非常に面白く読みました。読者の関心が途切れない、非常に読みやすく楽しい作品です。
ただ、ラストまで読み終わると、妙にスケールが小さくてちょっと寂しくなりました。
いま一度本作品の設定の要点を考えると、確かにスケールが微妙です。異星人と地球人類の互いの価値観の違いを、カリフォルニア州法ひとつでばっさり行こう、というのは、豪快にも程があります。
著者は価値観の違いというものについて、無自覚なのか無自覚を装っているのか、不安です。なんともキリスト教徒的な、勝者の価値観を強制するシステムを公正と呼ぶのは、所詮、勝者の考えた公正に過ぎません。
細部のディティールもちょっと寂しかったです。
本作品はあくまで娯楽作です。テーマを掘り下げたい向きは、グレッグ・ベアの「天空の業火 上下巻」「天界の殺戮 上下巻」などを通しで読まれることをお勧めします。
特集はニール・スティーヴンスン。ユリイカ誌にもスティーヴンスンにももはや以前の興味を抱いていない私ですが、この二つが一緒ということになると、関心の閾値を越えるかも知れない、と思いました。
……1に満たないもの同士を掛けても、決して大きくなりはしないのに。
私にとって、ニール・スティーヴンスンとは、1995年です。永遠にあの時代を指し続けるポインタ、マイクロソフトと西海岸のカウンターカルチャーが市街戦を行なっている架空の世界からやってきた、永遠のバージョン3.0。
エッセイや記事を埋める、サブカル世界ではカッコイイと思われているらしい単語の羅列が、逆にスティーヴンスン作品のダサさを浮き彫りにしていくのは、読んでいてとても悲しくなりました。彼の作品がこのような仕打ちを受けなければならない道理など無いのです。
他にも、コンピュータは暗号の為に生まれ進歩したとか、その手の嘘吐きが跋扈する紙面は読むに耐えない箇所が多く、こいつらは本当にコンピュータというものを判っていないのだと、考えてみれば当たり前の事実の認識に到るわけです。
ちょいと引用してみましょう。
しかし、そんなコンピュータ時代の暗号は、少なくともロマンテッィクなものではない。それは、そうだろう。暗号の強弱はそこに使われる数値の大きさ次第。暗号解読者の努力や才気が介在する余地は一切なく、暗号が解けるか解けないかは、0か1か、無か有かと同じ明瞭さを持ってディジタルに決まってしまうのだ。
うわ。これを書いた奴のパスワードが、符号長に比例した強度を持つか、ちょっと試してみたい気がします。
我々のテクノロジーに関するドキュメントには、どこか本当に奇妙なレベルで、ランダムに嘘が混入されています。上記引用者の無邪気な半可通ぶりを見ていると恐ろしくなります。バグとドキュメント管理とに縁が無い世界には、鳩ポッポが飛びまわる平和に満ちています。
でも、ドキュメントの無邪気さが極限にまで達し、内容の解釈を片っ端から読者に丸投げするような極めて詩的な、幻想的な文章になると、もうどうでもいいや、とか思えてきます。
……新歴史主義以後、歴史の終焉以後の発想では、いまや世界はすべて遺伝子的暗号として解くべきテクストとして再定義されている。そのちがいは、後者の立場を取る限り、暗号解読されたテクストは、わたしたちを解釈の快楽どころか、新たな実体験へと……
結論。1995年は、ファンタジィです。
別名、「萌える法律読本」時々のうずらチェックで巡回していて知った本です。正直に言って萌えは弱めですが、普通の本にはありえない雰囲気を持っています。
この本は著作物の媒体間コピーや2次著作物などの、ヲタクにとって今や日常的な行為に関しての、法律とその解釈、そして適用について過不足無く纏めた本です。極めてヲタ的な、乱れまくった雑学注釈の中に、法解釈はきっちりと明確な点は明確に、曖昧である箇所はそうと指摘する内容となっています。
著作権に絡む部分での大抵のヲタ的活動に指針を与える内容であると思います。つまり、読んでおいたほうが良い、と。
シリーズ化の予定があるようなので、次の著作では、何よりも更なる萌えを期待したいところです。もちろん、内容も。
しかし、現代においてテクノロジーとメディアを論じるとき、焦点はやはり著作権になると思います。暗号よりも遥かに。
我々は、新しいテクノロジーとそれが可能とする表現について、誰もが幸せになれるルールを、自分たちで作るべきです。未来のために。
電波、出したいなぁ、とか考えたことありませんか。
いや、お脳から漏れ出す奴じゃなくて、ちゃんと電気で出す奴。メガヘルツくらいだったらディジタルで直接変調して楽しいだろうなぁ、とか思うのです。
この本は、ディジタル無線伝送の基礎から最新の手法まで、実装に近い記述から丁寧に説明しています。非常にわかりやすく、実際に試してみたくなる内容です。
……でも、試すことはできません。無線免許取ったからといって出し放題になれる訳でも無いし。
もし、ITUのような国際調停機関が無かったら、周波数を巡って戦争でもしていたのではないか、等と考えたこともあります。デンパは公共の、人類全体の財産です。
超光速より自己増殖や人工知能の方がよっぽど楽だよなぁ、とか、最近野田さんのサイト見ながら思います。一般相対論に突撃しても、予想される工学的見返りが乏しいのが何とも切ないのです。
それと比べると、自己増殖も人工知能も、天然ものがそこらにウヨウヨしています。実現性は非常に高く、見返りも莫大です。何時の日か自作の自己増殖機械でもって、見上げた月を漫画みたいな継ぎ目つきの金属で被っちまったら楽しいだろうなぁ、とか思いませんか?
