パットの鬼
(04/5)
およそ凡ゆる競技というものは、敗北に憤慨、一念発起し来るべき勝利に向け研鑚を積む
 ことにより上達が図られるものであろう。それはとくに本誌への登場比率の高い麻雀、
 ゴルフにおいても例外ではない。
黄金週間真っ只中の5月4日、千葉は国際CCにおいて前川
 賢司氏、芝村茂樹氏、豊田裕氏、粥川の4名にてゴルフが
 行われた。言う迄もなくこのメンバーは、前記事にある囲卓
 の会と面子が重複していることがミソである。

麻雀は高橋洋理事長の尽力により、精緻な規約が定められて
 いる。これに準じ囲芝の会(仮称)においても、囲卓の会に
 は及ばずとも、毎度プレーの前にルールを確認する煩雑さ
 を解消するためにも、統一規約を定めておこうという機運
 が、卓に遅れること約1年弱の昨年後半に生まれた。
ゴルフ・ルール
@適用者(敬称略,04/5現在)
・芝村、前川、河田、粥川、豊田
・賛同者は適宜、対象に付加す。

Aスコア
・前半9ホール、後半9ホール、
 前後半トータル :各5ポイント
・バーディー   : 2ポイント
・ラスベガス(1)は任意に採用可。
 但し各ホール1ポイント扱いとす。
・原則としてハンデは設けない。

Bショット
・ニアピン    :各3ポイント
 持ち越し累積有。但しパー縛り。

Cパッティング
・オリンピック(2) :各4〜1ポイント
 但し3パット以上は▲1〜4ポイント
 *金剛金銀銅鉄全揃え  3ポイント
  金銀銅鉄揃え     2ポイント
  金剛石をジョーカー扱いとして、
  金銀銅鉄揃え     1ポイント
・砂イチ,竿イチ(3):各1ポイント
 但し竿イチ3パットは+▲1ポイント

(1)第一・第四打者、第二・第三打者のスコアを
  各々優劣の順に並べ、少ない者を勝者とす。
  第一打者より順に4,5,6,7だった場合、
  47対56で第一・第四打者ペアの勝利。
(2)全球がグリーン上の載った時点で最もホール
  に遠い球から金銀銅鉄とし、1パットでイン
  した場合、各ポイントが与えられる。
  グリーン外よりのチップインは金剛石として
  5ポイントの上、金銀銅鉄の何れにも代替可。
(3)砂イチ:バンカーショット後1打でイン。
  竿イチ:残ワンパットでのインを宣言し、
   宣言通りワンパットでイン。
その際、麻雀にハンデが無いのと同様、ゴルフ
 の技量の良し悪しがストレートに結果に反映
 されるべきと主張する河田浩氏と、麻雀に運
 の要素が欠かせないのと等しく、必ずしも
 実力のみが勝負を左右すべきでないとする
 前川・芝村・粥川三氏の意見を仲裁する形で
 芝村氏がオリンピックを基調とする規約案を
 策定、ゴルフ競技の豊富な経験を有す前川氏
 の補足意見を経てこれが採択された。

して今般は河田氏の日程が合わず、これ又豊富
 な競技経験を持つ豊田裕氏が出馬された。
 豊田氏はこの度出向され、その後任が前川氏
 となる深い縁に彩られたメンバー構成である。
 また長男の誕生により昨年終盤よりゴルフを
 控えていた粥川に取っては、本規約適用競技
 への初出陣となった。

オリンピックとは競技者の全球がグリーン上に
 乗った時点で最も遠距離の者がワンパットで
 インした場合を4点、以下順に1点まで得点
 を与える方式で、俗に最も遠い者から金銀銅
 鉄と呼称することからこの命名がある。即ち
 オリンピックを基調とするということは、
 ゴルフの技量そのものには優劣があろうとも、
 素人のパッティングには大きな差異はなく、
 運の左右する要素が大きくなるという前提の
 基に成り立っている。

