アシモフ食わず嫌いを直そうと、古典からコツコツと。有名なファウンデーション・シリーズの基点です。
遥かな未来、銀河全体に広がった人類の版図は単一の銀河帝国の傘下にあった。しかし、帝国はやがて崩壊し、一万年の暗黒時代が訪れると心理歴史学は予言した。
この一万年の暗黒時代を千年に縮めるために、心理歴史学者ハリ・セルダンは、知識の集積所ファウンデーションを銀河の端に設立する。やがて来る新しい帝国の萌芽として……
とにかく古いです。文明が退行して原子力技術を失っているのに、恒星間航行の手段を持っているという設定は無茶でしょう。遠未来に帝国だし。まぁ、ローマ帝国史を下敷きにしているというのは承知しているのですが、銀英伝で恒星間戦闘やってて相手の後方に廻り込んだりするようなアホらしさをどうしても感じてしまいます。
歴史心理学というのは、カオスを知らない時代の創作ですし、原子力技術を特別視するのは時代を感じさせます。今ならさしづめ半導体技術でしょうか。とにかく原子力を特別視するのが微笑ましいです。
今や、鉄腕アトムの動力源はタブー扱いだというのに、昔は何でもかんでも原子炉を内臓しています。大体、原子炉の大きさなんてこの位が限度だと思うのですが。TOPAZ炉は1トンで出力6kW、家庭に一台欲しいって感じですね。(みんなー、原子炉は良いぞぉー!)
SF読みにはお勧めしません。SF史に興味がある方はどうぞ。
要するに「縮退洋」です。
ゴシックな様式とエキゾチックな風物、幻想的で沈鬱なロマンス。いかにもパリの屋根裏部屋で熱に浮かされた詩人が書き綴りそうな物語ですが、書いたのはブルース・スターリング。場所はテキサス州オースティン。
彼の自惚れと野心が、オーラのようにこの作品を更に魅力的にしています。
ようやく、読了。
”ユリシ−ズ”である意味をようやく了解。良い作品でした。ただ、この最後の一巻はかなりキツかったです。出だしの頃の読ませる文体はいささか凝り過ぎた代物へ変化し、正直しつこかったです。
最後は根性で読みましたが、この一巻読了する間に、マリみて全巻を少なくとも4回は読み返した筈です。つい逃避しちまった訳です。最後の章は何ともいえない魅力がありYES、引き込むのですが、集中力が少しでも鈍ると、そこで読めなくなります。
お勧めはしませんが、ここまで読んだ人は何と言われようと最後まで読むでしょう。
こりゃ風邪引いたな、明日は仕事を休もうと思った気に買い込んだのが、既読の「ヴァレンティーヌスの贈り物」を除く全巻。あんなにあるとは思いませんでした。ベッドの上に山のように積んで読み耽ります。
面白い。スルメのように読めます。
ファンタジーとして受け入れる覚悟ができると、マリみての作品世界の桁違いの強度が実に効きます。何せ、私立リリアン女学園のすぐ外は現代社会なのです。
設定の一貫性の強さも特徴と言えるでしょう。例えば呼称、敬称の使い方が各キャラクター間で一貫しており、その呼称変化だけで関係の変化を描写することができるのです。
SFやミステリでは無いので、基本的に物語は人間関係の穏やかな変化だけなのですが、本筋とは全く関係無い何気ない描写を要所要所に挟んでいるのが、物語のトーンを決定するのに大きく影響しています。というか、そういう技法ですね。あとはミスリードを誘う手法を多用し過ぎだと思いましたが、これはサービス精神の表れでしょう。
本作品について、よくキャラクターの魅力について言及される事が多いわけですが、実際にはキャラクターのベースとなる類型は数種しかなく、作中人物の発言にもあるとおり、キャラが被ることがかなりあります。結構古典的な属性を使っているんです。しかし、それでも魅力、別の言い方をすれば”キャラ萌え”はあります。
実は、キャラクターの視点で語られる時、主人公を除けば、描写にキャラクター性が薄く、普通の感情変化と描写を積み上げることに終始しています。これと第三者視点からのキャラクター描写が重ね合わされて、マリみてにおけるキャラクター造形は機能しているのです。
祥子さま視点によるエピソードが存在しない点にも注意すべきでしょう。その事実こそがマリみてのコアです。マリみてのファンタジーは、祥子さま一人で背負っているのです。