幸いなことに、自己増殖も人工知能も、根本には計算理論があります。一般相対論より文脈自由文法の方がとっつき易そうですし。
本書は、基礎として高校程度の数学の知識があれば充分理解できる内容です。まず数の集合についておさらいをして、オートマトンの種類と働きを、証明と動作の順を追った説明で解説します。
でも、チューリングマシンを経て最後は計算量とグラフ、そしてNP完全の話へと突入します。しかし、グラフの用語と意味を理解し、決定性と非決定性を理解し、多項式時間という用語を了解すれば、意味はさっくりしてきます。
しかしまずは目先の目標から。ちょいと訳アリで、シナリオファイルを読み込んで、有限オートマトンとして振舞うようなソフトウェアを書いているのですが、もうちょっと書き直しを。
デザインの勉強をしたことの無い人向けの、”最低ここを気をつければデザインは良くなる”という、原則集みたいな本です。
セリフとサン・セリフの違いのような、フォントについての記事は非常に参考になりました。読者の視線移動に関しての記事も興味深く読みました。但し、見出しと本文の整列、図表の入れ方等については原則論がちと堅苦しく思えます。記事の内容に従うと、まるで見出しの大きなタブロイド誌の記事のようになってしまいます。
結局、読みやすければ良いと思います。
……ところで、全く関係無いのですが、フォント弄りの元祖って、アスキーの256倍シリーズではないでしょうか。AWK256倍は名著です。
仕事で新しいCPUボードを起こすことになりました。SH-4ですぜ、133MHzで240MIPSですぜ。浮動小数点演算が使い放題、行列演算も使い放題、リッチです。
夢中で趣味に走ったデザインをしている間、脳裏をよぎったのは12月に打ち上げる衛星に載っけたコンピュータのこと。反省点は正直言って多いです。具体的なことは言えませんが、特にボード設計のあれやこれや。
少なくとも回路設計レベルでは、ベストを尽くしたい、そう思います。
その為に読んだ本の中では、この本はベストの内容であると思います。
理論と経験、そしてデータが、この本を極めて実務向きにしています。この本を読めば、回路内の具体的な定数決定に困ることは無いと思います。訳文がとてつもなく下手な部分がありますが、お薦めできる内容です。
理論及び実例は豊富ですが、データが無いので直ぐには参考になりません。また、具体的なI/Oの処理の仕方などの記事もありません。
それと、高速ディジタル回路設計に関する部分が無い、というか、記述が全般に古いです。
基板設計者、筐体技術者向きの本です。回路設計者には役に立たない本です。
以前にも取り上げた本ですが、もう一度。
駄目な技術書の典型です。理論の裏づけに乏しく、教条的で、データが無く(当然、内容はとてつもなく古い)、妙にくだけた文体を使い、そして駄洒落のようなイラストをむやみに多用しています。
短い助言を。買うな。
副題は”ロケット実験主任の手帳から”先輩の語る内容に期待しながら読みました。
想定する読者がよく判らない内容です。常識と時代遅れの内容が丁寧に解説されていますが、電源とEMIの不具合ばかりが目に付きます。また、データ記載が無く、つまるところこれは技術書ではありません。
現実の衛星開発現場では、不具合でまず疑うのがコネクタ、次にソフト、最後にハードという順番でした。過去と比べると、宇宙機のインタフェイスは様変わりした、という事なのでしょう。それに、不具合対策も様変わりしました。
お薦めすべき読者層のいない本です。
地味な本です。精密の定義からはじめて、常に精密の先端、つまり計測の話題を扱います。一般機工の精密の話題はほとんど扱われません。
割り出し盤って、実は初めて知りました。円周の周囲を等分に区切る装置です。スケールをどのように等分に区切るか、その技術に科学と産業の発展の如何が懸かっていた時代もあったのです。
精密なスケールによって部品の互換性の保証と規格化が可能になりました。3点支持、温度補償、誤差修正もここから生まれました。
やがて技術の進歩は回折格子を生み出します。等間隔に刻まれた極微細線は確かに割り出し技術の延長線上のものです。が、つい最近まで科学研究の現場でしか使われるものではありませんでした。今では光学ピックアップに普通に用いられる技術です。
