コラム堀内一三 04/2

1月31日(土) 「八名信夫の後継者」
 27日に三ヶ月を迎え、祐旭に少量ずつ果汁を与えることとなった。 毎日10時に一匙二匙からなので平日はお目にかかれなかったが、 本日始めてスプーンからあげてみる。と妻から聞いて通りのとんでもないしかめっ面、 如何にも「まじゅい〜」と言いた気で、これで本当に1月もすれば 哺乳瓶で30mlとか飲む様になるのか心配。しかしお父さんもと思って飲んでみると、 薄くてほの暖かい果汁は確かに不美味い。両親に似て甘いもの好きなのだろうか。

 近鉄が球団名の売却を発表したがどうも反応は厳しい。実際、かつて西鉄球団の経営危機に際し、 これを買収した福岡野球株式会社が太平洋クラブ、廣済堂をスポンサーとして 球団名に掲げたケースがあるし、東京(親会社は大映)救済のために業務提携の形態ではあったが、 球団経営には全くタッチせず運営費拠出の引き換えに球団名をロッテとしてオリオンズの ケースもほぼこれに近いが、こちらはその後ロッテが買い取ったので語られることはが少ないのに 対し、福岡野球は結局経営が破綻し西武が買い取ったという暗い経験があるので、 ネーミングライツに野球界が余りいい印象を抱かないのはやむを得ないだろう。
 実際、近鉄球団は昨年球団名をそのままに運営会社名を「大阪バッファローズ」としたのは、 大阪を主名として会社名を球団名から外す地域密着化への試みの一環と説明していたにも拘らず、 蓋を開けてみたら今回の前哨戦だった訳で、球団名から会社名を外すばかりが持て囃される風潮には 疑問とはいえ、いきなりの感は否定し切れない。
 それでも個人的には今回の方策を支持したい。恐らく、近鉄としては単なる宣伝目的で 5年間だけ冠を借りる企業というよりは、最終的には名前貸しを経て、当該企業或いは これを中心とした地域企業体による運営に移行したいというのが本音だろう。 或いはバブル期に新興産業が買い手として存在し得た時期に、一時の誹謗には耐えながらも タイミングよく売却した、より厳密に言えば親会社の窮乏が売却を余儀なくさせた 阪急、南海に対し、寧ろ余裕があったからこそここまで球団経営を維持出来た わが国最大の私鉄としての矜持を皮肉に思っているかも知れない。 プロ野球興行自体が大企業の宣伝媒体としての余技の域を超えて、余りに大きなビジネスと 化して仕舞った現在においてもかつわが国プロ野球を維持・発展させていくためには、 この様な試みも認める以外には無いのではないか。読売と国土が正論を述べたとしても、 それに付いてこれる企業が無くなって仕舞ってゼロサムゲームになって仕舞っては 意味が無い。

 今週は珍しく昼も夜も忙しかった。夜は何れも有意義だったが、昼ももう少し有意義に 多忙になりたい。
1月29日(木) 「一〇八の煩悩」
 前立浪親方(元関脇・安念山)が現立浪親方(元小結・旭豊)を訴えた裁判の二審判決、 逆転で現立浪の勝ち、ややこしいので以下は現役時代の四股名で記そう。 そもそもこの二人は義理の親子で、安念山から旭豊への立浪部屋継承が行われた後、 部屋経営を巡ってもめ、安念山が義理の息子から継承に伴う金銭支払を求めた訴で、 背景には数の限られた年寄株の高騰と、にも拘らず娘との縁組という形での部屋継承という 古式床しいと言えば美しいが、血縁で金銭を代替する相撲界の伝統の親和が 破綻を来たした結果と言えば酷に過ぎるか。
 安念山自体も義父の元横綱羽黒山から同じ形で継承したので安心していたら、 ドライな若者に腹が立ったという構図。娘さん=奥様は一体どういう立場になっているのか。 嘗ては二所ヶ関継承で金剛が先代・佐賀の花の娘と結婚して跡目相続争いに勝利しながら、 結局離婚して先代未亡人と養子縁組をし直したという本末転倒の結果もあるが。

