形容し難い、ごつい読後感をもつ作品です。まるで、文庫本のその体積相当の隕鉄塊をその手に持つかのような。
キム・スタンリー・ロビンソン。昔読んだ二つの作品「荒れた岸辺」と「ゴールド・コースト」昔の自分にとってそれは興奮の無い、つまらない作品でした。が、最近「荒れた岸辺」を再読して、評価は変わりました。大きな枠組みを問い直すための、思弁駆動のシミュレーションノベルとしてです。ある意味で、スチームパンクと根を同じにする、サイバーパンクの直接の子孫なのです。
そして、「レッド・マーズ」はその延長線上、オレンジ郡にアメリカを問う代わりに火星で火星人となることを問う小説です。
ハードSFとして読む場合、世にある知識とアイディアと網羅した細かな描写は、さすがと唸らせるものが有りますが、ハードSFの典型をフォワードに見るなら、この作品は論文にできそうな斬新なオリジナルのアイディアに欠けるきらいがあり、それが自分を”これはハードSFだ”と呼ぶのをためらわせています。しかし、フォワードの火星SFよりリアルで、訴えかけるものがあるのは一読すれば判ります。そう、この感じは”重い”のです。
火星への最初の植民者たちは100人だった。彼等はひとりひとりが並外れた才能と頭脳の持ち主だった。そう、彼等は世間から外れ、遥かな地に嬉々として赴くほどに疎外され、同時に閉鎖環境で協調性と社交性を期待されていた。この二律背反が彼等をやがて地球の束縛から脱させ、個性を剥き出しにしてゆく。
彼等から、百人の個人へ。やがて火星は変わってゆく。この人間たちは、惑星を変えるだけの力を持ち、そしてどう変えるか、口論や駆け引き、実行や裏切りによって争い、実践してゆく。そして火星は人間たちも変えていった。
入植から30年、百万を越えた入植者の人口流入圧に抗して、火星の諸勢力は行動を起こしたが、それはその行動の成功の如何に関わらず、火星を変容させてゆく。人々はあまりに多くを失い、だが、最後に、火星人をみいだすのだ。
異質な環境に、人間はどのような人間関係の構造、社会を築くのか。人間はどのように環境に適応してゆき、どのような問題に対処してゆくのか。登場人物たちは可能な選択肢を読者に提示し、主張します。作者は、社会を、政治を、個人的関係の延長として明確に定義しています。自分はこういう視点から政治を見た事が無く、非常に新鮮で示唆するところ大でした。
次の「凍月」の政治の扱いと比較すると、「凍月」のそれはうぶで薄っぺらに見えます。人間の生の確執の、血肉の臭いが欠けているのです。
物語の火星には、エチゾチックな異星の人工物も深遠な謎も無く、私たちは、登場人物たちの、生きるということの普遍性に惑わされ、どこか夜行で二日の向こうにある荒れ野くらいにしか思えなくなるのですが、しかし、そこが火星であることを登場人物が改めて悟るとき、我々もまたリアルな火星を体感することができます。
それは得難い感覚です。
異邦人であるということ、異邦人になるということ、火星人になるということを、感じましょう。
恐らく、これは名作です。
「レッド・マーズ」の所で書いてしまいましたが、物語の主軸として展開してゆく政治的あれこれは、非常にうすっぺらに見えます。まるでTVドラマか公開討論(という名のショー)を観ているかのようです。政治がどんな具合に動いているか、知っているくせに、見えない振りをしているかのような感じを、今では受けます。
これに、冷凍人体保存ネタの延長としての凍結脳からの情報読み出しと、わざとぼかしたノアク系ガジェットが最後に絡んで、という話なのですが、これがまたえらくいい加減で、何かどうでもいい話なのです。
駄目駄目とは言わないまでも、私の評価はかなり低いです。
立て続けに駄目駄目が並びます。
表題の通り、ナノマシンネタ、なのですが、所謂医療系ナノマシンの延長線上のもので、別に生物起源のテクでも良い話であり、ナノテクの魅力というものが全く無視された感があります。何だか、ドレクスラーの主張の一番夢想に近い部分と一番の弱点を掛け合わせたような、よーわからん作品です。
