津島通信

FEBRUARY 2004
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◆CONTENTS◆

【広告】
【きむたく日記】

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広 告(刊行より1年間)

¶ 米村みゆき『宮澤賢治を創った男たち』青弓社,2003.12.17,本体3,000円+税

¶ 岡山市・岡山市文学賞運営委員会編『おかやま しみんのどうわ2004』吉備人(きびと)出版,2004.2.14,定価1,000円

¶ 『敍説』U―07,「特集◆距離感」,花書院,2003.1.6,本体1,800円(税込)

 木村も書いています.

¶ 綾目広治 『倫理的で政治的な批評へ』皓星社,2004.1.30,本体2,800円+税

 のっけから福田和也批判で始まる痛快で刺激的な著書.批評理論系の方は,看過できない綾目先生の新著です.

¶ 米村みゆき編『ジブリの森へ 高畑勲・宮崎駿を読む』森話社,2003.12.15,本体2,200円+税

 映像テクストであるジブリ作品をどう「読み」「研究」の射程の中に位置づけなおすのか,文学研究者たちの果敢な取り組みです.

¶ 『現代文学史研究』第1集,現代文学史研究所,2003.12.1.
 大久保典夫「純文学の死」,大井田義彰「越境する中年女―松本清張『けものみち』論―」他.

¶ 千年紀文学の会編『過去への責任と文学』,皓星社,2003.8.15.本体2,800円(税別)
 綾目広治「現代思想と文学―九・一一の以後の文学と思想」他

¶ 『敍説』U―06,「特集◆性交」,花書院,2003.8.12,本体1,800円(税込)

¶ 原爆文学研究会編『原爆文学研究』2,花書院,2003.8.1,本体1,200円(税込)

目次

¶ 鳥井正晴氏『明暗評釈』第1巻(第1章〜第44章),和泉書院,2003.3.30.本体5,500円(税別)


「演劇鑑賞サークル」のご案内 (岡山限定)  

   以下の要領で,演劇を鑑賞する仲間を募集します.役者が目の前で演じている舞
   台を見ると,TVや映画とは違う迫力と魅力に圧倒されます.募集の期限はあり
  ませんので,是非入会をご検討ください.

                  記

  ・入会の条件
   @教官・事務官・学生・院生・OB,OGなど,一切不問.
   A最低半年以上,サークル会員でいられる人.
 
  ・ 申し込み先:木村 功  〒700-8530 岡山市津島中3丁目1−1 岡山大学教育学部内
     (入会先:岡山市民劇場  岡山市磨屋町4-21 金谷ビル2F,086-224-7121,FAX086-224-7125)

    ・費用
   @入会金:1,500円
   A月会費:
        一般会員;2,300円
        学生会員;1,800円,
    
  ・演劇上演の時,入場料は要りません
  年間平均6〜8本の演劇が鑑賞できます.普通演劇鑑賞は,5,000円以上/1回
 かかりますので,演劇が好きな人にはかなりお得といえるでしょう.また,席が
 余れば期間中複数回の観劇も可能です.
 
  ・個人単位だと,事務局から割り当てられる座席の位置が悪くなるので,「サー
  クル」という単位(3人以上)を作って座席の割り当てを貰った方が,費用対効
  果があがるのです.

  ・詳細は,木村まで.

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 2004年 4月例会「喜劇キュリー夫人」(4月1日〜3日,岡山市民会館)


