過激派のミサイルの破片に、高校生の頃の仲間たちを、夏を思い出す。
仲間との再開で知る。約束した夢は、生きていた。
ロケットを、作る。
当然、自分たちが乗るヤツをだ。
昔読んだ時と随分印象が違います。以前ツッコまずにはいられなかった個所の大多数が修正されているようです。
固体推進剤でヒト打ち上げるのは、振動がヤバイと思うし、弾道飛行のカプセルなら、SUH材ステンレスで間に合う気もします。が、細部については文句の無い描写です。お薦めできます。
でも……ロケットの夏、というのは、自分の世界じゃない、と強く感じます。
こういう作品を見る度に、その明るさに、アポロの世代の無邪気さに、目が眩む思いがします。
私の宇宙開発は、今も冬の軌道を巡っているのです。
嫌な思い出を掘り出してしまいました。
小学二年生の時に作った暗号文です。アルゴリズムは単純なルールに従う置換で、”あ”を一つ隣の”い”に、”い”を二つ隣の”え”に置きかえるという調子で、小学生の習う平仮名を置換したものでした。濁音や句読点、その他記号は含まず、替わりに空白を含んでいた覚えがあります。
ずたお しゃせひかわゃねろ とうつえねせよ みをわをわ よえねひやねみ。
でも、読み解いて貰えませんでした。
その時、こんな一人よがりなパズルを誰が解くものか、と、雷のような啓示が私を打ち据え、自己嫌悪リストの一つにこのエピソードを加えたのです。それ以来、思い出す度に自己嫌悪に転げまわっています。
パズルを解かせるには、報酬が必要。本書では、その報酬は莫大な黄金です。ちーと判り易過ぎかと思いますが、他のエピソードには、スティーヴンスンのいつものだらだらした雰囲気があるので、これくらいが丁度良いのでしょう。
結局、公開鍵暗号、出てきませんでした。バイオメトリクス認証に信頼を寄せ過ぎるのも、秘密鍵のパスフレーズを携帯で伝えるのも、危険だと思いました。アメリカ人は、秘密はシュレッダーにかければ守れると思っているから……
ここに出てくる電子通貨は、脱税しか利点を思いつけない時点で駄目でしょう。貨幣は、信用以前に、価値観の表象であることを考えるべきです。交換するべき価値対象が無ければ、貨幣は流通しません。
ソリテア暗号は、非常に面白かったです。強度も充分あると思えます。ただし、内容を推測されたら、最新の攻撃手法でさっくり陥落すると思います。
秘密の通信は、その意図を秘匿すべきです。暗号であることを知られてしまったメッセージは、パズルでしかありません。
バン・エック傍受、現行の技術で液晶の駆動信号を読むというのは無茶というか、もっとラクができたろうに、と思わずにはいられません。ハードディスクを予め取り出してコピーし、キーストロークを読んで無線送信する仕組みを仕込んだノートを返却してやればいいのです。あとはコピーを組み込んだノートにキーストロークを再現してやれば良いだけです。液晶の駆動信号を、NTSCビデオ信号と同列に論じるのはなんとも。
戦時の記述にカチンとくるナイーブな民族主義者にはお薦めできないと思います。暇なプログラマにはお薦めです。個人的には、もちょっと歯応えが欲しかったところです。
どうやら評論集のようです。
オタ界で話題の1冊「動物化するポストモダン」これを読む前に、本書を読むべきだという書評をどこかで読んだもので--
題である”郵便的不安”というのは、何も国家のサポートする物理ベース通信配送システムに対する不安、であったりはしません。どうも、ブロードキャスト型通信が通信対象とのネゴ無しで行われる、という当然の理屈辺りに不安を覚えているようで、なんというか、鉄の船が浮かぶことが信じられないカナヅチを見ているような気分です。
本書のコアと思われる論文において、著者はプロトコルとメッセージを派手に混同しています。メッセージをどう弄ろうが、テクノロジーとプロトコルのサポート抜きでは、メッセージの伝達方式を変えることは出来ません。
郵便というネゴ無し通信をベースにして、通信全般を論じようと言うのがまぁ凄いのですが、通信手法、通信エラーの種類と内容は当然、設計と実現する技術に依存します。
今や伝送路のインピーダンスは一定では無いし、トポロジーも単純では無いのです。