ナノマシンの扱いは細菌と魔法のかけあわせ以上のものでなく、未来描写も、”夏別荘社”のそれを除けば、設定と描写のレヴェルは水準以下でしかありません。人物描写も何というか……
もーちょい、慎重に買う本は選ぶべきですね。はい。
ぼーっとTVを観てたらやってた「人間大学」ネタが時間SFだったんで、それでこの作品を思い出しました。
時間というものの速度と質量に、いまさらながら圧倒されています。そう、1998年は、来てしまったのです。全く、今が1998年で、これから寒くなって暫くすると、1998年は”去年”ということになってしまうのです。
いまは1998年。冬へと向かうケンブリッジ。環境悪化による災害にあらゆる分野で後退を迫られる世界。致命的な自己複製分子の蔓延は生態系全体を破壊しようとしていた。物理学者レンフリューは、過去を救おうとしてタキオンビームを天空の一点へと向ける。
過去の地球のあった位置へ。光速より充分に速ければ、過去の地球へ到達できる。
いまは1963年。夏のカリフォルニア。物理学者ゴードンは、彼の研究対象、インジウム核磁気共鳴現象に紛れ込むしつこい雑音に悩まされていた。雑音源候補を片っ端からチェックしても残ったそれは、半ば規則的なバーストの連なりだった。
それは未来からの通信、この実験を、インジウム原子核を狙い撃ったタキオンのパルスだったのだ。
再読して、その描写の豊かさに、改めて驚きました。何度も再読した作品ですが、再読に耐えるレベルの作品を読む、あの歓びは変わりません。
時間通信SFの最高峰です。これがハードSFです。
そして、もう18年が経ったのです。
いい塩梅のカバーイラストです。
内容は、前作に劣ります。前作の構成の妙が完全に失われており、ヤングアダルトの標準的フレームに沿って物語は進行します。雰囲気は良いんですが、要素を駆動する構成に駄目さを感じました。
夏期休暇の一日を使って、古本屋巡りをすることにしました。手にはこの本。
目当ては郊外の大型古書店。神保町辺りに群れているちびっこい店を一つ一つ潰していくなんざ、効率が悪くて仕方がありません。この本によれば、大型古書店の進出が著しいのは八王子方面、特に京王堀ノ内近辺には四つ星級が三軒あるとのこと。
さんざ迷って辿り着いた京王堀ノ内。早速探索……広大な店舗?品揃えは圧巻?それは一体どこの話だ?
故郷某都市の誇る巨大古本屋チェーン”満遊書店”のスケールを想像していた私が馬鹿でした。やはり関東に巨大古書店は存在しないのでしょうか。
それと、何故「ガケップチ・カッフェー」って一巻目しか見つからないのでしょう。
最近なにやらこの雑誌が面白いです。
今月目に付いたのは「PocketBSD」NECのモバイルギヤ、CEマシンで無い方にBSD-UNIXを入れるという話。インストーラ付きのバイナリが配布されています。
Linux等のPC-UNIX関連で、パッケージソフトウェア産業が立ち上がりつつあります。この盛り上がりの直前にSUPER ASCII誌が消えASCII NT誌が立ち上がったのは何かの皮肉のような気がします。Microsoftはどういう反応を示してゆくのでしょうか。NTのバグを片っ端から潰すか、OSをフリーにでもしない限り、恐らくWindowsNTのシェアは少しづつLinuxに侵食されてゆくでしょう。NT5.0はMicrosoftの首を絞めてゆくでしょう。
裏表紙にはiMac。実物は想像よりふたまわり程も大きくて、あの取っ手に意味があるのだろうか、と思ってしまいました。
デザインは良いです。断然良いです。マウスのデザインとOSを除けば、素晴らしいプロダクツだと思います。80年代初期に構想されたPCの理想の一つの結実だと思います。
いいっス。一個欲しいデザインです。
しかし、自分が次にPCケースを買うときは、真四角、てっぺんが真っ平らで曲線の無く、前方パネルには5インチベイがその拡張性を主張する剥き出しのデザインを選ぶと思います。実際のところ、今のケース、コリント式ギリシャ神殿とバウハウスの合いの子のようなゲートウェイのフルタワー、結構気に入っているんです。