他にも、プロトタイプ祥子さまである志摩子と祥子さまのキャラクターの類似性と、乃梨子と主人公のキャラクターの差異なども、考えると面白いです。
あと、忘れちゃいけない。蔦子さんハァハァ。
-えーん、えーん。パパー。malloc()のコードが全然わからないんだ-
マリア様のお庭に集う子羊たちの園の対極にあるのは、三叉矛を持った悪魔たちがNetBSDのソースを手本にハックを学ぶ学校でしょう。
BSD Magazineで焼肉の次に好きな連載が単行本化です。BSDのマスコットキャラであるデーモンくんが学校の宿題に立ち向かい、でも判らないものだから泣いてパパに泣き付く毎度毎度の展開が微笑ましいのですが、デーモンくん、ハックの素養有り過ぎです。
なんとなく表題に惹かれて購入。
哲学系の書籍というのは、大抵同じ事を言い回しを変えて三回ばかり繰り返して、内容を水増ししている印象があるので避けているのですが、テクノロジーという言葉には、自分の領域という雰囲気、親しみやすさがあります。
結論から言えば、間違いなくコレも三倍増しの内容でした。自己のテクノロジーというのは自己参照と自律のための基準と手続きの事で、ひとことで言えば日記の類いです。広義に解釈すれば確かにテクノロジーですが、体系化と検証可能性という点では”おばあちゃんの秘伝の味”技術にも劣ります。書き方が大袈裟なのです。
ページをパラパラと捲った段階で一番気になったのが”個人に対する政治テクノロジー”という章でした。
政治=テクノロジー この、私にとって自明と思える立脚点にフーコーも立っていることが嬉しいです。というか、この認識が常識であれば嬉しいのですが。
で、期待した訳です。政治技術は、国際間、国家、地方行政、企業、学校、家庭、友人間、ネットワーク上と、スケールと状況を問わず適用されますが、政治が真にスケーラブルなら、個人にも政治技術は適用可能である筈だと。その答えがもしかして……
そんなものは何処にも在りませんでした。内容は、近代国家による個人へのルールの適用についてでした。フーコーは、個人の幸福の為に国家は運用されているという幻想を棄却し、国力増強の為に個人の幸福を図る、というシステムを解説しています。
あと、面白かったのは、法と秩序は二律背反の関係にあるとフーコーが述べている点です。どうも解説不要の常識らしいのですが、考えてみるとそうかもしれない。そもそも立法府と行政府の分離が有名無実である日本の状況からはピンと来ない訳ですが、三権分立は明らかに対立を意図したものです。
しかし、結果として色々考える材料にはなりました。本書では自己参照と自律の歴史を古代ギリシャとか初期キリスト教等に求めていて、日本人には関係ない関係だし、そもそも現状が全て、今の自分にとって得るものが無ければ無駄、という自分には無意味な内容なのですが、考え方を自己に適用することは可能です。
私は、日本人の自律ルールには、次の三種があると考えています。まず、雑多な禁則の集合体。次に、”他人の身になって考える”という学校教育でもたらされるルール、最後に習い事などの”道”です。
特に最後の”道”は考えてみると面白いものです。技能の向上と精神的成長を相互作用的に行うシステムですが、考えてみれば、技能が向上したからといって精神的向上がそれで得られる訳がありません。逆もまた然り。
社会生活のための禁則群はプロトコルとして、他人の身になって考えるという奴はシミュレーションとして、何らかのサブシステムにより支援が可能だと考えていますが、”道”ばっかりはどうしたらいいのやら。
あと、Web日記を本書の観点から眺めるのも一興です。それは自律と自己参照のためのツールであった筈の日記を、強力な政治ツールとして駆動させるシステムです。基本的に自己参照的でありながらコミュニティ形成と相互参照がこれほどの密度で行われるシステムは他に例がありません。
Web日記の世界では、個人とはフーコーの考えたものとは全く異なるものとなるでしょう。新しい、政治と個人の関係が、ここにもあるのです。