 夜20:30から大学1年先輩の福岡在住のK氏が来訪され飲み会に。 始めは旧交を温め、優雅に子育て談義などしてたのだが、酒が進むに連れ わが国のあり方談義になり、相手の話に具体策なく反論ばかりで因縁つけてるだけの 親爺になって仕舞った。またその自覚もなくなる程泥酔はしていないのだが クダ巻きは止まらないという最悪の状態。K氏には往年の名チェアマン振りを発揮戴き、 酔っ払いの仲裁役(正しくは私の宥め役か)を務めさせて仕舞った。
 二次会を経て気付くと3時。すみません。今後とも見捨てずお付き合い下さい。
1月27日(火) 「学生時代」
 学歴詐称問題の古賀議員が帰国し、地元で泣きながら「辞めない、歳費貰わない、単位取る」と 街頭演説。詐称自体もマスコミ配布資料は卒業で選挙公報には書いてないということは、 本人も卒業を確信してはいなかったと類推されるが、 寧ろ疑惑発覚直後に「卒業していなければ辞職する」と明言しながら、一転前言を翻した ことが事態を著しく悪化させている。恐らく、00年の公選法改正で自身の辞職を理由とする 補選には立候補出来なくなったことを知らず、潔く辞職すれば返って同情論も出て前副総裁に 再度勝てると思っていたのが、後から指摘されて青くなったという顛末ではないか。
 物理的に議員の地位を剥奪されることはないから居座ることは可能だが、 それでは政治生命がゼロになって仕舞うので、早晩辞職せざるを得ないだろう。
 神埼公明党代表のコメント、「議員を辞めて、単位をお取りになればよいのでは」。 正に仰る通りだがそれでは意味がない(笑)。糞真面目にこういうことを言うところが また面白いが。
1月26日(月) 「進化する肛門」
 日に10回を数えていた祐旭の排便が大きく収斂されてきた。 これまでは日に2〜3回の多量排便と排尿・放屁時に同時に尻から漏れたと思われる 少量付着が相当回だったのが、付着が無くなったことで排便回数が大幅に削減され、 1〜2回の大量排便と1〜2回の少量排便に集約されてきた。
 ところが23日に大量排便3回と相当量を排出した後、一昨日・昨日と排便なし。 一転して便秘が懸念される状況となったが、本日おむつからはみ出る程の超大量排便があり 一安心したことをここにご報告したい。
 なお大量排便とはおむつ下部の殆どが黄色くなる程度、超大量排便とは おむつ内に収まらず背中方面に回って下着にまで付着して仕舞う状態を示す。
1月25日(日) 「総武線の旅」
 本日は一家で赤ちゃん本舗へ。五反田の方が距離は近いし店舗も広いのだが、 何分電車なので駅から徒歩2分の錦糸町店へ。 ビルの1階にはいきなり比較的安価な子供服ブランドが並んでいて、 赤ちゃん本舗目当てで来た客も必然的に購買意欲をそそられる旨い店舗戦略が展開されている。 御多分に漏れずわが家も祐旭のカーディガンやらを購入した後5Fへ。
 猛烈な人の山でしかもその内半分は乳幼児なので、実に目まぐるしくとてもゆっくり 賞品を吟味している余裕がない。従って、兎に角店舗を一周し必要なものをぽんぽん籠に 放り込むことになり、帰ってから「サイズがもうひとつ上でも良かったか」とか 「これなら次のステップのものでも良かった」と後悔するが、何れも安いので 「まぁ仕方ないか」と納得する、旨く出来た構造だ。

 更に一旦帰ってから今度は抱っこ紐に替えて食料品の買い物に出るが、 祐旭の全体重6.6kgが妻の両肩に掛かり早々に立ち戻る羽目に。 どうやら本来腰と肩で支えるところ、紐を短くし過ぎたため肩にのみ負担が生じた模様。 事後、TSUTAYAで童謡のCDを借りてくる。日本古来のわらべうたは 改めて聴くともの哀し過ぎる感があるが、矢張りわが国音楽は短調基調であること、 またわらべうたの多くは明治初期の藩閥(薩長土肥)に由来することを再認識させられた。

