えー、皆さん、「女王天使」って、どんな話だったか、覚えていますか?
覚えていない?そうですか、でも心配要りません。
この話も、そういう物語ですから。
かなり失望しました。マジで1997年初出の作品なのか、疑ってしまいます。
全感覚映画!エリート狂人の陰謀!まったく、ネット的表現であるところの吐血(”ぐはっ!!”)などしたくなります。
キャラクターの造形も、価値観の古さは隠蔽されてはいますが、結論として、ヴィクトリア朝の頃から幾分か進歩したように見える程度の主張をされても…。
今回はベア的超理論はナシ。つまり、見るべきところはありません。
ネットの描写は、まぁ、現実の残酷なほどの変化の早さを感じるだけですね。全文検索かけて、あんな代物しか提示できないとは、しかも有料とは。
”データフロー経済”というものが、ただの単なるオンライン化キャッシュに過ぎない辺りも、お笑いでしょう。ネットとは何なのか、判っていないのです。
ストーリィも、私は、ラストはもっと大きな枠組みの提示と、どんでん返しがあることを予期していたんです。メインアイディアっぽいアレの理屈を”巣宮”に適用すれば、そう、”セラピー”の真の意味とかと絡めて、アッという視野が広がるわけです。
で、ワクワクしていたら、何も無く終わってしまいました。
間違ってもお薦めはしません。SF新作飢餓が限界に達しているのなら、読むのを止めはいたしませんが。
古本屋でずううっと、探していた1冊でした。復刊です。
「最後のユニコーン」のピータ・S・ビーグルの、19歳で書いた、処女作です。
しかし、処女作で、老齢の足音を聞きはじめている年齢の主人公の、墓場を舞台にした現代ファンタジィ、なんてもの書くものなのでしょうか?
めったやたらに気合いが入った1冊です。練られて、凝った、読み甲斐のある文章です。しかし、私は読んでいて何度も眠たくなってしまいました。
なんというか。もちっと世知辛くなってから書いたほうが、しゃきっとする内容だと思いました。
駄目。
…一言で片付けるのも悲しいので、感想を。
文章の冴えがありません。章冒頭で電撃的にイメージを提示し、読者をディティールに飲みこんで行く、あの文体はもうありません。
文学的修辞でごにょごにょと、過剰なディティールを提供しますが、焦点に欠けるため、状況把握に時間がかかり、物語はさっぱり進みません。また、状況把握に集中しているうちに事態が進行して、置いて行かれることもしばしばです。
ディティールは古臭く、的確な死語表現を使えば、”ダサイ”と形容できるでしょう。内容を把握できるようになってみると…話の内容は、どこ? 何?
「『ドラゴンフライ』読んだ?」
「ん?いや、でもそれ、知ってる。去年職場で原書が回覧されてた」
「ほぉー。で、たぶんそれの翻訳。ハードカバー上下巻で出てるよ」
「ありゃ。職場でさ、翻訳してた人がいたんだけど、そーか、翻訳、出ちまったか」
(株)有人宇宙システムに出向している同期との会話で、こんな話が。
凄い内容です。必読です。
宇宙で暮らす。有人宇宙活動を支援する。宇宙開発を推進する。そういった事は全て、人間の活動であり、宇宙は楽園ではなく、人は全てヒーローでは無いのだから、そこで何が起きようと不思議ではないのですが、読んでいて目が醒めた気がしました。
内容は一口で言えば、ギブスンとスターリングの合作短編「赤い星、冬の軌道」です。最後のハインライン的とも言える結末を別として、私の好きなこの作品にあまりに似てしまった現実に、不吉な予言が当たったときの誇りと不安とを覚えます。
勿論、本物の現実は常に想像を凌駕します。船外活動でミールの表面を移動するとき、減圧の振動が響いた時、湿気と煙にまみれたモジュールで日常を送るとき、現実感のある細部があります。