本書は、現在のネットワーク通信を前提としたゲームを主軸として、そのコミュニティの成立過程をその起源、コンピュータゲーム史の中のごく初期まで遡って描きます。
要するに、ゲーマーとゲームメイカーたちのコミュニティの歴史です。
本書では、コミュニティをテーブルトークの登場まで遡って論じています。MUDやFPSタイプのゲームコミュニティについては知識が無かったので、新鮮に読めました。MUDについて具体的に書かれた本は、邦書や訳書では初めてなのではないでしょうか。
あと、デビュー前後のスターリングも出てきます。「塵クジラの海」書いている頃。TRPGのGM経験、豊富だったのですね。
人々の交わりとテクノロジーが交差し、互いに密接に影響し合いながら成長する、その展開の意味と未来を展望すると、そら恐ろしいものがあります。コミュニティがテクノロジーを促進する昔ながらのプロセスと、テクノロジーがコミュニケーションを変質させる、新しいプロセス。
コミュニテイ = メンバー + テクノロジー
この図式がはっきりと浮かび上がる一冊です。
今月はおまちかね、付録にH8マイコン(H8/3694F)が付いてきます。
こういう場合、チップ本体より基板のほうに価値があるのが通例なのですが、うわ、コストダウンの すごい 努力がもうはっきりと。片面基板で、チップコンデンサ4つとセラミック発振子が一つ、それだけです。……サンハヤト製なのか。
3694Fは300H Tinyシリーズ、ROM 32K,RAM 2Kとちょっと少なめですが、8ch10bitのA/D変換器も付いています。3.3Vでも5Vでも動作しますが、基板についた発振子が20MHzなんで、5V電源用ですね。3.3Vで動かしたければ、10MHz以下のものと取り替える必要があります。ちなみに自分は取替え予定。
プログラミングはGCCで問題無し、更にF-ZTATでシリアル書き込みができるのがなんとも有難いですね。という訳で初心者にもお勧めの一冊です。
……しかしまたCPUボードが増えたな。
買っちゃいました。重いです。高価いです。
ドラゴンも読む(「黒龍とお茶を」R.A.マカヴォイ参照)名著です。原書のペーパーバック、知人から貰ったもの持っていたのですが、邦訳でじっくりと読みたいじゃないですか。英語弱いし。
久しぶりに栞紐のある本を買った気がします。久しぶりに栞紐を使った気がします。それも早々に、21ページ目で。
工夫に富んだ面白い本で、極めて興味深く読めます。アタマを使いたくなる一冊です。じっくりと読む価値がある、というか、いくらでもじっくりと読めます。
ソフトウェア書きなら一読を推奨します。
ただ、元が古いだけにもにょる部分はあります。サンプルソースが架空マシンのアセンブラというのは、もう、激しくどうにかして欲しいと希望します。そんなにローレベルでの記述にこだわるなら、ハードウェア記述言語でも使えば良いんです。
というか、ハードウェア記述言語の方が読みやすいと思うし。まだALGOL-60でも使ってくれた方が親切でした。もうローレベルはいい加減にして欲しいっス。
でも、ま、これもパズルの一環として読むことにします。
じっくりと読みます。栞紐サイコー。
宇宙工学シリーズも六冊目です。ま、惑星用気球やロックーンも載っていますし、高層大気についても勉強したかったですし、何と言っても三次元ゴア成型法に興味がありました。
三次元ゴア成型法を適用すると、気球はカボチャのように子午線方向に伸びる畝を巡らした形状になります。この形状により張力を材質に適した分布にすることが可能となり、大幅な軽量化を図ることができます。
この設計手法は恐らく他の種類の圧力容器にも適用可能だと思われます。
あと、高層気球の昼夜の温度変化や高度変化、偏西風などによる移動もよく書かれています。微妙な記述でぼかして書かれていますが、やっぱ成層圏定点滞空飛行船、無理だよなぁ。
本書は日本の宇宙開発の問題点を挙げ、政策及び組織レベルでの問題解決の重要性を 説くものです。
良いドキュメントの例に漏れず、本書も最初から結論が提示され、数字と取材の裏づけのある明快な論旨は極めて読み易いものとなっています。