著者は、メッセージを”遠くに届かせる”ことを夢想していますが、そもそもメッセージの内容が、デコードに一般的でない知識を必要とするなど中継困難なため、このパケットは近い将来に消失するのではないかと思われます。
まず、日本語の一般的な解釈を裏切るような意味を造語に与えないで欲しいです。とはいえ、この調子は哲学の世界では一貫しているようで、そういう意味では誠実に考慮された命名かもしれません。
しかし少なくとも、日本語じゃない世界に名前空間を切り替えたことは明示して欲しかったです。あと、命名規則を明かしてもらえると嬉しいです。デコードに必要なアルゴリズムの整備が、このメッセージの生存には不可欠でしょう。
他の内容については、切り口、論調などはおもしろく読めたものの、結論については同意できない、というか、意味不明で同意以前でした。ポストモダンは、ヘーゲルやマルクスに劣らぬ愚かさで満ちているように思えます。理屈のこね方は理解できますが、それは制御不能のミサイルが板野サーカスする軌跡を眺めていた、という程度のものでしかありません。
願わくば、望みの硬目標に到達しますように。
動物化する、ポストモダン、だってさ……はぁ。
「いま、時代はポストモダン」「オタクはポストモダン」「ポストモダンの定義は色々あるけど……」 定義が曖昧なものにXが当てはまると主張すべきではありません。
内容に満ちた無邪気な分類に、正直付いて行けませんでした。全部に反論するとキリが無いのですが、例えばオタク文化にジェポネスク趣味とオタ右傾化と遅れてきた近代とかを見るわけですが、同様の論法を使って、「ちっちゃな雪使いシュガー」から欧米趣味と文化的劣等感を取り出すことは可能でしょう。
外見、表現型に長いスパンで何らかの連鎖を見出すのは、イルカが魚竜の子孫であると結論するようなものです。環境適応形態が似通っていても、猫耳や巫女さんが繰り返し出現しても、ミームの中身は違います。
オタクの知識体系について主張する「データベース的」という表現もアレです。何もオタクの知識がRDBみたくなっている、という主張でも、問い合わせがデータベースっぽい、という話でも無いようで、要約すれば、オタ知識がクラスライブラリのようにオブジェクト化されて整理されているおかげで、継承や再利用が容易になった、という話のようです。データベースなんて関係ありません。
「超平面」というのも、幾何的な比喩に使っているのに、幾何学での定義とは関係ありません。えらく混乱しました。
文化的行動が社会参加と結びつかなければ即どーぶつ、オタクはアニマルです!というのは更に困惑する主張です。日曜の朝にメシ食いながらアニメ見るのは動物的ダヨ!とか言うのでしょうか。
本書において欲望という言葉は、負の意味付けで多用されますが、行動の動機付けについて、ゲーム理論を注意深く学んでいれば、こういう予断は排除できただろうに、と思わずにはいられません。
私は、コミュニケーションの断絶化を、状況が生んだ必然とみなします。このコミュニケーション多寡の時代において、人は挨拶や様子見、気配りや場の雰囲気を読んだりと、単なる下位プロトコルの処理に追われるようになりました。
人は、単なるルータに貶められるべき存在ではありません。
例えば私は、エロゲーは擬似的な消費される人間関係として機能している、と考えています。対象が人間関係のプロトコルを模倣できるなら、人間関係の幻想を得ることは可能だと。更に言えば、マウスクリックのACKがピアツーピアの通信を成立させる、この形式こそ、物語りとして正しいのです。
オタクは、人間関係のバランスを、テクノロジーの支援により奇矯とは言え実現しているのです。更にヒトは、断続、スイッチングによるコミュニケーション制御の時代を超え、下位プロトコルをハードウェアの支援により自動処理するようになるでしょう。
……この主張は流石に、誰にもまともにとりあって貰えた試しがありませんが。
最後に、HTMLを例にとりながら、エンコードされたものがリアルタイムにデコードされる、これは従来とは違う、データベース的だ!と主張します。
……音声が、印刷された文字が、エンコードであると自覚的で無い、というのは悲惨です。