 朝青龍全勝優勝。全勝が7年振りというのは驚いたが、 "重よく"ならぬ柔よく剛を制すを最も体現する相撲取りで、 かつ圧倒的に強いのでは、如何に素行不良であろうとも 高砂親方のみならず相撲協会としても対処に困ろう。
1月24日(土) 「ペンタトニック」
 13日の京都行の続編で来京されたK教授に風邪を圧して約1時間半蔵門にて追加取材。 引き続き新宿で坂本龍一の新曲シングルを購入。前評判が可成り高かったので期待して 祐旭とともに聞いたが、韓国語のラップが入っているから余計にではあるが、 一聴して四七抜き音階のペンタトニック、と言うと識者の方に異論がありそうなので、 抽象的にアジア風の楽曲で、B面はCM音楽らしいがここ数年の教授のボサノバ趣味の 延長戦上、とこれだけではアルバムが待ち遠しいという程でもない。
 そもそも教授の音楽はアルバム毎に御本人の興味全開で、ひとつのアルバムが聴く側の嗜好に 合ったからといって次もそうとは限らないし、逆に合わなかったからと言って 教授フリークを辞める必要もない、という特色があったのだが、ここ数年は ピアノ回帰から3ピース〜ボサノバ、並行して実験音楽的な、悪く言えばやっつけ仕事気味な 映画音楽と特定の方向性に固まっていた。幸い「Energy flow」のヒットと ボサノバ趣味の業界における高評価で、売れるミュージシャンと「世界のサカモト」の地位を 同時に保っているのだが、このままでは"売れる"の方が先細りする恐れがあった。 そこで通常盤としては9年振りという2月発売のニューアルバムでは、 久々にこれまでの一貫性のない路線に戻って一体どんな楽曲が展開されるのだろうという 期待感が、とくにYMO以来の教授ファンには強かったのだと思われる。

 で改めて発表されたアルバムの楽曲を見てみると、六本木ヒルズのテーマ、 デビシルと戦メリ以来の競演で話題になったJ−WAVE15周年「World Citizen」、 CM・映画・ゲームの提供曲とこれではアルバム自体が"一貫性が無い"ものになってはいまいかと 一寸不安。でも矢張り買うので感想は改めて聴いてからということに。
1月23日(金) 「初宮」
 3週間程早く生まれたのでもう少し暖かくなってからゆっくりとと思っていたところ、 幸い成長が速く春を待っていると用意した服が着れなくなりそうなので、 結局寒さも厳しき1月に御宮参りと相成った。
 所は職場(?)に程近き山王日枝神社。妻の髪結いと着付で8時発、一旦西澤家で待機し 祐旭のお召し替え後全員集合し11時より。寒いと思って思い切り厚着させていったら、 結婚式場に使われているのであろう建家の中で祐旭くん一寸暑そう。 30分程の儀式でこの間は撮影禁止なので、前後に母と二人の祖母が代わる代わる 掛着でくるんで写真を撮るため実に忙しかったが、 平日のため空いており、玉串料伍千圓也しか収めなかったのにお土産も一杯貰えて お得でした。
 終了後は隣のキャピトル東急へ移動。ビートルズ来日時の旧・東京ヒルトンとしてお馴染み。 地下の星ヶ岡にて会食。入ると次々とおめでとうございますと言われ、 5000円にも拘らず結構なボリュームで、「初宮」のプレート付ケーキとポラロイド撮影の オマケまで付けて戴き、隣の部屋は久間先生で(これは関係ないが)、 丁重な対応、今後も従来以上に利用したい。
 とフルコース無事に終了したが私はマスク着用の上、風邪薬の効用で終始頭がぼーっとした感あり 楽しみましたが、肉体的には非常に疲れました。祐ちゃんもお疲れさま。

 余談だが妻が美容室で聞いた話。時節柄、成人式とか七五三の時期は混むんですよ」 とここまでは普通だが、「あとは"叙勲"」。流石キャピトル、伊達に"議事堂"の名は 冠していない。

1月22日(木) 「すっぽんぽん」
 昨年末の忘年会を先送りしたおかげで例年よりも新年会が多い。 昨日は比較的早く帰ったにも拘らず、風呂に入ってすっぽんぽんで寝て仕舞い、 風邪を悪化させた様だ。
 で今朝は久々に胃カメラ、潰瘍は順調に治っている由、一安心。

