[文=高橋洋氏,写真=河田浩氏] 司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んだ事があるだろうか?。
始皇帝死後の秦王朝に対して戦いを挑んだのが項羽と劉邦であったが、項羽が天才的軍略家
であり勇猛無比の覇王であったのに対し、劉邦は若い頃は特に取り柄も無い凡人と見られて
いた。しかしただひたすら人柄が良かったため、劉邦の下には次から次へと優秀な参謀や将軍
が集まり、自然と戴かれるようになった。項羽と劉邦は何度も戦いその度に項羽が圧倒的勝利
を収めたが独断的で他人に対し過酷であった項羽の下からは次第に人材が去り、逆に万民に
人気があった劉邦軍は膨張した。最終的に劉邦は項羽を倒し、初代皇帝・高祖として紀元前
202年に漢王朝を開いた。それは広大な中国を舞台とした大河ドラマであるとともにリーダー
シップとは何かを考えさせられる名作でもある。
|
|
今年度のNC合宿は、チャックこと花岡道世(NZ88)
総合幹事長の下、6/25-26に愛知万博・浜名湖は
舘山寺温泉にて開催された。名古屋や東京から
9名が参加し、いつにも増して楽しく盛り上がった
一泊旅行となったのだが、その舞台裏には中国
3000年の歴史に冠たる「項羽と劉邦」にも勝るとも
劣らない、壮大な人間ドラマがあったのである。
●2005年度NC合宿の起源
そもそもNC合宿は97年に平野秀樹(KO88)の呼び
かけによって始まった。松下電器産業に入社以来、
宇治の工場に引き篭っていた平野にとって、年に
|
一度ぐらい元アイセックの仲間に会って大騒ぎをしたいというのはもっともな願いであり、
この年4月、旧NC関係者を中心に11名が浜名湖畔の弁天島温泉に集まった。その後数年の
空白を経て、00年に小林大祐・ひろりん夫妻(SP88)幹事による伊豆修善寺合宿で復活、01年
には高橋洋(TO88)幹事による伊豆高原合宿、更に02年は東京にて粥川善洋(TO88)総合幹事長
の尽力によって、盛大に「10年祭」が開催されるに至った。
03年は前川賢司(KG88)幹事の下、伊豆長岡温泉にて開催されたが、これが今年度NC合宿の
起源となった。毎回NC合宿においては翌年度幹事を決めることが恒例になっており、04年は
は芝村茂樹(KB88)が、ついでに05年は愛知万博と絡めてチャックが幹事を務めることが合意
された。しかしながら当初パワーポイントの資料を作るなどやる気まんまんだった芝村の
今から思えば止むを得ぬ個人的事情により、04年はキャンセルという結果となってしまった。
迎えた05年は、あの天真爛漫・自由奔放なチャックが幹事である。これだけでは大いに心もと
ないので、緻密さには定評のある芝村を任期延長で幹事代理兼首都圏代表とし、名古屋と
東京の二極体制で幹事業務を遂行することとなった。しかしその幹事代理は5月からの上海
赴任が急遽決まった旨を3月に発表し、幹事は再びチャック一人になってしまう。果たして
今年度のNC合宿は実現するのか、NC合宿の歴史は幕を閉じてしまうのか、心配したのは
筆者のみではあるまい。
●幹事団の結成1:裏幹事
芝村の上海赴任声明の後、最初に動いたのは芝村の盟友でもある高橋であった。一般にNC
合宿の場合、出席者の過半は東京在住となる。愛知万博は名古屋で開催されるとしても、
東京発の交通手段を含むパックツアーを予約し、そこに宿泊のみ名古屋勢が加わるという形に
するのが物理的にも金銭的にも妥当であろうと、松尾(旧姓:小田)智晶(DO88)から終身名誉
幹事(※筆者注:なんで名誉なのに現職やねん?!)と呼ばれている経験豊富なツアコンは
考えていた。花岡幹事長から頼まれもしないのに勝手に旅行会社のパンフレットを調べ尽くし
「JR+愛知万博+三河の温泉宿泊」というプランを企画し、温泉宿の選択肢と予算案を花岡
幹事長に伝えるというお節介ぶりであった。
それに素直に喜ぶとともに、お尻に火が点き始めたことを感じた花岡幹事長は、ようやく日程
の決定に動き出す。今回の主題である愛知万博は3月末か9月末までの開催であるが、暑く
混雑する真夏を避けるならば、必然的に6月ぐらいまでが望ましい。これも幹事でもないのに
一人で焦りを覚えた高橋からの進言なのだが、もう万博が始まろうという3/22に6/25-26の
一泊二日の日程が決定された。
高橋はこれを踏まえ、花岡幹事長に人数確認と宿泊先の決定を依頼するが、チャックのお尻は
まだまだ余裕があるようであった。ようやく黄金週間明けに、花岡幹事長から「ひえ〜5月に
なっちったぁ〜」とのメールが送信され、予約内容の判断が下った。高橋はすぐさま旅行会社
を通して予約手配をするも、花岡幹事長に提案していた三河の温泉宿はその時点で全て満室
となっていた。が名古屋からは少々離れるものの浜名湖の舘山寺温泉・ホテル鞠水亭を確保。
そして5/16に花岡幹事長より関係者全員に対し、宿泊や交通手段を含む旅程の全容が発表
されるに至ったのである。その午前5時13分に送信されたメールは自らを「表幹事」とした上で
高橋を「裏幹事」と呼び目一杯持ち上げる内容であった。曰く「世の中、何かと"裏”の方が、
有能なのよね・・・(^^;)」。
●幹事団の結成2:万博担当幹事
高橋がパックツアーの予約に専念する一方で、愛知万博についての情報提供にこれまた頼まれ
もしないのに立ち上がったのは、林(旧姓:杉浦)義隆(NA88)であった。林は既に何度も万博を
訪れており、その経験を踏まえ5/16の花岡幹事長からのメールに対して、4時間後には「愛・
地球博(万博)に関しての情報です」という返信を送った。その非常に詳細にわたったメールの
中では会場の広さ、待ち時間、パビリオンの予約の方法、暑さ対策の必要性など、実用的かつ
的確な助言が次から次へと繰り出されていた。林曰く「パビリオンの予約ができなくても
幹事殿のせいではありません」。
|