特に印象的であるのは、マイケルソンとモーレーの実験で名高いマイケルソンの、回折格子の微細化技術への情熱でした。計測技術の進歩が、エーテル仮設を葬り去った、とも言えます。
計測装置の中でも、非常に狭い範囲に注目した内容の本ですが、考えさせられる内容の多い本でした。精密とは計測、そして計測なくして、理論の進歩は無いのです。
こうやって実際に再突入した機体や有人機を触ってきた後だと、再突入体の勉強などもしたくなります。特に有人のやつとか。
普通、宇宙開発では大気はあまり相手にはしません。ロケットはまず100km以上上昇して、大気密度の減ったところで軌道速度を出すための本格的な加速に移ります。
しかし、帰還再突入の際には大気は問題になります。機体に充分な推進力があれば、軌道速度を殺して大気との相対速度を落とせるのでしょうが、せっかく大気を使って減速できるのですから、使わないほうが勿体無いでしょう。
減速には、大気と作用する断面積がまず必要です。大気分子は機体の底面に衝突して弾き飛ばされ、機体に力を与えます。この力のベクトルを分解すると、垂直側の力すなわち揚力と、水平側の力すなわち軌道速度を殺す力になります。
機体に渡った力のうち幾らかは、減速に寄与せず、機体を加熱するほうに廻ります。加熱過程は様々ですが、最高で3000度の高温になります。機体はこの高温に耐え、内部をこの熱から絶縁しなければなりません。
再突入体の力学は、軌道速度からマッハ5程度まで、このようなニュートン流の理論で解くことができます。それより遅い速度では残念ながら適用できませんが、減速過程の大半は過ぎているので、極論を言えば流体力学の要求する空力形状なんてどうでも良いのです。
でも、この本はその辺をみっちりねっとりと論じます。なにせ有翼再使用派の総本山の本です。が、しばらく前の野尻ボードを読んでいた人ならお分かりとは思いますが、この分野は何故翼が揚力を生むのかもわからないところです。
使い捨てカプセルでは、機体の熱防護に徐融材を使います。高温で気化した素材のガスが表面に流れを作り、衝撃波で圧縮され高温になった気体が表面に触れるのを防ぎます。
この本では、徐融材に関する記述は少なく、材質に関して参考になる記述はほとんどありませんでした。ま、著者の関心が再使用にしか向いていないので仕方ありません。
個人的にはガラスファイバー基層エポキシ樹脂、要するに基板などで多用されるガラエポで良いんじゃないか、とか思っています。ガラエポなら国内に充分な素材情報持ったメーカーが確実に存在します。ちなみに長岡のビオンの徐融材基層は石綿織布でした。
打ち上げ機の性能は、基本的に2つのパラメータ、構造重量比と燃焼ガス排気速度によって決まります。空気吸いこみエンジンの水平打ち上げ機は酸化材を大気中から取りこむことによって構造重量比を改善できますが、エンジンと翼と再使用耐熱材によって、帳消しどころでない構造重量比の悪化を生みます。また、大気抵抗の中を飛ばなくてはならないことも忘れてはいけません。
構造重量比が悪くても、規模さえ大きくなれば軌道へ到達できます。しかし、機体規模に対して打ち上げ質量の小さな、複雑な大型機体が、果たして低コストを実現できるでしょうか。
研究者は気が付いていない筈が無いのですが、どうして見通しの無い再使用水平打ち上げ機に拘るのでしょう。どうにかして欲しいものです。
分子単位構造の工学的構築技術、いわゆるナノテクの進歩は目覚しいものがありますが、”ここまで来た”と言われても、それが何処なのか、まだ見当もつきません。
内容の半分ほどもフラーレンやカーボンナノチューブが席巻しており、素材としての利用を視野に入れた段階まで、研究は進んでいます。しかし、デバイスとしての利用は、まだ遠い夢です。
第2章では未だにドレクスラーが遠大な夢を披露します。が、ドレクスラーのアセンブラーが現実的なハードウェアとなりうるか、私はあと千年は怪しいと思います。自己増殖は周囲の環境と密接な関連を持っており、現実的な自己増殖には、内部環境を保持するサイズが必要だと考えるからです。
しかし、なんのかんの言っても、ナノマシンデバイス技術の可能性は、我々を魅了します。第3章は読み応え抜群です。
こんな所に、バブルはまだ息づいていました。
特集「宇宙」”星空を見上げるといいことがあるよ”だそうで、最近は大抵の雑誌が、余白を大きめに取った海外誌かぶれの落ち着いたデザインになっているのに、シルバーとピンクの表紙、散漫なレイアウト、キャッチコピーの頭の悪さと、色使いの悪さ、内容の無さは「90年代のアタマにはこういう雑誌、結構あったよなぁ」とか思ってしまうものでした。