 年が明け1月半ばから祐旭は夜寝ると朝まですやすや、起きてる間は3時間毎の 授乳5〜6回体制がほぼ定着。大分普通の人っぽい生活リズムになって来た。
1月20日(火) 「運命」
 会社の副会長が亡くなられた。仕事柄父と懇意で私の結婚式に主賓としてお招きしたところ、 海外出張を切り上げて出席して戴けるところだったのが、前日空港の悪天候で飛行機が欠航、 欠席が判明し、急遽挨拶をお願いした当時の広報部長から「今、部を挙げて挨拶文を作ってるから」 と電話が掛かってきたことも懐かしい。
 I氏にはその後も何度かお目に掛かることがあったが、今や希少な存在の 古来の、柔らかな響きの名古屋弁を操る好々爺の印象が強かった。
 病で退任し今も元気な父と、経済団体のトップにまで進まれながら 急逝されたI氏、人の運命は判らないものだ。ご冥福を祈ります。
1月19日(月) 「補選地獄」
 選挙違反の新井議員が正式に辞職。今般選挙は自民が既に2人辞職、民主も3人が 百日裁判送り、1人が学歴査証疑惑とやけに盛り沢山。選挙事務所で半ばお祭り騒ぎとして繰り広げられる 選挙運動に無償で好き好んでやってくる人は居ても、果たして電話掛けの如く単純作業を 文字通りボランタリーに行う人が存在し得るか?という法自体の問題はあるが、 それはさておきまた補選である。
 中選挙区時代は概ね同一選挙区で2人が欠けない限り補選にはならなかったため、 数年に1回が相場だったのが、小選挙区になって余りに煩雑なので原則年間2度に集約する ことが後から決められ、小型中間選挙の様な様相を呈すことすらある。 それはそれでひとつの効用かも知れないが、毎度毎度国費が数億単位で投入されることに鑑みれば そもそも任期中に亡くなる蓋然性の高い高齢者や、 逮捕されて辞職する様な候補者を選任した有権者にも責任があり、 当該地区の代表者がいなくなってもペナルティーとしてやむを得ないという論にも一理ある。 しかし若くしても急死するケースもあるし、現職議員の首長への転出を禁ずるのも 憲法上疑義が生ずるきらいがあるので一概には出来ないだろうが。

 通常国会、開幕。
1月18日(日) 「宴のうたげ」
 会社の方が御成婚されたので二次会へ。仕事で多々接点があるのみならず、 実は拙宅の直上階に住んでおられるご近所さん(お隣さんならぬお真上さん)なので、 祐旭を妻の実家に預けて夫婦揃って出席。
 日曜夜の寒風吹きすさぶ大手町、一階に立つ警備員氏が厳しく目を光らせるビルを登って 会場へ。お二人は大学時代、サークルの同僚とのことで「二次会は比例係数以上に 多数派のためのものであるが、少数派も死に票にはならない中選挙区制の様なものである」 原則が働いてはいたが、新郎が相当酔っておられ、常以上に熱いムードが微笑ましい光景だった。
1月17日(土) 「子供たちの子供たちの子供たちへ」
 大学時代の友人と新年会。毎年忘年会だったが今年は日程が合わず繰越になったが、 真昼間開催にしたことで久々に女性陣も多数訪れ盛り上がる。 二次会はカラオケか、誰かの家で深夜、或いは朝まで飲むパターンだったが、 今回は新宿高島屋で挙行したため子供服売り場に流れる新展開が見られた。
 年齢的にも岐路が訪れる頃、行く道は各々ですが皆さん今後とも集まりましょう。

 夜は久々に「ザ・ホワイトハウス」をゆっくり鑑賞出来た。 日本の政治ものだと丸々批判か、丸々お追従かになって仕舞うところ、適度な笑いと適度な政治批判 を旨く配合したドラマだ。国民の大統領に対する敬意が根底に存在するからだろうが、 それは鶏と卵の論議か。
1月15日(木) 「文民と文官」
 防衛庁の3幕僚長会見中止が話題に。根本は防衛庁の会見が多過ぎる、 その結果恐らく国防機密の秘匿性が記者に安易に捉えられ過ぎている、 よって他省庁並に削減、という論理なのだろうが。どうも制服組の口封じにも 見えて仕舞うところがまた難しい問題。
 わが国憲法では職業軍人を文民統制下に置くことが規定されているが、 それは防衛庁内における武官に対する文官の優位を説いたものではない。
 本頁も接見15万件を達成ししました。皆さんありがとうございます。御礼の辞
1月13日(火) 「みやこ武士道」
 昨年度は陸上自衛隊体験入隊を行った 会社の研究組織の企画で本年度はテーマが武士道。 如何とも雲をつかむ様な話で打棄っておいたがそろそろお尻に火が付いて来て 遠路遥々京都取材と相成った。
 8時の新幹線で東京発、到着後小1時間あったので 年振りに伏見稲荷へ。 幼年〜小学校は神奈川/東京在住だった私だが父母の実家が名古屋のため、 毎年正月には伏見稲荷へ初詣に行くのが恒例だった。既に13日にも拘らずの賑わいで、 今年5回目の初詣と相成った。神社本庁から推薦を貰う際にこの実績が役立つか!?。
 次いで向日町駅へ移動しいざと思いきや、先方から電話で1時間後出し、 かつ京都駅に場所を替えてほしいとの由。やむを得ずここで合流した、一昨年に 富士学校も伴にしたS氏と知恩院へ。中学時代、浄土宗学校だったため毎年お参りに 連れて来られたこちらも因縁の地だが、バスを間違え乗り換えた挙句に 先方からまた連絡があり時間が早まったためとんぼ返りに。
 こうして漸く国際日本文化研究センターのK教授とお会いした。 絵になるところということで結局桂坂まで揃って移動することになり、 道すがら早速取材開始。武士道と組織経営の観点での研究者は多くはない様だが、 人事・雇用話から始まり仲々面白い。到着していざと思いきや もう時間が無くなりそうだったが後の予定をズラして戴き、かつ次週東京で続きを ということになりありがとうございました。 組織論、即ちトップダウンとボトムアップは昨年の自衛隊にも通ずる話で 五里霧中だった巻頭総論の先が見えて一安心。 京都小旅行も出来て有意義な一日でした。