物語はかつてツリー構造だった、という主張も素っ頓狂で困惑します。昔の物語は分岐のような制御構造を備えない平坦なものだった、という当たり前の主張なら理解しますが、テキストや社会にはツリー構造をサポートする機構が備わっていない(言語にはある程度のサポートがあるものの、哲学者の造語のようなルール違反で、即座に破綻する。ツリー構造で位置を特定するためには、名前の衝突を避けるために、”水城家”の”徹”、”茨城県”の”つくば市”というような命名構造を持つ必要がある)し、そもそも、過去において物語のrootにあったという”大きな物語”は、エンコードされたものを指していません。
不勉強な言葉を用いないで欲しいと、強く思います。
内容は論ずる以前の代物ですが、注目されたのは、この著者が哲学者であると同時にオタクである、という点でした。本人は自覚的ではありませんが、村上隆と東浩紀の違いは、イタさにあります。
痛みの共有こそがオタクの共通体験ですし、イタさこそが、オタクのコミュニケーションにおける認証手段です。少なくとも「TVハピレスの委員長マンセー」位のセリフが吐けないようではオタクではありません。
そしてこの本、痛いです。「痕」の初音ちゃんのアホ毛が、「YU-NO」の構造が論じられます。この感触、イタさによって、東浩紀はオタ認証に成功しました。
哲学方面からのオタク評論というのは、面白いといえば面白かったのですが、一般的なオタク評論、短い「クサっ!」「キモっ!」というセリフの方が重要だと、指摘したいと思います。少なくとも、オタクにとっては。
こういう事を考える人って自分以外いないのかと、絶望するところでした。
しかし、改めて主張しましょう。社会は望みのカタチに設計、実装が可能だと。
群れ、社会というものが、個体のコミュニケーションによって成り立ち、そのプロトコルが社会を規定する、この認識は、私の場合1998年の正月あたりに突然降って湧いたものでした。
社会実験を目的としたネットワークゲーム、という思いつきから始まった思考実験は、"政治の抜本的改革"というカタチにまとまったのですが、コレ、ちっとも反響がありません。これこれこういう考え方ってどうだろう、と話題を振っても、ろくな反応はありませんでした。面白いのに。
……という牧歌的な認識はもはや終わったのだと、本書によって気付かされました。それはもう、リアルタイムの話題、差し迫った現実なのです。
本書は、ネットワークにおける活動の法規制、自由擁護という潮流を丁寧に比較し、問題点を洗い出しています。無邪気な夢想や思い込みを排除し、そしてコード、実装が社会の振る舞いを現実的に定義しているのだという結論を、丁寧に論じています。
アメリカの各種法、特に憲法との関連を論じている部分は、特に精読する価値があります。法というのは結局、人力実装のコードなのです。
プライバシー保護についても、テクノロジーの必要な詳細にまで踏み込み、将来性について興味の尽きない議論をしています。著作権保護も同様です。
本書を読むことにより、法や道徳、社会規範というものの真の意味について、深い理解が得られることと思います。本書の第四部の内容は、社会の共通理解事項となることが望ましいと、私は考えます。
その上で、慎重な実験を基に、プライバシー、著作権、ネットワークの透明性、法規制の可能性と権限について、態度を決定していくことが、今、必要でしょう。
私個人の意見として、著作権に関しては、積極的に概念を拡張すべきだ、少なくともGPLを問題無く包含可能にすべきだと思っています。多分、権利の保護とは、著作者ではなく、著作物が具体的対象となるべきなのでしょう。著作物が自己の振る舞いを、社会的合意の範囲内で自由に決定できるべきだと思うのです。
幸せな前例を、今、全力を持って構築すべきなのです。
絶対、読むべきです。
本書は、良いユーザインタフェイス設計について、特にソフトウェアに関して論じています。著者は、Macintoshのインタフェイスのコンセプトデザイナであり、1ボタンマウスに関する記述も、付録として収録されています。
汎化された用語の定義や、動作の意味に関して、本書は優れた洞察を提供しています。インタフェイス設計の考え方として、非常に参考になるでしょう。特に、紹介されたユーザインタフェイスの定量的な診断手法GOMSは、是非採用してみるべきです。
