壮大なる実験
(98/9)

 どうやらAIESECは変わったらしい、という記述が本誌
掲示板
  幾つか見られる。それは例えば、OB会に行ってピアスを付けた
  兄ちゃんばかりで「変わったなぁ」と感嘆する、老人の懐古の
  様な「変わった」ではないようだ。

 AIESECは研修に特化し、本誌記事「黒子になる日」もその可能性を
  賛美したKING企画なども、別組織に移管されたという(西川武志氏
  ら指摘)。勿論、インターンシップ制がようやく日本でも認知されてきたという背景と、
  さらに言えば現下の日本経済の不況、設立当初のOB受けという狙いもあろう。

 ただ、かつて拙著「覇道への暗躍」に記された「AIESECは壮大な実験場だ」との至言に鑑みれば、
  活動の幅を持っておけば、様々な人間がAIESECの場と資金を活用し、多様な実験を試みる
  手段は広がるのではないか、という指摘は否定できないだろう。況や研修への特化自体が
  現執行部の「壮大な実験」のひとつであるならば、桐本慶祐氏の云う「振り子の論理」が
  働く日も訪れるやも知れないが。

 いずれにしろ、AIESECという同じ名称ではあっても、時代毎に別個の団体であることは言う迄
  もない。我々は新たな実験の成果を、温かく見守ろう。

 [追記]本記配信後、内野洋次郎氏、金田喜人氏らから貴重な情報を戴いた。詳細は掲示板ご参照。
 

野生の週末
(98/8-9)

 米国時間29-30日、紐育は弓場家にて「Wild Weekend 2」
  が開催された。同会は弓場潤一氏が主催、米国在住者を
  主に不定期に行われており今回は
本年3月に続く第2回。
  30日には入米した椙山泰生・彩子夫妻を主賓に迎えた。

 写真は、左より高橋洋氏、牧野卓司氏(NA87)、大塚
  雄三氏、弓場真由美氏、一人おいて弓場氏、椙山夫妻、
  荻原千恵子氏(ICU87)、撮影戸矢博明氏。(30日)

 右下は、29日。原口裕一氏(TO90)、伊藤弦氏(KO89)、
  小林武氏(KO89)、藤生始子氏(HI91)らの顔が見える。
 詳細は、掲示板519-21,23-29より。写真・同コメントは、弓場潤一本誌米州総局長(/伊藤弦氏)
  なお、弓場家の頁にも本項写真が掲載されている。

 

 

ノートブックを前に本邦金融事情等
ディスカッションする金融サブコミの
ウォートン・マフィアなお二人
金融サブコミがアカデミックに盛り上がる中、本頁に怒涛の
記帳を行う「掲示板サブコミの皆様」。今回の会合では弓場家
所有のネットワークリソースがフルに活用された。(弓場氏解説)

青い鳥は見えたか −転身と転心
(98/8)
 88世代の就職期は歴史上ではバブル崩壊期と位置付けられるが、当時の実感ではまだ好景気の
  余韻が残り、概して就職活動は楽だった。恐らく大部分は長期雇用を前提とした就職だったろう。

 勿論これ迄も転職は少なくなかったが、それは上田谷真一氏(ブーズアレン→Ohmae&Associates)
  や二木桂子氏(ボストン・コンサルティング→レミーマルタン)、また笠原健司氏(TO86、富士総研→
  アーサー・アンダーセン)らの如く、半ば転職前提のコンサル系会社からの転身か、椙山泰生氏
  (TO87、ソニー→東京大大学院)に代表される学業復帰組に限られていたと言っても過言ではない。

 が昨今、これと異にするところは、齋藤治彦氏(TO86、日本銀行→KPMG)、戸矢博明氏
  (TO89、大蔵省→ゴールドマン・サックス)らに見られる様、伝統的日本企業からの雇用の流動化が
  進んでいることだ。

 日本的終身雇用制が大きく変革を遂げるかどうかは、企業側の中途入退社への対応はじめ、
  厚生年金の仕組ひとつとっても、一筋縄ではないことは、先に挙げた例、更には旧東大組以外に
  眼を転じても矢野酉太郎氏(アンダーセン・コンサルティングへ)、高崎裕氏(GE横河メデイカル
  システムへ)ら、転職先の殆どは外資系企業に限られていることに典型的に現れている。ただ
  再び
小泉純一郎氏(KO63?)の言葉を借りれば「不安定であればこそ改革の波が生まれる」現状は
  我々若年層にとっては確実に好機であることだろう。

 青い鳥は見えたか。日経連にその答えを望むべくもないが、10年後、更には20年後の我々は
  いったい何をしているのだろうか。
  
 
ビスタ大往生
(98/7)

(94/8、高速道路上でのパンク交換時)
 粥川の老車ビスタが27日、遂に廃車された。同車は87年
  誕生の11年モノ。粥川が使用を開始した大学3年時から
  数えても8年が既に経過している。走行距離は6万キロ
  に満たないが、バッテリー上がりの多発など障害に加え、
  高円寺に駐車場がないことから、今回の御臨終に至った。

 助手席の最多搭乗回数は妻、美和氏と平田泰隆氏が首位
  の座を争うと推察される。関係者も多数臨場経験を持つ
  同車の成仏に改めて哀悼の意を表したい。
 粥川善洋(談) 雨の中、ゴミを靖国神社に捨てにいったり、ナンバープレートを引き千切
  ったりと、車は買う時は楽だが捨てる時は誰も面倒見てくれない、と痛感しました。
平田泰隆氏の新曲はまだか
(98/7)

  平田泰隆 with SKD '96
 本誌既報の「平田泰隆氏新曲」だが、企画発足から1年、
  ようやく実現の兆しが見え始めた。平田氏は91年に「平田
  泰隆 with SK Laboratory」名義で「小樽の海風」
  発表。アルバム「Modern Man」に収録されるとともに、
  95年には合田夫妻御成婚二次会において、同曲のラテン・
  ヴァージョン「紀子の愛」が披露されている。
 新曲が発表されれば約7年振りとなり、山梨で鍛え、バークレーで磨きをかけた平田氏の
  咽喉に熱い注目が集まっている。なお今回のバックバンドは上田谷真一氏も加わった
  「SKD」(仮称)が務める予定。また既報タイトル「バークレイのひと」は変更の可能性がある。