 政治話をふたつ。民主党大会、憲法改正前向きは評価出来るが、 「国連待機部隊」とは何とも懐かしいというか、今更の感あり。
 もうひとつは西川きよし氏引退。タレント議員には珍しく 評価のあった方、お疲れさまでした。さて後任は三枝氏か?
1月11日(日) 「YMO三昧」
 続いて三連休の中日はYMOコピーバンドの新年会。 アレンジの打ち合わせを兼ねていたが先立ってのドラマーH氏所有 YMO関連レア映像に見入って仕舞った。 そろそろ真面目にライブとバンド名を決めなくては。

 大河ドラマ新撰組第一話。三谷幸喜の幕末ものはどうも印象が今ひとつだが、 「武蔵」平均視聴率ワースト3位を誇った大河の救世主になるのか。
1月10日(土) 「伊東から鈍行」
 本日は恒例の温泉麻雀。だが乳飲み子を抱える身なので 当日で単身退散する予定に。何時も深夜に入ってから力が出る タイプだが時間が無い今回は最初からフルパワーでと焦ったのが いけなかったかいきなりラス。しかもアルコールの方も焦ったか、 次局の後半には早くも酔いが回ってどう打ってるのかよく判らない状態。 ところがそこで勝って何とかプラスで終了。
 帰路は伊東から熱海に出て新幹線にと思いきや、 次のこだままで30分以上あったので、酔った頭で目の前の東海道線に 乗って仕舞って当然時間のロス。だが相当な安上がりになりました。
1月9日(金) 「勤続疲労」
 愈々PCがおかしくなってきた。購入からはや5年と幾月。 既にCD−ROM機は動かず外付けのCD−RWで何とか命脈を 保っているが、HDDも増設したし何かと積んでおり、 今更入れ替えが面倒臭いというのも実状。
 しかしながらここ数ヶ月、ファイルをクリックしても半分ぐらいの 確率で起動まで1分ぐらいウンともスンとも言わないし、 昨日は遂に右クリックすると砂時計のまま。 htmlをメモ帳に送ってHP修正を行っている私としては これは致命的だ。何とかあと数年持ってくれないものか。
1月8日(木) 「ピンボールの魔術師」
 総武線止まる。飯田橋で架線にビニールが掛かったとのことだったが、 止まったのが四谷だったので何とか南北線で会社に到達。後に屋台を落としたことが 判明したらし。一体如何なる状況だったのか。
 ここのところWindows付属の3Dピンボールにはまっている。 Win95時代にネット接続用の追加ソフト「Plus!」に同梱されていたものが、 Win2000で甦ったもの。会社のPCが昨年末に漸く2000になったので 懐かしさもあって昼に熱中して仕舞う。

 「こぶししゃぶり」と書いたばかりだが、はや人差指から薬指にかけ手を伸ばして しゃぶる様昇格した。子供の成長の速さには感動させられる。
1月6日(火) 「回帰現象」
 本日より会社で俄かに日常が回帰した感。暖かい年末年始だったにも拘らず、 こちらも俄かに寒さが厳しくなった。丁度親子三人で初詣やらお散歩やら出歩くのに 気候もよく、良い冬休みであった。