そして、軌道と地上、いくつもの熱意と、愚かさと。
もうすぐ、宇宙開発は、国家主導の時代に終止符を打ちます。しかし、それまで、困難な橋渡しの時期を、我々は、ただ必死に、ただ義務感のみをもって、戦うと言うにはあまりに地味な苦闘をしていかなばならないでしょう。
多分、愚かさと共に。
宇宙船、という言葉の響きに心震えるなら、買うべきです。
今、我々の持つ”宇宙旅行技術”の粋が、ここにあります。
ジオットの応用であるホイップルシールドをダスト上流に向けながらパドルを展開し、地球外の揮発物質を採取し、地球にサンプルリータンするスターダスト、同じようにサンプルリターンを、小惑星を対象に行ないながら、ローバやイオンエンジン推進など意欲的なミューゼスCは、宇宙探査技術の粋です。
火星地表探査を目指すロボット機たち、遥かな外惑星を目指す大型機たちも圧巻です。しかし、きっとダセェ設計もあるんだろうなぁ、等とも思ってしまいます。特に大型機は。
大型といえば、特大の宇宙機、国際宇宙ステーションの建設も続いています。もうすぐズヴェズダーの打上げです。こいつは、技術よりも政治が問題なのですが、どうせ運用で躓くでしょうが、上手くいって欲しいものです。
そして将来技術。レーザ打上げ、太陽熱推進、自己増殖と、技術的関門は多いものの、やがて来るものたちです。
しかし、R・L・フォワードの勤務先、テザーズ、アンリミテッド社って何?
仲間うちでも話題に上がることも多いNHKの番組「プロジェクトX」、番組は様々なプロジェクトを人間模様を主軸に描き出した、45分に収まりきらない内容で、評価できるものなのですが、まぁ、当然と言えば当然なのですが、失敗例には触れません。
失敗したプロジェクトたち。「デスマーチ」では、プロジェクトの成功率を、中規模のものでかなり低く、メンバー百人以上の大規模プロジェクトでは、ほぼゼロとなる、と論じています。
NASAのプロジェクトで、1969年に人間を月に送ったシステムの開発は、成功したデスマーチ・プロジェクトの珍しい例だが、大部分のプロジェクトは始まった瞬間に失敗している。
”シグマ計画””飛鳥””第5世代型コンピュータ””むつ”当初の夢は打ち捨てられ、敷地の隅に追いやられ、そんな事があった事実さえ忘れられようとしているプロジェクトたち。
何故それらが失敗したのか。成功したプロジェクトに浮かれるだけでなく、失敗から学ぶことを、この本を読んでみることを強くお勧めします。
官僚の壮大な旗振りで始まった、夢のプロジェクト。夢の翼は、生まれてまもなく、その生産母体である日航製を失います。企業としては当然の潰れ方だったのですが、生産された182機は世界を飛び、今でも50機近くが現役なのです。退役も近いのですが…
本書の内容は、主観が混じると同時に結論にあいまいな点があります。出来れば前述の「デスマーチ」と併せて読むことをお薦めします。
YS-11開発プロジェクトの最大の問題点は、仕様にあったことは明確です。運用をどうするか、よく考えもせずに立派なものを欲しがる、官僚、政治家、胡散臭い実力者どもの悪癖が、このプロジェクトを最初から失敗するよう運命付けていたのです。
宇宙屋に言わせれば、だらしがないの一言です。日本国内で運用される充てが相当数あって、実運用も海外販売も行っておいて、それで撤退するなんて、贅沢過ぎます。
連中は、”飛鳥”で過ちを繰り返しました。今度は、前進どころではありませんでした。
成功の為には、失敗から学ばなくてはなりません。宇宙開発は、失敗させません。
特集「これでわかった!ユーザ・インタフェイスの極意」に惹かれて購入です。
先日、うちのビデオデッキがぶっ壊れ(エンプラのギヤが欠けていました)たもんで、ビクターのS-VHSデッキを買ったのです。が、その操作性の悪いことときたら!