でも、本当に欲しいのはウェアラブルマシンなんですけどね。
特集はミュージアム。雑誌で紹介される建築デザインはどれもはっとするような面白味や新しさに欠けています。ただ、紹介されたデジタルミュージアム,アルズ・エレクトロニカ・センターとカールスルーエ・アート&メディア・テクノロジー・センターは注目に値します。これらが収集者としてでなく、祭りとデモンストレーションの場として機能してゆけば、素晴らしいものに出会えるでしょう。
遂に最終刊
「程よい具合に油断ならない、信用ならない雑誌」だったと思います。全然クールじゃ無かったけど、結構見逃せなくて、頭の中のトーチの焚き付けには最高でした。
でも、なぁに、そのうち似たようなのが見つかるさ。
日本のパーソナルコンピュータ系コラム屈指、いや最高の名コラムの単行本です。古本屋のワゴンにてゲット。「夕2」も欲しいのですが、本屋じゃもう手に入りませんよね。
内容にはもう歴史を感じずにはいられません。マーフィーの法則、テトリス、こいつらはここが最初に取り上げ、広まりました。このコラムが歴史を作ったのです。スパイスの効いたハッカー好みの料理の話題も良い。架空のアセンブラ命令セット、これは大好きだ。JTZ(トワイライトゾーンへ)とか、AFVC(怪しい定数を加えろ)とか、EPI(直ちにプログラマを処刑しろ)とか、こーいうセンスがたまりません。
で、探すと有りました。ここに怪しい命令セット全部揃っています。
デスマーチ。それは、日程か、予算か、人員か、これらの組み合わせか、最悪なことにこれ全てか、とにかく足りないプロジェクトのことを指す。
ここで論じられるのはソフトウェア開発についてであるが、勿論、その他のプロジェクトにもそのまま適用できるだろう。著者は、プロジェクトの”通常”のモードはデスマーチであると論じている。そして語られるのは、デスマーチの中でどのように振る舞うべきか、なにをなすべきか、何を排除すべきか、だ。自分のプロジェクトにちょっとした暗雲を感じている向きは必読である。その暗雲は間違いなく嵐の予兆なのだから。
論じられているのは、ほとんどが政治的な事柄だ。(最近、この関係に敏感になってきた気がする)純粋に技術的な問題しかないプロジェクトなど存在しない。この本の内容は、ほとんどが常識的な事柄だと感じるだろう。だが、この手の政治的な事柄について訓練された技術者など居るだろうか。見渡せば、あなたは愚かさの中にいることを発見するだろう。
さて、私はといえば、愚かさメータがビンビン振れているカミカゼ・プロジェクトの中にあり、あまりにも明々白々でありながら手出しできない事柄にため息をつく毎日なのですが、まぁ、ディルバート風ユーモアでもって、どーにかこーにか、足掻こうと思っています。皆さんも、頑張って下さい。
重力場遺伝子!このハッタリ効きまくった言葉、設定!
この設定を相手に消化不良ぎみな第一巻を過ぎると、とたんに物語は饒舌さを加えてくる。第三巻、そして最後に至り、物語当初の謎の幾つかなぞほっておいて、豊かな広がりの中に、私たちを連れていってくれます。
かなり良し。
何時の世にも闇は我々を取り巻く。近代イギリスの夜空にも赤い月は昇る。反キリスト勢力より大英帝国とプロテスタントを守護する王立国教騎士団、特務機関”HELLSING”。血をすする不死者、ヘルシングの手先アーカードが、夜を硝煙の匂いで満たす。
闇には闇を!化け物には化け物を!コマを埋め尽くす漆黒!狂った眼をした影、巨大な自動拳銃、そして悪鬼の如き暴力!
平野耕太の待望のハードバイオレンス「ヘルシング」遂に単行本第一巻刊行!パンツァーイ!ハイル!ジークヒラノ!あとは連載落とさず、最低「CROSS FIRE」全話収録できるまで、頑張って頂きたいものです。あと「聖学」単行本化も。
とにかく一読を。尋常ならざる迫力に打ちのめされてください。