「きむたく日記」

2月27日金曜日晴

     この2,3日オーブンレンジのトースター機能で食パンを焼くと,煙がもくもく出てくるようになった.山口時代に購入して10年近くになるので,故障かなぁと少し気になっていた.しかし,その煙は妙に鯖(さば)臭いのである.
     こんがりと焼きあがったトーストは,香ばしい匂いがするはずなのに,なにやら生臭い鯖臭がする.温めたミルクも,甘い脂肪の香りの代わりに,やはり鯖フレーバーである.それらを食すると,もうそれは絶句ものの風味であった(お試しあれ).本来あるはずの匂いの代わりに別の匂いがすると,もうそれだけで脳には耐え難い苦痛を与えるものらしい.朝から僕は,悶絶させられていた.
     日ごろは「寛容」で知られる(?)僕も,とうとう我慢できずに「魚を焼いたの?」と「容疑者」を詰問すると,案の定「鯖を温めた」と平然と言ってのけたものである.
     どうやらヤツが鯖をラップにくるんで温めた時に,ラップの隙間から鯖の脂がレンジ内に飛散し,トースター機能を使ったりすると脂が焼けて煙が出るようなのである.
     僕がヤツに,レンジやトースター機能で魚を焼いたり温めたりしないことを「お約束」させたことはいうまでもない.

     生協ブックセンターで,豊田建次『それぞれの芥川賞 直木賞』(文春新書),小川和佑『桜の文学史』(同)を購入.

2月20日金曜日晴

     午前中FM横浜から電話を貰った.「先生,明日が漱石の日ということでお話を伺いたいのですが…」
     「ハァ?」
     「漱石が博士号を辞退した手紙を書いたのが明日だそうなのです,ご存知ないでしょうか」
     「それがなぜ漱石の日になるのでしょう?」
     「日本の記念日というサイトで,明日が漱石の日となっていましたので,ご専門の先生に詳しいお話を伺えればと思いまして」
     ここで思い出したのが,「はなまるマーケット」(TV)で「漱石の日」というのを放送していたという吉田正さんの話だ.
     FM横浜の担当の方に,その「漱石の日」というのは一般的に認知されている日ではないということを説明して一応納得はして貰ったのだが,担当者は僕に「今日は何の日」というコーナーで,21日の出来事として,くれるという博士号を辞退した「奇特」な人物の名前をクイズに出し,その説明を専門家にしてもらいたいので,説明を録音・放送させてくれというのであった.
     乗りかかった船なので,20秒間番組に録音出演することになったのだが,これは「漱石の日」を僕自身が認めたことになってやしないのだろうかと,後で不安になった.
     このHPで宣言しても仕様がないのだが,神奈川(横浜)のFM横浜リスナーの皆さん,確かに明日2月21日は夏目漱石が文部省から博士号を授与するという話を辞退した日(明治44年)ですが,「漱石の日」ではありませんよ〜.

2月18日水曜日晴

     温暖な一日.2月にもかかわらずコートなし,ストーブなしで過ごせるので,気味が悪い.
     奥さまが出勤した後朝刊を読んでいたら,ハンセン病元患者の宿泊拒否ホテルの営業廃止で,今度は施設側の菊池恵楓園に中傷電話がかかっているという記事があった.差別した側ではなくて,された側がこうして二重三重の被害を蒙ることになる.だから差別される側は,それを恐れて何も言えなくなるのである.しかし,呆れてばかりではいけないのであって,電話をかける人たちに「それがまた差別なんですよ」というて差し上げるのが,我々の親切というものであろう.
     それにしても最近,国内では虐待だの差別だのと社会的弱者がらみの報道が多いので,気が滅入る.そういうことを考えていたら,「アカルサハホロビノ姿デアラウカ」という太宰の「右大臣実朝」の有名なフレーズが脳裏に浮かんだ.「暗イウチハ滅亡セヌ」ということなので,実朝(太宰)の論理に従えば,まだ日本社会は大丈夫ということになるのだろう(?).
     昨日の卒業論文の口頭試問に引き続き,今日は修士論文の口頭試問の日である.ゼミ生の修士論文ということもあって,午前2時過ぎまでかかって資料を作り,4時間しか眠れず口頭試問に臨む.10:30から40分間の口頭試問を経て,審査の結果合格の認定をいただけたので,胸をなでおろす.論文と試問の出来不出来は,2年間指導している僕にも評価として直接響いてくるので,針のムシロに座っているような感覚に陥るのである.その意味では,当人の次に緊張していたのは,この僕なのであった.しかし,これでようやく1年間の肩の荷を下ろすことができたので,安堵する.
     これで,ようやく不義理をしていた諸方へお手紙が書けるし,自分の研究ができるというものである(やれやれ).そして腰痛からも解放される.ああ,嬉しい.