しかしながら蓋を
 開けてみると悲惨
 だった。芝村氏策
 定のオリンピック
 が通常と異なって
 いるのは、ワン
 パットなら得点が
 与えられる替りに
 3パットした際に負点が附加される、しかも最も遠い者、即ち金が▲1に始まり、最も
 近い者、銅ならば▲4という、合理的と言えばその通りだが、極めて厳しいルールが
 追加されていることだ。

前川氏も粥川も早々に鉄の3パット=▲4を記録し、意欲が削がれていく一方で、着実
 に得点を重ねる芝村氏。一寸思考を巡らせれば気が付くことなのだが、パットの技量
 とはいえ決して同一ではない。果たしてこのルールは決して3パットをすることのない
 自信に満ちた芝村氏のために存在するルールではないのか(笑)という疑念がふつふつと
 湧き上がってくる。粥川は3階建てに積み上がったニアピン9点で起死回生を得はした
 が、実は最初のニアピンも一旦は手中に納めながら3パットで手放したものだし、幾ら
 イージーミスとはいえ鉄の3パット=▲4を2度記録すればチャラに過ぎない。

結果として事前にはハンデ申請もした豊田氏が昨今の好調を維持し2位に付け、パット
 に祟られた前川氏が大敗の卓換算-120、粥川は本来のスコアも最下位に沈み大枚同-140
 を放出したのだった。

前川氏の豪快ショット
麻雀もゴルフも大勝する芝村氏、それは卓における一・二軍
 エレベーター戦法や、芝におけるパッティングへの傾注に
 見られるが如く、規約に合わせた体質を構築すること、況や
 自らの得手不得手に合わせたルール策定に影響力を及ぼす
 その巧みな話術に由来しているのだろうか。勿論、それは
 一定以上の技量を獲得したが故に可能な技であり、恐らく
 芝村氏にも向上過程における敗北の日々は存在したのだろう。
 しかしながら我々の眼前に現れた芝村氏は既に一日の長を
 有した芝村氏であり、その結果現に毟り取られていることに
 対戦者は曰く言い難い寂寥感を覚えるのだろうか。

とはいえこのまま黙って指を咥えている訳にはいかない。粥川は今後のハンデ進呈の
 有り難いお申し出も辞退し、何時の日にか氏の高笑を打ちのめさんがため、パットの
 練習に勤しむのであった。

鴨なき世界
(04/4)
2004年春の囲卓の会は遂に長駆新潟遠征。年度の変わり目
 故か、果た又嵩む交通費に財布の紐が締まったか、前回
 史上初の三卓制を成立させたにも拘わらず、一卓6名挙行
 も目前に高橋洋本会理事長の奮闘で、石塚正則氏(NA88)の
 初参加が決まり、更にディフェンディング・チャンピオン
 の矢野酉太郎氏の日程調整を経て、予備役なしの2卓8名
 フル操業に持ち込み、4/3-4開催された。

今回特徴の第一は26回の史上最多半荘数を記録したこと。
 これは全編に亘って割れ目ルールを採用、ギャンブル性を
 高めたため東1局飛びも頻発し、また早々に終了した卓は
 もう一卓との時間差を利用し、効率的に風呂休憩を活用し
 得たこと、更に交替要員無しが寧ろスムーズな回転を喚起したなど、望外の成果と言えよう。

