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観客の学校・甲府校リポート
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■■第3回
2003年9月5日 (木)
第3回観客の学校の出席者は35名。この会あたりから、知人・友人だけでなく、新聞や広報チラシを見て来てくださる方もチラホラ。出席者の年代も20歳代から70歳代までと幅広く、「観客自らが積極的に学ぶ」が目標の観客の学校としては、だんだんといい雰囲気になってきた。行政や公立施設からの出席者もあり、「受け入れ側に観客のことを知ってもらう」という、観客の学校のもう一つの目標設定がリアルになってきたのも、嬉しいところだ。
ところで「つなぐnpo」は、ミュージアムを訪ねるだけでなく、自ら展覧会づくりもしてみたいと考えている。実はこの日の講師のお二方は、その展覧会づくりの可能性の鍵となる方々だった。
■1時限 ウォレスとグルミットのアードマンスタジオ展
樋口光仁(展示プランナー/「ネオスペース」社長)
世界中で人気のイギリス製・粘土アニメ「ウォレスとグルミット」と、その製作会社「アードマンスタジオ」。10年ほど前、そのアニメを日本に最初に紹介するきっかけをつくったのが、樋口光仁さんだ。
その後、テレビ放映権を得たTBSと阪急百貨店、さらに樋口さんの展示プランニング会社ネオスペースが3社共同で、「ウォレスとグルミット」展を日本国内で開催する権利を取得。2000年11月にスタートした「ウォレスとグルミットのアードマンスタジオ展」は、2002年8月の時点で全国8会場で開催され、2003年夏まで巡回を予定している。
では、粘土アニメとは、どのようにつくられるものなのか。まずはデザイナーによるイメージスケッチやキャラクターデザイン。次に物語の進行表であるストーリーボードのプランニング。
これに基づき粘土のフィギュアをつくり、それを少しずつ動かしながら撮影し……というところは、素人でもなんとか想像がつくところ。だが、アードマンスタジオの作品の最大の特徴は、フィギュアの口の動きと声とが完全に同調しているところ。そのリアルさを獲得するために、涙ぐましい努力と膨大な時間が費やされているのだ。
まずは声優が先に声を入れ、その際に顔の撮影もしておく。フィギュアの撮影の際にはその声優の口の動きを正確に再現していくのだが、1秒分の映像に25コマ分の撮影をするアニメの世界では、1コマの撮影ごとにフィギュアの口元やポーズのモデリングを手作業で調整していく。もちろん1場面に何人もの人物が登場する場合は、
それぞれに変えることになる。というわけで、1日最高でも3秒分しか撮影できないという、気の遠くなるような作業がつづくのである。1989年完成の第1作目は、23分の撮影に7年がかかったそうだ。その後、規模が大きくなって効率化が図られたとはいえ、手仕事は相変わらず。
といったことを、展覧会のプレゼン用の映像を上映しながらお話しいただいたわけだが、出席者たちが特に感激したのは、樋口さんがそのフィギュアの実物1体をおもちくださったこと。「個人的な楽しみ以外には使わない」ということでフィギュアの記念写真を撮らせていただいて、みんな大喜び。
粘土アニメの人気の秘密を問われた樋口さんは、「デジタル化が究極まで進んだ現在、人々の心は潜在的にデジタルでないものを求めている。粘土アニメは、デジタルとは対極にある世界。手作業・手づくりを基本とするがゆえにかえって、21世紀型の映像作品として認められているのではないか」と答えられたが、その言葉に一同いたく納得した。
なお、一つの展覧会をつくりあげるためのさまざまな行程についてもお話しいただいたが、中でも驚いたのは、宣伝を重視する樋口さんたちが、立ち上がり時期の海外取材に雑誌などのライターを20名ほど同行したということ。おかげで、同展は特集記事を中心に400件ほどの記事が掲載され、人気の牽引力となった。ふだん知る機会のない展覧会の舞台裏や苦労話を聞かせてもらって、
参加者の好奇心は大いに刺激されたようである。
■2時限 昭和30〜40年代の生活写真拝見
内田 宏(写真家)
山梨県庁で農業普及の仕事に33年間携わっていらした内田さんは、昭和25年頃から、当時の農業普及や生活改善活動の記録を残すために写真をはじめた。そのうち写真への興味が強くなり、ライカを入手。以後、仕事のかたわら、県内各地の人々の日常生活をカメラにおさめつづけた。70歳を越えても現役カメラマンである内田さんの写真は今も増えつづけ、
その数、ネガにして約3千本、写真にして約10万枚である。
ちなみに整理魔でもある内田さんは、これら膨大な数のネガとベタ焼きを台帳に記録して綿密に整理されており、この日もその整理方法をご伝授くださったが、本日はその中から昭和30年代から40年代にかけての生活写真をおもちいただいた。戦後の復興期に農村の生活が次第に変わっていく様を、「青少年の教育」「女性の生活改良」「農家における縁側」「川水から井戸水を経て水道水の普及へ」「農作業の変化」「家族の愛情」など、いくつかのトピックでご紹介いただいたが、スクリーンに映し出されたモノクロ写真を見つめる参加者からは口々に、「懐かしい」「あった、あった」「そうだったねー」という声があがる。
写真の説明をしながら内田さんが強調されたのは、こういった古い写真はただの写真ではないということだ。内田さんはこれらの写真を通して、今の農村はこれでいいのか、現代の家族はこれでいいのか、と考えるという。昭和30年代に比べ、家族の心のつながり、あるいは農村の中での家同士のつながりは、確かに随分と減ってしまった。そういったことを考えるきっかけとして、古い写真は「懐かしさ」の先にもう一つ、私たちに訴える力をもっているのだ。
さて、 「つなぐnpo」は、
こういった写真を紹介する展覧会を開いたり、
あるいは昭和の面影の残る場所を見つけて「昭和写真資料館」をつくり、公開していきたいと考えている。近ごろ少しずつ昭和を扱う展示が各地の博物館の中に現れてきたが、
それはまだ少数派。山梨県に新しくできる博物館も、展示対象は戦前まで。
だが、 現代を生きるみんなのための展示を考えていけば、このような写真展示を求める人々の気持ちも見えてくる。
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