通俗的な姿を借りながら、極めて重たい社会的題材を扱い、沈痛な叫びを聞く作品というものがあります。例えば、ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」、エフィンジャーの「重力が衰える時」……
そんな作品の一つです。
この作品の主人公はアル中です。彼は酒場ではコカコーラかコーヒーを注文します。YMCAのアルコール中毒者のリハビリ集会に出席します。集会では発言しません。禁酒は長く続いたためしがありません。
彼は私立探偵まがいの仕事をして日銭を稼ぎ、酒を飲んでしまえば、気がつくと病院で、治療費で貯金は消えてしまいます。
しかし、彼は言います。この街で、どうして素面でいられるというのだ。新聞を見れば……
彼は社会の暗い側面に絶望しています。以前は警官で、だから、それを良くすることが出来ないこと知っており、それが彼を苦しめています。
この本のラストでは、いつも泣いてしまいます。
3章まで行きました。
3章めは、少し読み易く思えました。どうやら、去年のユリイカ12月号に掲載された短編「スキナーの部屋」と、同一の舞台世界のようです。
21世紀初頭のサンフランシスコ。老朽化が進み、落ちた金門橋に住み着く人々。ウイロイド感染に過敏な人々はマスクを着け、紫外線に反応して、シャツにド派手な文字が浮かび上がる。
主人公の一人はレンタコップ。警備会社のSWATバンは”ガンヘッド”と命名されている。警察の通信衛星”デス・スター”からの命令電波は、奇妙な目的に奉仕するハッカー集団によって妨害される。
主人公の一人はクーリエ。彼女のバイクは、接近者にドスの利いた声で警告する。
……目眩がしそうなアイデアてんこもり、原点復帰を感じさせて期待はふくらみます。
生頼範義画のハデな表紙がちっと恥ずかしい。
何とも安っぽそうな設定。しかし、次第に明らかになる細部。異様かつ強力。もはやバリントン・J・ベイリーなどものの数ではない!
そう、ベイリー的なのです。90年代版ベイリー、それも計算された演出と最新ガジェットで強力に読ませます。
これまた期待大。