特集で買ったけど、どういう雑誌なのだか。広告そのものに関する記事は少ないし。特集もフラーとか宇宙グッズとか、ありがちかつ低レベル。メディアの中の宇宙人、なんて記事も適当に集めただけで考察は無し。
ここまで内容の薄い本は久しぶりに買った気がします。
エロゲー情報誌なのですが、「P-mateは児童ポルノ法案に賛成します!」という刺激的な煽りの特集が目を引きます。全10ページに文字ぎっしり、きわめて詳細で要点を捉えた特集です。
3年前に成立、施行された法律”児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律”の案には当初、対象として”絵”も含まれていました。
現在のロリエロ絵の際限無き横溢を眺めていれば、規制したい気持ちを判らないでもありませんが、純粋なフィクションを対象に含めるとき、この法律は解釈を法執行者に委ねるワイルドカードになります。理屈の上では、どのような屁理屈でも対象を児童で性行類似行為だと断じれば法執行可能です。
現在、法の対象に絵は含まれていませんが、法改訂の時期です。
個人的には、他の情報流通規制の動きのほうが嫌ですし、どうせ旧来の価値観と産業の戦いに過ぎない訳だし、どうでもいい話のように思っていたのですが、どちらにせよ規制と言う奴は大嫌いです。
権威好きな連中の、法とその執行で世界はピ−スフルに、というやりくちは現実を直視しないで済む方法かも知れませんが、世界に価値観を強制すべきではありません。
著作物への表現規制は、価値観の強制です。法は、価値観にまで踏み込むべきではありません。
ほかの内容は……えろ絵充満。例えば15年前と比べると、キャラクターの描き手の人口と技術水準は圧倒的に上昇したと思います。洗練と様式化が進行しながら、同時に多様性もある、これが21世紀なのか、と。圧倒的な未来です。
りんちゃんはもう中学生。家に同い年のかりんちゃんがやってきて、2人いっしょに楽しく、とにかく何でもやってみる中学生活が始まったのだ!
「りんちゃんクッキーのひみつ」の続編ですが、お話は散漫と言うよりポンポンポンと花火のような内容なので、前作を気にする必要はありません。これもオール2色カラー。版形が少し大きくなりました。探すときは注意されたし。
内容はD.I.Y、でも棚を作ったりはしません。川面に石を投げて水切り(しっかり細部の説明付き)をやったり、トンボを捕まえたり、冬の夜空を眺めたり。
仲良し2人は中学では帰宅部。自転車二人乗りで河原に行って、綺麗な石を拾って上に絵を描く。そんな日常を、いいんだ、と明るく肯定する語り口は清々しく気持ち良いです。
そんな中でも、学校サボって飯田線の鉄道の旅をする話は白眉の内容です。
お年玉使ってなんとなく行ってみたくなって、学校で時刻表見て計画を立てて、親に嘘ついて前の晩のうちに出発です。夜を越えて訪れるひとけの無い田舎の街、凍えるプラットホームと暖かい汽車。雪とトンネル、ちっちゃな冒険。露天風呂におみやげに夜行バス、そして家に帰ってみると捜索届が出ていて、こっぴどく叱られる2人。
ちっちゃなやる気、普段は気にも留めない、出来るけどしないことをやる、そんな元気を、わくわくと掻き立ててくれます。
お薦めです。あと、人妻郁子さん萌え。
そこは昭和54年の浜岡県路奇島市。人類を含めて3種族が居住する世界の人類領。人類とロガロエンテ種族は結託してその世界、箱庭からの脱出を図ろうとしていた。
太陽系に最も近い恒星系プロキシマ・ケンタウリを周回する直方体。作られた世界と人々の住む”箱庭”に囚われた人々と少女、そして創造者。そこは少女のための世界だった……
恒星間有人探査機サハリンスク!報復艦クドリャフカ!用水路!
えーと、エロ漫画短編集なのですが、エロの趣味はちょっと理解しづらい辺りにあります。それ以外の雰囲気と設定は素晴らしいです。路地と叢、廃墟と鉄道、奇妙な生物たち。肩が無く非対称でつるりとした連中たち。
作者のあわたけ氏というと、パソコン通信やってた人間には、CGでよく知られた名前でしたが、漫画だともう趣味全開で、嬉しい限りです。宇宙機などのハードウェアのデザインは特に素晴らしいです。
SF読みには特にお薦めです。