本書では、モードを持たないインタフェイス設計を強く勧めています。モード排除の設計は、今では常識であると信じたいものです。異議のある方は、本書を読まれるべし。
但し、何でも非モーダルにすれば良い、というのは無思考で短絡的である、というのも指摘したいと思います。PCは完全にモードを排除できるほど静的なシステムではありません。
真に望ましいインタフェイスは、操作を必要とせず、望みの処理を行うものです。
私の作るGUIツールの多くは、ボタンが無いか、一つしかありません。今何をやっているか、適切と思われるメッセージとログを、統一したフォーマットで出力します。セーブファイルは必ずローカルに、重複無しの連番ファイル名で出力します。
1個しかないボタンは無意味だと思われるかも知れませんが、動作のタイミングを厳密に決定できることを直覚的に教えるインタフェイスには意味があるものと考えています。
優れたインタフェイス設計とは、難しいものです。
もし筆者が無人島に置き去りにされて、手元に置いておけるデータ構造が1つだけだとすれば--ハッシュテーブルを選ぶだろうね。
非常に面白く、Cプログラマの心の中のチクチクを刺抜きでひっこ抜いてくれる、為になる本です。全てのCプログラマに薦めますし、組み込み系プログラマには絶対に読んで欲しい1冊です。
内容は豊富なジョークとなめらかな語り口によって、Cの恐ろしい暗黒面な仕様、普通のプログラマなら目を逸らすような部分を軽く暴き立てるものになっています。ポインタ周りの深い理解は、Cプログラムの義務でしょう。
内容は頻繁に脇道に逸れますが、これは本書に限って言えば、頭痛と眠気を遠ざける良い方法だったと思います。脇道のトピックはいずれも非常におもしろく、初心者プログラマにも勧めたい内容です。
メモリ要求がシビアなシステムでの、主にメモリに関する問題に対して、デザインパターンという切り口で解決法を提示する本です。デザインパターンと言っても難しい事はありません。経験を積んだ組み込みプログラマなら良く知っている手法ばかりです。
デザインパターンという切り口は、良い手法だと思います。よく知った技法が、きちんと整理されてドキュメント化されているのは気持ちがいいモノですし、自分の手法をドキュメント化する助けにもなるでしょう。
ただ、内容は通常の組み込みデバイスよりずっとリッチなデバイスを対象としているようなので、キロバイトのメモリで四苦八苦しているようなら、お薦めしません。何らかのデータ構造が必要となり、そのデータをコンパクトかつ高速にまとめたいと思っているなら、PCでもメインフレームでも、この本は役に立つでしょう。
あの分厚い本の続刊です。値段も張るので、見かけたときは即座に買えませんでした。
内容は前巻と比べて詳細寄りのものとなっています。大半が3D表現によるゲームについてのもので、日本のゲームでよく論じられる2Dエフェクトなどの記事はありません。しかし、読んで非常に参考になる内容が多いです。アイディアの一つ一つが、読者の刺激となるでしょう。
テストやデバッグに関する記事が見られるのにも注目すべきでしょう。プロジェクト管理とあわせて、今後必須の知識です。あと、ネットワークゲームに関する記事も欲しいところです。
値段分の価値がある本です。
濃い内容の衛星設計入門書です。第1章は、極めて良くまとめられています。衛星を設計しようと思うのなら、ここに示された内容は、ます最初に考えるべきものでしょう。
しかし、第2章以降は詳細寄りになって、どう作るべきかという基本的な指針を失った内容になっています。2章の通りにすると、あとでコネクタやハーネスの配置で泣くと思います。あと、Y字型パネルはお薦めしません。コンフィグレーションと銘打ちながら、インタフェイスについて自覚的でないのはどうでしょうか。
第7章のデータ処理系についての記述もつらいです。なして、コマンド数、テレメ項目が、衛星質量と比例関係にならにゃならんのですか? 内容はほとんどありません。
第8章もセンサについての記述が極めて弱く、全体として、ディジタルシステムの記述はすっからかんとなっています。
細部に関しては非常に良い内容だと思いますが、電子系、特にソフトウェアの記述が壊滅的に無いのは致命的でしょう。
人工衛星は、打ち上がってしまえば、外見も値段も関係無くなります。性能も直接には認識できなくなります。