もうひとつは会創立以来連続出席を誇る高橋理事長、粥川同議長の両名が揃って大敗した
 ことである。スロースターターの粥川は毎回2半荘程度の夕食前に早々5半荘も回転したの
 が祟ったか、マイナス街道をひた走り-100台を揶揄すワンハンレッド・クラブから、一時は
 ツーハンドレッド・クラブと最下位を独走。零時を回り漸く復調し、初日最終局で今回最高
 役となる渾身の割倍満で戸矢博明氏を飛ばし二桁台迄急回復を見せるが、二日目陽が登ると
 再び沈黙、傷心の7位に終わった。一方の高橋理事長も前半こそ浮沈の繰り返しだったが、
 深夜枠に入ると粥川と入れ替わる様にラス3局と二軍卓に腰を落ち着け、「毎度マイナス
 三桁の河田(浩氏=今回不参加)の気持ちが判った」と述懐せざるを得ない大不振に陥った。
 翌朝盛り返したものもこちらも辛くも6位、仲良くワンハンドレッドクラブを形成したのは
 常任理事としては
 屈辱の一言。直ち
 に両者は理事職の
 進退伺いを提出
 したが、特に高橋
 理事長は宿選択、
 行程管理をはじめ
 幹事遂行において
 余人を以て替え
 難いことから参加
 各員から慰留の声
 が留まらず、次回
 常任理事会にて、
(左)夕食時、独走する芝村理事に接待攻勢を掛ける面々 (中)自棄になり(?)唄う議長
(右)優雅な露天風呂。毎度ながら観光もせず到着早々牌を広げ、食事も味わうより速度
ばかり重視する面々に戸惑いを隠し切れずも、充分持てなしを戴いた旅館・長生館に多謝。
 改めて再任が為されるのは確実と見られている。

さて改めて両点を眺めてみると、双方を結ぶ鍵は「河田浩氏の不在」であることが浮かんで
 来る。先ず割れ目の採用は規約による参加会員全員の同意が必要とされており、これに否定
 的な河田氏の参加があれば、成立しなかっただろうということ。更にこちらがより重要なの
 だが、河田氏が一身に背負ってきた「鴨」の称号に相応しき栄光のマイナス三桁が消逸された
 がため総員の負の配分が増え、それを担ったのが理事長・議長コンビという分析である。
勿論原因はそれだけでは
ない。新登場の石塚氏は、
前回は再び牌の世界に足を
踏み入れることを恐れた
奥方の許可が出ず、たとえ
参加が叶ったとしても本頁
には「中部のI氏」として、
目に黒墨を入れ掲載せざる
を得なかった(?)とされる
程の猛者であり、現実に
ダマで240Z(24000点)
を炸裂するその姿に、粥川
(左)初の試みサンマの図。中央は新参加の石塚氏。(右)長生館前にて。
 が「会の趣旨が変わって仕舞った」と吐息を付く程。牌の申し子・矢野氏を除く本会常連陣
 とは一枚も二枚も腕が違った。加えて前川賢司氏は最下位転落目前から二日目一挙に100
 ポイントを回復。最早馬券で損失補填に苦悩する必要もなく、振らない麻雀を基調に終始
 麦酒を煽り、飲み過ぎでアルコールを小休止すると手の方も小休止というオチこそ付いたが
 そこには最早ハコを幾重に被り続けた昔日の姿はない。更に名古屋で揉まれたが故の手堅さ
 が真骨頂の林義隆氏という面々である。

もう一度粥川の述懐に着目したい。「会の趣旨が変わった」とは言う迄もなく前川氏、河田氏
 はじめ今回欠席の大西基量氏、小松雅和氏ら、気前よく放銃する「鴨」を面子に引き込むこと
 により、創立以来の常任理事陣は負の世界への転落を意識することなく、労せず優勝争いに
 邁進出来る「勝利の構造」が、矢野氏に始まり昨今の林、石塚両氏ら既に確立された打ち手が
 加わり、同時に前川氏の如く鴨も何時の日か巣立つという事実により、脆くも瓦解せんとし
 最早自らが鴨に転落せんばかりになっていることを示している。それは、新たな鴨の餌付け
 を怠ってきた常任理事職の怠慢であり、それ故に前述の不名誉とともに彼等は進退伺いを
 提出したのだが、一方で自ら鴨化し養育不足の責を負い、見事に常任理事の職務を果たして
 いたがために進退伺いは理事会預かりに留められたとも言える皮肉な現象だった。
しかしこれ迄連々と述べてきた分析に当てはまらぬ人物が
 一名存在する。誰あろう、芝村茂樹常任理事である。
 同氏は出足から飛び出し、一半荘+100ポイントを2局も
 記録、二日目一局終了のピーク時で+360に到達した。
 この後息切れし、逆スリーハンドレッドの新記録こそ
 逃したものの、お馴染みの毒舌と人の痛みに付け込むが
 如くの秀逸な打ちっ振りに囂々たる誹謗の声飛び交う中
 断突の優勝を飾り、高橋・粥川両名と明暗を分けたのは
 最早呆れを通り越え、天晴れの一言に尽きよう。

