「そんなこと、しってるさ」
少年は口をとがらせて言った。
「『東方風の中の剣』だ。典型的なハイ・ライト・ファンタジーで、20世紀末から、21世紀初頭にかけて繁栄し、そして滅びたんだ」
「うんうん、メモリアル・バンクを見学したことがあるんだね。あそこの古びた文体の断片を見たんだ。えらいなあ」
「おじさん、それじゃわかってるとは思うけど」
エビス博士は少年の言葉をさえぎった。
「もちろんわかっているとも。さて皆様がたは」
そこで、ソフトウェア考古学の権威は、聴衆をぐるりと見渡す。
「なぜ、ハイ・ライト・ファンタジー種の大絶滅が起きたのか、非常に栄えていた小説形態の突然の絶滅の原因について、疑問に思われていることでしょう。
なぜ大絶滅は起きたのか、その原因を理解していただくには、それには、少しばかりハイ・ライト・ファンタジーの持っていた特殊な性質について知っていただかねばなりません。
「まず、簡単なバーチャルスペースを思い浮かべてください。ファンタジー小説たちが生息する仮想空間です」
そこで博士の背後のプロジェクターに、3DなCGが浮かび上がる。観衆の周りをスニー**文庫や富士**ァンタジア文庫の幻影がバサバサと飛びまわる。その扉絵、背表紙のリアルさに、人々は息をのんだ。
「20世紀末、90年代中葉に、この空間に変化が訪れました」
論壇の両脇にジャングルが盛り上がる。ソテツの葉のあいだから、有名な文庫本ラインナップが顔を覗かせ、ひと声吠えた。
「スェガ・ジュピターシステム上で動作した、『ソーサル・キングダム』をきっかけとした、第二世代型、コンピュータ臨場感生成RPGブームの到来です。
それは結果として、大量のリプレイ小説を産み出すこととなりました。不十分な臨場感は、その分プレイヤーの想像力を刺激するものです。
「その中の一冊、それにはこれまでの小説とは異なる点がありました。
さて、皆さんは、コンピュータ・ウイルスのたぐいについて、それが自己増殖するソフトだということはご存じのことと思います。小説もまたソフトの一種です。
皆さんの頭脳というコンピュータで走るソフトなのです。
新しい種類の小説のこれまでのものと異なる点、それは、自己増殖するということでした。
それを読んだものは、自分にも書けそうな内容や、想像力を強力にかきたてる身近なイメージなどに強烈に創作意欲を刺激され、自分でも同じような小説を書かずにはいられなくなるのです。
しばらくすると、市場はその種の小説に独占されることとなりました」
ジャングルの中から現れる有名どころ、ファンにはお馴染みの連中が、やがて聴衆の周りを行進しはじめる。『風の都と雪の都』、『ダイモニオ』……、それは新書版で、ほとんど全部カラー化され、十数ページごとの挿絵、各ページ見開きの隅にかなりの大きさで入るカット、CD−ROM版もほとんど似たようなもので、
『月ののぼる森』、『エンジンの女王』、『イェンアムールという名の宝石』・・行進はさらに続く。「繁栄は、およそ十年もの長きにわたり続きました。そしてやがて滅びの時がやって来ました」
バサバサと床に落ちてゆく音。めくれるページがぼろぼろになり、溶けて土になり、燃えて灰になり、砂のようになって風に飛ばされた。
「2006年11月、シムスティムソフトの『琥珀街物語』を契機として起こったライフスタイル・バーチャル・ブームが風向きを変えました。身近な生活の中の空想へとです。
エルフやチェインメイルには皆もううんざりしていたのです。剣と魔法の世界に特殊化しすぎていたハイ・ライト・ファンタジー達は一夜にして読者に見捨てられ、市場から影も形もなくなりました」
いつの間にか演壇のジャングルも消えている。スクリーンが消える。
「これが現在判っている、ハイ・ライト・ファンタジー種のこれまでのおおよその歴史です。現在のそれは、大情報サービス社の、揮発しかけた古いデータバンクの混沌の中に、まるで化石のように埋もれている断片、それが世に知られている限りのものです」
演壇のエビス博士はそこで言葉をきった。少年は何だかわくわくしてきた。壇の上のおじさんが劇的効果をねらっているのは見え見えだ。何だろう。
「しかし、ハイ・ライト・ファンタジー種の歴史は、それで終わりではなかったのです。 いま、歴史は新たな出発を迎えようとしています。この瞬間にです!」
博士は両手をひろげ、顔に満面の笑みを浮かべる。一瞬きょうとんとしていた聴衆のあちこちで、隣の人間とのひそひそがはじまる。
「カオスやフラクタルといった複雑性の理論群は、全体が部分に似ることを証明しています。われわれの開発した新しいアルゴリズムは、部分から高次情報空間に繰り込まれた情報を再現することに成功しました。このアルゴリズムを使えば、ある程度の長さの断片から全体を復元できるのです」
ざわめき。少年は満面の笑みだ。
「ハイ・ライト・ファンタジーは、今ここに復活したのです」
湧きあがるような拍手。興奮した聴衆が手を振り回す。「科学の勝利だ」
「さて、みなさん、これが蘇ったファンタジー小説形態たちです」
と言ってポケットから数枚のメディアカードを取り出す。リモートトレイが聴衆のあいだを通って、同じ様なカードを渡してゆく。
「君にはこれをあげよう、ほら、『東方風の中の剣』だ」
博士からそれを受け取った少年はお礼の言葉もそこそこに、カードを後頭部のスロットに挿入した。ちょっと目をつぶる。そして、
「なんてへたくそなんだ」
そう言うと少年は立ち上がり、会場出口へと走り出す。
「おおい、坊や、どうしたんだい」
背中に博士の声。少年の心は既に自分の家にある端末の前にとんでいる。
−題名はもうきまった。『帝国の黒銀の剣士』だ。粗筋は−「皆さん、そんな、今すぐ帰らないでも、ここに居ても、」
博士の声も空しく、聴衆は帰り支度で大混乱をはじめている。ファンタジー小説の筋書きに夢中で、上の空のもの同士がふとしたはずみでけんかをはじめ、混乱にいっそう輪をかけた。頭にスロットのない初老の男がつぶやく。
「むやみな科学の進歩は、悲劇を招くもとなのだ」
エビス博士は気付き、はっとする。
「もしや、今の我々の文化ニッチにおいて、かつてのハイ・ライト・ファンタジーの領域が空白だったとすれば。そうだ、そしてそれは今、やすやすと元の地位を占め・・・」
老婆が、大きな白木の玉と紫の房飾りの数珠を繰って言う。
「たたりじゃ、もんすたあのたたりじゃあ」
ハイ・ライト・ファンタジーは復活した。昔日の勢いそのままに。
「なんたることだ……」
頭を抱える博士。
その手が後頭部の拡張スロットに触れる。