まさか、自分がビデオ録画に失敗するとは、思ってもみませんでした。
パンフの山盛りの機能に騙されました。悪夢のようなインタフェイスです。全く、ファームウェア全部書き換えてやりたい。
必要な情報の提示、不必要な情報の隠蔽、操作手順の整理と単純化、そして安全な手順とその操作結果の保証。ヒューマンエラーの大半は、適切なインタフェイスによって防ぐことができます。
繰り返しのある決まりきった手順は自動化し、操作者に、ユニークでありながら馴染みのある操作を要求するインタフェイスを、機械は持つべきです。
安全なインタフェイスは、極論すれば、マニュアルの介在する余地があってはなりません。信頼性とマニュアルは、根本的には相反するものです。
特集記事は、特にWindowsのGUIに特化したもので、様々な示唆を含んでいます。プログラマ初心者には積極的に薦めて良い内容です。
例えば、ユーザの視線は、一般にウィンドウの左上から右下へと移動します。スライダを動かすとき、右手でマウスを操作するなら、押すより引くような動作のほうが自然でしょう。
しかし、記事内容を良く吟味すれば、いわゆる常識をなぞるに留まり、根本から機能のありかたを問う姿勢を持ちません。この特集記事では、
この四つを、心得として挙げています。
2.はまぁ当然、というかユーザインタフェイス以前の問題だと思うのですが、まず1番、不必要な情報は表示すべきではありません。
3番目、複数の操作方法というのは、単純にインタフェイスの設計の失敗を意味します。直感的で単純なインタフェイスのみを装備すべきです。
4番目、設定の記憶、というのは一見良さそうに思いますが、それは、インタフェイスが複数のモードを持つことを意味します。これも当然、まともなユーザインタフェイスではない、と告白しているようなものです。
どうしてもカスタマイズが必要なソフトなら、スクリプトと設定ファイルを用意すべきです。設定ファイルは融通が利かなくてはなりません。また、設定の切り換えも簡単になる利点もあります。
しかし、上記の欠点は、記事の不備ではありません。真の問題は、ウィンドウというGUIにあります。サイズ、位置変更可能な、重ね合わせのきく領域を、各ソフトウェアに一つづつ割り当てる方式は、仔細に検討すれば、様々な欠点が見えてきます。
例えば、サイズ可変である事は、ボタン等の要素の位置が変化すること、つまり、上下左右といった、二次元空間配置の幾何関係を生かすことが許されない、という事を意味します。ウィンドゥの位置変更も、同じ事を意味します。二次元平面を使うことの利点の一つを、あらかじめ放棄しているのです。
重ねあわせのきく領域というのは、より多くの情報を提供するためには不可欠の機能です。しかし、私はこれも欠点と見ます。より多くの情報の提供が、安全で有効な操作、生産性には必ずしも繋がらないことは、前述の議論で明らかでしょう。
インタフェイスは、必要な情報のみを提供すべきです。ユーザに裸眼grepを強いるような事があってはなりません。
うじゃうじゃと、不必要なほど多量の操作方法、インタフェイスを持つことの欠点は、ソフトウェア同士のインタフェイス設計にもあてはまります。機能豊富で腐りきったAPIたちは、セキリティの脆弱性の一因でもあります。
他にも、一般にアイコン、特にデータファイルのアイコンは、ユーザに適切な識別子を与えていない(アイコンの画像だけを見て、昨日書いた文章を識別できますか?)事、アイコン位置の混乱が頻繁である事などもあります。ウィンドウズは適切なインタフェイスとは程遠いのです。
どのようなインタフェイスを望むのか、考えてみてください。望ましさ、より、望みを優先しましょう。
「Oh,X」と双璧をなす、今一番面白いPC誌です。「私が」ですが…