なお戸矢博明氏が粥川の一撃以降坂を転げ落ちるが如くに
 最下位へ。同氏曰く「芝村さんと一緒の卓だった時の方

深夜3時半の初日最終卓。
いい加減皆お疲れモード。
 が好調だった」と、エスカレートする舌戦を繰り広げた好敵手への屈折したエールを送って
 いた。信越本線・新津駅到着後にATMを求めバスを迂回させた懐の暖かさが徒となったか。
 また今回は予備役不在に配慮し、サンマ(三人麻雀)条項が盛り込まれたが、提唱者の林氏
 自身が東海道・上越両新幹線を乗り継ぐ長旅のため一足先に退散、初のサンマ卓が成立し
 慣れぬレギュラー陣が大役連発に目を白黒させていたことを付記しておきたい。
さて終局後にはもうひとつのイベントがあった。それは
 本会に長く寄与した小林大祐・裕子夫妻との再会である。
 そもそも常昼一日制の健康麻雀が基本だった「囲卓の会」が
 一泊二日温泉麻雀に移行する契機となったのが、常連面子
 ・小林夫妻の新潟転勤に伴い、東京と中間に位置する水上
 温泉を会場に選択したことに端を発している。夫妻の出場
 は03/1の浅間温泉以降途絶えているが、昨年12月に長女・
 碧(あおい)氏が誕生。今回も危急の面子不足の際には大祐
 氏の緊急出動も検討されており、新潟市内でへきそばを
 食しながら暫しの懇親において、夫妻は次回秋季大会への
 1年半振りの復帰を明言した。

想い起こせば小林夫妻こそ、初代の光栄ある「鴨」だった。
彼等はある時は一方が、ある
 時は夫婦揃って大敗し、また
 ある時は自宅にメンバーを
 招き手料理で持てなした上に
 ポイントも献上するという
 理想的な「鴨」振りを如何なく
 発揮した。その歓待と得点の
 ダブル・ホスピタビリティー
 は現在、河田夫妻が継承し
 良き「鴨」後継者たり得ている
 ことは周知の通りだが、小林夫妻は温泉麻雀に3回連続出場し、愈々飛び立つかという目前
 で休養を余儀なくされた。恐らく実戦感が鈍っているに違いない。鴨の、しかも2羽揃って
 の復帰に"振り返ればワンハドレッド・クラブ正会員"の高橋・粥川両名が胸を撫で下ろした
 ことは言う迄もなかろう。

勿論、彼等も河田氏もまた何時までも鴨に留まる保証はない。我々はこれからも引き続き
 新たな鴨を発掘しなければならない、と今や高橋理事長代理・粥川議長事務取扱に降格した
 二人は決意を新たに、新潟の街を去っていった。

と書きましたが、本囲卓の会は規約に「麻雀を通して娯楽を享受するとともに、参加者の
 間で交友を深め、以って麻雀競技の世界的発展に資することを目的とする」と謳われる通り
 健全な麻雀遊戯を旨とし、勝敗、増してやポイントの多寡に拘るものではありません(笑)。
 麻雀が好きで、意欲のある人の参加を広く募集しております。勿論、雀力が弱ければそれに
 越したことはありません、何てことは言いません(笑)。宜しくお願い致します。