2月16日月曜日晴

     今日が後期成績の締切日で,午前中にWEB上から入力作業を終える.表計算ソフトを利用して集計作業を行うのだが,今回は文系の悲しさで,数式を間違えていたことに気がつくのが遅れ,ようやく今日終わった次第である.ああ,やっとレポート読みから解放された.
     午後から,学部のあちこちで開催されている卒論の発表会に参加する.国語教育教室の会場では,午後に出席した教官は,司会者のI先生と僕だけ.コメントを求められているわけではないのだが,質疑になるとほとんど誰も手を上げないので,僕がコメントをいう役目を果たす(だから余計に発言しなくなるのかもしれないけど).ただし,木村のゼミ生の報告の時には,ゼミの上・下級生が質問をしたのであった.それがまた結構キツイ質問なので,指導していた立場のものは「悪い汗」をかきました.

     ハンセン病元患者の宿泊を拒否した,黒川温泉(熊本県)にある某化粧品会社系列の某ホテルが,4日間の営業停止処分を受け,会社側はホテルの廃業を決めたそうだ.
     古人曰く,「臭いものには蓋」ってか.

     明日の口頭試問の準備を終えて,こうして日記を書いているのだが,学生時分の自分の試問はどうだったかなぁと思い起こしてみる.
     まだ幸い命脈を保っている僕の出た国文科では,50枚が上限で手書きであった.ワープロ(あの有名な?「書院」「文豪」なのでワープロ専用機のこと)も普及していたが,筆者が誰か分からなくなるのと表現能力が衰えるという理由で使用が禁止されていた(数年後,時代の趨勢に逆らえずに認可された).
     で,悪筆の僕などは判読の難しい字を書いて指導教官に閉口され,「内容はまぁヨシとして,全部書き直し」と50枚の書き直しを命じられたものである(フッ,腱鞘炎にならなくて良かったゼ).と,まぁ悲劇的な思いはあまりしていない.しかし,前にも書いたが,口頭試問中に脳貧血を起こして倒れたり,泣き出したりと,いろいろな手で防戦に努めたツワモノもいた.
     梅崎春生という作家は,東大の国文科を卒業したのだが,森鴎外の現代小説で卒論を書いた.現代小説を選んだのは,横着を決めこんだからで,それもわずか10日で80枚を書いて提出した.さすが後年直木賞(昭和29,第32回)を受賞するだけのことはある,などと感心してはいけない.
     卒論の口頭試問の日,審査に当たった久松潜一は,顔面蒼白の梅崎に狂言の影印本を示して,その朗読を命じたそうだ.しかし親が狂言をやっていた梅崎は,幸運なことに影印本が読めたのである.朗読を無事にしおおせて,「上手だね」と誉めて貰えた梅崎は,なんとか事なきを得たのであった(→卒業).
     このエピソードを読んで,僕だったら何を課すかなぁ,と考えた.……「ライオンキング」のハイエナ・ダンスってのは,どうでしょう(←何をやらすんじゃ).(24:17記す)

2月12日木曜日晴

     昨日は旗日であるのに,休日返上の校務.レポートを読めなかった分,今日のレポートの査読のノルマは厳しい.しかし,招かれざるゼミ生やら,来客やら,勧誘電話などに邪魔されて集中できない,というのは所詮言い訳か.年をとると集中力がなくなるようだ(ふっ).今日なんて,夢の中でもレポート読んでたぜ.(←よほどイヤらしい.)
     試験とレポートから解放された学生達は,テニスをしたり,自転車で走り回ったりしている.明るい表情が羨ましい.猶予が1ヶ月近くあった前期と違って,後期の成績の締め切りは,試験期間終了後わずか6日である(入試業務や卒業の単位認定作業のため).他の教官と組んでいる授業は,明日点数の集計をすることになっている.プレッシャーに一人唸っていると,これもまた「明るい」表情のゼミ生が言った.
     「みんな優をつけたら良いんですよ」
     「(単位)落としたろか」