ちょっとタガの外れた雑誌です。今号の特集は「カーネルをハックしよう!」ページの半分をOSカーネルの解説に充てています。カーネル読みの連載記事もあるのにぃ…。
この雑誌の特徴は、コミュニティと密に結合している事です。たんなるライターの技術解説では無く、現実の実装者たちの、何故このようになっているのか、問題点は何か、将来はどうするか、迫力のある解説が読めるのです。
このような実装者による技術解説は、日本語で読める例は少ないと思います。大体、日本の誇るゲーム業界って、あれだけの規模があるのだから、技術面で何かしら興味をそそるアウトプットがあっても良いと思うのですが、皆無なのでしょうか…
また、いわゆる”焼肉”は、この本の目玉の一つでしょう。あれはイイッス。
*.BSDな連中、DebianやKondaraの開発者たち、私は彼らに最近興味を持っています。彼らのWeb日記は読んでいて飽きることがありません。自分のサーバか、それに準じる自由度の高いサーバを擁し、日記支援システムを持ち、トピックについて相互に言及しあう、その様子は、たんなる日記の域を越え、活性度の高い知識ベースとして、その魅力を高めています。
その日記の中身が、エロゲーやアニメの話題の中にソースコードが混ざると言う具合でも、それは良いと思うし、むしろオタク的に望ましいでしょう。彼らの知識欲は凄まじく、貪欲さは計り知れません。
我々SFファンに、とても良く似ていますが、我々の興味が結局SFに収束していくのに対して、彼らの興味は、最終的には”ハック”にあります。少なくとも彼らは、建設的な論争ができるのです。
今や、彼らこそ、オタクヒエラルキーの最上位階級なのかも知れません。
しかし、BSDってのは、やっぱし高踏的です。
最近、自分のマシンにNetBSDをインストールしました。あれは、多少の心得があった位ではインストールできません。それから先、プログラミングとなったら、CGIの域から抜けるのにも苦労するでしょう。Cygwinで練習しておいて良かったです。
そう、私もBSD者になろうと思うのです。
連中は貴族的で独善的で、しかし、世界の全てを敵に廻して戦っています。
おいしい傍観者の位置でもGetしとこうと思っています。勿論、ソースは書きますよ。
最終兵器。必殺の泣き漫画の誕生です。
エロゲーの中でも”泣きゲー”と呼ばれるもの(他愛ない日常描写優先、感動させることを狙ったシナリオ、ほぼエロ抜き)に、雰囲気はそっくりです。
しかし、質はこちらの方が圧倒的に上でしょう。オリジナルな、その世界、日常の描写(オリジナル、というのはつまり、朝起こしに来る幼馴染とかロボとか…ロボといえば…いや、そういう文脈のロボでは無いよな、そういう奴じゃ無い、ということ)の居心地の良さ、そして、反則とも思える設定。少なくとも、連載第一話は反則だと思うし。
主人公の視点の良さと、日常の書きこみによって異質性を見かけ上減じていますが、ヒロインは、盲目の先輩より、ロボより、ありえないキャラ造形しています。そういう点は、泣きゲー論の視点が有効ですね。
作者の、計算高さと誠実さを感じます。今季必読。
消える子供たち。小さな長方形の断片に分割され、細分化したそばから消えてゆく。
子供たちは一人で、違う宇宙、世界へと行く。奇怪な世界へと。
「怖いとこしか行けないのは なぜだと思う」
気がつくと、少女の前に、その人はいた。そして、リボンをくれたのだ…
富沢ひとしの新作は、またしても子供たちの物語でした。
異質な世界に連れていかれる、あの感覚は健在です。まだ説明の無い、しかし明確に意味のあるとわかる描写たち。どこか不安な、子供たちの世界。
「おしえてくれお嬢ちゃん
なぜ子供達が消える
なんのために…」
「おじさん大人なのに知らないの
宇宙が閉じているからだよ」
どこまで、どう続くのでしょう。楽しみです。