本書では、技術的無知と官僚的常識に基づく政策、方針決定が失敗原因の根底にあり、技術的解決だけでは問題は解決しないと論じています。内容についてはどれも頷けるものです。
題名には煽りが入っていますが、冒頭で結論を提示することにより、扇情的になるのを防いでいるのは評価すべきでしょう。
さて、問題はどうすべきか、でしょう。私は中国的なテクノクラート独裁を支持しませんが、利害調整しか機能を持たない日本の政治システムではお話にならないことも明白です。高速道路や九州新幹線は、採算なんて関係無しに利害調整のみでGOが出される結果の産物です。あと、ロケットの打ち上げがうまくいかないのは責任の所在が明確でないからなんじゃないか、等と考える人間が出てしまうのも同様。個人の意識と資質が向上しても、利害調整のみで決定される場ではどうしようもないんじゃ……と、不安です。
”第二JAXA”は個人的にはどうかと思います。例えばUSEF。監督官庁の強さが違いますから、今後大きくなっていくと思います。しかしそれが良い事かというと、結局お役所にぶら下がったトコロは駄目だと思うのです。\
本書のメインターゲットは意思決定者です。宇宙開発関係者は必読ですし、それ以外にも、特に公務員と、お役所付き合いのある方面には強くお勧めします。
あと、宇宙開発の現状を理解したい人にも。
流石にこの題名は煽り過ぎです。ミーンッって感じの擬音付きで変なビームを出す衛星が出てくる、80年代の色物本のようなタイトルです。
中身はというと、ちょっと……ツッコみどころが多いです。酷い。
神舟シリーズの基本的構成どころか、ソユーズ宇宙船の構成すら知らないで書いています。中身は色々と適当です。これで中国の宇宙開発を論じるなんてスゲェ。第一章は読む価値かなり少なめです。
第二章は読む価値アリ。第三章と第四章は、まあ第二章も言い訳じみたところがあるのですが、ここで言い訳全開です。日本の宇宙開発史に興味がある向きには読む価値大でしょう。この後論旨は段々と迷走してゆきます。
第五章など特に、シャトル廃止スケジュールの決定後に読むと、なんというか空しいというか、シャトル信仰、有翼機信仰の根深さを感じる内容です。
第六章にはプロジェクトX的な素朴な日本技術信仰が生きています。よくある居酒屋のヨタ話レベル、地球シミュレータとTRONをもって日本の技術水準の優勢を説くのも、例えばuITORNとは何なのか知らないことは明白ですし、第七章の町工場礼賛も、モノホンの町工場で働いたことのある身には気色悪いことこの上ない代物です。
あと、タンクの軽量化なんて、まだいくらでも可能です。大体、ロシアのR-7シリーズの垂下式射点の意味にも気がついていないようだし、三次元ゴア成型法のような新しい技術もある訳です。
信頼性や品質という点では、何も語っていないに等しい内容ですし、町工場での技術革新を夢見る部分とは根本的に対立する内容だと思うのですが、どうなのでしょうか。
あと、HOPE諦めていません。翼面フラッタはどうするつもりなのでしょう。
内容をまとめると、日本の素晴らしい科学技術で有翼再使用機を作って、それで中国をぶっちぎって未来安泰、というものです。……こうしてみると何だか脳天気に思えるのは私だけでしょうか。
再使用機は高い信頼性を獲得する銀の弾丸ではありません。体系的な、徹底的なテスト、試験、検証なくしては信頼性は存在しません。それに触れもしないという点で、もはやおかしい、空論だと私は感じました。
テストをケチるところに、信頼性も無し。
日本の宇宙開発政策は、日本技術信仰とシャトルの幻影によって根底から捩じ曲げられています。本書はそれに気がついていない人たちの、現実と信仰のギャップを論じる本です。
そういう意味では、誠実な一冊でしょう。
「日中宇宙戦争」を読んで、こりゃ酷いと思っていましたが、これを軽々と超える驚きの一冊です。何もかもまさに最悪。驚きの単独峰。
まず、題名がおかしい訳です。衛星が落ちるのは上層大気の分子との衝突により運動エネルギーを削られる結果で、日本の衛星だけが落ちる訳では無いし、そんなに落ちたっけ?