2月9日月曜日晴

     一日中,レポートと卒論(副査分)の査読作業.快い疲労感を味わう,などとはとてもいえない荒んだ気分に陥る.しかし,レポートの中に,論文になりそうなものを見つけ,このような独創力に溢れたレポートを書く受講生がいてくれたことにとても喜ばしい気分になる.これがゼミ生のものでないのが,少々忌々しいが(笑).
     紀伊國屋書店に注文していた書籍が入荷.昨年末から話題になっていた山本義隆氏『磁力と重力の発見』(みすず書房)全3巻は,これから3月まで僕の読書生活を楽しませてくれるだろう,と思って3巻を見ていたら物理の数式が並んでいたので青ざめる.『アウステルリッツ』を先に読もう.

     3年のゼミ生が,「読みますか,これ」といって貸してくれたのは,デューク更家『1mウォーキング・ダイエット』(講談社).「お母さんが,私の誕生日プレゼントに送ってくれたんですよ.どう思います?」という.
     「君が,僕にこの本を貸そうとする理由の方を聞きたいよ」

2月4日水曜日晴

     10:00から会議.校務(雑用)をこなす.午後から卒論やらレポートの「解読」作業に取りかかる.心も落ち着いて,とても静かだ.
     ダワーの『敗北を抱きしめて』は大変分かりやすい.第4章で,田村泰次郎の「肉体の門」に言及して「肉体」という言葉が,戦前戦中の天皇を中心とする体制を表わす「国体」という言葉を「衝撃的に逆転させ」るパロディーであるという指摘は面白かった(182頁).

2月3日火曜日曇

     今朝は久しぶりに隣のアパートの女の子の「早朝ワンマンショー」で起こされた.そんなに今日は暖かい日ではないと思うのだが,気持ちよさそうになにやら歌っていた.
     からっ風が吹いて,寒さを強く感じる.今日が年度最後の講義の日である.「川とノリオ」の講義を小学校課程向けに行い,中学校・高校向けの講義では「夏の花」を取り上げる.授業のコメントカードを読んでいて気になったのは,受験中心教育のせいか,小学校で戦争(原爆)文学教材をやったものの,中学・高校では「記憶にない」やら「やっていない」という証言があったことだ.勿論,被害地出身や住んでいたことがある学生は,徹底的に教えられたと書いている.
     問題は,教えられていないことで,知っている者との間で知識・意識の格差を生じてしまっていることだ.原爆によって数十万の日本人が蒙った損害・苦しみを想像することがないことで,原爆はもちろん戦争の被害や,さらには卑近な他者の痛みを,言葉による追体験を通して「学ぶ」機会を,その学生たちは失っているのである.講義の中で,その問題に気づいたことをコメントしている学生もいるので,このような状況を生み出す学校教育の問題に,改めて気づかされるのであった.
     社会科の教科書においても,戦後の教科書と最新版の教科書では「原爆」に割かれるスペースが減少しているそうだ.現代史の中における原爆・戦争の意味は,日々新たな国際情勢が生み出される以上情報量としては削減されるのもやむを得ない.しかし,意味が軽んじられることは,別問題である.日本人として知っておかなければならないテーマとして,原爆・戦争文学とその追体験はあると思うのだが,中・高等学校の先生方はどうお考えなのだろう.
     ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(増補版)上・下を購入する.「ラスト・サムライ」に続いて,戦後日本についてアメリカ人から「学ばせていただく」とするか.

2月2日月曜日雨のち曇

     午前中から,卒論を出し終えたゼミ生が,三々五々解放された晴れやかな顔つきでやってくる.「先生もお疲れ様でした」の一言には,苦笑するしかないのだが,この一瞬を味わえるのが卒論指導の醍醐味なのかもしれない.
     みんな,お疲れさん.よく頑張ったよ.今夜は,ゆっくり寝てください.