地上にとって衛星とは、コマンドとテレメトリに過ぎなくなるのです。
衛星をツールと考えるなら、衛星デザインとは、コマンドとテレメトリのデザインであることが理解できます。我々は、コマンドとテレメトリのデザインに、もっとよく注意を払うべきなのです。
衛星は、モードを隠蔽せず、モードを必要最小限まで少なく、できれば非モーダルな設計にすべきです。コマンドは前後のコマンド内容で意味が決定されるようなものを避け、最小限の、直交性のあるコマンドセットとして整備すべきでしょう。
コマンドは認証機構を大幅に強化すべきですし、テレメトリは不定長フレームをサポートすべきです。そして、こういうインタフェイスは、将来を見越した仕様で規格化すべきなのです。
これからの衛星設計は、ディジタル系の設計を、テスト手法込みで重視していかねばならないでしょう。テストはディジタル系設計の半分を占める要素です。そして、運用時を、ユーザーを想定した衛星デザインを優先しなければなりません。
あたらしい思想を持った衛星設計技術書の出現を望みます。
去年出た「今日の必ずトクする一言 パソコン・携帯・インターネット編」の姉妹編です。
個人的にはこちらの方が面白く感じる内容のものが多いです。こういう、身近なハードウェアを弄る内容は。読んでいて面白いし、ちょっと信じられない内容でも、試してみようかと思います。
機械式時計の話題にはついていけないものを感じましたが、理解できない内容ではありません。オーディオまわりのゴチャゴチャした話も、キモはシンプルな理屈で、しかも簡単に試すことができます。
今回、簡単に試せる内容が多かったことで、ちょっとお得感がありました。半田ごてを持っているのなら、故障したビデオデッキをついバラしてしまうようなら、お薦めです。
2冊買いました。1冊は保存用。もう一冊、付録は即座に開封して、製作します。
素晴らしい出来でした「中華キャノン」
造形の完成度、ポージングの自由度、作りやすさ、そして、股間のタマのよく飛ぶこと!文句無しの完成度です。
文句があるとすれば、肘、膝、足首などのポリキャップ利用の関節が嵌め込み式なので外れやすい点くらいでしょうか。ポリキャップが剥き出しなので、塗装も面倒かもしれません。
モデラーなら一つは作っておきたい逸品です。
オマケの本誌は、スカでした。
記事はカラーで判りやすく丁寧な、手順で一杯でした。手順しかありません。
原理の理解抜きに、手順のみの方が、簡単で確実な目標への到達法なのでしょう。しかし、そうして集積した知識が他の役に立つのでしょうか。
そういう意味でこの雑誌は、時間経過と共に価値を失うでしょう。もっとも、雑誌なのだから問題は無いのでしょうが。
……時々思うのですが、人は何故、もっと価値あるものを、価値を失わないものを求めないのでしょうか。価値がわからないのでしょうか。
私は、ラクだから、とか修得が面倒だから、という以前に、教養の基礎が与えられてない為ではないだろうか、と考えています。演繹で導き出せる情報に価値はありませんが、演繹の基本が失われているのなら、価値は違うでしょう。
演繹の基本こそ、真の価値です。私は、ストロングスタイルの、新しい教養主義を支持します。
こんな雑誌より、Interface誌を読みましょう。
十年前のものだけど、三沢の空撮写真なんてあるもんだから、買っちゃいました。
こりゃ、核攻撃対象だなぁ。掩蔽壕や建屋はどうでもいいが、林立する多彩なアンテナ群と情報処理施設がヤバ過ぎます。
左翼の軍事オタって、どのくらい居るのでしょうか。そもそも、左翼の定義って何なのでしょうか。
自己を定義するなら多分、反右翼なんだと思います。
大抵の右翼、民族主義者は、自己を確立していない、未熟な人格の持ち主です。依って立つ根拠が無いから、より大きなものに縋ろうとします。「ボクのパパは偉いんだぞ」というスネ夫のような存在です。
かつては家族だったのでしょう。企業や団体かもしれません。自己が確実に所属し、巨大で、権力と暴力装置を有する最大の組織は、明らかに国家です。民族と言うカテゴリーも有効です。そのアイデンティティーは、未熟な人格が求めるものです。