 祐旭は指をしゃぶりたい様だが、まだそれが出来ず拳ごと舐めまくり、 手が口に入りそうな勢いだがそれはないだろう。 呼びかけに笑う様になり、首の動きも激しくなった。乳児の成長は速い。
1月5日(月) 「初打球」
 昨夏に続き父とセントクリークにてゴルフ。 祐旭の生まれる前日以来で、ここ数回調子が悪かった上に練習もロクにしてないので 不安の方が大きかったがそれが的中。ドライバーだけ最後まで崩れなかった替りにアイアンがまた悲惨。
 後半はアプローチが多少復活したので54と実力相応に落ち着いたが、 パターがそこそこだったのに結局110超と哀しい結末。再び春まで封印か?
1月4日(日) 「墓参」
 妻が妊娠中だった昨夏に続き今回も名古屋単独行。所定の墓参コースの後、 熱田神宮は余りにも混むので、初めて城山神社を訪れた。 旧末森城址とのこと。
 しかし渋滞にはまって改めて名古屋が車の街であることを痛感させられた。 その割に幹線道路同士の平面交差が多過ぎるので、 普段は少ない地上の人通りが増え横断歩道を闊歩すると左折車が曲がれず 後ろまで固まって仕舞う。年末年始に義父から車を借りて便利だったが、 矢張り移動は電車の方がいい。

 夜は押入れの本棚を漁って「かみさまのおはなし」を家捜しするが発見出来ず、 徒労に空しく眠る。
1月3日(土) 「財前五郎にもよろしく」
 漫画「ブラックジャックによろしく」を読んだ後に新春スペシャル版を見る。 祐旭の授乳やら寝かし付けやらでTVがオンタイムでゆっくり見れないので、 「古畑任三郎」は録画で見ようという魂胆から。
 連続ドラマ時は手抜きではないかと思われるほど漫画そのままの内容だった様だが、 今回も巧みに厚労省や製薬会社批判に当たる部分は除いてほぼ忠実に再現されているので 適当に流す。
 ところで胃潰瘍はモノをよく噛めば治ることもあると書いてあったので、 実践してみると確かに胃が痛くならないばかりか、満腹中枢が早々に満たされるらしく 食べる量も減ることが判った。と妻に言うと、以前から何度も言ってたのに聞かないから、 と怒られました。因みに乳児は満腹中枢がまだ確立してないので、 与えれば与えるだけ母乳を飲むそうで、だから祐旭ははや6kgのまん丸お顔になったのだろうが、 その方が赤ん坊らしいから良いでしょう。小児科医にも怒られなかったし。
1月2日(金) 「初詣」
 小泉首相は昨日に靖国神社を公式参拝された由。 年々参拝時期が早まっていくのが余り本件に深く関与したくないという 意志が見え隠れしている感はあるが、 論議の糸口を作ったこと、曲がりなりにも参拝を続けていることを 先ずは評価したい。
1月1日(木) 「和尚が2(ツー)」
 明けまして御目出度ふ御座居ます。本年も宜しくお願い致します。(新年御挨拶)
 午後に「子育て厄除け」でお馴染みの杉並・大宮八幡宮へ初詣。 毎年極近場で済ませてきたのでこれでも十分な遠出だが、 流石に混んでおり、参拝に2時間掛かるという。やむを得ず前を行く人に付いて 脇道を擦り抜け境内に突入すると、本殿に上がれないだけでお賽銭も投げて無事お参りが出来た。 新年から幸運か。家内安全・国家安康。

 昨夜は「行く年来る年」の除夜の鐘でしみじみとした後、 0時半からJ−WAVEの「行く都市来る都市」を聴いた。 間抜けなタイトルのラジオ番組にわざわざダイヤルを合わせたのは、 元YMOお三方による"新春放談"が行われたから。 ところが断続的に対談が流れ朝6時迄というので途中で疲れて寝て仕舞った。
 ひとつ気付いたのは、細野さんの教授への口振りが往事と変わっていたこと。 嘗ては「そうだね」とか随分と優しい言葉遣いだったのが、 「〜だな」を連発し、一見大昔の上下関係が甦ったような台詞になっている。 これは最近関係が良好と言われる両氏の接近を示すものなのか、 或いは両氏の接近を表すために細野さんが気を遣ってわざわざ ぞんざいに喋っているのか。ユキヒロ氏は全く変わっておられませんでした。

コラム堀内一三 03/12

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