で、その謎を追って中身を読むと……全てが意味不明な訳です。論旨がおかしいし、結論らしきものもおかしいし、というか、論理が追えません。
更に、幾つかの単語に同意の英単語を併記するという訳のわからない技法を駆使しており、前衛小説でも読んでいる気分になれます。
内容についても、ツッコみどころが多すぎるというか、点ではなく面で分布しており、手におえません。何もかもが拙過ぎます。
内容展開の基本的なパターンは以下の通りです。
ちなみに2.は無いことがあります。 3.の”高い志”というのは、なんというか雰囲気ベースの、”風雲の志”みたいな感じらしいです。
更にシャトル廃止決定というニュースが頭の中にまだ伝わっていないようなアメリカ礼賛と、論旨と無関係のトリビアの列挙、旧ソ連の悪口が続きます。旧ソ連の悪口については、著者も数字は認めざるを得ないので、極めて珍妙な調子となっています。一体どこでこんな妙な嘘を見つけてくるのやら。ヨーロッパについては、これまでの悪口/礼賛優先の記述でないため、ちょっと調子が狂いますが、基本的にはトリビアです。
ついでにISSの話題になりますが、最後に唐突にメートル法とインチ法の違いを問題にします。激しく脱力しました。もうちっとマシな問題点の指摘はできなかったのでしょうか。最後は毎度おなじみ謎のアメリカ礼賛で締めです。
結局”日本の衛星はなぜ落ちるのか”その理由は書かれていませんでした。日本の衛星だけ謎のエアブレーキが付いているから、とかそういうのを期待していたのですが。
最後まで、良い設計思想が具体的にどのようなものか、示されることはありません。あるのは、おそらく著者のお気に入りと思われる宇宙機の構成は良いもので、他は全て悪いという価値判断、というかブランド信仰だけでしょう。
シャトル信仰の行き着く先を示す、良い実例です。
ネタとして買うにはお金が勿体無いですね。間違いなく後悔する一冊です。「日中宇宙戦争」はまだ日本語として読めるだけマシでした。こいつ読んでいるとアタマがおかしくなりそうです。
日本の宇宙開発の問題は、こういうマイナスの広報、マイナスの教育が存在することですね。こりゃ。
そういう指摘では在り難いのかもしれません。
焚書を推奨します。
有人衛星シリーズと題して「中国航天員飛行記録」「放飛神舟」「中国神舟」と四冊同時に刊行、邦訳された中国有人飛行関連書籍から代表して一冊を挙げましたが、ここでは四冊まとめての感想を。
「飛天夢圓」は宇宙機と打ち上げ機の記述、「中国航天員飛行記録」は開発時と宇宙飛行士のエピソード、「放飛神舟」は概観、「中国神舟」は写真類、と分類できるかも知れませんが、被っている部分は非常に多いです。
翻訳の質は、全般に酷いと言っていいでしょう。土星V号は無いだろ、というツッコミは誰でもやってしまうのではないでしょうか。
内容については、記述が散漫なので、以下に箇条書きで目に付いたものを幾つか。
それが美談になってる辺り、日本と同じモノを感じました。
最後はショックですね。外国の例を挙げるときは徹底して米露のみ、日本についての記述は多少はありましたが、片方は戦時中のエピソードですから。四冊共通の編集方針かとも思いましたが、各冊のまとまりの無さから言って、それは無いかと。
本気で、日本は眼中に無いのです。それを日本の側は「日中宇宙戦争」ですからねぇ。戦争以前の話だった訳です。
という訳で、「日中宇宙戦争」を読んだ後でこれらを読むと、とても楽しめるのではないかと思います。
その囁きは世界の秘密を解く鍵。いざなう謎は波涛の覇者を、そして暗き水底の住人をも惑わす。
読んで、気が付いたことが一つ。
見開きで広がる光景、読む者を取り囲む風景とパースペクティブ。自分は、これが読みたかったのだと。風景が見たい。世界が、丸ごと、欲しい。
そういう作品を待ちます。勿論、第四巻も、「風の住処」単行本も。
裏切られた!
百合とメカを融合した新世紀漫画だと思っていたのに!
最終巻です。うーん、なんというか、文字通りの、正真正銘の”絵空事”を見せられた、って気が。
その眼に映っていたのは、軋みをあげる平穏。彼には彼岸が以前よりも近しく感じられるようになっていた。
彼には、此方で大切なものは、もう、たった一つしか無かったのだ。
アニメの鬱も抜けたようで、作品に張り詰めたものが徐々に戻ってくるのが感じられる巻です。後半、沈鬱になりながらイメージをきっちり固めてきているのは流石。
気になるとしたら、キャラクターの顔の線に張りが失われているような気が。
……えーと、お身体に気をつけて。
宇宙でも、人は生きたり死んだり、ムカついたりする。
意地を張ることも、泣くこともある。
まぁ、人間のいない場所ならムカつく事も無いんだろうけどさ。
それじゃあ、寂しいんだと。
第一部完、です。
第三巻はちと付いていけないと思いましたが、本巻は結構感情移入しました。
自分、”社会的圧力の極めて高い現代社会の限界を宇宙開発によって打破し、その広大さによって社会的圧力を軽減する”という理想を持っています。これはマジですぜ。
私は、ムカつくんなら海を越えよう、遠くへ行こう、と強く主張します。
頑張る必要なんて無いよ。本当に大事なものなんて何も無いよ。愛なんてクソッタレ。
ラスト、落としどころとしては妥当なものでないかと思います。今後に期待。