学校の図書館で借りました。実は、借りるのはこれで2度め。
”サイバー”の教典、原典です。深いです。極めて古い本でありながら、(多くの点でもはや時代遅れで、あるいは間違っていながら)極めて現代的で、洞察に富んでいて、骨までしゃぶる価値のある本です。
卒研は、振動の制御。うまくいかない。
問題はcで書けばたった1行の部分。形式化し、代数化し、他のアルゴリズム、アプローチを試しても、どうしても思った通りにいかない。
やはり自分は、フィードバックの原理について、ちゃんと理解していなかったのではあるまいか、そう思い、原点へと立ち返ったのでした。ある1行を読んでいて、ピーン(若しくは”ピキーン”、いわゆるにゅーたいぷな擬音)ときました。
周期的な信号(正弦波)を入力していながら、出力されてくるのが、とんでもない、不規則な、でたらめなものだったのです。「カオスだ、カオスになっとる!」
複雑性の科学では、俗に”カオスの縁”と呼ばれる境界線上で、カオスは最大となります。で、フィードバックされる値に、ちょっとした係数をかけて、条件をずらしました。これで、縁からころげ落ちたはず。
そうしたら、ドンピシャ。入力信号は出力で打ち消され、きれいにフラットライン。
感動しました。実際に、そんな現象に立ち会えるなんて、夢みたいですし、同時に、拍子抜けしました。
カオスは、簡単に、あきれるくらい簡単にできます。
身の回りに、溢れかえっているのです。
上記のような煮詰まった状況のなか、藁をもすがる思いで買いました。
ま、もとよりこういう本は大好きだったのですが。
面白いです。時にはっとするほど面白い、あるいは神秘的なアルゴリズ ムに出会えます。
ピタゴラスは万物の基本は数だと考え、現代の急進的な理論物理学者は、万物の基本はビットだと考えています。とすれば、アルゴリズムの理解は、万物の理解につながるのか?
私個人の意見ですが、良く出来たアルゴリズムは、一山の哲学者に優ります。
一部には熱狂的なファンを持つというスワンですが、あまり高い評価はできませんでした。ファンタジーの特質を活かしておらず、中途半端で、どこか青臭い印象を受けました。
私の個人的な分類では、ファンタジーは4つのジャンルに分類されています。
薔薇の荘園」は、お情けでその3、というところです。その上、私はハイ・ファンタジーを認めていないのです。(げげーん)
ハイ・ファンタジーには、明白な欠陥があります。作品世界がどんなに原始的でも、どれほど異質でも、登場人物は基本的に現代人の心理を持っているのです。
われわれの心理は、現在のテクノロジー文明を背景に持っています。中世の人々の距離観は、我々のものとはるかにかけ離れたものでしたし、時間の感覚も、情報の扱いも、計量感覚も、金銭感覚も、道徳観念も、まったく違うものでした。
そういう点を考慮に入れている作家は極めて希です。SFでは、この概念はさらに拡張され、人間というシステムの拡張というところにまで行き着いたのですが、ファンタジーはこの点で遅れています。
1979年、アメリカは月の裏側に15人を送り込み、裏側の領有宣言をした。
15人は2年間にわたり月面に滞在しつづけ、帰還用船に乗って帰る予定だった。しかし、地球からやってきた帰還船は着陸に失敗、大破。永遠に地球からは見えない裏側で、通信手段もなく彼らは孤立、急速に消耗する酸素や器材、そして食料。彼らは生存のための戦いをはじめるのだった……
文学性からはほど遠い、手記形式の作品ですが、それがまた、キャンベルの、(当時の科学知識において)厳密に現実的な描写とあいまって、これがまた、なかなか良いのです。筋だては見えすいていますし、人物描写も、50年代的ですが、正直なところ、これほど読めるものとは思いませんでした。
SFの1つの古典です。
現代版「月は地獄だ!」を期待したいものです。