しかし、その組織が自己そのものでは無いという、当然の不安を常に抱えることになります。だから、依って立つものを強化しようとします。強いと信じようとします。自己の優位性を信じるために他者を蔑視します。行き過ぎると、強いという幻想を脅かすものに対して暴力的になります。
強さ、軍事力は、子供には魅力的なものです。私は小学校低学年まで、君が代を暗誦し、帝国海軍艦艇をシルエットで識別するようなガキンチョでした。戦記物を読み漁り、戦艦や空母、重巡や軽巡、駆逐艦のプラモデル作りに夢中だったのです。
しかしある時、気がつきました。
”零戦が無敵で大和が強いなら、戦記物の作者の言うとおりなら、何故日本は負けたのか”と。そして気が付いたのです。嘘吐きがいると。
軍事力は、残念ながら必要です。世界の現状は、理想状態から程遠いからです。しかし、自己満足の為の、幻想の為の軍事力は不用です。それは誰にとっても危険なのです。
だから、平和主義者は、軍事情報を注意深く学ぶべきです。
我々は、幻想を排除し、嘘吐きを識別しなければいけません。
世界は全て空、機械は震えながら飛翔し、風の奥行きが人を誘う。
折り畳まれた広がり、大気に満ちた星系”水縁”
雷鳴は魔女の歌声。伝承と謎が、雲のように湧き上がる。
ヒトはハードウェアを得て、更に自由になるのか、束縛されるのか。
そんなことはどうでもいい話で、ゴリゴリとした飛翔機械を自由に飛ばせる世界を力技ででっち上げ、飛ばせるための物語を紡ぎ、絵作りをしているこの作品は、二重の意味で爽やかです。
空間の広がりを表現し、更にそれに負けない飛翔を表現する、その模索と勢いに溢れています。物語の厚みが不足している気もしますが、そんなことはどうでも良いのです。
飛ぶ夢を見たい人に、お薦めします。
南半球へ、太平洋へ。
戦後ニュージーランドの経済繁栄と海洋の波涛、訪れたのは巨大移動海洋都市と、囁かれた者。
今も波の下で幽かに響く、消えた国の呼び声に吸い寄せられるように……
何故こんなに刊行の間が開くのか、忘れたことに再刊第2巻です。
電撃大王での連載再開まで、ようやく話が繋がりました。って未だによくわからない話なのですが。
未来のニュージーランドの描写は素晴らしいの一言。ウサギちゃんカンパニーのコテージや周辺設備の描写も良いし、風景の描写は見とれてしまいます。
……もう第3巻、出せるのでは。あと、毎度のことだが、風の住処はいつ……
愛の天使? 女神サマじゃなくて? あ、アフタヌーン本誌じゃなくて増刊か。
というわけで都合よく出現、ラブのエンジェル、ラブやん!
……ちょいとイタ過ぎるシーンに。
駄目人間系引きこもり、カズフサのラヴを実現するために天使が、ってそれ実現すると犯罪です。相手はランドセル背負っています。ちなみにメガネっ娘。
眼鏡は重要な要素です。田丸浩史の漫画においては、眼鏡こそがキモ! ああっ本当に「メガネ喫茶 委員長」無いものか。
ニセメイド喫茶などより、眼鏡っ娘ばかりの喫茶店を秋葉原に開けばいいのに、等と思ったり。私ゃ即座に常連です。
眼鏡以外の内容も良い感じです。世間では評価の低い「本場アメリカン」の話も、
「動物め!! 動物め!! アニモー!! 英語だとアニモー!!」
なんてセリフ、凄く好きなんです。……オタはアニモーじゃ無いやぃ。
ラブやんも順調に駄目だし、とりあえず全チェック推奨。
学園で巫女さんでラブコメ! 全ての御膳立ては整った!
その一方で、仮面の男と怪異、異形の神々と為政者の影が2人に暗く落ちかかる。少年は血の宿命の覚悟を問われる。
しっかーし、もう一方とくりゃ、気になるアイツはボーイズラブ風味。2人の気持ちは空回り。はいはいはい、それがラブコメ、所詮この漫画はラブコメなのです!
素晴らしいカヴァー絵と、やさぐれたカヴァー下とのギャップは信じられない程です。素晴らし過ぎます。
絵は相変わらず良い感じです。今回も加筆個所多し。前巻のように扉絵の追加いっぱい、という訳ではありませんが、良いシーン追加されています。
しかし、どういう話になるのか、読めた気がするなぁ。意識的なのでしょうが、多少物語展開への興味が削がれた気が。
アワーズライト誌と同人誌に掲載された読み切り短編を集めた、短編集です。
割と痛い作品ばかり。自己嫌悪と、内省が伝わってきます。この感覚を伝えようとする気持ち、伝わると信じるチカラ、伝える技術、評価すべきでしょう。