「おおおおおおおおおお、ぷりちー、ぷりちー、ういやつじゃー!!」
猫が飼いたくなる。
次の日は学校で、産業用ロボット取り扱い講習。
手元のリモコンで、6軸のロボットが動く。
「おおおおおおおおおお、ぷりちー、ぷりちー、ういやつじゃー!!」
ロボットが買いたくなる。
福屋書店で、 「加藤直之画集 I、II、III」をみかけてしまう。
「おおおおおおおおおお、ういやつ、ういやつじゃー!!」
”III”を買ってしまう。
内容は、少し古かったです。「デューン」とか「グインサーガ」とか。期待していた「大いなる天上の河」や「彗星の核へ」の文庫表紙イラストなどは収録されていませんでした。都市と星」の新しいカバーとか、あとなぜか「宇宙家族カールビンソン」のリアルなおとうさん、おかあさん……ひょえーっ。
「星虫」は、以前にも後輩に薦められて読んだ事があったのですが、途中で「だぁ!!」と、読みかけでした。
どことなく、虫酸が走ってしまったのです。今回読みなおして見て、理由がわかりました。
甘いのです。
美少女と神秘的な異物の組み合わせ、実は裕福なコンピュータの天才、世間的価値から遠ざかった少年若しくは青年、知性の優越に対する盲目的な確信などといった、構造的なあまやかさが、作者の次作(読んだ)にも現れています。あまりにメルヘンです。
こうまで評価が厳しくなる理由は1つ。
サイバーパンクの洗礼。
「星虫」に出てくる、純真極まりない宇宙開発への期待に、ギブスンとスターリングの合作短編「赤い星、冬の軌道」の1節を思い出し、嘆きといらだちを感じる。宇宙開発は実のところ、ローテクで図体ばかり大きく、商業的見返りに乏しい、厳しい分野なのだ。
また、なんとも詩的な手段で地球の緑が守られるくだりに、スターリングの「ネットの中の島々」の厳しい、だが核心を突いた主張を思い出す。
地球を破壊する、人類最悪の技術とは、農耕と牧畜なのだ。かつては豊かだったティグリスの岸辺に、それはひと目で見て取れる。
”星虫”と、いとも簡単に意志の疎通がなされるくだりでは、ギブスンの短編「辺境」を思い出す。ギブスンのその描写の厳しさに、いやでも真実の、本当の接触とはこうなのだろうと思わされた。
これらと比較するのは酷だとは思いますが、正直な評価は、地面に足がついていない作品、というものです。