鮮がどうのこうのと騒ぐのか、私は10年以上前に「北朝鮮:その衝撃の実像」改訂前のハードカバーを読んでいたので、いまいち判っていませんでした。
考えるに日本人の大半は、ワールドカップでようやく、日本にはお隣の国があるのだということを理解したのでしょう。実はコミュニケーションは始まったばかりなのです。
罵り合いもコミュニケーションのうちです。これからは生暖かく見守っていこうと思います。できれば早めに相互理解を達成しますように。なにせ次には、”日本人による中国の発見”が待っているのですから……
「日経エンタテイメント!」(最後に感嘆符が付く事にさっき気がついた)誌の臨時別冊ですが、実に気合いが入っています。内容はアニメとゲーム、要するにオタマーケットです。
読み甲斐のある記事がコンスタントに載るなら、高年齢層のオタのためのアニメ・ゲーム誌として歓迎されるのではないでしょうか。誌面のデザインの良さと記事の一歩突き放した客観的な視点は高く評価します。本誌の記事ではいわゆるガンダムマーケットの中心が30代前半にあることが分析されており、こういう新しいスタイルのアニメ誌の成立可能性を予感させます。
誰もが持つ感慨らしいのですが、この分だと「日経えろげ!」誌の誕生も時間の問題でしょうか。
”オトナのためのオン/オフラインカルチャーマガジン”だそうで、要するにオタク的と目されるものを手当たり次第に扱う雑誌のようです。
取り上げられる人物はいづれもひとかどのもの、ですが切り口は外部からの視点、というと聞こえは良いですが要するにステロタイプのオタク観で書いた記事ばかりです。
非オタの価値観で価値のあるものだけを基準に評価する内容なので、この雑誌はオタが読んでも読むところが無く(これだけ贅沢なのに!)、非オタが”濃いオタだねぇ”と読んで楽しむような代物となっています。
目の付け所は良くても、視点が間違った雑誌だと思います。語り口が馴れ馴れしくて気持ち悪いし。でも、ま、生き残れるとよかですねぇ。
特集が”東欧&ロシアのレトロ・デザインを見直せ”という事で、つい手に取ってしまいました。
実際はロドチェンコ特集みたいなもので、なんとなくアヴァンギャルドっぽかったらそれで良しという内容です。でも、評価されるのは歓迎すべきでしょう。最近はポスターなどの通販サイトもありますし。
大判のきれいな写真が多いのは良い感じです。旧ソ連ハードウェアの素の工業デザインまで到っていないのは残念ですが、雑誌のほうがよくある流行製品カタログに毛の生えた代物なので、それ以上を望むのは酷と言うものでしょう。編集者の知識も悲しいほど不足しているし。
資本主義の腐敗そのものといった塩梅の誌面を飾るデザインたちが、どこか物悲しく感じられる内容です。消費というのは容赦ないのぉ。
最近の妄想。太陽発電衛星による軌道間エネルギー伝送!
例えば、太陽同期軌道に700キログラムの衛星を打ち上げます。新規開発要素を減らすために既開発品のフレキシブル太陽電池パドルを採用し、長大なパドルによる重力傾斜とホィールによるパドル軸廻り制御の組み合わせで姿勢を制御します。底部のジンバル(機構的に地球を指向できない設計)で光学系を保持し、光源は半導体レーザ複数を光PLLで位相を合わせたもの、もしくは半導体レーザでポンピングしたガラスレーザ。そして出力目標は1キロワット。これで月面の夜の側の月面ローバーを照射し、暖めると同時に太陽電池を照らして電力を与えるのです。更には惑星探査機にも!
……目標高過ぎですか1キロワットは無理ですかハイ。
本書はイオンエンジン、アークジェット、MPD、ホールスラスタといった代表的な電気推進システムの理論と実装例、試験値や問題点まで挙げたものとなっています。他のシステムについても紹介もあり、入門書としては充分過ぎるほどの内容です。電磁気についての基礎的な知識さえあれば、内容の理解はそう難しいものではなく、そういう点でも本書は良書だと思われます。
今更知ったのですがプラズマスラスタって、電気推進って言えるのでしょうか。推進剤に通電して加熱、蒸発させてその膨張で加速、ってのは熱源が電力ってだけで燃焼や原子力によるものと大して変わりがありません。でもテフロンスラスタは面白いよな、テフロンの棒の端面を通電して吹き飛ばして駆動だよ、とか思って読んでいたら、うわ、μLabSat-II搭載の話題がこんなところに。早過ぎます。
……吹かしてみたいなぁ、スラスタ。
電力貧乏が染み付いていると、ホールスラスタは推力取れるし魅力的だけどやっぱイオンエンジンの効率には敵わないよなぁ、という話になってしまいます。だから、リッチ電源を宇宙機に、ということで前述の妄想を現実化……できないかなぁ。
あっでもマイクロニュートン推力でも構いません。吹かせるなら。
スクリプト言語の勉強をしていれば、いつかはLispに辿りつきます。
という訳でLispの、できればSchemeの良い入門書を探したのですが、良さそうな物はなかなか見つかりません。最初は面白そうなところをかいつまんで、で良かったのですが……
という訳で、見るからに新しくコストパフォーマンスの良さそうな本書を買ってみたのですが、この本はお薦めできるか判りません。
読み始めると、流石Lisp処理系は刺激的で興奮したのですが、本書はすぐに文法の詳細に踏み込んでしまって、頭痛と眠気がさっと襲い掛かるという展開になります。あと、MacLispユーザでなければ後ろ半分は殆ど無関係です。
そんな具合で理解はまだまだなのですが、BASICがわかる程度のヒト向きに簡単にLipsを説明すると、えーとまぁ、要素3つの配列を連想してください。配列のアタマに掛け算とか足し算とか演算子の指定が入って、あとの二つに演算対象が入ります。前置式ですね。演算対象に他の配列(のポインタ)も指定すれば、演算子も関数として他から参照すれば、プログラムは二股に分岐を続ける連なり、リストとなります。このリストを構文木として解釈していけばプログラムは実行できます。配列は全て弄れるので、ここに見事データとプログラムの境界は消滅します。
……基本はこんな感じでしょうか。
何か良い本、無いでしょうか。処理系だとgaucheなんか魅力的です。
でも、真の野望は組込み用の状態遷移記述に適したスクリプト処理系です。自作のヤツは次は構造化と並列処理の実装に手をつけたいなぁと思っていたり。こういうのって、欲しがる人いないのかなぁ。
最近コンスタントにハード自作系の記事が載っているのですが、今号では組込みOSの特集が大充実です。おお、カメレオンUSBがこんなところに。
μITRONってなんかヤな感じの仕様です。あのAPI名をまともなものに置換するプリプロセッサがきっとどこかにあるに違いないと確信しています。
あ、「ITエンジニアが挑む資産運用」これって連載だったのか。凄いなぁ。
連載モノひとつの為に買うというのはもう嫌だ嫌だと思っていても、読んだらこれはチェック決定の連載「馬車馬戦記」連載三回目はもう……
ディプルカプルの象による機甲化部隊の歴史。近代的な戦術と編制による装甲化象部隊の創設から最近の状況に到るまでの概説。戦闘の記録、装甲と武装の変遷、迷彩、象部隊の戦術記号まで解説した、実に密度の濃い内容です。旋回砲塔を搭載した象や近年のカンボジア平和維持軍への参加で地雷除去に当たった象など図表も豊富で、資料的価値は極めて高いと言えます。
……馬鹿の見本市として。
いや、”防空軍地上部隊”とか”前ド級戦艦を70年代に改装してSS-N-2搭載”等も素晴らしいもですが、今月はもう賞賛の限りを尽くしたいと思います。細部まで素晴らしいディティールです。
二宮ひかる作品の単行本は買うまいと思っていたのに。
しかし連載時の、ヒロインの背を丸めて机に突っ伏す姿を見て、ああ、どうしようと思ったんです。目付き、表情、ええなぁ。
しかし……ヶ丘って、福岡?
2人は今日も元気。特に一方はすごく元気。時々はへこんだりもするけど。
”D.I.Yってなんだろう”って疑問に囚われそうな内容ですが、良い感じなので問題無し。セルビンの話など特に良し。でも郁子さんの出番が少ないのは非常な問題であると思います。
しかし登場人物、「ベイビーリーフ」の主人公達と同じ世代とはとても思えんなぁ。
数ミリの鉄板の向こうにドライバー一本で見られる「キカイの世界」があるのに、ほとんどの人はまったく見ることなく暮らしている。
ぼくがキカイの世界を見るのが好きなのは「ホントの世界」って感じガするからなんだ。
中学生漫画3組めです。
こどもに毛の生えたような歳の主人公たちが、日常の中で不思議なことに出会っていく、よくあるスタイルの漫画ですが、センス、雰囲気の構築の仕方は衛籐ヒロユキ、よく描けています。それと委員長。
テクノロジーに嫌悪でも興奮でもなく、例えば古いゲームのROMに愛着をもって接する、そんな暖かい感じのする漫画です。
あと再確認。中学の頃のヤローというのは、ガキです。